独立過程におけるマクロ経済運営
国際通貨基金季刊誌『ファイナンスと開発』2001年3月、38巻1号
ルイス・M・バルディビエソ、アレハンドロ・ロペス・メヒア

East Timor: Macroeconomic Management on the Road to Independence
Finance & Development, IMF Quarterly, March 2001, Vol. 38, No. 1
Luis M. Valdivieso and Alejandro Lopes-Mejia

(関連箇所のみ翻訳)


住民投票前の経済状況

 経済的に、東ティモールは1990年代中頃インドネシアで最も貧しい州(ママ)の一つとされていた。当時の一人あたりのGDPは約350ドルであった。インフレは一桁であったが実質GDPは年10%程度の急速な成長を遂げていた。それはインドネシア政府からの多額のインフラ整備の資本支出によるものであった。アジア経済危機後、東ティモールでの生産は減少したが、減少率はインドネシアの平均以下であった。しかしインフレ率と金利は上昇した。貨幣流通速度と中期的な信用取引は減少した。インドネシア政府からの財政支援は急減した。それにより資本支出も減少した。にもかかわらず東ティモールでの賃金は変化しなかった。それは(東ティモールの)州政府が必要以上の公務員を雇用していたからである。1995年から98年の間、東ティモールの対外的な経常収支の赤字は、公共部門の貯蓄ー投資ギャップのアンバランスから(東ティモールの)GDPの3分の1にもなった。商取引はインドネシアの他の州との間で行われていた。輸出はほとんどが農産品(コーヒーが主)で輸入は食料品、石油、建築資材であった。決済システムや公共部門の構成はジャカルタの地方版と言ったものであった。
 1999年半ばには8つの商業銀行があった。それら半数の業務はインドネシア中央銀行の支店を通しての支払いの決済のためのものであった。予算は経済指標によって立てられたものではなく、また包括的なキャッシュフローの管理も無かった。州政府の管理職に東ティモール人は就いていなかった。要するに経済システムは東ティモール経済や文化を考慮したものではなく、インドネシア政府からの予算でインフラを整備するなどコストのかかるものであった。

1999年9月の暴力の短期的なインパクト

 1999年9月の暴力は極端な物資不足やサービスの低下をもたらした。商取引では輸送と流通が重大な打撃を被った。実質GDPは3分の1以下に減少した。物不足と(インドネシアからの)補助金が無くなったことで物価は急激に上昇した。銀行の決済業務は機能を停止した。銀行の建物が破壊されたので取引は現金で行われることになった。現金での取引はインドネシアのルピアで行われた。金融市場が機能していないため、外国通貨が流通し始めた。事務機器や記録文書が略奪されたため、行政は機能せず、徴税や関税は廃止されたも同然であった。歳入は止まってしった。ジャカルタからの予算も止められた。さらに上級公務員や銀行員を含め、広範囲にわたって人口流出がおこり労働力不足がおこった。
 (治安回復後)UNやNGOが唯一の雇用主となった。そこでの賃金は住民投票前に比べると高いものであった。OCHA(国連人道援助事務所)は2000年6月までに人道援助のために1億9900万ドル(1999年のGDPの90%に相当)の基金の投入を訴えた。世銀は東ティモールの再建のためには3年間で3億ドル必要だと試算した。UNは2000年末までのUNTAETの経費として7億ドルが必要だと試算した。一方、IMFはUNTAETにマクロ経済の枠組みをつくる上で東ティモールの利用可能な資産の効率的運用と適切な財務処理の開発に力を貸すこととなった。

復興への戦略的ポイント

 1999年11月、IMFは決済制度の復活、基本的な財務の枠組みや技術援助プログラムを提案した。決済制度の復活には、まず法貨の選択が重要であること、そして通貨当局の確立が必要であることを提言した。東ティモールは財務政策や経済状況を考慮した上で、複数の通貨の使用から生じる経済的歪みを是正するために法貨に米ドルを採用した。東ティモールのリーダーたちは東ティモール独自の通貨の採用を望んだ。その気持ちは理解できたが、ドルの採用が金融市場や健全な財政を機能させることから推薦した。そして最初に、金融庁(中央決済機関)が政府に対し基本的な預金や支払いに対し責任を持ち、銀行に為替の免許を与え指導し外国為替業務をさせることでを提案した。
 財務戦略の基本は、公正、透明性、効果的で簡単な税制によって安定的な予算を作ることであり、そして歳出は基本的な公共サービスの提供を保証するものにするべきだと提案した。財務省の設立も提案した。そこで税制体系を作る。歳入を扱う。歳出の計画を立てる。これらのことを実行するには包括的な技術プログラムが必要である。直ちに東ティモールはIMFからのマクロ経済政策のプログラムを受ける必要がある。財務省と金融庁(中央決済機関)の設立と運営のために、中期的計画への助言を受けることが必要である。

2000年11月までの開発状況

 2000年を通して、経済活動は商業、サービス、建築活動によって力強い回復を遂げた。それらは国際的な協力や復興への努力と関係している。輸入は増加した。実質的な国際援助と堅実な民間部門での輸入の増加によるものである。その一方輸出は低迷したままである。インフレは収まり、物価の地域間格差は縮小した。
 失業率は依然として高い。公務員の新規雇用と雇用の継続は困難さを増しつつある。彼らに国連や国際金融機関が支払う給与が高すぎることと、ETTAの硬直化した賃金基準(技能・経験に関わらず同一賃金を支払う)がその原因である。公務員の月平均給与は135米ドルである。行政サービスが低いにも関わらずである。これは他の同程度の一人あたりのGDPの国(例えばインドネシア)と比較してかなり高い。人口あたりの公務員の数はインドネシアの3分の1である。賃金支払いは予算の中で予想以上に大きな負担となっている。
 UNTAETがIMFのテクニカルサポートにより作成した予備の予算は2000年前期の公的な支出に用いられた。7月1日からの予算はETTAが作成した最初の予算となった。それは財務省によって作成されたが、11月に追加的支出のために修正された。
 予算の執行は予想されたよりスローペースで始まったが、年末に向けて加速し始めた。税収入を上げる努力は上手くゆきつつある。まず輸入関税を5%から始め、輸入品の売上税を5%、10%のサービス税などへと順次増やして行くことになる。また石油と天然ガスのロイヤルティ(鉱区使用料)も税金とする等である。しかし電気料金など、公共料金の徴収は改良する必要がある。賃金を除いてETTAの歳出(役所の建設や備品の購入など含め)と復興のための支出は(世銀が管理している)、東ティモールへの信託基金が財源であるが、これは期待していたより低いままである。これを管理している機関の運営と実施の能力の問題、資金供給と資材調達の遅れ、投資プログラム計画作成の遅れにその原因がある。
 東ティモールの向こう3年間は無償援助によって財政がまかなわれることになっている。東京(1999年12月)、リスボン(2000年6月)、ブリュッセル(2000年12月)での援助国会議で援助国・機関は1億5000万ドルをUNの広範囲の人道援助費用として決定した。資本支出プログラムへは1億6600万ドルが信託基金として拠出されることになった。これは3年間で必要と見積もられている額の半分以上をカバーできると見られている。2003年半ばまでに1億4900万ドルが2国間援助として約束された。さらに援助国・機関は5500万ドルを2001年半ばまでのETTAの予算として追加供給することを承認した。最後に2001年6月までのUNTAETの活動をサポートするための費用として約10億ドルの支出を国連加盟国が承認した。
 金融部門の進展状況は善し悪し様々である。外為市場(外国通貨の売り買い)は急速に発展している。米ドルの対インドネシアルピアの交換レートは、ジャカルタの交換比率とほとんど同じである。2つの外国の銀行が業務を始めた。いくつかの銀行も開業に関心を持っている。要求支払預金は急速に増加している。しかし商業銀行は東ティモール信託基金の裏付けのある貸し出し業務を除いて、担保不足を理由に信用貸しを拡大していない。2000年6月以来米ドルの使用は増加している。ルピアは国全体で広く使われている。また、オーストラリア・ドルは主にディリで使われている。
 2000年を通じ、UNTAETは意思決定に東ティモール人を斬進的に参加させている。9人の閣僚の内5人は東ティモール人である。すべて政策事項が協議される国民参議会の36人のメンバーは東ティモール人である。管理職への東ティモール人の登用も進められている。財務省と中央決済機関の設立、規制の枠組み作りへの参加はスケジュール通り進んでいる。予算執行や税制の枠組みが採択された。国庫は機能している。税収は税務署を立ち上げたことにより進展が見られる。中央決済機関は、(銀行監督の原則を定めた)バーゼル委員会に基づき外国為替事務所や銀行が機能するためのいくつかの規制が提案された。ノンバンクに免許を与える規則も作成中である。 IMFや世銀の技術的財政支援と2国間援助が財務省と中央決済機関の設立を確実なものにした。最後に重要な進展として、インドネシアと国境線や領海の問題を含め公文書の修復、元インドネシア公務員で退職した者への年金問題が協議されたことがある。

東ティモール支援から得られた教訓

 将来を見据えると、東ティモールは長期の民間投資環境づくりの問題に直面するだろう。これが成長のエンジンとなることに違いない。安定した高成長率の達成によってのみ、東ティモールが失業と貧困の闘いに上手く立ち向かって行くことができ、さらに海外援助に頼ることから徐々に脱却できると考えられるからである。
 投資家が東ティモール国内の治安、政治的・経済的安定や規制・制度の枠組みを好ましく思ったなら、民間投資はより好ましい方向に増えるだろう。治安の改善、付け加えるに難民問題の解決、国境の確定、西ティモールの飛び地オイクシとの自由通行問題の解決が必要である。政治的安定の促進のため、2001年末になされるであろう施政権の返還は、市民(への政治)教育の幅広いキャンペーンと組織や基金が充実した政治団体によって支持される必要がある。
 東ティモールの財政政策のスタンスを決めることは、マクロ経済の安定を達成し維持するための重要な一部分である。法貨として米ドルを採用したことはインフレ的予算になる可能性をなくした。しかし海外からの援助が徐々に減少して行く状況に直面する中で、財政の安定をはかるため東ティモールは歳入を増やし歳出の厳格な管理をする必要がある。歳出の管理は、賃金と物・サービスへの支出の両方で切りつめが必要となるだろう。しかし賃金の引き下げは困難と思われる。すでに存在する(賃金体系の)歪みと、軍隊を含め今後開設される機関に多くの人員雇用が必要なためである。
 中長期的歳出の伸びの抑制で必要なのは、海外からの借款による支出を政府資本支出(公共事業支出)の優先順位と一致させることである。また借款を中期的に繰返し必要な(維持管理費用のような)支出に対しても慎重に選ぶことである。言い換えれば、これは2国間で借款を締結するときの公式な原則的手続き方法を開発しておく必要があるということだ。
 最後に商業の法的枠組みの適用についてである。土地と所有権の法律、労働規約、争議の解決・仲裁のメカニズム、倒産の手続き、外国投資の枠組み作りである。その枠組み作りの段階では、中央決済機関と財務省が良き統治と堅実な原則の下で運営されていること、そして同じ機能を持った複数の経済機関を作り出すような愚を避けることである。★

*明らかな事実誤認は訂正した。わかり辛いところには若干の挿入を行った。

(翻訳・文珠幹夫)


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