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East Timor Quarterly No. 9, October 2002

巻頭言

民は愚か、なんだろうか

 フレテリンの創立記念日、9月11日、民主主義広場(カンプ・デモクラシア)で記念集会があるというので、出かけた。その日は、元ファリンティル兵士たち500人ぐらいが集会に押しかけ、広場中央に整列して待っていた。処遇改善を求めるアピール行動だ。(詳しくは本号の記事を参照)
 2時間遅れで始まった集会の初め、ASDT(社会民主協会)のシャビエル・ド・アマラル、フレテリンのフランシスコ・グテレス(ルオロ)、マリ・アルカティリなどが次々と演説した。
 会場はオープン・スペースなので、強い日射しがもろ照りつけていた。木陰で待っていた私は、日射しの下に出るや、めまいがした。指導者たちは、テントの下に用意された椅子にすわっている。その他の参加者はみな、何時間も立ったままだ。会場係が、木陰で集会を見ていた人びとを、早くテントの前に行って立つよう、せきたてていた。
 地方からトラックで何時間もかけて到着した人びとも、立ちっぱなしだ。
 私が気になったのは、指導者たちが演説の中で、一様に「愚か」(ベイクテーン)ということばを使ったことだ。例えば、フレテリンは単に独立をめざしてだけ闘ってきたのではない、フレテリンは貧困からの解放、愚かさからの解放のために闘ってきた、というような文脈で。
 私には、思い当たるフシがあった。
 インドネシアでも独立闘争の時代、「ボドー」(愚か)ということばが盛んに使われた。それは、どうやら、必ずしも本来的な愚鈍さをさしていたのではなくて、教育を受けていないというような、後天的な知識の不在をさしていたと考えられる。インドネシアでは、田舎の老人たちが「自分はボドーだから」と、学歴がないのを卑下して言うことがある。
 しかし、この21世紀にこのようなことばを聞くと、違和感がある。
 ましてや、「フレテリンは民衆、民衆はフレテリン」をスローガンにしてきた指導者たちから「民衆は愚か」という論理が出るのは、矛盾していないか。
 おそらくこれは、1974-75年当時のレトリックそのままなのだ。指導者たちの想念においては、20数年前の解放闘争のイメージがフリーズしている。すなわち、意識あるエリートという自己イメージが。
 現代は、アカウンタビリティと透明性の時代だ。民衆は愚かで指導されるべきもの、ではない。したがって、指導者はたえず、政策を提示し、議論し、意見を聞き、説得し、そのプロセスを公開し、責任を示すことが求められている。
 東ティモールの指導者たちは、歴史の囚人であってはならない。そうでなければ、若者たちとの溝は埋めようがない。(ま)


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