著作権・大阪東ティモール協会

東ティモールの迷子たち
ジ・エイジ紙(メルボルン)、2001年6月18日(月)
リンゼイ・マードック記者

Timor's lost children
The Age, Monday, 18 June 2001
by Lindsay Murdoch

 インドネシアに連れて行かれた東ティモールの子どもたちについて執拗に取材を続ける「ジ・エイジ」紙ジャカルタ特派員リンゼイ・マードック記者による新しい記事。マードック記者は6月、すぐれたジャーナリストに与えられるオーストラリアの「ウォークリー賞(Walkly Award)」を受賞した。


 アントニオ・ダ・シルバはめったに笑わない。彼の左耳は切られ、指は骨折している。彼は、東ティモールをインドネシア領につなぎとめる闘争において、仲間の民兵たちが殺されるのを見てもいる。しかし、41才になるダ・シルバは、彼の祖国東ティモールは再びインドネシア共和国の一部となると言い張る。
 「東ティモールは自立できない」と彼は言う。「経済資源がないから生き残れないんだ。国際社会の援助があっても、もうすでに深刻な問題が生じている」
 国連は東ティモールを世界で最も新しい独立国にするための準備を進めており、8月30日には選挙を行うことになっている。ダ・シルバは東ティモールのある新しい世代の子どもたちが、ものごとをインドネシア的な視点から見るようになるだろうと言っている。
 子どもの権利条約に違反して、ダ・シルバは先月、6才から12才の子ども46人を西ティモールの難民キャンプにいる彼らの親から引き離し、船とバスを使って中部ジャワ、ジョクジャカルタの近くの丘陵地帯にある、ある個人が所有する寮に連れていった。
 人道援助関係者は、ジャワにいるインドネシア派の東ティモール人たちが子どもたちを東ティモールのインドネシアへの再統合を要求する活動家に仕立て上げようとしていると疑っている。よく知られた東ティモール人活動家、オクタビオ・ソアレスが率いる「ハティ財団」は、1999年以来、すでに200人もの東ティモール人の子どもをキャンプから移動させ、ジャワのあちこちの孤児院に預けている。
 ダ・シルバたちインドネシア派民兵が掌握している西ティモールのキャンプから東ティモールに戻った両親たちと子どもたちを再会させようとしていた国連職員に対し、ソアレスは今年初め、脅迫してその活動をやめさせた。
 ジョクジャカルタの寮に到着したばかりの子どもたちに囲まれて、ソアレスは、国連もインドネシア政府も「気にしない」、いずれも西ティモールから子どもたちを連れてくる許可などくれるはずがないからだと語った。「ぼくは(ティモール人)社会に責任をもっているんだ。金があればあるだけ、子どもを連れてくるよ。できれば100人、いや1000人だって連れてくる」と彼は言った。
 インドネシア軍と警察に支援された民兵が暴力の限りをつくし、25万人ものティモール人を国境を越え難民として連れ去ってから2年がたつ。今、東ティモールを不安定化するための継続的な作戦の可能性について、警鐘が鳴りひびいているのだ。

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 インドネシア政府は今週、2日間にわたって行われた登録作業の結果を発表したが、それによると西ティモールで難民となっている113,794人のうち98.02%が祖国に帰らないという選択をした。外国人オブザーバーたちは、難民キャンプはまだ民兵の掌握下にあり、帰還を希望すれば報復にあう可能性があると指摘し、この登録結果に疑いをもっている。
 「東ティモールを再びインドネシアにするという望みを捨てきれない者たちはこの10万人をどのような目的にだって使うことができる」と、匿名希望の国連職員は語った。「これらの人びとの多くは帰還したかっただろうとわれわれは思っていたが、帰らないことになるだろう」

 外交官やアナリストたちは、難民キャンプがかたづかない限り、国連平和維持軍(オーストラリア兵も多い)は国境線の東ティモール側で警備をし続けるしかないだろうと言っている。ソアレスは、インドネシアで教育を受け医学博士にまでなり、4つの言語をあやつる。子どもを連れ出すのは東ティモールをインドネシアに再統合する計画の一部かと質問すると、彼は質問をはぐらかした。
 「それはぼくについての実に洗練された作り話だ。ぼくが誰かを教化できるって?インドネシアは23年間かけても、東ティモール人を教化できなかったんだよ。ぼくみたいなふつうの愚かな一人の人間がどうして人を教化できるだろう」
 また彼は、「おそらく、ジャーナリストたちはぼくがインドネシア人だから子どもたちを教化するつもりだと思っているのだろう。しかし、知ってるのかい、教化するっていうのはそんなに簡単なことじゃない。イエス・キリストだってすべての人に彼を信じさせることができなかっただろう、違うかい?」と言った。
 ソアレスは、東ティモールが再びインドネシアになっても彼は東ティモールには戻らないと言う。彼はポルトガル人の祖先たちが東ティモールに悪いことをした、だからその償いとして東ティモール人を手助けしたいのだ、とくに子どもたちを、と語った。
 キャンプから連れてきた子どもたちを、ソアレスは「ぼくの子たち」と呼び、本紙が東ティモールに帰還した両親にインタビューしたとき、彼らは子どもに返ってきてほしいと言ったということを伝えると、いたく興奮した。
 「ああ、ぼくもそれは読んだ。しかし、それはばかげたことだ。ぼくが初めて彼ら(両親)のところに行き、子どもたちがジャワに勉強に行くと言ったとき、ぼくはそんなにばかなことは言わなかった」
 ソアレスは、紛争や騒乱の場合でも、よほどの状況でない限り、子どもは親から決して引き離されるべきではないという国連難民高等弁務官事務所の主張を受け入れない。 彼が1999年末にスマランのカトリック孤児院に残してきた120人の子どもについて、ソアレスは「子どもたちはどういうふうに生きたいのか自分で決められる。彼らは人の言うことも聞けるし、理解もできる。子どもたちはすでに周囲の環境にとけ込んでいる。そう感じているんだ。彼らは、ここ(孤児院)にずっといたい、健康だし、安全だし、どうして帰らなきゃいけないの、お母さん、本当に愛しているなら、どうして会いに来てくれないのって聞くだろうさ」と言った。
 ソアレスは、国連職員と話をしたとき、かんしゃくをおこしたことを認めた。「ぼくはワルだから」と彼は言う。しかし次に彼はこう聞く。「彼らはぼくのことをなんて言ってる?精神異常だとでも思っているのかい?」
 髭をはやし、筋張っていて(針金のように)、片時も動きが止まらないソアレスは、ジョクジャカルタの寮に入れられた46人の子どもたちの両親が署名したという書類をもっている。この寮は、70才になるある定年退職した教育省所属の教官が開いたばかりだという。
 両親が署名したとされる書類は偽造だとの主張について、ソアレスは否定した。
 「すべての両親が承諾を与えた。彼らは社会に向かって自分たちが承諾を与えたことを公言すべきだ」と言う。
 両親と子どもの再会を実現しようと努力している国連職員は、今週本紙が連絡をとるまで、さらに新たなグループがキャンプを出発したということを知らなかった。国連は昨年9月、西ティモールの国境近くの町アタンブアで3人の国連職員が殺害された事件以来、職員を引き揚げている。したがって、子どもをジャワに連れて行かれた親たちが子どもと再会したいかどうかを職員が訪ねることもできなくなっているのだ。

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 国連職員や人道援助関係者は、子どもたちが長くソアレスのもとにおかれればおかれるだけ、トラウマが激しくなり家族再会が難しくなるのではないかと心配している。すでに両親の名前を忘れた子どもたちもいる。5つの孤児院で120人の子どもを世話しているあるカトリックのシスターたちは、子どもたちの多くがトラウマをかかえ困惑しており、親たちが彼らに戻ってきてほしいといっている国連をうたがっていると言っている。
 人道援助関係者によれば、ソアレスの仲間たちは両親から送られた手紙を取り上げているらしい。シスターたちもまた、子どもたちが東ティモールに帰るのは安全で、親は子どもたちに戻ってほしいと思っていると国連が言っていることもあまり信用していない。それで子どもたちはソアレスと国連との綱引きのはざまにおかれてしまっている。 シスターたちを説得するために、国連は最近3人のシスターを東ティモールに行かせて両親と面会させた。しかし、ソアレスは子どもたちの将来についてもっともよく知っているのは自分だと思っているようだ。
 「シスターたちは戻ってきてぼくのところにやってきた。そして『ごめんなさい、私たちは東ティモールで何かにサインしたわ』と言った。ぼくは国連が状況を隠していることを知っている。彼女たちが見たのは事実ではない。また彼女たちに説明されたのも事実ではないんだ。」
 そしてソアレスは何人かの両親について激しい攻撃を始めた。レイプをしたとか子どもを世話するにはあまりにも「愚か」だとか。「もし、ぼくが彼らに金をやったら、彼らは1日でそれを使い果たすだろう。ぼくの目的ははっきりしている。ぼくは東ティモール人のために少しでも役に立ちたいんだ。彼らは愚かで、貧しくて、無視されてきたからだ。ぼくが死んでも、ぼくの孫、曾孫たちがぼくをいい人間として思い出すようにね。」
 ソアレスの叔父は、インドネシアが任命した元東ティモール州知事アビリオ・ソアレスだ。1999年9月の騒乱の最中に彼は東ティモールを出て以来、帰っていない。彼は国際的なNGOが状況がひどいので東ティモールから撤退したいと言っているという記事を読んだと言う。「東ティモールが生きる希望は何もない」、そう彼は言う。
 「なぜなら、オーストラリアのように、助けるといっ大国は何もしていないからだ。人びとはダーウィン、シドニー、メルボルンにすわっていて、東ティモールを見て『東ティモールよ、おまえは死ぬのだ』と言っている。」
 ソアレスが話すとき、子どもたちは何をしててもそれをやめ、彼の話に耳をかたむけるよう指示されている。★


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