著作権・大阪東ティモール協会
East Timor Quarterly No. 9, October 2002

ボーダー・コントロール問題
意地の張り合いがシステムの信頼を傷つける

松野明久

 ボーダー・コントロールは、日本語で言えば「国境管理局」。暫定行政時代につくられたこの役所の業務は、国境の管理、旅行証明書(パスポートに代わる)の発行、関税徴収などだ。ここが、ディリ地方裁判所と「ケンカ」を始めた。


経過

 事実経過についての報道がほとんどないため、なんともわかりにくいのだが、事件をフォローしている人びとから聞いた話をまとめると、概要次のようになる。
 まだ暫定行政時代だった5月(と言われている)、マリアナでの国境貿易で東ティモール国内に入った商品(タバコらしい)を、東ティモール内のある業者が購入し、ディリで販売しようと運んでいた。ボーダー・コントロールは、その運搬途中で、その業者を止め、輸入証明がないなどとして商品を差し押さえた。
 商人はこれを不満とし、商品の返還を求めて、ボーダー・コントロールをディリ地方裁判所に訴え出た。商人にしてみれば、この場合の商品の運搬は単なる国内の移動であって、関税などかかるはずがない。
 この裁判は、当然ながら、民事の扱いだ。裁判所はボーダー・コントロールに召喚状を送付したが、ボーダー・コントロールは2度もこれを無視。結局、相手が現れないことを理由に、裁判所は原告勝訴とした。
 そして、裁判所は差し押さえられた商品を取り戻すため、ボーダー・コントロールへと赴いたが、ボーダー・コントロールは裁判所職員を阻止。商品を手渡そうとしない。そこで、裁判所は警察に判決の執行を依頼し、今度は警察がボーダー・コントロールにやってきたが、土壇場で、警察の上層部から「待った」がかかり、判決執行は中止になった。
 ここで、判決の執行は完全に宙に浮いてしまった。
 危機打開策として、マリ・アルカティリ首相は、ボーダー・コントロールが検事総長に商品を渡し、検事総長が裁判所に渡すことを提案。そして、すべての商品が返ったわけではないらしいが、一部返還されたところで、首相は「もう、この問題は政府にとっては終わった」と発言した。
 しかしまだ、敗訴したボーダー・コントロールは裁判費用、賠償などを支払っていないらしい。弁護士会の抗議も10月まで続いている。

インドネシア語の召喚状

 それにしてもなぜ、ボーダー・コントロールは裁判所の召喚に2度も応じず、自ら「不戦敗」の道を選んだのか。それは、もっとも有力な説として流布しているものによると、召喚状がインドネシア語だったからだという。
 ご存じのように、東ティモールの公用語はポルトガル語とテトゥン語。ただし、インドネシア語と英語も実務言語として必要ならば使用が認められている。司法関係者は、裁判官から検事、弁護士にいたるまで、30-40才代のインドネシア教育世代であるため、テトゥン語はまだしも、ポルトガル語はほとんど使えない。そこで、ついインドネシア語となってしまう。
 どうやらそこがボーダー・コントロールの気にさわったらしい。
 さらに、法律が未整備の東ティモールでは、訴訟手続きもインドネシアの手続き法にのっとって行われる。それによれば、民事では、2度被告が召喚に応じない場合、被告の自動的な敗訴となるらしい。ボーダー・コントロールがそれを知らないはずはないのだが。
 裁判所にしても、ボーダー・コントロールのやったことが正当かどうか、という内容についての判断を行ったわけではない。手続き上、どうしてもこういう判決にしなければならなかったのだ。
 ボーダー・コントロールが、インドネシア語とインドネシアの裁判手続きというところに反発したとすると、これは上の闘争世代の若手インドネシア教育世代に対する反発ということもできるだろう。

クールな政府高官たち

 アデリト・ティルマン裁判所所長は、この問題についてボーダー・コントロールを非難し、東ティモールにおける司法の危機だと叫んできた。東ティモールの若い司法関係者は、ほぼ口を揃えて、ボーダー・コントロールの態度を不遜だと非難する。
 しかし、政府高官の反応はクールなものだ。
 アルカティリ首相は、最初は判決の執行を支持すると述べていたが、そのうち、上にも述べたように「代案」を提示。裁判所がそれは判決の執行とは言わないと反発する中で、9月、「政府にとってこれで問題は終わった」とあえなく幕引きを指示した。
 ホルタ外相は、外遊中に、この問題について相手からたずねられ、「東ティモールの司法は急ぎすぎる」などと、裁判所の方を悪く言うような発言をした。
 ボーダー・コントロールは政府の一部署。これをちゃんと管理できないで、司法の確立のために一生懸命働いている司法当局を悪く言うとは!
 こうした事態に、法曹関係者の怒りは爆発した。弁護士会がストライキを行ったのだ。裁判官はストライキには参加しなかったが、裁判所によれば、弁護士の出廷が条件の裁判では、弁護士が出なければ事実上法廷は開けないらしい。
 7月から8月にかけて、この問題がかまびすしく議論されていた頃、アナ・ペソア法相は、3ヶ月もの休暇をとってモザンビークに行っていた(帰っていた、と言うべきか)。彼女は9月の初めに戻ってきた。
 10月に入って、弁護士会はまたこの問題に抗議してストライキをうった。これに対しアナ・ペソア法相は、弁護士たちの行動はプロフェッショナルではない、などと非難した。弁護士会のネネビデス・バロスは、独立後10日しかたっていないのに、3ヶ月の休暇をとったりする法相の方がよっぽどプロフェッショナルではない、と反論した。(Suara Timor Leste, Oct. 15)
 アナ・ペソア法相は、法務省内でも、ポルトガル語化を強力にすすめたい。そのため、モザンビークなどからの司法専門家を省内に配置し、ポルトガル語の短期研修を判事・検事に課している。これが現場ではいたく不人気で、短期すぎて効果がなく、金と時間の浪費にすぎないと言われている。そんな短期でやった外国語で、人を罰するというような重大な仕事ができるわけがない。しかし、法相は強引にポルトガル語化政策を推進している。
 こういう背景の中で、現場の司法職員は政府のポルトガル語化政策に抵抗している。だから、ボーダー・コントロールが裁判所に意地悪をしても、政府は裁判所の手助けをする気にならなかったのだ。★


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