ティモールの迷子になった少年たち
英字週刊誌『タイム』、2002年12月23日号の記事から
Timor's Lost Boys, TIME, December 23, 2002


 12月、有名な英語の週刊誌『タイム』が、インドネシアに拘束されている東ティモールの子どもたちについての記事を3ページにわたって掲載した。以下は、その要約だ。


 ハサン・バスリという東ティモール人イスラム教徒は、西ジャワのスメダンというところに、「レモライ財団」というイスラム教の寄宿舎をつくって、東ティモール人の子どもたちをイスラム教徒として拘束している。もともとは、ロベルト・フレイタスという名前で、現在39才。カトリックとして洗礼を受けたが、イスラム教に改宗した。
 ハサンは、子どもたちを養育するいって、各地で資金援助を申し込んでいる。子どもたちの居場所確認作業をしてきたインドネシアの団体「リアンタラ」のソニ・コドリ氏は、彼は子どもたちを利用して寄付金集めをしていると語る。
 彼は、国連難民高等弁務官事務所のことを「うそつき」とののしり、「うそつきにはここの子どもは一人たりとも渡さない」と意気をまく。国連がもってくる親からの子どもを返してほしいという要請書も、ねつ造だと言ってはばからない。
 ハッサン・バスリのところには、20人ぐらいの東ティモール人の子どもがいる。ハサンがいるところでは、取材してもあまり話してくれない。
 ある痩せた9才の少年は、「ぼくは親からジョニーと名づけられた、しかしそれはぼくがまだ異教徒だったときだ。今はズルハキムと言い、イスラム教徒なんだ」と言った。そしてあたりを見回して、「時々、誰も見ていないとき、お母さんが恋しくて夜泣いたりする。お母さんは死んだって、彼らは言っている」と言った。
 15才になるザカリアという少年は、ハサンから両親は死んだと聞かされてきた。しかし、自分はまだ親が生きていると思う、東ティモールに帰りたいと語った。そして、東ティモールに手紙をもっていってもらいたいと彼がいったのをハサンは聞きつけて、「異教徒に手紙など出して何になる!」と怒鳴った。
 1999年、ハサンは661人の難民を東ティモールから出すのを「手伝った」と言う。その3分の2は子どもだった。「自分には自分の(配下の)人間をイスラム教に改宗させる権利がある。東ティモールをカトリックにしたやつがいるんだから、当然だろ」と言う。
 国連難民高等弁務官事務所は、現在、ハサンの元から子どもを返してほしいという親の要請を33ケース扱っている。中にはスマトラ、スラウェシなどにいる子どももいるらしい。国連は、インドネシア政府にそれを要請して、それでおしまい。あとはインドネシア政府次第なのだ。そして、インドネシア外務省の担当者、イ・グスティ・ウェサカ・プジャは「われわれには、こうした子どもたちより、他に優先事項がある」と言ってはばからない。それに親をスメダンまで連れてくるのに500ドルかかるから、資金難のインドネシア政府としてはこれも障害だ。
 とはいえ、2ヶ月前、ザカリアの両親が、インドネシアの政府役人と国連スタッフに付き添われてハサンの元を訪れた。ザカリアの親は生きていたのだ。ハサンは抵抗しなかった。ザカリアは親と一緒になれた。
 ハサンの父親は、東ティモールのリアシディという村にまだ生きている。父は、「ロベルトに伝えてくれ。おれは死ぬ前にもう一度おまえを見たいって。ただ家に帰ってほしいだけだよ」と言った。★ (要約:松野)


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