<追悼>

コニス・サンタナの墓標

文珠幹夫


 24年間のインドネシア支配は苛酷であった。あまりにも多くの人が虐殺された。その多くの人に墓はない。遺体すらどこにあるか判らない。ましてやFALINTILのメンバーならなおさらである。
 1998年3月11日、FALINTIL司令官コニス・サンタナさんが亡くなった。コニス・サンタナさんは、シャナナさんが1992年インドネシア軍に捕まってマウ・フヌさんが引き継ぎ、そのマウ・フヌさんが逮捕されたとき、FALINTILの司令官を引き継いだ。シャナナさん同様、皆から信頼を受け解放闘争を指導した。
 死に至る経過には未だ不明な点がある。死因はインドネシア軍の追撃から逃れる途中渓谷に滑落したことによると言われている。すぐ、仲間によって救出され応急の処置を受けたが助からなかったらしい。彼は密かに埋葬された。
 インドネシア軍に捕まったのではない。しかし彼がどこに埋葬されたかは秘密にされた。埋葬場所が判るとその地域の人々がインドネシア軍によって殺害される恐れがあったからである。彼は死んでもインドネシア軍にとって“お尋ね者No.1”だったのである。その場所は長く秘密であった。その場所をTさんが粘り強く探し“見つけた”。
 エルメラ県のミルツト村にあった。小高い丘を少し下った谷間の一隅に埋葬されていた。写真を見て欲しい。わずかばかりの竹で囲っただけである。それもつい最近に囲ったものだそうだ。住民投票から既に2年半経った。インドネシア軍は既にいない。しかし墓標も建てられていない。黄色い花が彼の死を悼むように咲いていた。
 FALINTILの指導者の一人であったデビッド・アレックスさんの死も未だに不明である。インドネシア軍との交戦中に亡くなった“らしい“と言われ、遺体もインドネシア軍が持ち去ったと言われている。(注、インドネシア側の発表ではインドネシア軍がヘリコプターでディリの陸軍病院へ移送したが、出血多量で死亡したということらしい。)
 数知れない多くの人が、侵略者インドネシアからの解放のために命を捧げた。この人々の犠牲を忘れてはならない。これらの人々の無念を思うと涙がこぼれる。これらの人々は、立派な墓標や祈念碑が欲しいとは思っておられまい。新しい東ティモールが争いや差別、腐敗、堕落、抑圧のない社会になって欲しいと天国から見守っておられるであろう。
 東ティモールの人々に願う。忘れないで欲しい。私は決して忘れない。★


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