季刊・東ティモール No. 2, January 2001

<巻頭言>

正義の道は遠く


 年末・年始をインドネシアのジャカルタで過ごした。
 ジャカルタにいると、東ティモールは遠い。アチェ、パプア、マルクなどで人が死んでも話題になることはあまりない。マスコミの取り上げ方にしても、現地の人たちが見たら落胆するような、扱いも小さい、シンパシーのない、時には「彼らが問題を引き起こしている」といったニュアンスのものが少なくない。
 それでいて、ウィラントが新しいCDを出したとかいうニュースはおもしろおかしくみなが口にする。エウリコ・グテレスの逮捕や裁判は新聞でもテレビでも大きく報道される。そして彼を英雄視しているグループが紹介される。(もっとも記事が彼に同情的とは言えないが。)
 私は住民投票のときディリにいたと言うと、決まって「国連が投票でずるいことをしたというのは本当か」と質問された。
 こうした雰囲気を反映するかのごとく、インドネシア政府の東ティモール問題に対する対応は鈍い。それが典型的に難民問題と裁判にあらわれている。
 昨年9月、西ティモールでUNHCR職員が殺害され、国連が撤退したのち、13万人いた難民の帰還作業は基本的にストップしたままだ。11月に安保理派遣団が現地視察したが、治安状況については判断が出なかった。国連は新たに専門家を派遣するようだ。本格的な帰還作業再開はそこでゴーサインが出されてからになる。
 判断のポイントは、民兵の解散・武装解除がどこまで進んだかだ。インドネシア政府はやるやると言って、10月半ばのCGI(インドネシア援助国会合)で援助がもらえるとわかると難民問題についての進展を発表しなくなった。げんきんなものだ。
 それでいてもう安全だから早くUNHCRに来てほしいと言う。具体的な保証はない。住民投票のときインドネシアは治安を守ると何度繰り返したかわからない。その結果がああだ。
 ワヒド大統領と軍・守旧派のゲームはまだ続いている。東ティモールの難民がそもそも軍・守旧派のカードであることを考えると、難民が簡単に帰れると見ない方がいいだろう。
 そのゲームとは、これから始まる人道に対する罪の裁判だ。23人発表された訴追予定者リストの中で最も高位の軍人は元第9管区司令官アダム・ダミリ少将だが、今の大統領と軍の力関係から見て、彼などはまったく無理で、その下のトノ・スラトマン准将(元東ティモール司令官)ですら有罪とでれば御の字だろう。
 確かに「紛争」は終わった。しかし東ティモールを24年もの間支配した正義なきその紛争の歴史を総括する作業はまだ終わっていない。そしてその総括なくして、紛争の予防はない。その総括がないから、アチェやパプアでも同じ過ちを繰り返している。総括は、何もインドネシアだけがすべきものではない。国際社会も共犯だった。(松野明久)


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