著作権・大阪東ティモール協会
East Timor Quarterly No. 8, July 2002

書評(2)

ルイス・カルドーゾ作、『渡洋 --- 記憶の中の東ティモール』

Luis Cardoso, The Crossing - A story of East Timor, Granta Books, 2000.
(Cronica de Uma Travessia - A Epoa do Ai-Dik-Funam, Publicacoes Dom Quixote, 1997)



 これは文学である。しかし、小説というにはあまりにも自伝的だ。かといって随筆というには、リアリズムが欠けている。この東ティモール人が書いたものとしてはおそらくは最初の散文作品は、分類からしてちょっと困ってしまう。
 そういううるさいことは脇において、とにかく読んでもらうのがいい。というよりむしろ「味わってもらう」といった方が正確だろう。

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 話の筋は、一人の少年が父親の転勤にともなってアタウロ島へ行き、ソイバダの小学校からダレのセミナリオに進み、やがてリスボンの大学に進学するという、著者自身の歩んできた道程がそのまま踏襲されている。したがってプロットに意味があるということではない。
 これが作品であるところの価値は、それぞれの場面の記憶のありよう、それらがある感性を通じて結晶化しているその描写にあるのであって、そのはかなく、刹那的な、対象へのすぐれて感覚的なアプローチに、心を寄せて読むことが、この作品を味わうということになるだろう。
 著者のルイズ・カルドーゾは、ポルトガル革命が起きたとき、リスボンで林学を学ぶ学生だった。インドネシアの侵略によって故国に帰れなくなり、90年代にはCNRM(マウベレ民族抵抗評議会)リスボン代表をつとめるようになった。独立派の政治指導者の一人ということになる。
 しかし、私が彼にリスボンで会った時、周りから「彼は神父になるはずだった」と言われていたように、あまり政治が似合っている風には見えなかった。無精ひげをはやし、寡黙で、どちらかというと暗い印象をもつ。ただぱっちりとした目で人を見るしぐさは、本能的に人間を観察する文学者のものだった。ポルトガルで交通事故にあって、その怪我に相当苦しんだと聞く。
 ルイス・カルドーゾは「タカシ」という、まるで日本人のようなニックネームをもっている。それはキューバ製のヒールの高い靴のことだそうだ。作品の中でもそのことは書いてある。
 原文はポルトガル語で、1997年に出版されている。

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 この作品の中でひときわ美しいと感じられるのは、アタウロ島へ舟で渡る時、サメと「交流」するくだりだ。アニミスト的な自然観に、多くの読者は共感するだろう。
 青年シマォンは、役人が彼の婚約者を公衆の面前で侮辱したことに怒ってその役人を殴ってしまったことから、アタウロ島に追放にあう。舟がアタウロ島に近づいた頃、足を洗おうとして船頭の方を見た彼は、船頭に「手、そして目をまず洗うんだ」と教わる。

 シマォンは水をすくうため手をお椀のようにまるめた。そして体を舟の外に傾けた時、彼は紺碧の海の深みにあるものを見た。長く、白い、刀のようなものを。手を海の上にかざすと、サメが彼の方角に向かってくるのが見えた。彼はまったく動けなかった。サメは海面のほんの数センチ下で止まった。シマォンとサメは、まるで、街ですれちがう二人がどこで会ったのか思いだそうとでもしているかのように、お互いに目を合わせた。サメはくるっと旋回して、その存在を誇示してみせて、向こうへ泳いでいった。そして消え去る前に、シマォンの態度と表情を今一度、振り返ってよく見た。シマォンは銅像のように動かず、無表情で、すわっていた。
 「おまえに会いに来たんだよ」
 そう言われてシマォンはびくっとした。それは老人の声だった。
 「おまえはおれの祖先からあいさつされたんだ。表敬訪問、といったようなところだ」

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 ルイス・カルドーゾの持ち味は、ときに自虐的とも思えるきついユーモアだ。独立運動のリーダーたちが実名で描写されているところが、なかなかきわどい。

 ラモス・ホルタという外向型のジャーナリストがいた。彼は、その頃(ポルトガル革命)すでに、外交をやっていた。つまり、星のきらめく夜、白砂海岸に女性を侍らせ、彼女たちから、うま味のある情報を得ていたのだ。

 シャビエル(ド・アマラル)については、彼に会うよりはるか前から、その有名な名前を知っていた。彼はソイバダのフェルナンド先生の娘と結婚していた。 ..... シャビエルは、父によれば鍋ほどもあるくらい、頭でっかちだった。そしてその脳は知性で沸き立っていた。彼は決して汗をかく仕事をしなかった。頭を使う仕事しかしなかった。 ..... 彼はしゃべるより書くことの方がうまかった。権利を侵された人びとは彼に頼んで、申立書を書いてもらった。彼は、いわば、ガウンを着ていない弁護士で、その剣ほどにするどい筆によって恐れられた。 ..... 彼は自宅で学校を開き、公立校のドロップアウトや入学できなかった子たちを受け入れたが、そこで彼はサルン(布)の着方を教えたのだった。

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 したがって、この本に東ティモール人の独立への夢、政治的闘争の内幕の話などを期待すると、がっかりくる。また、東ティモール人やその文化全体をあらわす何か代表的なものという解釈も、おそらくまちがっている。作品に見えるのはあくまでルイス・カルドーゾ個人であり、彼の背景には東ティモールとその独立運動の歴史があるけれども、彼を越えての一般化はできない。★(松野明久)


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