書評

東ティモールに生まれて―独立に賭けるゼキトの青春

横田幸典著
現代書館刊

評者・岩井茂雄(大阪東ティモール協会)


 表紙写真のゼキトは、どこか遠くを見つめ、そして私たちに胸の想いを語りかけてくるかのようです。この本は東ティモールの独立を願いつづける一青年・ゼキトの亡命への過程を追うルポルタージュであり、その仲間たちと共に綴られた、東ティモールの歌を満載したソング・ブックでもあります。
 ゼキトが語り始めた自らの生い立ち―それは翻弄されつづけた東ティモール現代史の苦難の歩み、そのものであると言えないでしょうか?体験され、別ちがたく結び付けられている分、一層、自身の歩みの、多感な証言となっています。著者の東ティモール取材もまた彼と出会い、知り合うことでより強められたと言えるでしょう。手探りで、たぐり寄せられた歴史の闇。
 1971年にロスパロス近郊のホメ村に生まれたゼキトが、物心ついて間もない、4歳の子供だった頃、インドネシア軍による侵攻が始まりました。村から村へ、度重なる爆撃の難を逃れ、『包囲殲滅作戦』のまさにその舞台となった、マテビアン山の凄惨な飢餓と虐殺を目撃した彼は、その後の家族離散の苦しい生活にもよく耐えぬいて、やがて持ち前の語学力を生かし、外国人に東ティモールの内情を伝えるようになります。
 「ぼくは、悪い条件の下に生まれた。子供の頃からいつも外国へ行きたい、行きたいと考えていた。外国にいる自分の姿を想像して、自由で安全で、どんなにいいだろうと思っていた。いつも遠くを見ているような気持ちだったんだ。以前はディリに恋人がいたんだ。でも、今は彼女とは付き合っていない。外国へ行くことを本気で考え始めてから、彼女とは付き合わない方がお互いのためだと思ったんだ。父親と離れて暮らしていた母親の寂しい姿をどうしても思い出してしまう.....」
 ここにゼキトの等身大の言葉があります。”自分を表現すること”自由への強烈な渇望―が、“生”のまま混沌としてある、と思うのです。
 そしてサンタクルス虐殺の証言、痛切な肉声があります。
 ―「あの日ぼくたちは、インドネシア軍に射殺されたセバスティアン・ゴメスとアフォンソ・ヘンドリックの追悼ミサとデモを計画していたんだ。モタエル教会でミサを終えた後、彼らの埋葬されているサンタクルス墓地へ花を捧げに向かったんだ。自由と独立を求めるスローガンを唱えながら。墓地に着いて15分くらいたった時、近くにインドネシア兵を乗せたトラックがやって来た。そこから降りてきた兵士が突然発砲しだした。タン、タンという銃声が響き始めたんだ。逃げ惑う人でパニックになった。大勢が撃たれ、倒れた。倒れた人の上に別の人が倒れる。墓地の中は倒れた人の山で、まるで壁ができたようになっていた。ただ死ぬのを待つだけの状態だった。中にはナイフで刺された仲間もいる。助けたくても助けられない。とにかく走るだけで必死だったんだ。」
 ..... ゼキトと横田氏はその日共通の友、アドゥを喪なってしまうのです。

★     ★

 ゼキトを中心にした、たくさんの仲間たち。彼らと横田氏の交流が深まります。皆、思い思いのポーズで氏のカメラに収まっていて、なかなかキマッた写真が多く、この本の見どころのひとつであると言えるでしょう。ロスパロスの安宿「ロスメン・バパ・ブリシモ」に集まってくる小さな子供たち(他ならぬ横田氏のテトゥン語の先生なのです!)の、表情豊かに活写された描写は、本書のなかで、光り射す、とても眩しくキラキラしている箇所だと思います。
 けれども突然に。いつもは陽気に楽しそうにしている彼らの、不意に悲しげに曇る横顔を。その瞬間を何度となく目撃した横田氏は、彼らのそれぞれが両親との死別や、生き別れの心の傷を負い、深い断層を抱えて生きていることに気付かされるのです。壊れそうな心。「誰かに自分のことを聞いてもらいたい」―そのか細いけれど、幼い必死な想いが、伝わってきます。
 多く、歌詞となり膾炙している東ティモールの歌はそういった人々の気持ちをよく汲み、代弁していると言われます。いよいよゼキトの身に危険が迫り、今夜踏み込まれるかもしれないと言う時に、宿のベッドの上で歌われたヤケッパチの東ティモール・ソングは、暴風雨のさなかに灯された小さな“あかり”のように、記憶となって彼らの友情を照らしつづけると思うのです。
 そして朝になり、太陽が昇るのを見て、暗闇から抜け出せたことのありがたさを肌でしみじみと感じた氏は、こう書き記しています。―「安全の中で暮らせるのは幸せなのだ」と。
 ―ゼキトは1997年1月バリ島経由、香港〜マカオのルートで亡命に成功する。その後ポルトガルに渡り、やがてイギリスに留学、現在に至る。―
 命懸けの亡命。遠くティモールを離れ、家族と別れて異郷の地に暮らす若者たちは、それぞれの方法で寂しさと闘いながら生きていかなければなりません。無為や反目を乗り越えて、自分たちのわずかな生活費の中からお金を出し合い、東ティモールのために役立てようと支援活動をつづけるグループがあります。そしてそこにも東ティモールの歌が歌われている―。この本の隠されたメッセージに“人間の絆”というか、お金や物ではなく、心とこころのつながりを支えに生きる人たちの“原風景”があります。著者が取材の最後に出会った森のゲリラたちのキャンプは、こう語られます。
 「朝食が終わるとすぐゲリラ兵士はそれぞれの仕事にとりかかった。偵察をする人、民芸品を作る人、食事の用意をする人。与えられた役割を黙々とこなしていた。そこには戦う人の表情は見られない。普通のおじさんや普通の若者だった。」
 そしてここにも歌が、ある。町では息を殺したように生活していた若者たちが生き生きとしている。ジャングルには「自由がある」。この言葉は「信頼がある」と読み替えることができるのではないでしょうか?人を愛すること、深く理解することは本当にむずかかしい。まさに「濁流を越えて」乗り越えられてゆくべきもの。ゼキトからのその後の便りは、鳥の羽ばたきにも似て、余韻を残しつつ―(イギリス・アメリカスピーキングツアーや専攻の法律学の話しをもっと聞きたいきもするけれども)、最後に著者の「独立後、東ティモールヘ戻ったゼキトの生活を記録すること」の決意で、本書は締めくくられています。
 「良い国をつくるためには、お互いに耳を傾け合うことが重要だ」―1999年10月23日シャナナ・グスマオンのディリ帰還の演説―と共に。★


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