著作権・大阪東ティモール協会

難民キャンプと民兵たち

松野明久


 6月に行われたインドネシア政府による難民登録作業は、失敗に終わった。東ティモールに帰還したい難民がわずが2%足らずという誰も信用できない数字になった上に、インドネシア政府は残留希望者を受け入れる覚悟もないということが明らかになった。民兵による暴力のレベルは減ったとしても「十分な圧力」として機能していれば同じことだ。結局、ほとんど何も変わらないまま、いたずらに時間だけが過ぎた。


難民登録

 インドネシア政府による難民登録は6月6日と7日、西ティモールの507カ所で行われた。インドネシアは4000人の治安要員を動員し安全を確保したと豪語するが、その治安要員(警察・軍)がそもそも難民にとっては恐怖の源なのであるから、初めから自由な登録になるはずはなかった。イエズス会難民サービス(JRS)のフランク・ブレナン神父は「帰還したいと言った難民が迫害を受けないと考えるのは、ばかげている」と語った。(Sydney Morning Herald, June 7)
 ラモス・ホルタはこの登録を「まったくの茶番」と形容し、UNHCRディリ事務所報道官も「難民がいやがらせを受けていたとしても不思議はない」と語った。シャナナは「インドネシアのメカニズムを信用し結果を受け入れるが、インドネシア政府はその約束通り、残留を決めた人たちを国内で移住させなければならない」と皮肉めいた発言をしている。(Jakarta Post, June 12)
 登録結果の正確なところははっきりしないが、ジャカルタ・ポスト(6月13日)は以下のような数字を報道している。難民の数は295,744人(53,824世帯)。登録されたのは17才以上の有資格者で115,983人。このうち東ティモールへの帰還希望者は1,175人、インドネシアへの残留希望者は90,458人、未決定者は635人。
 また、6月21日、インドネシア政府は外交団に対して説明会を行い、そこで次のような数字を示した。難民の数は295,751人(53,825世帯)。登録された有資格者は113,791人。帰還希望者は1,241人、残留希望者は111,540人、未決定者は1,010人。また残留希望者が多いのは、国軍兵士3,363人、警察官1,894人、国軍・警察勤務文民公務員750人、その他の文民公務員14,085人がいるためだと解説した。10ヶ国から派遣された12人のオブザーバーたちは登録が順調に行われたと言ったという。なお、最終的な数字は6月末に発表されるとつけくわえた。(OCHA Consolidated Situation Report No. 29, June 15-22)
 しかし、その後UNHCRディリ事務所は、帰還希望者を1,250人としており、そのうち7月中旬までに666人が帰還したと言っている。また同事務所は、有資格者(17才以上)の登録で1,250人が帰還を希望したのであって、その子どもたちを含めれば3,700人にはなるはずだとも言っている。
 IOM(国際移住機構)によると、7月6日から19日のあいだに、381家族、1,304人をインドネシア側は帰還させ、7月23日にはクパンから502人を帰還させるということらしい。

インドネシアは受け入れ不可能

 残留希望者が多すぎたことに、インドネシア政府はあわてた。
 6月17日、エルナ・ウィトラール移住・インフラ相は、52,750家族もの難民をインドネシアが受け入れるのは無理だと語った。インドネシアはすでに4000家族を移住させており、6000家族分の居住地をさがし、2000家族分の一時宿泊施設をつくればいいと考えていた、24000家族受け入れが限度だと、彼女は言った。また、エル・タリ・東ヌサトゥンガラ州知事は6000家族しか州としては受け入れられないと語った。(Jakarta Post, June 18)
 6月21日には、アグム・グムラール政治治安相が、「98%の難民が残留を決定したが、われわれはそれが暫定的なものであることを望んでいる」などと語り、制憲議会選挙後に難民は東ティモールに帰還してほしいと言った。(AP, June 21)
 インドネシア政府と国連、IOM(国際移住機構)、EUがインドネシア内の再定住について議論を重ねている。7月20日の会合で、7月31日から8月4日にかけて6つの作業部会にわかれて議論を重ねる予定だが、それに先立ち、7月22日から25日にかけてこれらの機関の合同ミッションがスンバ島を訪問し、現地住民が東ティモール人難民を受け入れる用意があるかどうか視察することになった。可能なら1500家族をスンバ島に移住させる計画だ。(OCHA Consolidated Situation Report No. 33, July 13-20)

帰された難民

 アンタラ通信によると、6月28日に他の難民と一緒にディリに到着した西ティモールからの難民、ベロニカ・オテ(19)は、難民としての要件を欠いていたため、UNHCRによって7月3日に西ティモールに帰された。東ティモールに居住するためには、東ティモールで生まれたか、東ティモール生まれの親をもつか、それらいずれかの条件を満たす者と結婚しているか、または東ティモールに5年以上居住していたことが条件になる。彼女は西ティモール出身で、1995年から98年まで3年間しか東ティモールに住んだことがなかったということだ。(Jakarta Post, July 5)

民兵の逮捕

 7月5日から8日にかけて、突然、インドネシア警察は民兵組織「ラクサウル」に属する23人を逮捕した。その中には、ジュリアナ・ドス・サントスを性奴隷としていることで非難が集まっているイジディ・マネクも含まれている。しかし、ジュリアナが解放されたというニュースはない。国連使節団の西ティモール訪問に合わせてのパフォーマンスかとも考えられる。
 リッカート・マンラブを団長とする(Rickart Manlove)国連治安調整派遣団(UNSECOOR)は7月14日、1週間におよぶ西ティモールでの現地アセスメントをおえた。結果はまだ発表されていない。結果次第で、国連機関の西ティモール復帰が決定する。★


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