巻 頭 言

<新連載>東ティモールにおける日本軍性奴隷制に寄せて


 3月半ばにラモス・ホルタ氏が来日した。
 戦後補償のことにふれて、自分は日本の占領よりもインドネシアの占領による被害の方が重要なことなので、日本への賠償・補償を求める気はないと言った。かつては日本に賠償を求めるとホンコンにいたとき息巻いて発言したこともあるホルタ氏だが、どうやら日本の援助に遠慮したようだ。
 かつてインドネシアの侵略直後の国連安全保障理事会で、当時の日本の国連代表部があからさまにインドネシアのためにロビーしている姿を見て、彼はこう言った。
 「日本政府に対して言ってよろしいでしょうか。もしこの紛争に終止符を打つべく援助いただければ、第二次大戦で東ティモールの人びとが被った損害と4万人にもなると推測されている人命の損失をつぐなうことができるでしょうと。」(安保理、1975年12月22日)
 これに対して斉藤鎮男国連大使は返答権を使ってただちに反論した。4万人という数は証拠がなく受け入れられない、現在の日本は平和国家でありもはや過去のそうしたこととは関係ない、そしてこの件は目下問題となっている事項と関係ないと論じた。
 斉藤大使の議論は「おかしい」(clumsy)と、ホルタ氏は自伝で書いている。自分がいっていることは道徳的責務についてなのに、それすら斉藤大使は(むきになって)否定している。そう彼は思ったようだ。
 今のホルタ氏はこんなエピソードもすっかり忘れてしまったのかも知れない。
 しかし、忘れられない人たちもいる。外国に占領され、勝手に戦場にされた東ティモール。そこで殺され、傷つけられ、性奴隷にされた人びと。日本軍が56年から58年前にしたこととインドネシア軍が26年前にしたことのあいだに、そんなに明確な「価値の差」を示す線が引けるわけではない。どちらも体験した人には同様に癒されない傷のはずだ。今から30年たてばインドネシア軍のやったことはもう追及しなくていい、となるわけではないだろう。人道に対する罪に時効はない。
 東ティモールの場合、ポルトガルによる植民地支配、日本の占領、オーストラリアの侵攻、インドネシアの侵略と、とにかく外国勢力による被害が大きい。インドネシアによる被害だけが問題なのではない。
 まずそういう人たちの声に耳を傾けること。そしてその被害にどう向き合うかをみんなで議論すること。東ティモール人が世代をこえて歴史を共有することは必要であり、それは今やっと可能になったばかりだ。(ま)


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