東ティモールニュース

1999年5月前半


5月10日
Fortilos
9日のディリの情勢

 ディリからの通報によると、9日(日)ディリでは武装集団が町を巡回して発砲している。
 7台の武装民兵を乗せたトラックに1台のインドネシア軍兵士を乗せた日野のトラック、1台の警察部隊を乗せたパトロールカーがディリを巡回している。彼らはファリンティル(東ティモール民族解放軍)とフレテリンの旗をひらめかせ、「ビバ・東ティモール、ビバ・シャナナ」などと叫んでいる。しかし彼らは頭に巻いた紅白のはちまきとりわすれ、しかもインドネシア軍と警察の帆走を受けている。
 11時30分、サンタクルス、マスカレーニャス地区を走っていたとき、その奇妙な光景をながめていた道ばたの住民に向かって彼らはいきなり発砲した。

5月10日
Yayasan HAK
武装集団、再び活発化

 国連の準備チームの存在も気にせず、インドネシア派武装集団は日曜日に活動を再開し、1人が射殺、1人が銃弾により重傷、3人が刺されて負傷した。
 ことの発端は旧市場の背後にある賭博場で賭博にふけっていた武装民兵の間のもめごとだった。騒ぎに気づいた警官がやってきたが、その警官が空中に銃を数発発射した。それで市場にいた人たちは逃げ始めた。
 そこに突然、2人のアジア系ジャーナリストがやってきた。武装民兵は彼らが好きではなかったので、彼らを追いかけ回し殴ろうとした。2人は東の方角、10月15日通り(ベコラの方角)へと逃げた。
 Puti Bungsuという名前のレストランに二人は逃げて、一人はその場にいた人々によって保護されたが、もう一人は武装民兵につかまって殴られた。
 警官はそのあとを追ってきていたが、人々が1人のジャーナリストを保護したのを見ると、人々の方に向かって発砲した。それは人には当たらなかったが、おどろいた住民がレストランに集まってくると、警官はまた人々に向かって発砲した。それがたまたまそこに立っていたジョゼ・アグスト・ピント(32)に当たった。彼はヤヤサン・ハックのスタッフ、オクタビアナの夫で左手と腹部に負傷した。すぐにモタエル・クリニックに運ばれた。
 私自身は最初の発砲をきいてすぐに現場にかけつけようとした。しかし市場と10月 15日通りは警察が封鎖しており、電話局の前のロータリー付近に立って様子をながめていた。警察と民兵たちは親しそうにおしゃべりしていた。 記者たちがのった車が到着すると、民兵たちは彼らを追い払った。
 「おい、サム(現地の記者の名前)、外国の記者なんか連れてくるなよ。おまえたちはみんな出ていて。おまえたちは問題ばかりおこす」 そう民兵の一人がいった。そして記者たちもその場を立ち去った。
 その後私はPuti Bungsuレストランに行った。そこでは人々が石で道にバリケードを築いており、車のタイヤを燃やす者もいた。
 昨夜はまだアウディアン通り(レストランのある通り)は住民が封鎖していた。一方、今朝(10日)、マヌエル・カラスカラォン宅のとなりのトロピカルという彼らの拠点の建物に、民兵たちが集結している。おそらくアウディアン通りを封鎖している住民たちを攻撃する準備なのか。

ゼ・ルイス

5月10日
Dr. Vacy Vlazna
リキサの人道的危機

 私は昨日ディリを発った。リキサではかなりひどい規模の人道的危機が発生している。状況は危機的だ。
 数千人の難民がいて、彼らは数週間食べ物もなく、巨大なキャンプに囲い込まれている。まったく誇張なしに、コソボ、ボスニア、ナチの収容所と同じだと言える。人々は恣意的に連行されていると聞いた。
 その地域には人道的援助は許されていない。
 カリタスは昨日から事務所を閉めている。昨日4人の民兵がやってきてスタッフを脅迫したのだ。そこには緊急用食糧が保存してあるのだが。
 ケアー(CARE)は閉鎖しており、赤十字国際委員会ははっきりしない。つまり、実際のところ、活動しているNGOはないようだ。
 外国人医師のKevin Baker, Dan Murphyと2人のフランス人医師はその地域へ行こうと許可を求めている。何の衛生設備もなく、食糧も少ない。
 スアイ、エルメラ、ボボナロへの道は少なくとも2週間すでに封鎖されている。

5月10日
AFP, Dili
誰に文句をいえばいいのか

 カリタス事務所長のバレト神父は、「誰に文句を言えばいのか」と疑問をなげかけた。
 彼はモタエル教会にいたが、そこには死んだ男性が横たわっていた。背中と胸に銃弾をうけ、頭は刀で斬られ割れていた。
 サンタクルス地区から泣き叫ぶ男性が救急車で運び込まれてきた。
 「私たちは国連に訴えます。国連は、われわれはインドネシア人を信じていると言うのです。オーストラリア政府も同じです。ダウナー外相に私は同じ事を訴えました。彼もまた、われわれはインドネシア人を信じていると言いました。私は政治家ではなく神父です。しかし私の言っていることは現実なのです」
 そして東ティモール大学の近くで発砲があったときのことを思い出しながら、「彼らの背後に兵士がいました。敵を守るという人間を信用できますか?」と聞いた。
 夕暮れにはまだならないというのに、カリタスのアルベス神父は自宅からパニックの電話を受け取った。彼の家には妹と彼女の家族がいた。
 アルベス神父は妹から、彼女の夫を民兵たちがさがしていて夕方になるまでに帰ってこなければ家族全員を殺すと脅していると告げられた。 救援にかけつける国連の文民警察はいない。

5月10日
ABC Online
記者たち、追いかけられる

 市場で独立支持派のJose Augusto El-Pinto (31)が撃たれたことに抗議した独立派の住民が市場に向かっていたところ、インドネシア警察が空中に発砲した。
 ABCのカメラマンはその現場からピストルをふりかざす民兵に追いかけられた。また3人のオーストラリア人記者も大きな石をなげナイフを突き出す男たちによって追いかけられた。
 これとは別な出来事で、7人の記者たち(5人ポルトガル人、1人カナダ人、1人フランス人)が警察で保護のため留置されている。

5月10日
TAPOL
デレック・ファチェット急死

 シャナナに3回も面会するなど、この間イギリス外務省から東ティモール問題担当として派遣されることの多かった、デレック・ファチェット次官が急死した。

5月10日
The Age
豪大使、投票破綻の陰謀の証拠を知っている

 ジョン・マッカーシー駐インドネシア豪大使は、8月8日の投票を破綻に追い込むという陰謀がある証拠を見たと語った。
 インドネシア軍が投票で八百長をし、住民に圧力をかけてインドネシアとの統合を選ばせるようしむけるというのを信じるかと聞かれて、「私はその種の結論にいたるであろう証拠を見た」というのが彼の言い方だ。 大使は国連が投票を監視するアレンジが重要だと述べた。
 「インドネシアと国際社会がこのプロセスの重要性を理解することが重要だ。私はできると思うが、たいへんな事業になるだろう」

 5月11日
いろんな情報源

 ニューヨークでの合意にもかかわらず、東ティモール現地では相変わらず統合派武装組織が好き勝手なことをやっているという現状にかんがみて、世界各国の支援者の間では、現地にコンスタントに代表団を派遣する必要がさけばれている。ジョゼ・ラモス・ホルタは単に著名な人たちによる訪問だけでなくNGOが途切れることなく現地を訪ねていることが重要だと力説している。

5月10日
ロイター、マニラ
フィリピン、監視団を派遣

 フィリピンのシアソン外相は、東ティモールでの投票に動員される国際的派遣団に参加することを10日(月)発表した。まだ参加の規模、様式などは決まっていない。 一方、ナムフレル(自由選挙のための国民委員会)は、インドネシアの総選挙には 00人のオブザーバーを派遣することを決めている。

5月10日
ロイター、リスボン
ホルタ、シャナナ釈放を条件に投票ボイコット

 10日(月)ポルトガル各紙は、ジョゼ・ラモス・ホルタがシャナナが釈放されなければ抵抗派は投票をボイコットすると発言したと報じた。ホルタはシャナナの釈放をまず条件としないでインドネシア側と協定に調印したことでポルトガル政府を非難した。

5月11日
Sydney Morning Herald, Dili
インドネシア軍は武装組織に喝采

 9台の車と5台のトラックに乗った数百人の武装民兵が、昨日、5時間ディリ市内を恐怖におとしいれたのち、夕方、歓喜に手を振りながら、空中に発砲しながら、ディリを去っていった。
 これらの暴虐をまったく制止しなかったインドネシアの警察と軍は、それがリキサの基地に戻っていくときに彼らの前を通ると、喝采を送り、手を振った。 昨日、東ティモール大学の外で彼らは発砲し、6人を負傷させた。またサンタクルス墓地の近くの独立派の拠点となっているところも攻撃されたとの証言がある。
 ディリの中央市場では一人が射殺され、教会のクリニックに運び込まれた。
 武装民兵の中にはM16銃をもっているものもいる。彼らがディリ市内で暴れ回ったそのとき、オーストラリアのインドネシア大使マッカーシー氏はインドネシアの役人、援助職員、身を隠している独立派指導者と会談していた。
 2日間の暴力について意見を聞かれたマッカーサー大使は「われわれの見解はすでにここの当局には伝えてある。どうやったら暴力を減らすことができるか議論する必要がある。抗議し続けることが必ずしも解決策ではない」と答えた。
 武装集団のリーダー、エウリコ・グテレスは、彼の部隊が一人を死なせ4人を負傷させたディリの暴力騒ぎの原因だということを認めた。彼の民兵100人とインドネシア軍兵士に囲まれた、彼は昨日の暴力は独立派がディリ郊外の彼の部隊のポストを襲撃したことのお返しだと語った。

5月10日
Lusa, Jakarta
住民が警察に避難

 ヤヤサン・ハックからの連絡によると、主に女性と子どもを中心とした数百人の住民がアウディアン地区の警察の兵舎に保護をもとめて避難した。
 警察はレアンドロ・イザークなど70人の独立派指導者を自宅に移送する計画でいたが、それを中止した。

5月10日
Lusa, Jakarta
バウカウ空港がロジスティックスセンターに

 国連の事前調査団はバウカウ空港を調査した。ディリから130km離れているが、大型機の着陸が可能だからだ。ただ照明装置にやや問題があるという。
 一方、国連の最初の文民警察、インドのOm Prakash Rathor氏が8日(土)にディリに到着した。1週間滞在して治安関連の必要性について調査する。
 ラトル氏によれば、文民警察部隊は250-270人で、6月の第1週にも到着する予定だ。9カ国からの参加が見込まれている。

5月10日
Lusa, Canberra
ダウナー外相、武装解除を要求

 ダウナー豪外相は「(反独立派の)武装集団と独立支持者の武装解除をインドネシア軍が監督することが絶対的に必要だ」と語り、インドネシア政府に訴えた。またディリでのごく最近の暴力的事件については責任者が「責任をとらされる」ことが必要だと語った。

5月10日
ヤヤサン・ハック
10日のディリ情勢

 今朝5時頃から、アイタラクのメンバーたちがディリ市内各所の彼らのポストに集まり始め、7時頃、リキサから紅白鉄隊を乗せた乗り物が到着して軍(kodim)司令部と州庁舎の近くに集合した。そして通る車や歩行者の検問を始めた。
 おそらく昨日(9日)の事件と関係があるだろう。ある情報源によれば、昨夜、エウリコ・グテレスがリキサに電話して紅白鉄隊の援助を要請したそうだ。
 また今回の彼らの行動は、国連文民警察の到着と関係があるかも知れない。コモロ空港には朝から若干の民兵たちが集まっていた。
 奇妙なことに9時半頃、ファリンティルの旗をかざしそういう服を着た民兵の一団がバウカウ空港へ向かった。おそらく国連警察に発砲したりして、ファリンティルの仕業に見せかけようということだったのではないか。
 8時-9時頃、ディリ中心部を民兵たちはスピードを出して運転して回った。彼らが使っている車は住民や公務員から奪ったものだ。SKS, M16, AKといった銃の他に、伝統的な刀、槍などをもっている。
 11時頃、何カ所かで発砲音が聞こえた。サンタクルス部落のキンタル・ボートでは 20人以上が撃たれたと報告されている。彼らの身元は全員はわかっていないが、そのうち3人が死亡した。死亡したのは以下の通り。

 Abeto
 Ze Maria
 
名前がわからない青年

 遺体はひとつはモタエル・クリニックへ、あとの2つはウィラフサダ陸軍病院へもっていかれた。
 またモタエル・クリニックで治療を受けている負傷者は以下の通り。

 Amano Coco 腹部に銃弾を受けた。
 Lucio Alves
 Francisco de Jesus Amado 元ベモリ村長

 また武装集団に拘束された者は以下の通り。

 Cesaltina
 Zelia
 Olandina Maria Caetano
 Elda Maria Caetano
 Lita
 Julia
 Afonso
 Maria Julia

 キンタル・ボート地区では何軒かが武装集団によって放火された。その中にはヤヤサン・ハックのスタッフであるオクタビーニャの家もあった。彼女の夫は昨日の発砲騒ぎで負傷した人だ。武装集団は放火の他にも住民の持ち物を略奪した。
 家を壊されたりなどした住民は、とくに女性と老人たちは、ディリの警察署に荷物をもって行っている。どうしてそこに行っているのかはわからない。
 旧市場では4人が撃たれたと報告されている。名前などはまだわからない。
 サンタクルス部落のアウディアン地区では、2人が撃たれた。家が1軒焼かれた。
 中央バイロ部落では、武装集団が民家に入ってきたため、怖くなった住民がバイクを奪われるがままにした。
 ベコラでは、女性が1人撃たれたと報告されている。
 インドネシア軍は何もしないばかりか、機動隊は武装集団と一緒になって住民に向かって発砲した。SGI(合同諜報本部)の諜報部員たちはトランシーバーをもって行ったり来たりしながら武装集団に情報を提供していた。

5月10日
MateBEAN(東ティモールからのニュース)
ビケケで武装集団が4人を殺害

 ビケケ県から、統合派民兵のBebui Junior (59)が4人の民間人を殺害したとの報告が入った。ビケケのわれわれの情報源によると、殺された4人は武装しておらず、独立運動には関与していないふつうの住民だったということだ。
 同じ情報源によると、この2週間あまり、武装集団は身分証明書のチェックを毎夜やっている。独立派運動家をさがして家々を調べて回っている。
 殺された4人はビケケの町で独立派ということで殺された。すでに家族によって埋葬されている。
 また武装集団は、ビケケの県議会議員、ヘンリケ・ピントとビケケ県農業事務所所長のジョゼ・エンドリケの二人を虐待したということだ。

5月10日
AP, United Nations
国連:民兵は武器を6月初めまでに置かなければならない

 国連政治局アジア太平洋課のフラセスク・ベンドレル課長は、記者会見で、事務総長が安保理に出す最初の状況評価報告は6月半ばになり、6月の第3週に登録が始められるかどうかが決定される、と語った。
 「登録が始まるためには、最低の治安条件がなければならず、いろいろな政治グループが意見を表明でき、有権者が登録所に自由に行け、登録できることが最低限できなければならない」
 しかし、もし状況が変われば、その後でもプロセスを中断せざるをえなくなることもある、と彼は警告した。
 事務総長が覚書で武装解除を求めたことについて、ベンドレル課長は、「期限があるわけではないが、遅くとも7月にはできていなければならない」と語った。
 ベンドレル課長によると、国連派遣チームは6月半ばにはすべて現地に入り、400人が登録・投票関連スタッフとなる。それは投票所1カ所につき2人ということで、これに15-18人の政治・民生アドバイザーとロジスティックス・スタッフがつくことになるという。

5月11日
The Australian
ブレレトン議員、ビザを拒否される

 インドネシア政府はオーストラリア労働党議員で東ティモール問題についてさかんに政府批判を展開しているブレレトン議員の入国を拒否すると伝えてきた。ブレレトン議員の見解はバイアスがかかり国連の和平プランを混乱させる可能性がある、という理由だ。

5月10日
Press Release, HR/99/42
国連人権高等弁務官特使、東ティモールへ

 メアリー・ロビンソン人権高等弁務官は彼女の個人的な特使として、インドの検事総長でかつてのナイジェリアに関する特別報告者、ソリ・ソラブジー氏(Mr. Soli Sorabjee)を東ティモールに派遣すると発表した。
 派遣は暫定的ながら、5月14-24日と決定され、現地で政府高官、NGO、個人と面会する予定だ。
 ソラブジー氏は人権小委員会の委員でもある。

5月11日
インターネット情報
ニュージーランド議員が書簡

 本日、フィル・ゴフ議員のイニシャティブで、120人の議会で100人以上が署名した手紙が、インドネシアの大使に渡された。手紙は武装集団の武装解除、彼らによる殺害の調査、国連オブザーバーのすみやかな招聘、インドネシア軍の段階的撤退などを求めている。

5月11日
The Irish Times, 11 May 1999
EU、シャナナの釈放を求める

 10日(月)EU議長国のドイツは、国連交渉の合意を歓迎しつつも、シャナナの即時釈放を求める声明を発表した。

5月11日
AFP, Dili
数百人が攻撃を逃れて逃避

 ディリの住民によると、この2日間の統合派武装集団の襲撃で6人が死亡したとのことだ。みな独立支持者らしい。
 地元警察の広報担当ヘリ氏によれば、日曜日に1人、月曜日に3人が死亡したとのことで、合計4人という。
 シラエン警察署長のスタッフによれば、ヘラ地区から104人の住民が警察に保護を求めてやってきている。
 キンタル・ボート地区(ディリ郊外)の住民は、統合派武装集団の新たな攻撃の噂があって月曜日の夜にはみな人がいなくなったと言っている。
 「キンタル・ボートは誰もいなくなった」
 と、赤十字国際委員会の事務所前で保護をもとめて列を作っている女性が言った。
 ディリ港では、スラバヤへ向かうドボンソロ号(船)を数百人が待っている。
 マリア・テレザ・ゴンサルベスは、夫とともにバリに避難するため、港の脇にある家を外国人ジャーナリストに貸そうとしていた。
 「70万ルピアととても高いの(切符のことか?)。ほとんどの人は買えない」と彼女は言った。
 出発を待つ神父は帰ってくるとは言ったものの、いつとは言えなかった。 サンタクルス墓地のある地区は、月曜日にもっともひどくやられたところだが、殺された26才の青年、フラビオ・リベイロの葬儀が行われようとしていたところに武装集団がやってきたため、家族と遺体だけが残った(人々は逃げてしまった?)。
 同じく月曜日に襲撃された東ティモール大学は、人気がなくなっていた。壁には銃弾の跡があり、窓ガラスが割られていた。

5月10日
Press Briefing on East Timor, UN
ベンドレル課長、国連記者会見

[フランセスク・ベンドレルアジア太平洋課長が国連で記者会見を行った。ベンドレルは国連の東ティモール担当官僚の実質的な中心。以下はその中で注目すべき発言のポイントのみ。]
●国連派遣団の規模は、国際的なスタッフが600人、そのうち400人はおそらく登録・投票スタッフとなる。つまり投票所1カ所につき2人。派遣団に対して15-18人の政治・文民アドバイザーがつくだろう。派遣団の本部は5月20日までに設立。派遣団長は2日以内に決まるだろう。
●文民警察は6月半ばまでに派遣。この手の警察は通常武装しないし、現在までのところ武装する理由はない。ただ先遣隊の報告によるだろう。インドネシア警察がアドバイスを聞くかどうかは彼ら次第だ。アドバイスを彼らに強制することはできない。
●武装解除の締め切りはないが、遅くとも7月初めまでにはなされている必要がある。

5月11日
AFP, Jakarta
インドネシア内閣、東ティモール投票チーム

 11日(火)インドネシア政府は投票を監視する内閣チームを編成した。チームは大統領自身、ウィラント国防相兼総司令官、アラタス外相、シャルワン・ハミド内相、ルスマンハディ警視総監、ザッキー・アンワル・マウラニ国軍情報庁長官からなる。

[マウラニ?マカリムのまちがいでは?]

[ザッキー・アンワルは4月17日のディリ州庁舎前の武装集団結団式に出席していたで、かなりあやしいが。]

5月12日
Sydney Morning Herald, Dili
武装集団によるさらなる殺害

 ディリで統合派武装集団による最も新しい犠牲者は18才の高校生、エリザエル・ドス・レイスだ。彼の遺体が自宅のテーブルの上にろうそくで照らされて横たわっている。父親、マヌエル・ドス・レイスは知人の「やつらはもどってくるぞ」という警告を無視し、「息子の埋葬が先だ」と言う。
 マヌエル(49)は息子とともにCNRTのメンバーで、彼の一家がターゲットになることは予想していた。彼は公務員だった。
 エリザエルは襲撃騒ぎの最中、殺された隣人、フラビト・リベイロ(24)の遺体を勇敢にもひろって車で運び去ろうとしたとき、民兵たちが行く手をはばみ、彼をひきずりだして至近距離から彼の頭に銃弾を撃ち込んだのだ。彼らはまた背中からも撃った。そう目撃者は証言する。
 マルタ・カイタノ(27)は政治とはまったく関係がなく、州政府につとめていた。しかし武装集団は彼女が妹のアルティバ(20)と借りている家をまっすぐに襲撃しに来た。彼らは「おまえらはみなデモをしてシャナナを支持している」と叫んでいたという。
 そして民兵の一人が彼女の頭を刀で斬った。妹は逃げようとしたが同じ目にあった。 「どうして彼らは私にこんなことをするのかわからない。私はどの団体にも属していない」
 そう彼女は言う。
 狭い砂利の敷かれた通りでの襲撃が終わるころには、5人が死亡し、数知れぬ負傷者が出ていた。何人かは重傷だった。
 マヌエル・ドス・レイスは家の前庭に知人たちが墓を掘るのをみながら、泣かないようにつとめていた。遺体がそこにはいることになっていた。まだ別れの言葉をいう時間があればの話だが。
 殺し屋たちは彼の車にテレビ、電話、など価値あるものを盗んで乗せて去っていった。彼の銀行口座番号ももちさられた。
 しかし息子の死に比べればそんなことはどうでもよかった。
 「いい子だった」
 そう彼は言った。葬儀の参列者たちはまた武装集団がもどってくるとの噂が流れて、散っていってしまった。しかし彼だけは埋葬が終わるまで残ると言った。

5月12日
Sydney Morning Herald, Dili
ファリンティルは挑発に乗らない

 CNRTの指導的メンバー、ベンセスラウ・ジェルマノ・ピントは、シャナナの指令のもと、ファリンティルは挑発にのらないと語った。
 「われわれは国連が民兵集団をおさえるべきだと信じている。なぜならもしファリンティルがこれに反応したら、東ティモールの状況はもっと悪化するからだ。爆発してしまう」
 「われわれはこの戦争を終わらせたい。ファリンティルは司令官であるシャナナの命令にしたがっている」
 ピントはシャナナのがまんするようにとの指令を独立派幹部たちに伝令して回っている。

5月11日
ロイター、ハーグ
ホルタ、東ティモールへ

 11日(火)ジョゼ・ラモス・ホルタは遅くとも7月までには東ティモールに帰れることを望んでいると語った。しかしシャナナが釈放されなければ投票をボイコットすると語った。

5月11日
The Nations、5月31日号用原稿
Allan Nairn: Licence to Kill in East Timor「東ティモールの殺人ライセンス」(要旨のみ)

[アラン・ネアンは1991年サンタクルス虐殺の現場にいたアメリカ人ジャーナリスト。その後もインドネシア、東ティモール情勢を追い続け、とくにインドネシア軍の関与について追求している。今回の記事は発表前の原稿で、連載になる予定。]

 東ティモールの悪名高い民兵組織のナンバー2によると、インドネシア軍は独立派組織のメンバーを暗殺してもよいとする「協定」をひそかに民兵組織に与えたとのことだ。
 13ある東ティモールの民兵組織の参謀をつとめるヘルミニオ・ダ・コスタは、1月終わり頃あたりからその協定は発効していると言う。通常の犯罪である車泥棒や食べ物泥棒をはたらかなければ、CNRTとフレテリンのメンバーの家を襲撃し、尋問し、殺すことを許可する内容だ。
 5月5日にインドネシアは国連で合意に調印したが、5月7日、ダ・コスタは私に、民兵たちが知る限り、彼らのインドネシア軍との協定は「まだ有効だ」と言った。
 アラン・ネアンはジャカルタから東ティモールの民兵組織の本部にいるダ・コスタに電話で長いインタビューを行った。
 彼は、彼の配下の者たちが「人民の敵」をいかに処刑したかを描写してみせたが、これらの殺害はインドネシア軍の事前の承諾をえたものだったと語った。
 ダ・コスタは、彼がこうした協定の存在を話すのは初めてのことだが、それは民兵組織が独立したものであることを知らしめるためだと言う。
 「われわれだってふつうの東ティモール人のようにいつだって逮捕される危険がある」
 彼は東ティモールの警察と軍の司令部が、インドネシア政府の正式な許可をえて、大暴れするルールをつくりあげたと語った。それが彼らに事実上の殺人ライセンスを与えることになった。
 ダ・コスタはまた、インドネシア軍が彼の現地での商売を保証してくれているとして軍のことをよく言い(民兵は資金を自分で調達していると言う)、彼が協力者としてやってきたことを隠さない。
 彼はウィラントとザッキー・マカリムを「とてもいい友人」だとほめたたえる一方で、1月の東ティモール政策の変更後、インドネシア軍は長い間敵としてきた者たちを保護するよう圧力がかけられていると言った。彼によれば、彼らの協定はある部分そうした政治的問題についての解決策として出されたものであり、民兵たちが軍や警察にとって頭痛の種となりうるという事実を示すためだった。
 ダ・コスタは民兵組織を取引の中の自立的なプレーヤーとして描いた。軍は彼らに「モーラル・サポート」しかしていないと言う。軍はフレテリンを守り、民兵はフレテリンとCNRTを襲うのだ、と。彼らが泥棒などをはたらけば逮捕される危険性があるが、「CNRTやフレテリンを殺す限りは問題ない」のだそうだ。
 彼によれば、彼らの協定は、ディリのシラエン警察署長と軍司令部のスタッフでつくり、トノ・スラトマン東ティモール司令官が、彼が許可したということではなくて家を襲撃していいということにした、ということだ。
 これについてスラトマン司令官はコメントがほしいと留守にメッセージをたくしておいたが返事はない。シラエン署長はつかまらなかった。
 リキサでの4月6日の襲撃の後、ダ・コスタは、第9管区司令官のアダム・ダミリ少将立ち会いのもとで、民兵組織の参謀長への宣誓就任式を行った。 私がダ・コスタにリキサ、ディリなどでの民兵による処刑事件一般についてたずねたら、彼はこれらの殺人はすべて1月協定の枠内のものだと語った。
 「毎日殺すことの許可がおりるわけではない。われわれが襲われたときだけだ」
 それは物理的に襲われることを必ずしも意味しないようだ。 リキサの事件に関して、ダ・コスタは「現地の住民がわれわれに彼らを殺すよう頼んだのだ。われわれにとってあれは惨劇などではなかった。リキサの人々にとってあれは解放だった」と語った。
 彼はインドネシア軍に支援を要請し、支援を機動隊から受けたと言う。
 「われわれは教会と司祭館をフレテリンの拠点とみなし攻撃した。死んだ連中はふつうの人たちではない。彼らは活動家でありCNRTのメンバーなのだ。もしわれわれが彼らを殺すと、彼らはふつうの人として死んだと言うだろう。それはちがう。彼らはフレテリンなのだ」
 マヌエル・カラスカラォンは、彼によれば、「人民の敵」だった。民兵たちが彼の家に着いたとき、彼はおらず、彼の息子の殺害が「父親の活動に対する処罰」として行われた。
 「彼がマヌエルの息子でなければ、死ぬことはなかったはずだ」と彼は言った。

5月11日
Lusa, Jakarta
バウカウ住民はみな統合派

 アンタラ通信が報じるところでは、バウカウ県長であるビルジリオ・マリオ・ディアル・マルサルが、バウカウ県住民は全員自治州案に賛成だと、11日(火)発表した。

5月11日
MateBEAN(東ティモールからのニュース)
新聞社また閉鎖

 5月5日に再開して1週間もたっていないが、スアラ・ティモール・ティムール社は、再び発行停止することを決定した。統合派武装集団が発行を続けるならまた社を襲撃すると脅しているためだ。
 同新聞社は先月、ジョアォン・タバレス(元ボボナロ県長)率いるハリリンタルによって襲撃され、コンピューターなど破壊された。ジョアォン・タバレスと言えば、 1975年のインドネシア軍のバリボ攻撃の際(オーストラリアのテレビ局員らが殺された)ユヌス・ヨスフィア(現情報大臣)率いる陸軍特殊部隊の道案内をつとめた人物で、同新聞社の記者を何人か殺すと脅迫している。 警察は、同新聞社を守る能力はないとして、すべてのスタッフに新聞社事務所を出ているように求めている。

5月12日
Lusa, Jakarta
手製武器を押収

 東ティモール司令官トノ・スラトマン大佐は12日(水)、リキサの統合派武装集団の手製武器を押収すると発表した。[注:手製武器としか書いてない。]

5月12日
Lusa, Luanda
アンゴラ議会、シャナナの釈放を要求

 11日(火)、アンゴラ議会はシャナナの無条件即時釈放をもとめる決議を採択した。

5月12日
Lusa, Jakarta
シャナナ、政治囚を釈放せよ

 12日(水)シャナナは自分の釈放は重要ではないが、すべての東ティモール人政治囚の即時釈放を求めると語った。

5月12日
AFP, Dili
インドネシア軍、民兵の武装解除に乗りだす

 12日(水)ベロ司教がインドネシア軍兵士が参加したミサで、東ティモール司令官トノ・スラトマン大佐はリキサの準軍組織の手製武器を押収することを誓った。
 「明日、われわれは手製武器を押収する。もし彼らがしなかったら(渡さなかったら)ズズズズズだ」と言って、頭を撃ち抜くようなジェスチャーをした。
 ただしジャーナリストは連れていかない。
 また国連合意の治安管理について、スラトマン大佐はインドネシア軍は「兵舎にいて、また各県にいて、県レベルで援助を行うだけになっている」と語った。「それは私(軍)の仕事ではなく、警察の仕事だ」とも言った。
 今回のミサは600人のキリスト教徒、イスラム教徒、ヒンドゥ教徒が屋内バスケットボール場に集まって行われた。13日(木)とさらには19日(水)にも行われる予定だ。
 東ティモール警察署長のティンブル・シラエン大佐(警)は西側ジャーナリストから警察は投票に向けて平和を維持できるかと聞かれて、「君たちもまた書くことにおいて自制しなければならない。一人死んだとき100人死んだなどと書くなよ」と答えた。

5月13日
Sydney Morning Herald, Dili
東ティモールの両派の指導者がバリで会談

 インドネシア政府は明日、バリ島で、統合派と独立派指導者の会談をアレンジする。

5月13日
Australian Financial Review
ティモールでは体重が分かれ目だ

 モタエルクリニックにいるオーストラリアのボランティア医師、ケビン・ベイカー氏は、体重が45kg以上だったらおそらくその人は統合を支持し、それ以下だったら独立を支持するのではないかと考える。
 最近、(統合派の)準軍組織に守られてリキサに行ったとき、統合派が組織したデモを見たが、彼のクリニックにやってくる平均体重が45kgの人々とはちがった均整のとれた体格のいい人が多いのに驚いた。
 ベイカー医師によれば、最近の統計では、死亡原因の15%がマラリア、15%が結核、12%が胃腸炎だ。
 昨日の朝、モタエル・クリニックには多くの人が列をつくっていた。ベイカー医師は、ひどく進行した結核患者が5、6件あったと言い、目がくぼみ、頬もこけた西洋諸国では前世紀から見られなくなった肺病患者のような人々のことを話した。
 午後は、ベイカー医師は10日(月)にディリ郊外で準軍組織によって負傷させられた人の手術を行う予定だ。
 ベイカー医師はまた腹部に銃弾を受けている統合派民兵も治療している。
 モタエル・クリニックは住民がしげく訪れる病院となっている。昨日そこにいた患者たちはインドネシア政府の病院にいこうとしなかった。医者も基本的な備品などもないのだ。
 ある軍の将校はオーストラリア・ファイナンシャル・レビュー紙に、ディリの軍病院も民間人を治療していると言ったが、クリニックで待っていた人々はそれを否定した。
 問題はインドネシア人医師が逃避したことだ。
 ディリの外では準軍組織が脅していてだれも行けない。医療活動はおそらくほとんどないと思われるが、誰もチェックできない。 ベイカー医師と彼の同僚であるダン・マーフィー医師は国連チームの到着によってもっと西側の医師がこれるようになることを期待している。
 国境なき医師団などボランティア医師はすでに来る態勢にあるが、インドネシアの規則によって用意にワークビザをとれない状況だ。

5月13日
The Australian
準軍組織指導者、投票をあきらめよ

 統一・民主主義・正義フォーラム(FPDK)のスポークスパーソンであるバジリオ・アラウジョは、昨日、投票は不必要だと語った。
 「われわれこそここに住んでいる者であり、われわれは住民の気持ちを知っている。投票はしてほしくない」
 アラウジョのコメントは、この間のディリでの暴力行為が治安悪化を理由に国連に投票をあきらめさせるのが目的だったことを示唆している。
 またアラウジョは、コソボと違って国連のプレゼンスは不必要だと述べた。「ここでは1日当たり1件、2件、あるいは5件の殺害しかおきていない」からだ。
 「アメリカでは25人の生徒が1日で殺された。しかしそこに国連の平和維持軍を派遣したりはしない」
 アラウジョは日曜の市場とその周辺での準軍組織の行動は、二人の準軍組織メンバーが市場で刺されたからだと主張した。
 しかしこれはエウリコ・グテレスの主張とくいちがっている。彼は準軍組織のポストでメンバーが頭を殴られたという挑発に始まったと言っている。
 統一・民主主義・正義フォーラムは、モタエル・クリニックで働いている外国人医師を適切なビザをもっていないとして追放するよう当局にはたらきかけている。
 昨日、入国管理当局はダン・マーフィー医師のパスポートを押収した。彼は6ヶ月間モタエルで働いたアメリカ人で、彼のツーリスト・ビザでオーバーステイになっていることを認めた。彼の地位についての決定は土曜日になされる。

5月13日
民兵、緊急配布用米を奪う

 ディリ郊外で数千人の村人に米などを配布している援助機関に対して、統合派準軍組織が脅迫、攻撃をかけている。
 また民兵たちが難民をよそおって、ディリのカリタス事務所に米を要求している。カリタス事務所のスタッフをおどして避難民となっている住民のために用意された米をとって準軍組織の司令ポストにもっていっている。カリタスのエスタニスラウ・マルティンス氏が今日、明らかにした。
 マルティンス氏によれば、数週間前、スタッフを殺すとか(飛び地の)オイクシに 300トンの米を運ぶトラックを盗むといった脅迫のために、援助品の配布をとりやめたことがあった。
 「大勢が厳しい必要にせまられているが、現在は何もできない。いつ再開できるかわからない」とマルティンス氏は言う。
 リキサでは準軍組織によってトラックが盗まれ、運転手が殴打され、米が盗まれた。トラックを返して欲しければ数百ドルを用意しろと脅している。
 マルティンス氏は彼の命についても脅迫を受けている。準軍組織は避難民を独立派とみなしており、彼らから食料を奪いたいのだ。
 「彼らはわれわれに動くなと言う。動けば殺す、と言うのです」
 カリタスは11000人の避難民に対して援助品を供給している。その援助品センターには数百人が毎日列をつくっている。
 しかしマルティンス氏によれば、リキサ県の14000人、ハトリア地方の12000人は何の援助も受け取っていない。
 「これらの人々はひどい状況に暮らしています。女性も子どもも基本的物資もなく土の上に暮らしているのです」
 マルティンス氏は言った。

5月13日
UDT Press Release
インドネシア軍、偽装東ティモール人をふやす

 ジョアォン・カラスカラォンUDT総裁は、インドネシア軍が西ティモール人(インドネシア人)に偽りの身分証明書を発行して、東ティモールに潜入させ、東ティモール人として8月の投票に参加できるように画策していると語った。

[西ティモール人のインドネシア軍による利用についてはすでに指摘がなされてきた。東ティモールの共通言語となっているテトゥン語の分布範囲は西ティモールにまでまたがっており、民族的にも近いため区別が難しい。]

5月13日
バリでの両派会合

 アラタス外相が自治案について両派に説明するために開くバリでの会合に、バジリオ・アラウジョら10人の統一・民主主義・正義フォーラムのメンバーが参加する。ソアレス州知事、トノ・スラトマン大佐も出席する。

5月12日
Lusa, Canberra
豪政府、資金と文民警察派遣について

 オーストラリア政府は東ティモールの独立に向けた今後4年間の資金援助について 2680万豪ドルの予算を計上した。そのうち投票前後にかかる費用として2000万豪ドルを見積もっている。一方、警察官は50人以上を派遣する予定。

5月12日
Lusa, Jakarta
シャナナ、新独立派グループを批判

 シャナナは先に出した自制を求める声明で、「東ティモール民主共和国人民防衛評議会」(RDTL: People's Defense Council of the Democratic Republic of East Timor)という新しいグループの行動を「規律がなく、政治的ビジョンに欠け、認識がまちがっている」として批判した。
 この団体は5月5日の国連合意のあと、ディリでデモを組織したが、シャナナはデモは準軍組織を挑発するとして避難したものだ。
 この人民防衛評議会は「ティモール社会党」(PST)が率いるもので、そのリスボンのスポークスパーソン、アザンコット・デ・メネゼスはシャナナの声明に反論して、「インドネシア側は虐殺をするのに理由など関係ない」と述べた。
 メネゼスは、人民防衛評議会の目的は1975年のインドネシアの侵略によって中断された東ティモールの短い独立を復活させることにある、と語った。

5月14日
Lusa, Jakarta
豪領事館開設準備

 6人からなるオーストラリア政府のチームが13日(木)、領事館開設準備のためディリ入りした。

5月14日
The Australian, Dili
学生拘束さる

 トノ・スラトマン大佐によると、ディリの郊外ヘラにある工科大学で、12日(水)、学生たちが居軍兵士に拘束されていることが確認された。学生たちは日曜日に武装しようとしていたが、インドネシア軍が敷地に入って、準軍組織と彼らを分離するのが拘束の目的だという。

5月14日
AFP, Jakarta
東ティモール人部隊と特殊部隊員が衝突

 ヤヤサン・ハックによると、13日(木)バウカウのバス・ターミナルで、武装集団に支援された、インドネシア軍特殊部隊(コパスス)がロスパロス方面から到着した乗客のチェックをしたところ、コパスス隊員が乗客に暴力をふるったため、ロスパロスを拠点とするインドネシア軍第745大隊の隊員が介入した。その後、バス・ターミナル近くのコパスス司令部を襲撃し発砲したということだ。

5月14日
Jakarta Post, Dili
聖職者の行進

 13日(木)ベロ司教、ナシメント司教ら司祭、修道女たちが住民1000人を率いてろうそくをともすビジル(祈り)の行進をカテドラルからバリデ教会まで行った。

5月13日
Western Sahara Campaign
住民投票は来年7月

 国連は、モロッコとポリサリオが来年7月に住民投票を行うことで合意したと発表した。西サハラは東ティモールより早く住民投票プロセスが始まったが、モロッコ側のサボタージュなどが原因で昨年末に予定されていた住民投票が遅れていた。

5月15日
Australian Financial Review
コーヒーにも影響

 コーヒー豆の収穫期が先週から始まり9月まで続くが、主な栽培地であるリキサの住民5000人が紅白鉄隊によって追い出されている。紅白鉄隊は住民を独立派から保護するなどと言っている。
 リキサだけでなく各地で独立派住民はキャンプに入れられ、脅迫などを受けている。 4千万トンのコーヒーを収穫するのには4万人の労働者が必要だ。大量の人たちが暴力と迫害を恐れて避難民となっちる状況は生産にとっても影響が大きい。
 アメリカのNCBAによると、現在45000人がコーヒー栽培にかかわっている。

5月15日
The Guardian (UK)
メガワティ、投票に反対

 メガワティ(52)は昨日、ハビビ政権は正当性がないとして、東ティモール問題について(投票するといった)決定をする資格はないなどと発言した。「われわれはもっといい解決法を見つけなければならない」と。
 元インドネシア軍東ティモール司令官で闘争民主党の指導者になっているテオ・シャフェイは、インドネシア国民全員が投票に参加すべきだと述べた。
 ある西側外交官はメガワティの発言を「重大だ」と形容した。なぜなら、投票を妨害することはできないとしても、国民協議会が結果を拒否する可能性があるからだ、という。
 メガワティは、もし彼女が投票の結果をひっくりかえすことがあるとすれば、そのときは暴力がもはや起きないような解決をさがすつもりだと語った。

5月15日
AFP, Jakarta
バリ会談についての情報

 バリ会談に参加した独立派はレアンドロ・イザークらしい。AFPのカメラマンが彼が警察のガードを受けてディリ空港を出るのを見た。
 アンタラ通信によると統合派は29人、独立派は31人が参加しているという。

5月15日
The Australian
バリ会談にレアンドロ・イザークが参加

 約一月ほど身を隠していたCNRTディリ事務所のレアンドロ・イザークがバリ会談に参加する。独立派の参加者は彼一人だと考えられる。彼はバリ行きに際してディリ警察の警護を求めたが拒否されている。バリではアラタス外相と文民警察を派遣する6カ国の大使に会う予定。

5月15日
AAP
ベロ司教:準軍組織にドラッグ?

 準軍組織の民兵たちはドラッグやアルコールを代価にもらって残虐な行動を行っていると、今日、ベロ司教はSBS Television Datelineのインタビューで述べた。司教は、彼らはまた自分たちがしていることを自覚していないとも語った。
 「彼らの多くは、文字が読めないとか、僻地の出身だったりして、支払いを受けているのです。住民からの情報では、彼らは薬や酒を与えられているのではないかというのもあるのです。今朝、ある人がやってきて、彼らは目が真っ赤になってしていることを意識していないという人たちを見たというのです」
 ベロ司教は、準軍組織の中に「見知らぬ人たち」がいると語った。つまり西ティモールやジャワといった別な地域の人たちのことだ。
 またベロ司教は、たとえ国連が投票をきちんと行うことができないとしても、投票は延期すべきではないと語った。そして国連は6000-8000の武装した平和維持軍を派遣すべきだ、ポルトガルは現地の情勢を本当に知っていたなら合意に調印しなかったはずだ、と語った。
 「彼らは外にいて、ここから遠い。たぶん彼らはインドネシア人のことを理解していないのでしょう。インドネシア人の心理というのを」
 ベロ司教はそう語った。

5月13日
BBC Summary of World Broadcasts
RDP Antena 1 radio, Lisbon, 13 May 1999
準軍組織リーダー、ゲリラに交渉を呼びかけ

[エウリコ・グテレス]山にいるファリンティルの兄弟たちに呼びかけたい。降りてきて未来について町や村にいる東ティモール人たちと議論した方がいい。われわれの問題は終わりに近づいている。もし君たちがそこにいれば問題は終わらない。このラジオを通じて、降りてきて、会って議論しよう。怖がらないで降りてきてほしい。とりわけタウル・マタン・ルアック司令官には」

5月15日
Canberra Times
50人の文民警官が準備

 来週から東ティモールに向かう50人の文民警察官の訓練がはじまる。そのうち25人は6月には東ティモールに行く予定だ。

5月14日
BBC Summary of World Broadcasts
RTP International TV, Lisbon, 12 May 1999抵抗勢力、武器明け渡しは国連へ

 もし国連が平和維持軍を派遣するなら、武器を明け渡すというのが東ティモール民族解放軍の立場だと、デビド・シメネスは語った。


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