著作権・大阪東ティモール協会
East Timor Quarterly No. 9, October 2002

インドネシア特別人権法廷
ソアレス元州知事3年、6人が無罪

松野明久

 訴追されていた18人のうち、7人に判決が出た。アビリオ・ソアレス元州知事に3年の実刑判決、ティンブル・シラエン元警察署長ほか5人は無罪というものだ。それまでインドネシアの裁判を支持してきた世界の指導者たちも、これにはさすがにがっかりさせられたようだ。


 今年の3月14日に始まった3つのケースについての判決が、8月に出た。3つのケースとは、ディリ警察署長ティンブル・シラエン、州知事アビリオ・オゾリオ・ソアレス、そしてスアイ教会襲撃に関わった5人の軍人・警官のケースだ。最初に判決が出たのはアビリオ・ソアレスだった。

アビリオ・ソアレス

 8月14日、ジャカルタの特別人権法廷は、元州知事に3年の実刑判決を言い渡した。それは、検察が求めた10年よりもはるかに少なく、エミ・ムルニ・ムスタファ裁判官は、シャナナ大統領の嘆願書を評価したと語った。判決を聞いたアビリオは、こぶしをふりあげて「自分はスケープゴートにされた!」と叫び、控訴することを誓った。(AP, Aug. 14)
 アビリオに対する検察の立件は、非常に弱かった。以下、インターナショナル・クライシス・グループの報告書をもとに、振り返ってみる。(ICG, Indonesia: The Implications of the Timor Trials, May 8, 2002)
 起訴状は、アビリオは部下の行動を適切に監督できなかったとしている。部下とは、リキサ県長のレオネト・マルティンス、スアイ県長のヘルマン・スディオノ(軍人)、そして統合派軍副司令官のエウリコ・グテレスの3人。
 アビリオは、州知事として、州の社会的、政治的、経済的、文化的生活のすべてにわたり法と秩序を維持する責任がある、しかし、彼は部下たちが人権侵害をおかすと知りつつそれを無視し、人権侵害を犯したと知ってもそれを治安当局に引き渡そうとしなかったと検察は主張した。その結果起きたのが、リキサ教会襲撃、マヌエル・カラスカラォン宅襲撃、スアイ教会虐殺事件だった。
 起訴状によると、住民投票が近づいた頃、アビリオは州知事庁舎に県長たちを集め、「統合派東ティモール人の願望に仕えるため」、各地にFPDK(統一民主正義フォーラム)やBRTT(東ティモール人民戦線)といった統合派の政治組織の支部をつくることが必要だと説いた。
 その結果、合法的な民間防衛隊(Pam Swakarsa)の他、民兵組織までもつくられた。エウリコはこれらをアビリオに報告したわけだから、アビリオはこれらの民兵組織の活動にも監督責任が生じた、と検察は主張した。ただし、起訴状では、アビリオとこれらの民兵組織の直接的な関係は立証されていない。
 つまり、アビリオは州を統轄するという州知事の漠然とした責任を果たさなかった、ということなのだ。彼が州予算を使って民兵組織をつくったことなど、まるで触れられていない。これでは起訴状が弱いと言われても、仕方がない。
 
ティンブル・シラエン

 翌15日、ティンブル・シラエンに対する無罪判決が出された。検察は10年6ヶ月を求刑していた。
 シラエンの場合も、東ティモール警察署長としての管理責任が問われていた。リキサ教会襲撃、カラスカラォン宅襲撃、ベロ司教邸襲撃、そしてスアイ教会虐殺に関連して、部下を管理できなかったというわけだ。
 起訴状は、リキサ教会襲撃の日、シラエンはジャカルタにいたが、リキサ県警察長から事件の報告を受け、統合派・独立派双方の行動を調べるよう指示を出した、としている。
 しかし、これだけではどこが罪なのかよくわからない。検察が起訴に真剣でない、と批判されたのもうなずける。
 カラスカラォン宅襲撃については、その日、マヌエル・カラスカラォンはディリ警察のポストに保護を求め、警官はそれを東ティモール警察副署長に伝えた。シラエンはこの時もジャカルタにいた。副署長は、暴力を予防するよう部下に命令したが、部下たちがこれを無視した、と起訴状は述べている。シラエンは午後ディリに戻り、統合派・独立派双方について調査するよう指示した。
 これではどこが罪なのか、はっきりしない。まったくもって、よくわからない起訴状だ。
 また、ベロ司教邸襲撃については、民兵が民間人を襲撃したとシラエンは無線で聞き、暴力を制止し、ベロ司教を警察署に保護するよう部下に命令したが、警官がそうする前にベロ司教邸は放火された、と起訴状は述べている。
 そして、スアイ教会虐殺については、コバリマ警察が何もしなかった、としている。
 要するに、これだけの記述からは、シラエンを有罪にするのは無理がある。
 警察、とくに機動部隊(ブリモブ)の積極的な暴力への加担についての彼の責任については、まったくふれられていない。警察が、民兵の暴力を傍観していたこと、しかもそれを意図的に、積極的に、黙認していたことも立証されていない。起訴状からは、むしろ、シラエンは一生懸命対応しようとしたのであり、しかし力不足だった、という程度の結論しか導き出せない。
 検察が負けたのもうなずける。検察は控訴することを決めている。

スアイ教会虐殺の5人

 彼らもみな、15日、無罪を言い渡された。5人は以下の通り。(役職は当時、階級は現在)

ヘルマン・スディオノ大佐、コバリマ県長
リリク・クスハディアント大佐、コバリマ県司令官
ガトット・スビアクトロ、コバリマ県警察長
アフマド・シャムスディン少佐、コバリマ県司令部参謀
スギト大尉、スアイ郡司令官

 インターナショナル・クライシス・グループの報告書は、彼らの起訴状には注目すべき点が2つあると述べている。ひとつは、スアイの事件に関連した民兵組織、ラクサウルとマヒディが、武器などの装備をインドネシア軍の県司令部から、報酬を県政府から提供されていたことを指摘していることだ。これは、アビリオ・ソアレスの起訴状とは矛盾していて、当局が民兵の背後にいたことをはっきりと述べていることになる。
 もうひとつは、起訴状が5人の責任を問うのは、この民兵と当局の関係にもとづいてのことだということだ。つまり、5人が民兵の監督責任をもつのは、まさに民兵が当局のつくったものであり、そこに司令系統があると前提するからだ。
 しかし、検察も裁判官も、こうした論理に気づいているのかいないのか、とにかく、彼らは無罪とされてしまった。検察はこの件についても控訴を決めている。

各方面の反応

 アムネスティ・インターナショナル、ヒューマン・ライツ・ウォッチなどの人権団体、世界中の東ティモール支援団体が判決を非難した。東ティモールに自由を!全国協議会も声明を発した。
 また、国連や各国政府も失望を表明した。
 国連人権高等弁務官事務所は、検察がしかるべき証拠を活用していないこと、人権侵害をシステマティックで広範なパターンとして記述していないことなど、裁判プロセスの諸問題を指摘して、判決に憂慮を示した。国連事務総長は、裁判中、何度も国連があたかも不公正な投票を実施したかのような論議がなされたことに、ひとつひとつ反論する声明を発表した。
 アメリカは、無罪判決をよく検討する、これからもプロセスをフォローし、インドネシア政府が今後も責任者を追及することを期待すると、慎重なコメントを発表。
 オーストラリアは、裁判プロセスはもっと独立したものになる必要があると微妙に不満を表明し、ニュージーランドは、正義はリップ・サービスだけではだめで実行されなければならない、こんな裁判は信用できないと、強い調子で非難した。
 EUは判決の直接的な批判はしなかったが、裁判への信頼が損なわれると警告を発した。
 東ティモールでも怒りの声が聞かれた。
 アルカティリ首相は「これは裁判がまったくの茶番だということを意味している」と語り、ホルタ外相は「結局、インドネシア人の罪のつぐないを、東ティモール人がするということなのだろうか」と皮肉なコメントをした。(AP, Aug. 16)
 シャナナ大統領は、あわてもしなければ、怒ってもいないとのコメントを出した。しかし、アビリオ・ソアレス一人が有罪だということについては、東ティモール人をスケープ・ゴートにしてはいけないと述べている
 ディリでは、17日(土)、60人ぐらいが判決に抗議するデモを行った。
 インドネシアの法廷がだめだとなると、国際法廷への期待が高まるのは道理だ。東ティモールでは、8月23日にメアリー・ロビンソン人権高等弁務官が訪問し、インドネシアへの失望を口にすると、国際法廷を求める世論が高まった。弁務官と会談した後、それまで国際法廷には極めて消極的だったシャナナまでも、東ティモール政府は国際法廷を求めていいかもしれないと言い始めた。
 しかし、のどもと過ぎれば熱さ忘れるとのことわざ通り、シャナナを始めとした東ティモールの指導者たちは、そのうち、国際法廷を求めないという元の立場にもどってしまった。10月23日、シャナナは議会で次のように語った。
 「国際法廷の話があるが、誰のための国際法廷なのだろうか。ティモール人のためだろうか。(それなら)まず私から、それに反対と言おう」
 また、次のようにも言った。
 「正義がなければ和解はないと言う者たちがいる。なぜだろう。われわれには、過去を忘れ、お互いを許すという経験がないというのか」
 彼はまた、東ティモールに国際的な基準をあてはめてはならないと言い、国連暫定行政が重大犯罪を裁くために特別パネルを設置したこと自体を、初めて批判した。(Lusa, Oct. 23)
 このシャナナの発言は、これまで「すべて許す」式の措置を口にしてきた彼としても、もっとも後退したものだ。東ティモールにおいて民兵などを裁いてきた重大犯罪裁判をも否定したとなると、影響は大きい。★


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