季刊・東ティモール No. 2, January 2001

<書評>

いつかロロサエの森で
東ティモール・ゼロからの出発たびだち


南風島渉(はえじまわたる)著
2000年8月30日発行
コモンズ、定価2500円+税

評者:岩井茂雄(大阪東ティモール協会)


 

 南風島氏は、アジアの紛争地や先住民問題、人権問題をテーマに取材を重ねて来られ、現在はフリーの報道写真記者として活躍されています。初めて東ティモールを訪れた1993年以降、7年間にわたる現地での潜入取材の成果をまとめられ、昨年8月をまって本書は出版されました。真摯で人間味溢れるルポルタージュです。
 「我々ジャーナリストの敗北だった..... 」と語る、第一回目の取材で氏が体験したものとは、まさに外部世界との交渉を禁じ、東ティモールを”密室”化した中で行われてきた、インドネシア軍や警察組織による徹底した人権弾圧の一端。苛烈なる”平和”の演出下にある、隠されつづけた紛争の奇妙な”最前線”の姿でした。思想、言語、性にいたるすべての人間性をインドネシア国家の統制下に監視、操作する民族浄化政策。軍事侵略の”既成事実化”。その”ありのまま”の姿とは。
 著者の姿は一貫しています。極限状況下で出会った地下活動家たち。真剣な眼差しに、人間らしいたくましさを見、導かれるかのように、暗闇の東ティモールでない「本当の東ティモール」を「見えざる境界線」の向こう側にある薄明かりを、人々の生活を、声なき声を、伝えるというジャーナリストとしての使命感。その責務に誠実に対峙することであったと言えるでしょう。「目をそむけずに見なさい!そして理解しなさい!」この伝えられ、南風島氏によって書きとめられたメッセージは、民族や国境の枠組みを越えて響き合う普遍性をもつものだと思います。
 著者はコニス・サンタナやサバラエ、デビッド・アレックス、タウル・マタン・ルアクなど、東ティモールの人々にとっての「ヒーロー」たちとの会見に次々と成功します。「レジスタンスは民衆という海のなかを泳ぐ魚にすぎない」という言葉は、彼らと共に寝起きし、行動を共にするなかで、より深められ、意味の広がりを持つようになります。東ティモールの人々はなぜ決死の思いでレジスタンスを支え続け、協力を惜しまないのか?なぜ、圧倒的な軍事力をもちながらインドネシアは「東ティモールそのものを殺してしまう」ことができなかったのか?東ティモールには戦争はなく、ただ一部の治安攪乱分子が散発的にテロを行っているだけなのか?人々はインドネシアへの併合を心から望んでいるのか?レジスタンスや人々の精神的支柱と言われるカトリック教会関係者は、何のために闘っているのだろう? ----- すべてはあの1999年8月の住民投票の瞬間、眩いばかりの光芒となって人々の意思は結実しました。結晶体のように。世界の人々の前に集約されて、投げ出されたのです。生まれ落ちた赤ん坊の東ティモール。
 「これだけだった。一枚の紙片に自らの未来を託して投じる。突き詰めればたったこれだけのことを許されるまでに、彼らは想像を絶するほどの苛酷な年月を耐え抜くことを強いられてきた。たったこれだけのことを求めるがために、いったいどれほどの血が流され、どれほどの命が失われたことだろう。イデオロギーでも、宗教でも、経済的利益でもなく、ただ「平和に暮らしたい」という願いのために、彼らは壮絶な歴史を生き抜いた。コニス・サンタナやデビッド・アレックス、そしてサバラエら多くの人々の命を代償に勝ち取った瞬間が、いま静かに訪れていた ..... 」 ---- その直後の暗黒と言われた9月。世界はインドネシアの東ティモール焦土化作戦を許してしまうのでした。
 ”東ティモールの人々が私たちに教えてくれたこと”(この言葉にすべて万感の想いがつきるのではないでしょうか?)。歴史的激動期であった東ティモールでの7年間の取材を通して、氏がその現実から学んだのは、東ティモールから見た日本、そして日本人としての、未来へ向けてのほんとうのあり方だったと言えます。東ティモール問題の「準当事者」であった私たちの日本という国は、今なお、インドネシアの最大の支援国家であることをやめていないのですから。氏の言葉には説得力があります。「日本に対して戦後賠償を請求するつもりはない」と語ったシャナナ・グスマォンの言葉のもつ意味を、正しく理解しえている日本人が果たして何人いるだろうかと。
 著者が出会った東ティモールの人々。明るさと陰翳をもつ現地の表情を、詩情豊かに見事に捉えた写真の数々にも、多くの方が「ハッ」とさせられるのではないでしょうか。変わりゆく歴史の流れの中で翻弄されながらも、人々の瞳は前を見ています。そして失われていった多くの人々のことを想って、見ています。
 ふれ合った魂の一瞬の輝き。その美しい軌跡に、読後、涙がにじみました。一人の日本人ジャーナリストからのメッセージ。東ティモール・日の昇る場所。ゼロからの出発は始まったばかりです。★


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