<人権法廷>

インドネシア特別人権法廷、判事が決定

松野明久


 長く待たれたインドネシアの東ティモール特別人権法廷。1月半ば、やっとその判事が決定した。のらりくらりとしたやり方で相手があきらめるのを待つのが、インドネシアの伝統的な外交。インドネシアの司法に対する信頼もまったく地に落ちている。


18人の判事

 1月15日の新聞で、メガワティ大統領が18人の判事を任命したことが報じられた。東ティモール政府インドネシア代表部のフィリペ・ロドリゲスが、「もしこのままの状態が続けばわれわれも国際法廷をひらくしかないと思う」と語ったのが1月10日(ジャカルタ・ポスト紙、1月11日)。インドネシア政府は遅くとも1月15日には裁判を始めると、何度も延期を発表したのち、約束していた。メガワティの任命はそれに間に合ったと言いたいのだろうか。1月末の時点で、裁判がはじまるきざしはまだ見られない。
 18人のうち、一審のための法廷に12人、上級審のための法廷に6人が配置された。彼らの給与は月額100万ルピア(約13,300円)で1ケース扱うごとに400万ルピア(約53,300円)が支給される(ジャカルタ・ポスト紙、1月15日)。
 一審の法廷に配属された12人の判事の大半が大学教師で、人権法などを教えているが、ほとんどが人権活動界でも無名の人びとだ。ただ一人知られているのはルディ・リズキである。彼はバンドンにあるパジャジャラン大学の教師で、国家人権委員会がウィラント元国軍総司令官をまさに東ティモールにおける住民投票後の騒乱の責任問題で追及していたとき、ウィラントの法律アドバイザーをつとめていた人物だ。彼はその国家人権委員会の東ティモール人権侵害報告書を検討するマルズキ・ダルスマンの下の検察のチームにいた。そこでウィラントが訴追リストからはずされたことはよく知られていることだ。つまり、彼はこの問題に対するスタンスに危ういものがあるかも知れない、と見られているということ。

国連人権委員会議長

 18人の判事が発表された直後にインドネシアを訪問したレアンドロ・デスプイ国連人権委員会議長は、国際社会がインドネシアによる東ティモール特別人権法廷の経過を注視していると語った。デスプイは自身もアルゼンチン出身の亡命人権活動家で、国連人権委員会で長く非常事態に関する特別報告者をつとめた経験をもつ。彼はインドネシアの前に東ティモールを訪れ、マリアナの警察署などを訪問した。彼のインドネシア訪問がインドネシアをやる気にさせたかどうか。

さまざまな反応

 インドネシアの人権活動家はこの法廷には期待していない。
 コントラス(行方不明者・暴力の犠牲者のための委員会)のコーディネーター、オリ・ラフマンは記者会見で「候補者のプライバシー保護を理由に判事採用の過程が秘密にされたのは受け入れられない。国民は候補者の過去の経歴や信頼性、能力について知る必要がある」と語った。(ジャカルタ・ポスト紙、1月16日)
 アスマラ・ナババン国家人権委員会事務局長は、誰が判事をつとめるかだけではなく、証言者を保護する法律がまだ制定されていないといった問題があると指摘した。それがなければ、ランクの低い兵士たちは上官たちの行為について証言する可能性は少ない。また彼は犠牲者に対する補償やリハビリテーションについての法律もないと語った。
 「司法ウォッチ」というNGOは、任命された判事たちが無名であることを批判し、国連が指名する国際的な顧問団を裁判につけるべきだと主張した。(以上、Tapol)
 一方、ウィラント元国軍司令官は、この裁判が公正である限り支持すると語った。しかし彼はまたこの法廷が「偏向しており、操作される」かもしれないとも語った。(ジャカルタ・ポスト紙、1月15日)
 軍は何も悪いことはしていないというのだから、彼らが有罪になるような裁判を彼らは公正とは言うはずがない。だから、これは脅しなのだ。
 さて、インドネシアは本当にやる気なのだろうか。ほとんど内容が期待できない限りなく緩慢な芝居に、それでも、われわれはつきあわなければならないのだろうか。
 今のところ、インドネシアがこれに取り組む動機になっているのはアメリカの軍事援助復活がかかっているからだ。住民投票後の騒乱でクリントン政権はインドネシア軍への援助を停止した。今、テロリズムへの戦争が叫ばれる中、インドネシア軍への支援は政権としては復活させたいところだが、議会が了承しない。★


その他の裁判関連ニュース


UNHCRスタッフ殺害
控訴審で重い判決

 2000年9月6日、西ティモールのアタンブアでおきたUNHCRスタッフ3人の殺害事件で、容疑者3人に対して昨年5月、10ヶ月から15ヶ月の軽い判決が言い渡された。これにはさすがの国連も反発し、インドネシア政府は控訴を決定。その控訴審判決が11月15日に出されていたが、今頃になってそれが公表された。結果は、シスト・ペレイラとジョアォン・マルティンが5年、サラフィン・シメネスは7年だった。
 しかしこれで国際社会の信用は回復されないと、フランス・ヘンドラ・ウィナルタ弁護士は言う。「東ティモールでは30年の刑が言い渡され、アメリカでも計画的殺人は終身刑だ。インドネシアだってそれなら10年になるのに」と語った。(ジャカルタ・ポスト紙、1月19日)
 それにしてもなぜ、控訴審の結果が今頃になってわかったのか。不思議ではある。★

オランダ人記者殺害
容疑者尋問

 多国籍軍が東ティモールに上陸してすぐの1999年9月22日、ディリのベコラ地区でインドネシア軍の軍服をきた一団にフィナンシャル・タイムズ紙のオランダ人記者サンデル・トゥネスが殺された事件に関連して、インドネシアの検察は2人の将校の取り調べを開始した。
 その将校とは、現在、中南部ティモール軍分区司令部司令官ピーテル・ロボ中佐とクパン軍分区司令部司令官のウィルマルド・アリトナン中佐のことだ。東ヌサ・トゥンガラ州検察長アブドゥル・ムイス・ガッシングは、犯人は745大隊の隊員だと考えられると語った。
 トゥネス記者はジャカルタ特派員で東ティモールに到着して2時間後に殺害されている。彼の体にはいくつもの傷があり、耳が切り取られていた。(ジャカルタ・ポスト紙、1月28日)★


情報活動6号の目次ホーム