季刊・東ティモール No. 2, January 2001

ニュース・ピックアップ

(2000年11月〜2001年1月)


豪軍、民兵を拷問?

 東ティモール国際軍(Interfet)が東ティモールに上陸してまもないころ、各地で拘束した囚人たちを豪軍兵士が尋問の際拷問したとの訴えがあり、豪軍特別調査班が調査を行った。また1999年10月6日、スアイ近郊で豪軍と民兵との銃撃戦があり民兵2人が死亡しが、この時、豪軍兵士が死んだ民兵を「戦勝記念品」であるかのようなポーズで写真を撮ったとされる問題も調査された。(The Advertiser, Nov. 1)
 結果は、拷問については証拠が不十分とみなされ、戦勝記念写真についてはその後も調査は続いている。(The New Zealand Herald, Nov. 22)

2人のドキュメンタリー作家、ロイ・ペック賞

 イギリスのマックス・スタールとオーストラリアのカルメラ・バラノウスカが東ティモール住民投票およびその後の映像で、ロイ・ペック賞を受賞した。マックス・スタールは1991年のサンタクルス虐殺のシーンを撮ったことで知られ、「コールド・ブラッド」(NHK BS1「ワールド・ニュース」でも1992年3月2日放送)で複数の賞を受賞。今回は赤十字事務所への襲撃や国連派遣団本部の難民たち、その後一緒に山に逃げそこで避難民たちの悲惨な姿を映像におさめた。カルメラ・バラノウスカは住民投票前後の東ティモールを取材し、SBS Datelineで「暴力の法」(The Law of Violence)を制作した。(The Rory Peck Trust, Nov. 3)

インドネシア国会、人権法を可決

 11月6日、インドネシア国会は「人権法」を可決した。先の8月の国民協議会(国民協議会が最高議決機関)が、過去の人権侵害の訴追を不可能にする「非遡及」条項を憲法に付加することを可決したため、東ティモールなどでの過去の人権侵害が裁けないのではないかとの憂慮が表明されていた。今回の人権法では過去の人権侵害も遡及的に裁くことが可能だ。果たしてどっちが適用されるのか。(Detikworld, Nov. 6)
調査する人権侵害は4つに減らす

国連暫定行政機構(UNTAET)は、予算不足から、調査する重大な人権侵害事件を4つに絞り込む。リキサ教会襲撃(1999年4月)、マリオ・カラスカラォン宅襲撃(1999年4月)、マリアナ警察での虐殺(1999年9月)、ロスパロス教会車襲撃(1999年9月)の4つだ。9月6日のスアイ教会虐殺は後回しになる。(BBC, Nov. 3)

エウリコ・グテレスに「紅白賞」

民兵組織「アイタラク」の指導者だったエウリコは、東ティモールのインドネシア統治を防衛する闘いに貢献したとして、インドネシアの「国家防衛運動」という団体から「紅白賞」を受けた。11月10日が英雄の日(国民の祝日)でその2日前の受賞。(Jakarta Post, Nov. 9)

難民、バリへ帰る

 東ティモールへ移住したバリ人たちが故郷へもどってきたが、住む土地がなく苦労している。バリ州北部のブレレン県のスンベルクランポック村にはこうした帰還難民が住み着いて、環境団体から保存林であり住民との紛争の種になると指摘されている。政府は保存林ではないと言っている。東ティモールからは合わせて760家族がバリに帰郷したらしい。(Jakarta Post, Nov. 9)

世銀の汚職追放研修

 11月14日から、世銀は東ティモールで汚職追放の研修を始めた。ジュマル・ウディン世銀アジア太平洋担当局次長は、汚職撲滅は東ティモールが直面している最大の問題のひとつだと語った。今月初め、世銀は「小規模企業プログラム」(100万ドル)の実施に際し、その資金を分配する銀行の信用アナリストと関係のあった受益者が5件あったため、そこへの資金提供をストップした。(AP, Nov. 14)

駐インドネシア豪大使、攻撃される

 11月21日、マカッサル(南スラウェシ)でジョン・マッカーシー駐インドネシア豪大使とその一行が、統合派東ティモール人難民の一団によって襲撃された。けがはなかく、しばらく避難したのち、警察によって空港へ脱出させられた。目撃者によると警察は襲撃の間、見て見ぬ振りをしていたという。(AP, Nov. 21, Reuters, No. 22)

ベニラレで抗争

 現地警察筋がルサ(ポルトガルの通信社)に語ったところによると12月3日(日)、東部バウカウ県のベニラレで、フレテリンを中心としたCNRTの一団がCDP-RDTL(東ティモール民主共和国民衆防衛委員会)の事務所を襲い、2人が負傷、22人が逮捕された(6人はすぐに釈放)。その後約20人のCDT-RDTL支援者がベニラレの警察に保護を求めた。CDP-RDTLは1975年のフレテリンによる独立宣言を有効とする立場で(住民投票は必要なかったという論につながる)、インドネシア派にねがえったアビリオ・アラウジョ(元フレテリン海外代表部長)やインドネシア軍が背後にいるとの見方があり、CNRTと対立している。(Lusa, Dec. 4)

所得税が導入

 2001年1月1日から東ティモールでは所得税が導入される。月収100米ドル以上の者は10%、650米ドル以上の者は30%、それぞれ越える分につき課税される。(UN Newservice, Dec. 14)

コーヒーの価格が下落

 東ティモールでは4万家族がコーヒー生産に依存している。しかしその価格が過去数年の平均と比べて35%下落している。理由は世界市場にコーヒーが溢れているからだと、NCBA(全米組合企業協会)のサム・フィラチは言う。彼によれば来年は1万トンの生豆が期待でき1300万米ドルになるという。(Sydney Morning Herald, Dec. 19)

ボディー・ショップ、ユニセフを支援

 化粧品などで有名なボディー・ショップは、シンガポール、日本、オーストラリアにある店を通じて総額20万米ドルの資金を集める。目的は東ティモールで子どものトラウマや女性の活動の中心となるコミュニティーセンターをつくる「子どもにやさしい空間」(Child Friendly Spaces)プロジェクトを支援するため。センターはユニセフのプロジェクトで各県に1つつくられる。(Straits Times, Dec. 25)

新年、モスクを襲撃

 1月1日午前6時、ディリ西部にあるアヌル・モスクが暴徒に襲われた。3人の住人が負傷し、敷地にあった車が破壊された。前の晩、住人に対して脅迫があったようだ。(モスクにはインドネシア人が200名避難するようなかたちで住んでいる。)イスラム系住人の指導者ハジ・アルハム・アッペの要請で、警察は1週間24時間警備を行うことにした。また市内のダイナスティ・レストランでは、大晦日の夜、シンガポールのビジネスマンとファリンティル司令官の口論がけんかに発展し、外で50人ほどの東ティモール人が石を投げ始めた。警察が1時間にわたって対応し、警官1人を含む数人が負傷、国連車5台が破壊された。(Radio UNTAET, Jan. 1, UN Newservice, Jan. 2)

国連職員、守秘義務令

 12月29日付けでUNTAETの職員は上司の文書による許可なくしていかなる内部の情報も外へ伝えては行けないとの発令が出された。(Lusa, Jan. 11)

ファリンティルが正式に東ティモール軍に

 1月31日をもってファリンティル(東ティモール民族解放軍)は解散し、東ティモール軍になる。タウル・マタン・ルアク司令官によると1998年までは450人しかいなかったがその後1500人に増加、1975年当時からの兵士は95人だったという。(Lusa, Jan. 18)


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