<書評(1)>

松野明久著
『東ティモール独立史』
早稲田大学出版部
(アジア太平洋研究選書3)
2002年12月発行
295頁、3200円(税別)

評者:河原田眞弓(大阪東ティモール協会)


少しとっつきにくそうな、どちらかというと教科書風の体裁の分厚い本である。しかし、読み進むにつれてぐいぐいひき込まれていった。単に整然と歴史だけを扱うのではなく、端々に様々な人間の生き方がちりばめられている。
 なるほど、著者の意図せんとするところは全て冒頭の「はじめに」に記してある。
 「東ティモール人の抵抗の歴史は、この地球社会における正義と民主主義のあり方を問うものであった。」「アイデンティティとはなにか。人が自由を渇望するとはどういうことか。それに対して国際社会というものはいかに利害によって動き、小さな民族の権利など踏みにじってしまおうとするものなのか。」「−中略― 理不尽な世界にあって、原則と正義を求める人々はどのように動くのか、動けるのか、あるいは動けなかったのか。」「東ティモールの独立にいたる歴史を学ぶことの意味は、極限的な状況におかれた人々の生き方のひとつひとつが、人間と人間社会のありようについてわれわれに投げかける、こうした普遍的な問いについて考えることにある。」

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 東ティモールの歴史は、大国に翻弄される民衆の歴史でもある。1700年代初頭、ポルトガルが首都ディリに総督府を置いて以来、日本→ポルトガル→インドネシアと支配者は二転三転したが、結局五世紀にも及ぶ外国支配の下、民衆はいわれのない差別と迫害、搾取に脅かされ続けてきた。特に1975年のインドネシア侵攻以降、民衆の未来は支配したインドネシアのみならず、明らかに大国間の利益優先主義によって左右されてきた。歴史を振りかえるとき、幾度となく国際社会から東ティモールに支援の手を差し伸べる機会があったにもかかわらず、見てみぬふりをしたどころか、インドネシアに加担をしてきたという事実は読むものの上に重くのしかかる。

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 無力な国際社会に世論を呼び起こし、厳しい状況を変革する源となったのは、東ティモールの人々の粘り強さと勇気、不屈の精神、それに思想信条や国境を越えた連帯の輪である。
 独立に至るまでの過程において、東ティモールの人々は幾度となく分裂と協同を繰り返してきた。中でも、1998年4月に宣言されたレジスタンスの大同団結は記憶に新しい。かつて敵対した政党のリーダーであった人、統合派でインドネシア政府側の権力者として働いた人等が怨讐を越えて共に闘うことを決意したのだ。そして大同団結の産物であるCNRTは、独立に向けたうねりを一気に加速させた。以降1999年8月の住民投票、そして、その直後に始まったインドネシア軍と民兵による焦土作戦、その後の緊急援助期間に至るまで感動的な挙国一致体制が続いた。
 しかし、その大同団結も国連暫定行政時代に入るや否やあっけなく解体し、諸勢力の競争がとって代わった。

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 本書では現在の東ティモールの政治構図、及び独立に至るまでの背景について詳細に記している。著者は、それはレジスタンス時代の政治闘争の延長戦上にあると考え、レジスタンスの闘士たちの過去を掘り下げて紹介するのである。
 現在東ティモールで政権の座に就く人々の若き日のこころざしとその変化、彼らの時を越えた政治闘争が浮き彫りにされている。
 同時に、本来なら一介の市井人として平凡に一生を終えたであろう人々の人生が激変していく過程の数々をも垣間見ることができる。
 特に、地下組織の新世代リーダーたちは、幼い頃からすでに過酷な状況下にあり、先輩のレジスタンス闘士たちの招きに応じ、地下組織のメンバーとなっていく。日本の同世代の青年たちが自分のこれからの人生についてぼんやり思い巡らしているとき、既に地下組織のリーダーとなった彼らは多様で柔軟、かつ強固なレジスタンス網を構築している。戦争さえなかったら彼らは全く違った人生を送っていたにちがいない。
 レジスタンスの闘士たちを駆り立てたものは「お国のため」ではない。幾度となく引用されているベロ司教の言葉からも推察できる。ポルトガル支配時代、ポルトガル人の横暴さを見るにつけ、心を痛め、心の中で泣いた彼だが、どうすることもできなかった。しかし、教皇行政官となって東ティモールに戻って僅か3ヵ月後には、インドネシア軍の行為を非難し始めた。軍の残虐行為によって住民が、東ティモール全体が死に瀕していることは誰の目から見ても明白であったからである。そして、一旦は自分の利益のためにインドネシア側についた人たちまでもがインドネシアに反旗を翻した。誰もが見てみぬふりをし続けていられないほど軍のやりかたは残虐極まりないものだったのだ。

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 本書を読み終えて脳裏に浮かぶのは、いつの時代も変わらない大国の横柄さと、立場が変わって「権力」を掌握するとすぐに自己の利益を追求しはじめる人間の哀しい性(さが)である。が同時に、究極の極限状態に置かれたとき、人間は恐れを乗り越え、再び未来に向けての行動を起せる可能性をも備え持っていることも再確認した。世界の各地で現在も続いている紛争の構図も、基本的には東ティモールと何ら変わりはない。問題は「経験から我々人間は何を学ぶか」であろう。東ティモールに関心のある人のみならず、広く人間社会のありように関心を持つ人々にも目を通していただきたい一冊である。★


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