著作権・大阪東ティモール協会
East Timor Quarterly No. 8, July 2002

番組評(1)

NHKスペシャル、2002年6月15日放送
『東ティモール・引き裂かれた家族 ― 国家独立の陰で ―』

河原田真弓


「祖国に戻りたい。」
 そう願い続けるのに、未だその望みがかなわない人達がいる。
 戦乱の最中、逃げまどい難民としての生活を余儀なくされた人々、家族が敵味方に分かれて闘わざるを得なかった人々がいる。そんな状況に追いやられた人々が、この世の中にどのくらいいるのか?
 今こうしている間にもイスラエルで、アフガニスタンで、世界のどこかで戦争は続き、悲劇は繰り返されている。そして、戦争が終わった後もなお悲劇は続き、人々の心に大きな傷跡を残す。

*     *

 西ティモールの難民キャンプに住み、難民のまとめ役をやっているコルネリオさんは、元民兵の司令官の兄と、父のように慕い尊敬していた独立派リーダーの従兄を持つ。彼自身は「1975年の悲劇」を繰り返さないために、1999年の住民投票で「インドネシアによる併合」を選択した「併合派」だった。
 「併合派」民兵の暴力が横行した住民投票前後、独立のために長く闘ってきた従兄の家が襲撃される。民兵の暴力に賛成したわけではない。しかしその様子をただ見守るしかなかった彼の心の傷は大きい。直接暴力に加担せずとも、大切な従兄が目の前で民兵に襲われているときに、「併合派」である彼は従兄を助けるどころか見捨てたのだ。自分の身を守るために。
 彼の住んでいた村だけで300人もの民兵がいたという。その中にはコルネリオさんのような立場の人もいたのだろう。多くが村民の報復を恐れて東ティモールに戻らず、西ティモールの難民キャンプで生活し続ける。インタビューに応える元民兵からは、自分たちの振るった暴力に対する反省はあまり読みとれないが、故郷に帰りたい思いは感じられる。和解プログラムの席上で、「戻ったらいじめられないか」などと質問をする難民たちの質問は悲しくも可笑しい。
 独立式典を目前にして、コルネリオさんは、東ティモールに住む従兄や姉からの誘いもあり、帰郷の可能性をさぐるために故郷の村 をたずねる。村で待っていたのは、従兄の変わらない笑顔と、民兵によって殺された犠牲者たちに対する深い悲しみがあるにも関わらず、暖かく迎えてくれた村人たち。村にいる難民たちの家族が「もう離れ離れはいやだ」、「家族が団結すればどんな困難にも立ち向かえる」と訴えているのが印象に残る。新しい希望を見出す傍ら、「併合派」に向けられた村人たちの怒りも感じ、これから先の行程の厳しさも頭をよぎる。

*     *

 一方、併合派団体によって「子どもを学校に行かせてあげるから」と騒乱直後の西ティモールの難民キャンプで両親から引き離され、ジャカルタの孤児院に連れて行かれたままの子ども達が大勢いる。併合派団体はこの子たちにインドネシアの教育を受けさせて、インドネシアの栄光ために尽くす東ティモール人を育てるという。
 併合派団体は、子ども達の親やUNHCRらが子ども達を東ティモールにいる親元に帰して欲しいと要求しても、頑として応じようとしない。テレビカメラの前で、「東ティモールに帰りたい」とはっきり意志表示している子ども達。併合派団体の責任者はそんな子ども達に「インドネシアに残ると言いなさい、言うんだ!」などと狂ったかのような声で強要している。困ったような子ども達の顔。そんな場面をカメラは淡々と撮っている。
 映像を見ている私としては、何ともやりきれない思いでいっぱいになる。子ども達の居場所も分かっているというのに、助け出せないなんて!
 東ティモールに戻れた子どもはまだいないという。同じ東ティモール人同士でありながら、インドネシアと深い利害関係にある併合派団体の人たちは未だにインドネシアを支持する。過去24年にわたるインドネシア支配の間に、少しずつ拡がっていった民族の亀裂を修復するには、いったいどれだけの時間が必要なことだろう?

*     *

 映像は、様々な思いの狭間で苦しむ人々の状況を客観的に、端的に描いている。また、NHKの番組として住民投票前後の騒乱にインドネシア軍の関与があったことをはっきり打ち出していることは注目に値する。ただ少し残念なことは、先頭に立って指揮をしていた民兵のリーダー、コルネリオさんの兄、の心理が今ひとつ伝わってこなかったことであろうか。★


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