巻頭言

歴史への責任


 東ティモールの独立が決まって、これまでの歴史を顧みるような出版物や新たな証拠が次々と出てきている。
 12月6日、アメリカのジョージ・ワシントン大学におかれた安全保障公文書センター(National Security Archive)はフォード大統領とキッシンジャー国務長官がスハルト大統領に侵略のゴーサインを与えたとされる、ディリ侵攻前日の会談記録をふくむいくつかの外交関連文書をまとめて発表した。それまでキッシンジャーは、会談では東ティモール侵略のことは触れなかったと言っていたが、それがウソだということが明らかになった。
 1975年10月16日、インドネシア軍の東ティモールへの密かな攻撃で殺されたオーストラリアのテレビ局のスタッフたち5人について、かつてオーストラリア政府はトム・シャーマンに2度も委託してつくった報告書を発表したことがあった(内容はかなり不満なものだったが)。そして、それを不満として、ハミッシュ・マクドナルドとデズモンド・ボールは共著『バリボの死、キャンベラの嘘』を世に出し、ジル・ジョリフの『隠蔽』がそれを追いかけた。
 インドネシア側からも、住民投票より前から、当事者が証言を始めている。侵略を悪かったとは思わない類のものではあるが、臆面もなく語っている部分もあり、役に立つ。侵略時のディリ領事エリアス・トモドックの『ポルトガル領ティモールの最後の日々』、東ティモール併合作戦をつくったベニー・ムルダニの回顧録、インドネシア軍の侵攻を取材した従軍記者ヘンドロ・スブロトの『東ティモール統合闘争の証言者』と『ある戦争記者の軌跡』。1999年7月には、統合派指導者のロペス・ダ・クルスが『証言:私と東ティモール』を出している。
 東ティモールでは「受容・真実・和解委員会」が1974年からの残虐行為を扱う。ラモス・ホルタはフレテリンがかつて敵対者を殺害したことなどを認め、それにショックを受けたと語った。東ティモール人自身がみずからの歴史にきりこんで行こうとしている。
 日本にいるわれわれは、ここまできて、はたと暗い気持ちになる。日本では本当に情報がえにくい。政策の反省もないまま、ドタバタと東ティモールの第一の資金拠出国になってしまった日本。この国が歴史への責任をまっとうしえない国だというのは世界に知られたことだ。しかし、外務省のホームページでまだインドネシア人「義勇軍」が東ティモールに入ったというような記述がなされているのを見ると、世界の動きから取り残されるのも無理はないと思える。
 日本にはインドネシアの東ティモール侵攻を支えたという過去の他に、大戦中占領し多くの犠牲を強いたという過去がある。精算しきれないほどの過去が、この国にはますますたまっていく。(松)


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