著作権・大阪東ティモール協会
East Timor Quarterly No. 9, October 2002

東ティモールの孤児と孤児院

文珠幹夫

 昨年から、東ティモールの孤児らの心理調査を行っている。ここでは孤児と孤児院の現状について報告しておきたい。なお、子供たちの心理状況に関しては別に報告を行うつもりである。


 この報告はUNICEFのリポート(1)から多くの引用を行っている。なお、私が訪問した孤児院は6ヶ所、寄宿舎2カ所、ストリート・チルドレンのシェルター1ヶ所である。

■数

 2001年5月で孤児院に収容されている子供の数は1242名。年齢は5才〜19才で12才以下が大多数とある。私の調査では4才〜17才でやはり12才以下の子供が多数であった。3才以下の幼児は見かけなかった。18才になると自立して孤児院を出ることになっているところが多い。(1)
 孤児院の数は、寄宿舎などを合わせて36カ所である。しかし、UNICEFのレポートでも書かれているが、私の調べた範囲内でも、孤児院に収容されていない孤児が多数存在する。東ティモールの伝統なのか、苛酷なインドネシア支配の中で培われたのか、親戚や地域の人々が孤児の面倒を見ている場合が多い。
 おそらく孤児の数は調査した以上に存在すると思われる。ディリの町中で新聞を販売していた10才の少年と話をしたが、彼の両親は、1999年のインドネシア軍と民兵が騒乱を引き起こした時、連中に殺害された。その後親戚の家に引き取られたが、自分の食費などを稼ぐために新聞売りをしていると語っていた。ストリート・チルドレンの何人かは5年以上も廃屋や廃船の中で暮らしていた。

■状況

 2001年5月時点で、孤児院の状況は以下の通り。(1)

大変良い   4ヶ所
良い     8ヶ所
普通    17ヶ所
劣っている  7ヶ所

 この基準は少し曖昧である。日本の孤児院などの施設を基準にすると判断を誤る。例えば、「良い」と言われているA県B孤児院では、食事は3食あたえられており、清潔な服を着ているが、子供たちのプライバシーは確保されていない。個人の荷物を保管する場所は棚の中に30cm四方程度確保されているだけである。寝室は2つあるが60人が1室に2段ベッドで寝ている(写真1参照)。
 「劣っている」とされるC県D孤児院では、食事が滞る事があり、飲み水の確保も困難を極めている。寝室は土間に粗末なマットを敷いただけであった。そこでは写真撮影など許可されなかった。
 訪問した孤児院に共通することは、スタッフの少なさである。カトリック系の孤児院ではシスターたちや神父、助祭たちが面倒を見ている。スタッフ1人あたりの孤児の数は数十名と多い。年かさの子供たちが年少の子供たちの面倒を見、料理の手伝いをしていた(写真2)。
 「良い」「劣っている」に関わらず、責任者の誰もが訴えるのは食料の確保の困難さである。訪問した孤児院の多くはWFP(世界食糧計画)からの食料援助を受けていた。しかし、この支援は長期間継続されるのではなく、6ヶ月〜1年程度の支援と聞いている。それが切れた後どうするのかが現在一番の問題と訴えていた。E県F寄宿舎では、自力で田畑を開墾して食料の確保を計画していた。耕作できる土地があり、年かさの子のいる施設はそれも可能かもしれないが、そうでないところも多い。付け加えるが、どの孤児院も99年の騒乱時にインドネシア軍と民兵によって破壊され、その後再建されたところがほとんどである。
 責任者やスタッフの力量も孤児院の運営に大きく影響していると思われた。昨年「劣っている」と言われていたJ県I孤児院は、彼(女)らの努力により様々な団体からの援助を引き出していた。支援した団体から送られた物資の中には、全自動洗濯機(東ティモールの一般家庭でも洗濯機の所有はまれである)や業務用と思われる浄水器があった。この1年で飛躍的に状況が改善していた。その一方で状況の改善していない孤児院もある。建物の窓や扉は応急に修理されたようであったが、その後壊れ、そのまま放置されていた。
 地域の人々との関わり方にも差が見られた。地域の人々の協力をうまく得ている孤児院では、地域の人々がボランティアで建物の修理などを手伝っていた。また、都市部と村落部でも差が見られた。都市部ではUNTAET(現在UNMISET)始め外国の団体が多く存在し、支援の呼びかけが行いやすい。村落部ではそれを行うことが困難である。また、16の施設はそこへ出入りする交通手段を持っていない。

■親

 孤児院などに収容されている子供たちと親の関係は、以下の通り。(1)

両親と死別     19%
片親が死亡     46%
両親とも生存    30%
両親と生き別れ    4%

 国語辞典的な意味での「孤児」はこれから見ると少ないように思える。両親もしくは片親が生存している子供たちが多数を占めている。彼(女)らが孤児院などに入所した理由の多くは、貧しく子供を育てることが困難になったためとある(1)。私が聞き取りをしたA県B孤児院などでは、父親が拷問を受けた後、以前のように仕事ができず、経済的に困窮した家庭の子供や、母親がインドネシア軍によってレイプされた後、妊娠し生まれた子供たちが入所していた。母親が子供に愛情を注げなくなったためと責任者が語っていた。また、拷問を受けた親が、子供に暴力を振るうようになったことから入所した子供がいた。
 元FALINTILのメンバーから聞いた話だが、死別した孤児の親の多くは、 FALINTILのメンバーや支援者、あるいは地下活動を行っていたことから、インドネシア軍によって殺害されたらしい。
 生き別れの子供たちは99年の騒乱時に親と別れたのではと想像されるが、聞き取りの中にはいなかった。

■教育

 訪問した孤児院では、シスターたちが教師となって子供たちを教えているところがあった。現在、小中学校は授業料が無料である。しかしノートなどの文具は支給されない。UNICEFや各国支援団体から提供された文具(ノートと鉛筆程度)で学習していた。高校は授業料(月2ドル)が必要なため進学できない子供がほとんどである。
 ある施設では、子供たちに自活のための職業訓練(大工、裁縫)をしたいが、食費の手当ですら手が回らないので、その器材購入などままならないと窮状を訴えていた。

■おわりに

 どの孤児院も収容人数はその規模を超えていると思える。余裕のある孤児院は少ない。孤児院の開設を望む声も多い。さらに貧困や家庭内暴力等により家族から虐待を受けている子供も多いと言われている(2)。東ティモール政府には孤児院へ予算をまわす余裕はしばらく無いと思える。東ティモールの人々は、インドネシア支配の負の遺産を今後も引きずらなければならない。
 今回の報告にあたっては、東ティモールで2年以上支援活動に携わっている亀山恵理子さんから多大のご協力を得た。多くの孤児院、寄宿舎、ストリート・チルドレンの施設の方々にもお世話になった。ここに感謝とお礼を申し上げる。★

参考資料

(1)Project funded by UNICEF East Timor, Assessment of the Situation of Separated Children and Orphans in East Timor, May 2001.
(2)Kristina Tang, An Investigation on Child Abuse and Commercial Sexual Exploitation of Children (CSEC) in East Timor, March 2002.


子どもたちに支援の寄付を!


 訪問調査した孤児院やストリート・チルドレン施設から様々な支援要請があった。食料、衣服、文具等の消耗品から高校の授業料、建物の改修工事など多岐に渡っている。他人からの援助に頼ることは憂いを残すことになりかねないが、現状を鑑みれば支援の必要性を感じる。当面、教育を受けるチャンス(授業料や職業訓練器材)に関して幾分かの協力ができればと考えている。ご協力をお願いしたい。

郵便振替口座:東ティモール基金  00990−4−133358

「孤児支援」とお書き下さい。


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