著作権・大阪東ティモール協会
East Timor Quarterly No. 9, October 2002

エルメラ県

文珠幹夫


 前号でバウカウとマナトゥトゥを紹介したが、今回は西部のエルメラ県を紹介したい。データはほとんど、暫定行政発行の「エルメラ県概要」(ETTE, Ermera District Profile, February 2001)からとっている。


■ 位置、地形、気候

 首都ディリから南西方向47kmに、エルメラ県の県庁所在地グレノ(Gleno)市がある。インドネシア侵略以前は標高の高いエルメラ市が県庁所在地であったが、インドネシアは平野部のグレノに移した。インドネシア軍の駐屯・支配に都合が良く、山岳地で活動するFALINTILと住民を引き離すためであった。そのため道路沿いには山岳地の人々を強制移住させた「戦略村」が多数見られる。西に山を越えるとボボナロ県で、その西はインドネシアである。
 エルメラ県はその大部分が山岳地で、北東から南西にラメラウ山脈が走っている。その中央に、東ティモールの最高峰タタマイラウ山(Tatamailau:2,963m)がそびえている。
 標高が500mをこえるあたりからコーヒーの木が見られる。半ば野生化している木が多いが所有者がいる。インドネシア支配時代に、コーヒー豆をインドネシア軍に買いたたかれため、農民の生産意欲が減退した。そのため手入れがなされなかったらしい。
 気候は、乾期(4月〜10月)には雨はほとんど降らないが、雨期(11月〜3月)は連日のように雨が降り、雨の上がらない日が何日も続くことがある。気温は涼しく、朝夕は肌寒くセーターが必要である。

■ 人口、言語、文化

 エルメラ県の人口は2000年5月末で92,480人。この時点でインドネシア・西ティモールからの未帰還者は約8,000人。
 1999年の「住民投票」前後、インドネシア軍と民兵による残虐行為に見舞われた。40名くらいの住民が殺害された。「住民投票」直後、5名のUNAMETローカルスタッフが殺害された。50%に及ぶ人々がインドネシア・西ティモールに強制連行された。
 ほとんどの住民は2言語以上を話す。テトゥン語と地域の言語である。ライラコ (Railako)地域(北東部)、エルメラ(Ermera)地域(中央部)、レテフォフォ (Letefoho)地域(西部)、ハトリア(Hatolia)地域(東部)はマンバエ(Mambae)語。アツサベ(Atsabe)地域(南部)とハトリア地域の一部はケマク(Kemak)語を話す。年輩者の中にはポルトガル語を話す人がいる。インドネシア語を理解する人はかなりいる。
 宗教は90%以上がカトリックである。イスラムとプロテスタントは共に2%程度である。その他アニミズムの信仰もある(1)。プロテスタントの中にはブラジルに本拠のある少しオカルト的な宗派もあり、アツサベ地域でトラブルを起こしている。
 エルメラでも、おそらく他の地域と同様、インドネシアはリウライ(王)を用いて支配を企んだ。侵略前後、インドネシアに協力した(させられたリウライがいたと聞く。占領が長引くに連れ、多くはインドネシア支配に抵抗した。現在では地域の象徴的存在であるが、もめ事を調停する役割を果たしている。


■ 産業

 エルメラを有名にしているのは、コーヒーである。東ティモール全体のほぼ3分の2を産出(1997年:6,200トン)している。約3分の1の農民がコーヒー生産に携わっている。しかし、近年の国際市場での価格暴落のため農民の収入は激減した。アメリカの援助庁(USAID)から資金援助を受けたNCBA(National Cooperative Business Association)がこの地に入って活動している。ディリの市内で見ると、エルメラ・コーヒーの価格は(焙煎済みで)1kg$1〜$1.5であるが、NCBAが絡んでいるコーヒーは綺麗な真空パックに入って0.2kgで$5であった。店員が「中身は変わらないけど、綺麗なパックに入っているからね」とニヤッと笑った。
 他に平野部ではキャサバや米を、高地ではサツマイモを作っている。

■ 交通、通信、病院、ホテル、食堂

 ディリ市内から、グレノ経由エルメラ市行きの長距離バスが出ている。約2時間。小型のミクロレットと中型バスである。料金は調べていないが、共に数ドル程度と思われる。
 道路事情は、エルメラまでの幹線道路は修復されている。しかし、それ以外の道路の復旧は遅れている。バングラディシュPKF部隊が応急に修復したが、雨期の大雨で再び損傷を受けたところもある。渡河する場所もある。村落への移動には四駆が必要である。
 電話を始め一般的な通信手段は無い。1999年の破壊から復旧していない。緊急事態はPKFや警察の無線を利用することになる。
 病院はグレノに2カ所クリニックがある。一つは日本のSHARE(国際保健協力市民の会)が運営している。
 ホテルや宿屋は無い。住民と交渉して民家に泊めてもらうしかない。寝具と蚊帳は必需品である。食堂はグレノに3つあるのみ。他所にはない。
 発電器の復旧も遅れ気味である。電気の供給は夜のみで、2時間から5時間程度である。レテフォフォやアツサベはほとんどない。蝋燭や懐中電灯は必需品である。★


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