著作権・大阪東ティモール協会
East Timor Quareterly No. 8, July 2002

独立特集(4)

「ソウル・フラワー・モノノケ・サミット」バンド、独立式典イベントで歌う

文珠幹夫


 独立を祝うため、世界中からエンタテーナーが東ティモールに集まった。日本からは「ソウル・フラワー・モノノケ・サミット」(注1)バンドが参加した。東ティモール在住の和田さんとその知人広田さんの企画会社「環音(わをん)」がプロモートした。


独立式典イベントで歌う

 8時間後に独立式典を控えた東ティモール・コモロ空港。式典に参加する海外からの入国者でごった返す中、メンバーら十数名が到着。和田さんや広田さんらの事前の準備が行き届いていたため、事は順調に進むかと思えた。
 しかし、音楽フェスティバル主催者の準備は順調ではなかったようだ。主催者側と交渉をしていた和田さんが「明日がイベントなのに、未だに出演の順番や時間の連絡がない」と焦っていた。何度も電話をしたが埒があかないので、直接主催者の事務所に乗り込んでいった。担当者はブラジル人、“おおらかな”性格とポルトガル語圏への強い“親近感”を持つ人物であったようだ。
 和田さんらから聞いた話だが、5月20日夕方4時から独立式典の熱気冷めやらぬ式典会場でコンサートが開かれ・・・・るはずであった。会場には10万人近い聴衆が集まっていた。東ティモール内外から20のバンドが参加したが、連絡調整が相当のんびりしていたようだ。4時になってもバンドの集まりが悪く“おおらかな”性格のブラジル人主催者も焦っていたらしい。事前に少しはできたスケジュール調整などもお構いなしであったようだ。どのバンドもリハーサルなしのぶっつけ本番。演奏の順番はあってないようなもの。主催者はポルトガルや旧ポルトガル植民地諸国のバンドを優先したので、東ティモールのバンドや他の国からのバンドはわりを食ったらしい。
 ソウル・フラワー・モノノケ・サミットバンドの順番はなんと日付が変わる直前であった。演奏時間が少ないなど主催者の不手際などを抗議をしたが、聴衆も味方になって応援してくれ、何とか4曲(安里屋ユンタやインターナショナルなどを)演奏できた。ポルトガル語圏の演奏があまりに長く続き、聴衆も飽きてきたところに登場したので、聴衆からヤンヤの喝采を浴びた。

リキサコンサート

 翌5月21日、ディリの西方35kmにあるリキサでコンサートを行った。
 リキサに出発する直前、広田さんが、東ティモール人家族に1999年9月の襲撃事件の話を伺っているのを、同行していた日本テレビが取材していた(注2)。
 昼過ぎ、リキサに到着したバンドのメンバーらは、演奏までの時間に虐殺のあったリキサ教会を訪問した。ちょうどファティマ像(注3)の到着直前であった。町の人々が歓迎の踊りを踊っているのを興味深く見学していた。虐殺の現場、墓標前で教会の東ティモール人助祭から当時の状況の説明を受けた。皆、衝撃を受け黙祷した。
 コンサートは5時に始める予定であったが、急な停電と(そんなこともあろうかと)持参した発電機の不調もあり、3時間遅れで開演した。聴衆は、必死に発電機の修理をしている人々を見守りながら開演をじっと待っていた。真っ暗だったので聴衆の数は正確には判らなかったが、500名以上がそこかしこに座っていた。
 会場はPST(ティモール社会党)リキサ支部の前庭。リキサの人々が竹で舞台を作ってくれた。広くてなかなかの舞台であった。昨日のコンサートで知り合った東ティモール人バンド「Vialma X」と「Radio Falintil」が演奏に駆けつけてくれた。
 昨日のコンサートとは違い演奏時間がたっぷりあったので、「聞け万国の労働者」「アリラン」「お富さん」「竹田の子守歌」「インターナショナル」など10曲を熱唱した。
 通訳をしてくれた柏木さんがうまく説明したこともあり、リキサの人々は初めて聞く日本(語)の歌を熱心に聞いていた。子供たちも、歌の意味は判らないものの、日本のメロディに聞き入っていた。
 演奏の後、長年東ティモールの写真を撮り続けてきた南風島夫妻(注4)から、リキサの子供たちに楽器の贈呈が行われた。南風島夫妻が寄付を募って購入したものであった。
 コンサートの後、リキサの女性たちが用意してくれたご馳走で交流会が持たれた。バンドのメンバーは「東ティモールを是非とも再訪したい。東ティモールの人々と交流を続けて行きたい」とメッセージを残し、リキサを後にした。★

(注1)19955年1月、阪神淡路大震災後被災地で演奏活動を開始。同時期に「ソウル・フラワー基金」を設立。援助を必要としている人や施設に直接支援している。電気のない被災地での演奏活動のため、電気を必要としない、三線、クラリネット、アコーディオン、チンドン太鼓、和太鼓、チャンゴで演奏。マイクの代わりにメガホンで歌う。震災被災地以外に朝鮮民主主義人民共和国、(中国に返還前の)香港、ベトナム、フィリピン、マニラ(のスモーキーマウンテン)などで演奏を行っている。演奏曲は沖縄、朝鮮、アイヌなどの民謡を始め、戦前戦後の労働歌、反戦歌、流行歌など。それらを独自の解釈を踏まえアレンジして歌う。男女7名のバンド。(参照:「ソウル・フラワー・モノノケ・サミット」HP)
(注2)日本テレビは、東ティモールでのソウル・フラワー・モノノケ・サミットバンドの演奏を放送した。
(注3)奇跡を起こしたと伝えられるマリア像。独立式典を前にして東ティモール全土を巡回訪問した。独立式典では会場に安置された。リキサには翌21日に訪問。
(注4)「いつかロロサエの森で」(コモンズ出版)の著者。インドネシア軍の目を掻く潜ってFalintilと接触、貴重な写真を撮り続けた。


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