裁判

裁判!裁判!裁判!


 インドネシアで、東ティモールで、アメリカで、裁判は行われている。しかし、肝心のインドネシア軍高級将校の裁判はいつまでたっても始まらない。インドネシア政府は4月には訴追を始めると言ったはずだが、望みは薄い。セルジオ・デ・メロ特別代表はインドネシアの裁判を「忘却の淵」(Limbo)にあると皮肉った。


インドネシア


●人道に対する罪

 アダミ・ダミリ少将(当時ウダヤナ司令官)をはじめ22人の容疑者が人道に対する罪の裁判をまっていることになっている。その裁判に必要な「人権法廷法」が昨年11月に国会を通過し、国会は3月に東ティモールの人道に対する罪の臨時法廷設置を承認した。あとはワヒド大統領が署名するだけだが、一月近くたっても署名がなされていない。早くも悲観的な観測が現実味をもって出回っている。

●エウリコ・グテレス

 エウリコ・グテレスは2月19日にサレンバ刑務所から自宅軟禁に「格上げ」になった。彼は民兵組織アイタラク(棘)の指導者で武器の不法所持と反政府行動扇動の罪に問われ、裁判は北ジャカルタ地方裁判所で行われている。3月22日の公判では検察が1年の刑を求刑(拘束期間を含む)。4月3日の公判では、弁護人が「エウリコはインドネシアの利益のために闘ったのであって犯罪人ではない」として起訴を取り下げるよう訴えた。(AP, April 3)1年の実刑判決が出ても自宅軟禁ではたいした不自由もなく、逮捕されて1年目の10月4日には釈放されている可能性が高い。

●UNHCR職員殺害

 2000年9月6日、アタンブアでUNHCR職員3人が殺された事件の裁判は北ジャカルタ地方裁判所で1月に始まっている。裁判は2つ、容疑者は6人いる。
 2月24日の公判で、起訴されたひとり、ジョアォン・アルベス・ダ・クルスは「ひとりを刺して自宅に帰った。そいつが生きているのか死んでいるのか知らなかった」と陳述した。ジョアォン・マルティンが刺したのを見て自分もそうしたと言う。またジョゼ・フランシスコはジョアォン・マルティンが犠牲者のひとりの胸に石を投げているのを目撃したと語った。また彼は、事件の発端となった殺された民兵指導者オリビオ・モルクの弟イジディオ・マヌク(ジュリアナ・ドス・サントスの誘拐者)が2発撃って、それが事務所攻撃を誘発したと証言した。(Jakarta Post, Feb. 24)
 3月23日、検察はこの事件を「殺人」ではなく「死者の出た暴動」として、2年から3年の刑を求刑した。これに対しムハマド・オトマンUNTAET検事総長は3月27日「攻撃は意図的だったのであり犯罪の深刻さを反映していない」と不満を述べた。(AP, March 27)

●ニュージーランド兵殺害

 昨年7月24日にニュージーランドのPKF兵士レオナード・マニングを殺害した民兵組織ラクサウルのヤコブス・ベレを、国連は引き渡し要請していたが、インドネシアはこれを拒否し続けている。(AFP, April 4)

東ティモール


●ジュリオ・フェルナンデス(ファリンティル兵士)

 1999年9月、エルメラ県で民兵を殺害したファリンティル(東ティモール民族解放軍)兵士、ジュリオ・フェルナンデスは3月1日、東ティモールの裁判所において7年の刑を言い渡された。彼は村人が殺すよう扇動したため殺さざるをえなかったと釈明している。(AP, March 2)

●ラオテン殺害

 民兵組織「アルファ」のメンバー10人に対する審理が2月16日に始まった。彼らは、インドネシア人ジャーナリストのアグス・ムリアワンや修道女・修道士ら9人をラオテンで殺害し(1999年9月25日)、3人を別に殺害した。11番目の容疑者たるインドネシア特殊部隊兵士シャフル・アンワル中尉はインドネシアにいて召喚できない。(AP, Feb. 16)

アメリカ


●ジョニー・ルミンタン

 ワシントンの地方裁判所では、インドネシア軍の当時副参謀長だったジョニー・ルミンタンに対する裁判が3月27日に始まった。かつてサンタクルス虐殺の責任を問われて同様の裁判で有罪となったシントン・パンジャイタン少将につぐケースだ。ルミンタンは1999年の東ティモールの暴力の責任を問われている。(AFP, March 28)
 アメリカには海外で重大な人権侵害をおかした犯人がアメリカにいるあいだに民事でその責任を問う裁判を起こすことができる法律がある。ただしルミンタンはすでにインドネシアに帰国しており裁判は被告不在のまま進行している。インドネシア政府はこんな裁判はばかばかしいと言っている。★(松野明久)


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