著作権・大阪東ティモール協会
East Timor Quarterly No. 8, July 2002
ホテル・レストラン事情
バウカウ、マナトゥトゥ編
文珠幹夫
バウカウ市は東ティモール第2の都市である。首都ディリから東へ120km、車で約2時間半の距離にある。ポルトガル植民地時代では重要な都市であった。ポルトガル風の建物が残っている。海抜約300mの地にあり、ディリよりやや涼しい。
1999年9月のインドネシア軍と民兵の大規模破壊による被害は比較的軽微である。しかし水、電気、通信の復旧は充分ではない。2002年4月時点で、中心部では時々断水があるが復旧している。中心部以外では水道管の復旧が進んでいない。時々停電がある。電話の地上線は完全に破壊されている。携帯電話はバウカウ空港(中心部から西方約5km)近くと幾つかの地方都市(バギア、ベニラレ、ケリカイ)で使用できる。市内交通はミクロレット(小型のバス)を利用。海岸へのミクロレットは30セントだが、他は均一の10セント。タクシーは数台ある程度で利用は困難。
道路事情はそれほど芳しいとは言えない。バウカウ市内とディリや東のロスパロスへの道は整備されている。しかし、バウカウ県の地方都市を結ぶ幾つかの道は本格的な修理が必要である。雨季には通行に困難をきたす道がある。
東ティモール東部への玄関であり、物流の拠点となっている。人口はバウカウ県全体で115,000人。農業が盛んである。塩田もある。漁業も行われているが、冷蔵・冷凍設備が無いため地域の消費に留まっている。
バウカウ編
★ ホテル ★
●ロロサエ・ホテル
教会近くにあり、ベランダから教会を眺められる。遠方に海が見える。部屋数は7。但し援助関係者が複数の部屋を長期に借りているため利用可能なのは3部屋程度。1泊朝食(コーヒーとパン)付きで10ドル。トイレと水浴び場は共用。清潔である。英語は通じない。
●名称不明
ロロサエ・ホテルと道路を隔ててある。レストランと併設。ホテルというよりゲストハウス。2部屋のみ。居宅の空き部屋を利用している。トイレと水浴び場は共用。1泊朝食(コーヒーとパン)付きで7ドル。居間にいると子供が数人遊びに来る。英語が話せるお祖父さんがいる。
●名称不明
元UNTAETバウカウ事務所の近く。4月に大規模な改修工事をしていた。敷地および建物は広大。レストランなどの工事もしていた。かつてインドネシア軍が駐留していた。地元の人は「拷問ホテル」と呼んでいる。そこで多数の東ティモール人が捕らえられ拷問され殺された。宿泊料など詳細不明。
●名称不明
コタ・バル地域(長距離バスの発着地)にもう一軒ホテルがある。1泊15ドル以外詳細不明。
●教会
カノッサ会に依頼すると宿泊可能。8部屋ある。
★ レストラン ★
●ペローラ・デ・ティモール
ロロサエ・ホテルの隣にある。料理の種類はそこそこある。3〜5ドル程度。店の手伝いをしている娘さん(中学生)は英語を話す。
この店はCNRTのバウカウ事務所を兼ねていたため1999年9月の住民投票前後に民兵に襲われた。壁、ドア、柱に多数の銃弾の後がある。当時の緊迫した状況が判る。
●名前不明
上述のゲストハウスと併設。4月に改装工事をしていた。料理の種類は少ない。3〜5ドル程度。
★他にもう一軒レストランがあると言われているが、詳細不明。
マナトゥトゥ編
首都ディリとバウカウの中間に位置する。ディリから東に65km。車で約1時間15分。海岸沿いにあり、海を望む景色は美しい。しかし、雨季は海流が早いため海水浴は危険である。シャナナ大統領の出身地である。1999年9月、インドネシア軍と民兵に破壊された。町の周辺では、未だに破壊され修理されていない家屋が目立つ。
電気は時々停電するが、他の地方都市よりましである。水道も断水はあるものの通じている。電話は携帯も全く通じない。
道路事情はディリとバウカウを結ぶ道路は整備されているが、マナトゥトゥ県の地方都市への道の整備は遅れている。時々転落事故があり死者が出ている。市内交通はない。
マナトゥトゥは農業が盛んである。水田が広がっており、水牛や山羊が歩いている。塩田もあり、その塩は有名である。
★ ホテル兼レストラン ★
●COPA
ディリとバウカウを結ぶ幹線道路沿いにある。4部屋。一泊朝食(パンとコーヒー)付きで15ドル。トイレと水浴び場は共用。レストランの料理はポルトガル風である。5〜7ドル程度。ご主人は英語とポルトガル語がわかる。
●OMT
海岸沿いにある。3部屋。一泊朝食(パンとコーヒー)付きで10ドル。トイレと水浴び場は共用。レストランの詳細は不明。英語は通じない。
★他に食堂が2軒ある。値段は1〜3ドル程度。食事時を外すと売り切れていることがあるので要注意。