季刊・東ティモール No. 2, January 2001

<ドメスティック・バイオレンス>

革命家たちの帰郷
ガーディアン紙(英国) 2001年1月15日

Return of the revolutionaries
The Guardian [UK], Jan. 15, 2001


戦争は終わった。しかし、東ティモールの女たちには、もうひとつ勝たねばならない闘いがある。マギー・オケインが報告する。


 昨年夏、山刀で殺害された4人の女性の遺体が東ティモールのいくつかの地点で発見された。しかしこのニュースは、ほとんど注目されなかった。過去24年間で推定20万人もの人びとを殺したインドネシア占領軍が国連軍によって追い出された翌年のことだ。
 彼女たちは、自分の夫、もしくは兄弟によって山刀で殺害されたのだ。4件といえども、72万人程度の人口の国では驚くべき数字だ。
 何年も続いた残酷な戦争が終わり、革命家たちが学習した暴力は、今、彼らの女たちに向けられている。この1年でドメスティック・バイオレンスは急増した。そう語るのは「カトリック国際関係研究所」につとめる東ティモール人政治家、ミレーナ・ピレス(34)だ。昨年は169件が記録された。ドメスティック・バイオレンスは今やこの国のもっとも一般的な犯罪となっており、犯罪の40%をしめるにいたった。
 「女性が初めてそれを口にし始めたからなのかも知れない。しかし、それは東ティモール人女性が今日直面するもっとも重要な問題だろう。昨夏、最初の女性会議を開いたとき、この問題が繰り返し浮上した」とピレスは言う。
 この問題は、東ティモールが独立へ向かう過程でおきた対立に根ざしている。1999年秋、国連が実施した住民投票で独立派が勝利したあと、東ティモール全土で暴力が爆発した。インドネシア支持派が暴れ回り、数百人を殺し、人びとを国境を越えて西ティモールのキャンプに連れ去った。インドネシア軍がいなくなったころには、ほとんどすべてが破壊されていた。
 そうした直接的な暴力がおさまり、東ティモール民族解放軍兵士たちが1975年以来はじめて家に戻ったとき、より根の深い、簡単になくなりそうにない対立があらわになった。
 インドネシアが侵略したとき、彼らは家族を町や農村に置き去りにして、山の森へ入っていった。ディリから5時間ほど車で行ったワイモリの谷で、彼らは鹿、水牛、猿、果物などを食べて生きながらえ、東ティモールの独立をめざして闘った。昨年、インドネシア占領期も終わりに近づいたころそこを訪れた私に、黙々と働く女たちが灰色のカネロニといった感じの水牛の腸のトマト煮を出してくれた。その前の年は彼女たちはすべて竹でつくった野営地で犬を焼いていた。行動規範は厳格で、革命家たちにはセックスはなく、女といえば料理係のみだった。
 そんな兵士のひとりにアドティク・リンティルがいた。彼は17年間解放軍といた間ほとんど妻や子どもにあったことがない。「後悔はしていない。正しいことのために闘ったんだから」と彼は言う。
 インドネシアの24年間の占領が終わって、リンティルのような男たちは家にもどっている。しかし、そこはすでにかつてと同じ世界ではなくなっていた。男たちが山に隠れていた間、ティモールの女たちは亡命先で教育を受けたり家にいて仕事を続けていた。それは二度の大戦中にイギリスの女たちがしていたのとまったく同じだ。
 「女たちはあらゆるレベルで(闘争に)関わっていた」とピレスは言う。彼女が9才のとき家族全員が亡命して、彼女自身、オーストラリアで社会学と英文学を学んだ。「(解放軍の)野営地を運営し、物資を届け、情報を外に出すなど。そして今、男たちが隠れ家から出てきても、女たちはかつての伝統的な役割に戻りたくないのだ」と彼女は言う。
 当然、問題が生じる。先月、半袖Tシャツを着ていた5人の女性が、服装が適切でない、携帯電話で話をしていたとして、ディリの中央市場で石を投げつけられた。つい先週は、家族連れに人気の海浜で、ビキニを着たサロン姿の2人の女性を若い男たちの集団が襲った。
 「何年も戦争が続いたおかげでフリーズしてしまった伝統的なカトリック社会だから。男たちは再び権威を振りかざそうとしている」とピレスは言う。
 この1年で、急増した女性への暴力に取り組む団体が10以上設立された。「今は、とっても敏感であるべき、そういう時期だ」とピレスは言う。 先週、彼女はロンドンに来ていた。来年国連が東ティモール政府に移譲する際、彼女が望むような女性政策への支援を要請するためだ。彼女は、議員の30%、公務員の30%が女性であるような社会を望んでいる。イギリスがもっている人参(インセンティブ)はお金。日本、ポルトガル、オーストラリアといた援助供与国が女性に配慮した政策を行うよう圧力をかけたことが功を奏して、東ティモールの女性団体は地方議会が男女同数で構成されるという確約を勝ち取った。
 一方、国連の東ティモールの「子守料」は7億ドルと見積もられるが、ほとんど復興は進んでおらず、新しい産業もない。やっていくのは難しい国であることがますます明らかだ。道路には国連の白い4輪駆動車が多数走っているが、一方で、漁業に頼るある町には3隻の漁船しか残っていない。独立東ティモールには電気も、学校も、大学も残されず、製材所の機械すら解体されてインドネシアに持ち運ばれてしまった。仕事といえば国連だけ。それも東ティモール人には1日5ドルの賃金しか出ない。国連スタッフならニューヨーク並の給与が出されているにもかかわらずだ。唯一つくられたものは、港に浮かぶホテルだろう。国連が部分的に資金を出して委託したもので、外国人スタッフが1晩で160米ドルで泊まる。
 その結果、失業率は80%にものぼる。男たちは白人たちが彼らに代わってすべてをやっている国で仕事もなく侮辱されたように感じている。その幻滅が、ドメスティック・バイオレンスの増加となってあらわれている。
 「闘ってきたことが実を結んでないからといって怒っている人が多い。彼らは国連には出ていってほしいと思っている」とピレスは言う。メリー・ロビンソン国連人権高等弁務官も訪問した際、「東ティモールの人たちがどれくらい苦しんだかということについて、真剣に理解しようという気がない」と言って、国際社会を批判した。
 インドネシア占領時代、女たちは夫や息子と分けられ、ハラスメントを受け、しばしばレイプされた。女と子どもが大半の難民キャンプの状況は劣悪で、食糧は不足し、衛生状態も悪く、病気が蔓延している。
 新しい東ティモールの社会では、女は今までのようには苦しまないとの決意が今や見られる。昨年9月、東ティモールの歴史上初めて、女性が夫を暴力で裁判に訴え出たのだ。それはほんの始まりにすぎない。★


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