<女性兵士>

ある元兵士は語る
『ティモール・リンク』2002年10月号
A war veteran speaks
Timor Link, October 2002 (CIIR, London)

 ビソイ(Bisoi)の小柄で繊細な体には、タフで負けん気の精神が宿っている。彼女はインドネシアの占領に抗するレジスタンスに加わって闘い、5月20日、独立祝賀行事の「女性大会」で、大統領とその夫人から特別賞を授与された。以下は、カトリック国際関係研究所のキャサリーン・スコットによるインタビューだ。


 ファリンティルにおける女性の役割については論争があり、人それぞれに意見が違う。その人がどちらの性かによって、意見は影響を受ける。
 ビソイによれば、多くの男性ゲリラ兵士は、OPMT(ティモール女性大衆組織:フレテリンの女性組織)で女性が果たした役割を認めようとしない。
 ビソイは、女性はレジスタンスでいろいろな役を果たしたと語る。山の中でファリンティルに加わっていた者もいるし、地下戦線、外交戦線にいた者もいる。彼女は、1975年に山に入った。1979年には多くの女性が町に降りた。「それからはほんのわずかな女性がファリンティルに残った」と彼女は語る。「夫と一緒にいたかった者もいるし、独身もいた。まだ少女だったのもいた。1979年以降残った女性たちは、非常に孤立した存在だった。たくさん死んだし。捕まった者も多かった」と言う。1983年、ビケケで反乱がおき、その結果、クララスの虐殺がおきて、その後、女性たちが大勢山に戻った。ビソイもそのうちの一人だ。
 ビソイは、ファリンティルがそうであるように、東ティモールの新しい憲法の中でOPMTが認知されることを望んでいる。議会では、男性政治家たちが、女性の権利をうんぬんするのは外国からの影響で、外国によるおしつけだなどと論じている。それはまったく違う、とビソイは言う。「OPMTは1975年から女性の権利を訴えてきた。この事実を認めてほしい」と彼女は言う。
 OPMTが森の中でどう女性の権利について闘ったか、ちゃんと記録する必要があると彼女は言う。「困難な時代、食糧もなかったけど、多くが町へ戻ろうとしなかった。山に残った。男性に負けないくらい愛国的だった。男性ができることなら女性もできる、そう思っていた。だから残った。女性も強い義務感をもっているっていうことを示したかった」と彼女は語る。

ファリンティルの女性

 男性兵士からどう扱われたかという問いに、「インドネシア軍に攻撃されたら、人が死んだ。年齢も性も関係なかった。司令官たちは女性は子どもを連れて町へ行けと言った。山にいた男性はみんなファリンティル兵士だった。負傷した兵士、子ども、病人はいわゆる「核」に入れられた。女性はそれを管理して、彼らの安全を守り、食物を確保した。生活は非常に質素だった。私たちは、衣服を3セットもっていて、月に1度水浴びができただけで幸運だったと思う。殺したインドネシア軍兵士からは服を奪った。制服は男性兵士に与えられ、どういう場合でも、制服は女性にはくれなかった」と語る。
 通常の攻撃は、2つのグループから構成され、女性は2番目のグループに入れられた。目的は、抵抗にあったとき、最初のグループが武器をなくしたりした場合に、補充することだった。そして戦利品を拾うのも2番目のグループだった。プライオリティは武器の補填にあった。1991年まで、ゲリラはティモール人の村々、ふつうの人びとを攻撃していた。反撃にあったら、撃つことになっていた。もし人びとが抵抗しなかったら、ファリンティルはただものを盗んだ。もし抵抗したら、ゲリラは彼らを撃った。1991年以降、こうしたことは行わなくなった。地下組織が整えられ、ゲリラの必需品を供給するようになったからだ。
 ビソイによると、司令官たちは襲撃計画を秘密裏に練り、その直前まで計画を明かさなかった。これはゲリラが捕まっても、拷問で自白したりしないようにするためだった。誰も参加を拒否する者はいなかった。
 ビソイは、インドネシア人兵士を何人か殺したことがあると静かに認めた。ある日、マテビアンで、疲れて眠る場所をさがしていた。彼女は機関銃を横において、低木に半分身を隠すようにして座り、ナイフで爪を研いでいた。すると、突然15人ぐらいのインドネシア兵に囲まれた。インドネシア軍は彼女を追跡していたが、まだ彼女を捕捉してはいなかった。彼女はすかさず銃を手に取り、発射した。「少なくとも5人は殺したと思うけど、振り返る時間はなかった。とにかく逃げた」と語る。兵士が追いかけてきたが、彼女は逃げ切った。
 また、彼女は、バウカウで民兵に情報を提供していた東ティモール人を殺したこともあると語った。「男性のファリンティル兵士が処刑するよう女性兵士に引き渡した」ということだ。後悔していないかと聞くと、「戦争だったから」という返事が返ってきた。「殺さなければ、殺される。ティモール人の神父に懺悔して、許してもらう」と彼女は語り、この点について彼女には迷いがない様子だった。
 ファリンティルの規律はたいへんなものだった。また、そうあるしかなかった。「男性も女性も自己批判をした。意見の違いを乗り越えるために。仲間内で闘いをしている余裕はなかったから。対立が解決しない場合、第三者が仲介をした」と彼女は語る。

宗教信仰

 ほとんどファリンティル兵士は、伝統的な土着宗教の表面をカトリックがおおったような混じり合った信仰をもっていた。誰もが、「ビロ(biro)」と呼ばれる伝統的な医療上のお守りのもつ不思議な力を信じていた。それはひとりひとりちがったものなのだが、自分の「ビロ」を誰も裏切ってはいけなかった。「ビロは奇跡みたいなもの」とビソイは言う。「ラメラウ山とマテビアン山の土を混ぜてもっている者もいた。また、一片の木片だったり、しとめた動物の骨だったり。首のまわりにつけたら、それで人にさわれなくなる」と言う。誰もがビロについての自分なりの信仰を抱いていて、それを破ると不幸が訪れるというような永遠の誓いみたいなものだった。ビロは精霊の世界との糸だった。しかし、ビロは重大な出来事があればなくなってしまうこともある。例えば、独立といった出来事によって。結婚しないと誓ったファリンティル兵士が、今ではたくさん結婚しているからだ。

母親として

 ビソイには子どもが一人いる。父親はファリンティル司令官だが、すでに最初の妻のもとへ戻っている。女性ゲリラは、通常、生まれた赤ちゃんを村の修道院の庭におきざりにすることが多かった。もし死んだら、それは不運ということだ。もし生き延びて朝シスターに見つけられたら、孤児院で育てられる。ビソイの娘もそうだった。ルカスという名前の子は、アメリカ人のシスターに預けられ、西ティモールで育てられた。昨年、娘とは再会したが、それまでたった2度しか会ったことはなかった。
 ビソイは妊娠中、撃たれたことがある。弾丸はまだ生まれぬ娘の左手首に滞留した。奇跡的に、子どもは生まれ、ルカスの手にはまだ弾丸が残る。ビソイ自身、体に8個の弾丸を残したままだ。もうすぐ4個を摘出することになっている。残りは、かなり難しいところにあるので、ダーウィンで手術しないとだめなのだそうだ。

1999年以降のファリンティル

 1999年以降のファリンティルは困難をかかえた。森にいたあいだは、地下組織が支援してくれた。しかし1999年の破壊の後、そうした支援もなくなった。彼らはそれにいたく依存していたのだが。「NGOならいざしらず、ファリンティル、とくに女性は、外からの資金援助をえることができない」と彼女は言う。彼女は時々、市場へ行って、作物を売って現金を稼いだ。

和解と分裂の危険性

 ビソイは、独立とともに発生した亀裂を残念に思っている。「今こそ、人びとは団結すべきなのに。私たちをまとめていたものが消えてしまった。人びとはもう一緒には働いていない」と。
 男性と同様、女性のあいだでも和解は重要だと彼女は言う。「教育を受けていない女性はあまり難しいことはわからない。でも和解が何かはわかる。教育を受けているからって、それで人はより団結するわけじゃない。昨年、女性会議をやった。でもそこで出てきたことを実践していない。そしてすでに分裂が始まっている。どの女性も自分の利益を保持しようとしているみたいに」と言う。
 ビソイによれば、政府が女性の権利についてすみやかな対応をとらなければ、女性はかってに動き出すだろう。軍同士の戦争は終わった。でも市民同士の戦争はまだ終わっていないのかもしれない。「女性が女性を殺し、男性が男性を殺し、女性が男性に対して戦うことだってありうる」と彼女は言う。
 独立式典の日の女性大会では、ファリンティルの女性兵士に白いTシャツが与えられた。ビソイは、「女性兵士は赤いシャツが欲しかった。もし必要ならこれからも戦うっていう気概を表すために」と言う。
 ビソイは、女性たちが戦略をたて、アジェンダを設定することが重要だと言う。問題は、どうやってこれをやり、誰がリードをとり、果たして他の女性たちがそれを受け入れて前進できるかどうかだ。★(訳:松野)


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