<裁判>

ロスパロス殺害事件、判決下る

松野明久


 住民投票後におきた殺戮・拷問・強制移動など「人道に対する罪」に対する最初の裁判の判決が下された。被告は10人で、全員東ティモール人。インドネシア軍特殊部隊隊員はインドネシア側の身柄引き渡し拒否によって裁判にかけることはできなかった。判決は最高33年という、あまり例のない長い禁固刑。指揮をしたであろうインドネシア軍兵士不在のまま、東ティモール人だけが裁かれることにわだかまりが残った。


事件

 1999年9月25日、ラオテン県の北部海岸沿いにあるコムというところで、カトリックの修道女、修道士、インドネシア人ジャーナリストなどが乗った車がティーム・アルファという統合派民兵組織に襲撃され、乗っていた全員が殺されという残虐な事件がおきた。そのとき、インターフェット(多国籍軍)が東ティモールに上陸して数日がたっていた。あるシスターは車から出て路上で祈っているところを殺され、車は川におとされ、そこに手榴弾が投げ込まれた。殺されたインドネシア人ジャーナリスト、アグス・ムリアワンについてはNHKスペシャル『暗黒の9月の記録』が昨年1月に放送されたのを記憶している人もいるだろう。
 10人が起訴された犯罪はこれだけではない。9月21日から25日までに彼らが行ったことには7つの人道に対する罪の容疑がきせられていた。ロスパロス事件はそのうちのひとつにすぎない。

判決

 昨年の7月9日に始まったこの裁判は、12月11日に判決が言い渡された。判決は次の通り。判決言い渡しには多くの傍聴者がつめかけ、英語での判決文朗読がインドネシア語に同時通訳されたが、同時通訳用のレシーバーの数がまったく不足して、多くの人は結局通訳を聞けなかったという不手際もあった。


ジョニ・マルケス  33年4ヶ月
Joni Marques
マヌエル・ダ・コスタ  19年
Manuel da Costa
ジョアォン・ダ・コスタ  33年4ヶ月
Joao da Costa
パウロ・ダ・コスタ  33年4ヶ月
Paulo da Costa
アメリオ・ダ・コスタ  18年
Amelio da Costa
アラリコ・フェルナンデス 4年
Alarico Fernandes
ゴンサロ・ドス・サントス 23年
Gonsalo dos Santos
イラリオ・ダ・シルバ  17年
Hilario da Silva
ジルベルト・フェルナンデス 5年
Gilberto Fernandes
マウテルサ・モニス  4年
Mauterca Moniz

反省なし?

 ティーム・アルファのリーダー、ジョニ・マルケスは検察の主張をほぼ認め、彼が責任をとると述べ、他の被告を無罪にするよう求めた。そして、彼は最後の陳述の際、9月27日にファリンティル兵士が8人のティーム・アルファのメンバーを殺害したとされる件もまた裁判にかけられるのかと法廷に聞いた。今回の被告の何人かはそのときのファリンティルの攻撃で捕まり、多国籍軍に差し出されたという経緯があった。
 ジョニ・マルケスの態度は、テレビでのインタビューを見ると、太々しいという印象がある。責任をとる用意があると彼が言うとき、果たして反省しているのかどうか、わからない。ファリンティル兵士が民兵を攻撃した際に殺害したことと、彼らがまったく無防備の民間人を殺害したのを同じようなことと考えているのだろうか。33年4ヶ月という刑期はある意味で非常識だし、国連暫定行政機構の下では原則として25年の刑が最高らしいが、この場合は事件の重大性にかんがみて、インドネシア法を適用して計算した結果こうなった。彼は反省していないという判断だったのではないか。

インドネシア軍との関係

 ティーム・アルファという民兵組織は1980年代半ばにインドネシア軍によってつくられ、ロスパロスの第745大隊の司令部に特殊部隊(Kopassus)と一緒にベースをもっていた。11番目の被告としてあがっていたのが特殊部隊員シャフル・アンワル中尉である。
 シャフル・アンワルは1999年3月から9月までロスパロスの特殊部隊副司令官をしていた。国連暫定行政機構は、犯罪人身柄引き渡しについての覚書にもとづいて、2001年2月にインドネシア政府に対して彼の身柄引き渡しを要請したが、インドネシアは引き渡さなかった。今回の裁判の起訴状によると、1999年4月21日にファリンティル・ゲリラのエバリスト・ロペスを捕らえ、拷問死にいたらしめたという容疑が彼にかけられている。被告たちはシャフル・アンワルがそのゲリラを拷問死にいたらしめたのを目撃したと証言した。しかし、国連暫定行政下では被告不在の裁判を行うことはできないため、彼についての審理は行われなかった。
 また、ジョニ・マルケスは、1990年代の初め、マレーシアで行われたオーストラリア軍とインドネシア軍特殊部隊の合同演習に参加し、そこでのゲリラ戦の訓練でフレテリン・ゲリラ役をつとめたと証言した。もしこれが事実だとすると、オーストラリア軍はインドネシア軍特殊部隊とフレテリンを敵とした実戦訓練をしていたことになる。★


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