季刊・東ティモール 1号(October 2000)

発展のための公用語か「公用語の発展」か
Lian Ofisial ba Desenvolvimentu ka' Desenvolve Lian Ofisial?

アデリト・デ・ジェスス・ソアレス
Aderito de Jesus Soares



 CNRTはポルトガル語を公用語、テトゥン語を国語とする政策をすでにかため、近々組織内部にテトゥン語研究センターを設置して、テトゥン語の発展のために努力する姿勢を見せている。しかしポルトガル語を公用語とすることに対する反発は、とくに若者を中心にかなり強い。
 アデリト・デ・ジェスス・ソアレス氏はNGO「サヘ解放研究所」のコーディネーターで、人権団体ヤヤサン・ハックの弁護士をつとめる若手世代の代表的論者。この論文は、2000年5月11-12日、ナロマン財団及び東ティモール人学生会(IMPETTU)主催「東ティモールの公用語」セミナーに提出したもので、原文はテトゥン語。

はじめに

 与えられたテーマを論じる前に、ことばについての私の体験をひとつお話ししたいと思います。ある時、あるCNRTの指導者とことばについて議論する機会がありました。彼はポルトガル語を公用語に採用すべきだと言いました。私は彼に、それは結構だが、統治制度には司法という重要な部門があって、もしポルトガル語を公用語として義務づけるのであれば、5年から10年の間、司法制度を停止させたのちに始めるのがいいと言いました。その間政府は、裁判官、検察官、弁護士らをポルトガルに送ってポルトガル語を勉強させる時間がかせげます。彼らがポルトガルから帰ったときにはじめてポルトガル語を使って司法制度を動かすことができるでしょうと。私のこの返答を聞いて、そのCNRTの指導者は「この決定は大変むずかしい」と言いました。公用語論争についてもうひとつ述べたい経験があります。私が人権について話をしていたとき、ある老人がこう言いました。インドネシア軍がまだ弾圧をしている中ですら人々は住民投票によって東ティモールの未来を決めることができたんだ、今度はその国語だか公用語だかについてなぜ人々が決めることができないのかねと。
 これらの経験から、私は、東ティモールの国語なり公用語については、政治的指導者たちだけで決められるものではないということをまず述べたいと思います。

言語と発展

 この題目については、2つの問題があります。ひとつは発展(あるいは発展の権利)をどう定義するかということであり、もうひとつは発展と公用語がどういう関係があるかということです。まず最初に発展について正しく定義しなければなりません。この発展ということばはイデオロギーを背景にした用語であり、アメリカ合衆国が第三世界諸国にひろがっていた社会主義に対抗するために提示したということを知っておく必要があります。私はこのことについてここで議論を展開するつもりはありません。しかし少なくとも、この発展という用語が登場した背景を理解しておくことは必要です。
 今日、住民投票に勝利した東ティモールは復興と発展(開発)について多くの議論を行っています。国連開発計画(UNDP)、世界銀行、国際通貨基金(IMF)といった国際機関は発展(開発)についての議論に大いに利害があります。同様に、東ティモール人もNGOを立ち上げて発展(開発)分野で多くの仕事をしています。私は今こそ、発展(の権利)についてしっかりと定義する必要があると考えます。そうしてこそ、第2の問題、発展と公用語の問題を論じることができるからです。
 国連の公式の定義によれば、「発展の権利は奪うことのできない人権であり、それによってあらゆる人と人民が、すべての人権と基本的自由とが完全に実現されうるような経済的、社会的、文化的、政治的発展に参加し、それを享受することのできる権利」とされます。(第41回国連総会決議128号、1986年12月4日)
 定義は十分明確です。つまり発展について語るとき、それは経済、政治、文化といったすべての側面について語ることに他ならないのです。ここに私たちは(公用)言語と発展についての関係について多少指針を見いだすことができるでしょう。つまり、発展を実現することにおいて「別な良き」言語を探そうとすること自体が正しくないと私は言いたいのです。そうではなくて、どのようにしたらその国民の言語状況を反映したひとつの言語を発展させられるのかと考えるべきなのです。(文化について議論するときにもこれは重要な問題です。)

文化的侵略

 多くの国の事例が示しているように、侵略者というのは一旦侵略したら、必ずその侵略した先の民族にいくつかの影響を植え付けようとします。ギニア・ビサウ、モザンビーク、カボ・ベルデといった旧ポルトガル植民地の国民にそれを見ることができます。これらの旧ポルトガル植民地は、バイリンガル(二言語併用)政策をとっているカボ・ベルデを除いて、現在ポルトガル語を公用語としています。
 どうしてこうなったのでしょうか。ブラジルの高名な学者、パウロ・フレイレはこうした事態を文化的侵略と呼んでいます。フレイレによれば、侵略者というのは彼らの支配する民族、人民に彼ら侵略者の文化を継承することを強いるということです。つまり、侵略者の言語を公用語としてか国語としてか、使おうとするのです。
 それでは侵略者はいかにして、彼らの植民地主義から脱したはずの民族に言語を強いることができるのでしょうか。それは、その新しい国民の本来の言語は「科学的水準」を満たさない(文法がないなど)ため公用語にはできないという見方をすることによってです。一方、ポルトガル語のような侵略者の言語が「科学的水準」を満たしているということで公用語たりうるというわけです。ギニア・ビサウが独立を達成して間もないころ、言語は大きな問題でした。ある時、パウロ・フレイレはギニア・ビサウの大統領、ルイス・カブラルに手紙を書き、「大統領閣下、私はなぜあなたはポルトガル語を長くしゃべっていると頭が痛くなるか知っています。あなたがしゃべっているときに脳裏にえがく概念が、実はポルトガル語のものとはちがうということを自己主張しているのです」と語っています。この時、フレイレは、ルイス・カブラル大統領もポルトガル語ではなく彼らの言語をしゃべりたいのだけれども、国民統一の大儀のためとしてポルトガル語を公用語として採用していることを指摘したかったのです。フレイレはまた、PAIGCの指導者アミルカル・カブラルが「ポルトガルがギニア・ビサウにいて良かったことはポルトガル語だけだ」と言ったとき、これも批判しました。ただアミルカル・カブラルがこう言った文脈は、部族間の競争が起きていて、統一を強化するためにポルトガル語を採用する期間が必要だったということがあります(ギニア・ビサウには合わせて30の方言または部族言語がありました)。しかし、ギニア・ビサウが現在までポルトガル語を公用語として使い続ける理由は何なのでしょうか。フレイレの観察によれば、その時侵略者であったポルトガルはギニア・ビサウで多くの人に使われていたクレオール語は学術用語も不足しているし、文法構造もないと見ていました。そしてギニア・ビサウが独立を達成しようとしていたころのギニア・ビサウの指導者やエリート集団も、おおむね外国人たるポルトガル人が考えるように考えていたと述べています。まさにその考えによって、クレオール語を使う民族は劣った民族だというように考えたのです。
 東ティモールではどうでしょうか。公用語、国語になろうと方言が競っているという状況でしょうか。現在までそういう話は聞いたことがありません。むしろ、東ティモール人の多数が話すリンガ・フランカとしてテトゥン語というものがあるというのは幸運といってもいいのではないでしょうか。
 東ティモールでは、とりわけ政治的指導者たちの中には、テトゥン語は学術用語が不足しているから公用語にはなれないと論じる人々がいます。それは正しいのでしょうか。問題はそれが正しいかどうかではありません。ここで言語の発展というテーマに戻ることにしましょう。発展の定義にしたがうならば、今こそ、私たちはテトゥン語を東ティモールの公用語、国語として発展させなければなりません。テトゥン語を発展させる過程において、ポルトガル語、インドネシア語、英語といったほかの言語から(文化も含めた)影響を受け入れなければなりません。ほかの言語の影響を閉ざしてはいけません。アミルカル・カブラルも言っています。「人民の革命文化というものは非常にダイナミックなものであり、たとえそれが侵略者の文化であっても、その積極的な(ポジティブな)影響にみずからを開くものだ。」つまり、東ティモールを発展させるために公用語をどこかから見つけてくるというのではなくて、テトゥン語をこそ前へ発展させていくべきだと私は思うのです。

(独立への)移行過程ではどうか

 暫定行政下では法律文書は4つの言語、テトゥン語、英語、インドネシア語、ポルトガル語で書かれます。私たちは4言語で文書を出すことができているという事実に、驚かされます。そして、それにもかかわらず、私たちの指導者たちが以前としてテトゥン語は学術用語も文法もない貧困な言語だと言っていることに、驚かずにはいられません。今のように困難な時代にあってなお法律文書をテトゥン語を含む4言語で出すことができているのに、これだってたったひとつの例にすぎないのですが、どうしてテトゥン語を発展させそれを公用語にしようと考えないのでしょうか。
 私たちの指導者がときとしてこのような議論を持ち出してくるのは、東ティモールの今まさにおきている現実をよく考察していないからではないでしょうか。ポルトガル語を公用語にするとして、いったいどれくらいの人がポルトガル語を話せるというのでしょうか。
 ポルトガル語を無理矢理公用語にすれば、将来、この東ティモールにはごく一握りのエリート集団が生まれるでしょう。彼らだけが国の意思決定に加わることができ、経済的なエリートにもなっていくでしょう。ポルトガル語のできる人は多くはないからです。こうした事態はすでに起き始めています。例えば、仕事につこうと思ったら、英語がポルトガル語ができないといけません。りっぱな考えをもった人、専門知識のある人はたくさんいても、英語やポルトガル語ができないため、白人と一緒に仕事をすることができないのです。

最後に

 今や、私たちは、テトゥン語で非常に多くの文書ができるということを知っています。私は移行期においてはちょっと柔軟にやったらよいと考えます。英語、テトゥン語、ポルトガル語、インドネシア語の4言語を使うのです。現在の暫定行政も将来の独立した東ティモールの政府も、4言語で公文書を出すことを義務づけるのです。一方、テトゥン語を東ティモールの公用語として、国語として発展させることを義務とします。こうしてはじめて、正義ある社会を構築することができるでしょう。馬の手綱を引くエリート集団を出現させるのではなくて、東ティモール人全体が馬の手綱を引くようにするのです。


文献

Freire, Paulo & Macedo, Donaldo, Literacy, Reading and the World, Bergin and Garvey, Westport, Coneticut, London, 1987.
Freire, Paulo, Pedagogy of the Oppressed, New Revised 20th Anniversary Edition, Continuum, New York, 1999.
Searle, Chris, Words Unchained: Language and Revolution in Grenada, Zed Books, London, 1984.

(訳:松野明久)


|第1号の表紙|

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