東ティモールニュース

1999年4月後半


4月17日
アポデティ青年の声明

[以下はスラバヤにいるカルリト・ヌネスというアポデティ青年部の指導者を名乗る人物がインターネット上に出した声明の要約。ただしこの文書が本物かどうか、証拠は何もない。]

アポデティ青年連盟(PPA)

 インドネシア軍から軍事的な支援を受けている統合派武装集団の暴力的行動に対し、インドネシアとの統合を獲得すべく闘った政党として、アポデティ青年連盟は自己の立場を説明したい。
 まずアポデティの本来の目的はインドネシアとの統合などではなかった。合併請願の署名が行われたとき、わが党のアルナルド・ドス・レイス・アラウジョ党首、ジョゼ・オゾリオ・ソアレス書記長はディリで拘束された状態にあり、署名したのは彼らではなかった。
 したがってアポデティの継承者たるわれわれ青年は、この23年をこえる東ティモールでの出来事に非常に心を痛めている。またバジリオ・ナシメント・アラウジョ、アビリオ・オゾリオ・ソアレス州知事、フランシスコ・ロペス・ダ・クルスといった政治家がインドネシア軍とともに支援している武装集団の行動についても深く憂慮している。
 われわれアポデティ青年連盟は以下のことを主張する。

1. 国連平和維持軍の派遣と国連による投票の実施をもとめる。
2. ポルトガルのあまりに遅い動きは遺憾。ただちに安保理に問題を提起すべし。
3. インドネシア政府に対しインドネシア軍が支援する武装集団の武装解除をもとめる。 4. 準軍組織に対して平和的環境づくりに協力するよう呼びかける。
5. 傲慢な態度をとり続ける知識人に抗議する。彼らのおかげで民衆はその代価を払わねばならなくなっている。(名指しでBasilio N Araujo, Domingos Koli, domingos Policarpio, Gil Alvesなどがあがっている)
6. CNRT総裁のシャナナ・グスマォンを政治的、道徳的に支持する。

スラバヤ
1999年4月17日
カルリト・ヌネス
全インドネシア・アポデティ青年連盟代表

Carlito Nunes
Pemimpin PPA se-Indonesia

4月16日
Lusa, Jakarta
ゲリラ襲撃

 抵抗勢力筋がルサに伝えてきたところによると、16日(金)、ファリンティル・ゲリラがラクルボル(Laclubor)のインドネシア軍ポストを攻撃した際、3人のインドネシア軍兵士を殺害し、4人を負傷させた。
 また襲撃作戦ではトラック5台も破壊した。殺されたインドネシア軍兵士の中には、インドネシア政府の東ティモール問題担当移動大使をしているフランシスコ・ロペス・ダ・クルスの弟、ベラルミノ・ロペスがいた。
 インドネシア軍はこの襲撃を確認していない。ただ過去数日、インドネシア軍はラクルボル地域でファリンティルに対する大規模な作戦を展開中だったと、抵抗勢力筋は語った。

4月17日
AFP, Dili
インドネシア派武装集団の示威行動

 約1500人のインドネシア派武装集団が17日(土)、ディリに集結し示威行動を展開した。
 4つの武装集団が集まっていた。アイタラク(ディリ拠点)、紅白鉄隊などは棒や木製の銃のイミテーションをかついでいる。インドネシア軍の補助組織「カムラ」のメンバーは古びたライフルをもっていたがそれもたったの6丁しか見えなかった。
 州庁舎前の広場には式典用の天幕がはられ、招待客用のイスをおおっていた。その中には、ジョゼ・オゾリオ・ソアレス州知事など役人、インドネシア派武装集団のリーダーたちの姿があった。教会関係者の姿は見あたらず、用意された座席の3分の1は空いていた。
 アイタラクの司令官エウリコ・グテレスは黒い服を来て野球帽をかぶり、ジープに乗って、閲兵を行った。
 グテレスは「CNRTはわれわれにウソをついた。インドネシアだけがウソをつかなかった」と、閲兵の前に壇上から演説をした。
 「やつらはわれわれの仲間を誘拐している。報復をしなければならない」と彼は言った。

4月17日
Yayasan HAK
統合派武装集団の決起集会

[Yayasan HAKのNevesさんによる午前中の決起集会の様子。]

 午前10時に州知事庁舎前で始まった決起集会に集まったのは、Aitarak, Halilintar (Atabae), Dadurus (Maliana), Ahi (Aileu), Ablai (Same), Mahidi (Ainaro), Laksaur Merah Putih (Suai), Besi Merah Putih (Maubara), Makikit (Viqueque), Saka (Baucau), Jati Metah Putih (Lospalos)などであった。
 集会にはソアレス州知事の他、ディリ司令官、警察署長、軍分小区司令官、ディリ県長が参加していた。
 ディリの住民も若干参加していたが、彼らは強制されていた。
 地域の軍人や村長らが朝6時から人々を動員していたのだ。動員されたのは年寄りの東ティモール人、インドネシア東部の島々の人々(東ティモール人に風貌が似ている)だ。
 スリク・マス地区に住むあるYayasan HAKのボランティアの証言によると、6時ごろインドネシア軍兵士でもある隣組長がやってきて、東ティモール人ととりわけ東ヌサ・トゥンガラ州出身の人々を州知事庁舎の式典に参加するように強制した。
 決起集会の冒頭演説は、ジョアォン・タバレスが行った。統合派はインドネシアと合併する前から存在しており、その目的はフレテリンと闘うためだという内容だった。
 エウリコ・グテレスは、統合の裏切り者たちをつかまえ殺すように準軍組織に命令した。「今日、1999年4月17日、私はすべての統合派武装組織に対し、統合の裏切り者を一掃するよう命令する。彼らを逮捕し、必要であれば、殺せ。私、エウリコ・グテレスが、責任をもつ」と彼は叫んだ。
 また彼はマリオ・カラスカラォン(元州知事)を非難し、彼の家を焼き払うよう命令した。
 この文章を書いているころ、準軍組織はディリ中を行進している。バリデ通りを行進中、見ていた住民にいきなり発砲した。犠牲者が出たかどうかは定かでない。

 ネベス
 モニター・スタッフ
 ヤヤサン・ハック

4月17日
AFP, Dili
カラスカラォン宅襲撃、息子が殺される

 17日(土)マヌエル・カラスカラォン宅が襲撃され、息子が殺されたとその家族が語った。AFPの記者は、家が100人ほどの民間武装集団に襲撃されたときその敷地にいた。襲撃した集団は、石や岩を投げ、窓を割り、銃を撃ちはなった。中には150人ほどの避難民が生活していた。カラスカラォン自身と家族は襲撃のときはいなかった。

4月17日
ロイター、ディリ
インドネシア派武装集団の暴動

 17日(土)400人のインドネシア派武装集団が独立派活動家の自宅などに発砲し、数十人の負傷者を出し、車、家に放火した。武装集団は、ディリ郊外のベコラ地区の店も何軒か放火した。

4月17日
BBC
武装集団の襲撃

 襲撃の日ディリにいたBBC記者のジョナサン・ヘッドは、インドネシア軍は彼らをまったく止めようとしなかったと言っている。少なくとも8人が殺された。

4月17日
BBC(続報)
武装集団の襲撃

 殺された人は少なくとも13人いる。
 目撃者によると、約1000人の準軍組織が独立派の家を襲撃し、車、民家を放火した。現地の新聞社も攻撃され、人々は路上で公衆の面前で殴られたりした。

4月17日
インターネット情報
(現地からの匿名外国人)

 17日(土)午後2時20分
 1000人以上の準軍組織がディリを支配下においている。バイク、トラックに乗るか、あるいは歩いている者もいるが、準軍組織は町中を好き勝手に発砲したり、放火したり、民家を略奪したりしている。準軍組織には特別な機動警察部隊が付き添っている。

 午後7時14分
 少なくとも9人が死亡した。写真を撮ろうとする者は撃つと脅されている。スアラ・ティモール・ティムール(新聞)社も破壊された。記者も通りに出ようとはしない。

 午後7時39分
 軍は13人の死者を確認した。他にも20-30人の死者がいるとの報告がある。準軍組織はマコタホテルに入り2階にあがって外人記者に暴力をふるった。AFPのジャカルタ支局長もその中に含まれる。インドネシア軍と警察は何もしない。

 午後9時38分
 未確認情報だが、リキサ周辺が今日、今朝からか今夕からか、封鎖され、準軍組織か軍かはわからないが、殺戮を始めたと伝えられる。4台のトラックがリキサ地域から死体を運び、犬たちが地上にころがった死体をむさぼっていると言う。

 私が見たこと聞いたことから判断して、準軍組織のメンバーは大半がいやいやながら参加している人たちで、彼らは暴力を振るわない。また金をもらっている者もいる。ただ発砲したり人を殺したりする少数の中心的な集団があって、彼らの中には、西ティモールの人間がいる。軍人もいるかも知れない。

4月17日
Yayasan HAK
ディリ襲撃

 ヤヤサン・ハックが電話などで確認した範囲では以下のような情勢だ。
 1. 州知事庁舎の前での集会のあと東へ向かった準軍組織は、昨年マナトゥトゥで軍の発砲で死亡したヘルマン・ダス・ドレス・ソアレス(死亡)の家にたどりつき、倉庫、台所、2台の車などを破壊した。この出来事を当地のインドネシア治安部隊は単にながめているだけだった。彼らが去ったあと警察がやってきて事情を聴取した。犠牲者はいない。
 2. ほぼ同じ頃、ディリ東部のベコラ・ターミナルで準軍組織は無差別発砲し、民家や商店を放火した。5人から7人が撃たれたとの情報があり、2人はモタエル教会のクリニックに駆け込んだが、残りの行方はわからない。
 3. 午後1時頃、メティアト村(白砂地区)では、その地区の村長が率いる武装集団が何軒かを襲撃し、負傷者を出した。モタエル教会クリニックによると、メティアト村からは4人の銃弾を受けた負傷者が運ばれてきていると言う。
 4. 同じ頃、CNRTの指導者のひとり、レアンドロ・イザークの家が襲撃され、破壊された。
 5. 午後2時頃、マヌエル・カラスカラォンの家が襲撃された。攻撃に先立ち、準軍組織は家の前の通りを封鎖し、家を包囲したのち攻撃した。避難民が170人ほどいたが、10-15人が重傷をおい、おそらく死亡しただろうとの報告があった。その犠牲者の中にはマヌエルの養子がいる。
 6. 午後3時頃、準軍組織はスアラ・ティモール・ティムール社を襲撃。まだ働いているスタッフがいたところに1台のトラックと3台のキジャン(トヨタ製の軽ジープ)に準軍組織がたくさん乗ってやってきた。彼らはコンピューター、印刷機、資料棚、窓、ドアなど新聞社の設備をすべて破壊した。
 7. 夕方4時頃、準軍組織は、ディリ西部のバイロ・ピテ地区、カカオリドゥ( Cacaulidu)集落の民家を襲撃。そこではCNRT指導者の一人、ダビド・シメネスの家が放火された。ダビドは家にいなかったが、妻と子どもたちは泣き叫ぶだけだった。準軍組織はまた出会った若者たちに暴行をはたらいた。
 8. ビケケからは、マキキットのメンバーがのったバイクに若者が一人はねられ、即死した。この件を警察に報告すると、これを訴えると殺すぞと逆に脅された。
 9. スアラ・ティモール・ティムール社を襲撃した準軍組織のメンバーは、次の標的はNGOだと言った。それはYayasan HAK, Kontras, Caritasなどにちがいない。夜7時、明日Yayasan HAKが襲撃されるとの情報を得た。 

 ジョゼ・ルイス・デ・オリベイラ
 ヤヤサン・ハック副会長

4月17日
AFP, Doublin
アイルランド外相、ディリで目撃

 アイルランドのデイビッド・アンドリュー外相は17日のディリ襲撃を目撃した。その時彼は、ベロ司教宅で司教と軍司令官と会見していた。
 ダブリンで発したプレス・リリースで外相は次のように述べた。
 「私は自分の目で武装した民兵たちが通りにいるのを見た。ベロ司教と会っているとき、少女が非常に落胆した様子で部屋に入ってきて、彼女の兄(か弟)がほんの2、3時間前に家に入ってきた軍によって襲われたと語った」
 また、すでにインドネシア政府に準軍組織の制止と即時停戦を訴えたが、「月曜日(19日)ハビビ大統領と会うときに、ディリで私自身が見たことを告げるつもりだ」と外相は述べている。
 外相はすでにアラタス外相、シャナナと会見している。

4月17日
AFP, Jakarta
ベロ司教、ミサをキャンセル

 ベロ司教は日曜日(18日)に計画されていたタシトルでのミサをキャンセルした。もともとこのミサはエウリコ・グテレスの要請によって計画されたもので、対立する諸派が参加することになっていた。

4月17日
Reuters, United Nations
国連事務総長、暴力を非難

 アナン国連事務総長は17日(土)、「暴力行為を強く非難し、インドネシア政府が準軍組織の暴力から市民を守ることができていないことを遺憾とする」と語り、インドネシア政府を非難した。

4月17日
AFP, Washington
米国、遺憾表明

 米国務省のルービン報道官は、「米国は武装した民兵がディリの市民を攻撃し、少なくとも8人の死者を出したとの報告に深く困惑している(deeply disturbed)」と語り、インドネシア政府に「統合派武装集団を掌握するよう」求めた。

4月18日
Reuters, Sydney
ハワード首相、遺憾表明

 18日(日)ハワード首相は「状況が悪化したそのありようを深く憂慮している。インドネシア政府はたとえ全部ではないにしても、少なくともその一部について、責任を免れることはできない」と語り、ハビビ大統領にすぐにその憂慮を伝達すると語った。「世界はインドネシア軍が規律と自制を示し、東ティモールにおいて安定と協力を推進することを期待している」とも語った。

4月18日
UDT Press Release (Melbourne)
張本人はザキ・アンワル

 マリオ・カラスカラォンによると、かつての東ティモール駐留軍の情報局長、ザキ・アンワル(Zaki Anwar)こそ、準軍組織による殺戮の背後にいる人物だと名指しで批判した。
 ザキ将軍とその他数名の将校が、昨日ディリで行われた統合派の決起集会にいた。アイルランド外相のディリ訪問を彼らがディリにいた理由として(護衛のため?)あげるだろうが、彼は単なる旅行者ではない。
 ザキ将軍はハビビと権力争いをしている人間の一人で、東ティモール問題をハビビを失墜させるために利用している。
 

4月18日
UDT Press Release
マリオ・カラスカラォン、逃避

 ディリから150人がマリオ・カラスカラォン暗殺のために到着したとの知らせがあり、マリオは身を隠した。

4月14日
Lusa, Jakarta
シャナナ、平和と対話呼びかけ

 14日(水)シャナナは法律顧問のヘンダルディ(インドネシア法律扶助人権協会)を通じて、あらためて「平和、対話、和解」を求める声明を発表した。
 シャナナはアダム・ダミリ第9管区司令官を、インドネシア派武装集団をつくっているとして非難した。ハビビ大統領については平和的解決をすすめようとしているとして評価する一方、インドネシア軍の中には国連による投票を阻止しようと、流血の惨事を挑発している将軍たちがいると批判した。 ヘンダルディは、ムラディ法相のシャナナを監獄にもどすのは「悪い決定」だと述べた。

4月15日
UDT Press Release
ホルタの家族に殺人予告

 ノーベル平和賞受賞者で東ティモール独立運動の外交部門の指導者であるジョゼ・ラモス・ホルタのディリに住む家族が、統合派武装集団によって殺人予告を受けた。
 殺人予告を受けたのはホルタの姉妹のAida Horta Assis, Alzifa Hortaの2人とその家族。アイダには12才以下の子どもが5人もいる。一方、アルジファは6人の成人した子どもがいる未亡人だ(うち一人は両親をなくした姪)。
 アイダの夫、ジョゼ・アシスはメルボルンの東ティモール開発会議に出席していた。
4月15日
インターネット情報
マリアナの状況

(1)4月12日(月)午後3時、マリアナの3軒の家がハリリンタルとインドネシア軍によって破壊された。実行部隊は現地の司令官ブルハヌディン・シアギアン中佐の指揮下のもの。破壊された家の所有者は、Manuel Magalhaes, Joao dos Santos, Guilermino dos Santos。3人とも県庁で働く公務員。マヌエルは東ティモール学生協議会が主催した対話集会に積極的に関わったとしてすでに解雇されていた。

(2)4月4日、インドネシア軍はマリアナで7人の東ティモール人を殺害した。殺されたのは、Domingos da Cruz (21), Armando dos Santos (29), Eurico da Costa (30), Americo Fernandes (32), Tomas Sanches (42), Alarico Carvalho (19), Moises Guterres (17)。ファリンティルに食糧を提供したとして殺された。 マリアナではインドネシア軍は、住民が親戚をたずねることも許さず、電話線を切ってしまっている。

(3)ロスパロス(ラオテン県)からの信頼できる筋の情報によると、タオテン県の学生協議会代表であるAurelio Freitas Ribeiroが地域の軍司令部に拘束されている。ラオテン県長のエドムンド・ダ・コンセイサォンが指揮する統合派の集会で、彼らが捕まえようとしていた人物の名前があげられたが、アウレリオはその一人にあがっていた。
 ディリの学生協議会はこの事実を確認しようとしているが、軍はまた電話線をカットしている。

4月14日
Antara, Dili
ディリ攻撃近し

 紅白鉄隊がディリを攻撃するという噂がディリに広まっており、その結果、住民たちの中には紅白旗(インドネシア国旗)を家の前にかかげる者がでてきた。
 14日(水)にはライコトゥ、タシトル、コモロといった集落から西の方では紅白旗をかかげている。またタシトルのバスターミナルから西の方は、機動隊が道路を警備している。今のところ、交通はスムーズに流れている。
 ソアレス州知事は、紅白鉄隊がディリを攻撃するという噂は一月も流れているがまだ何もおきていない、無責任な連中が緊張を意図的に高めようとしていると非難した。

4月15日
Lusa, Brussels
アナン事務総長、国連プレゼンスに賛成

 14日(水)ポルトガルのグテレス首相は、コソボ問題で集まったNATO会議でアナン国連事務総長と会見し、アナン事務総長も東ティモールの状況は国連のプレゼンスを正当化するものだとの考えに同意したと語った。

4月15日
BBC Summary of World Broadcasts
[RDP Anten 1 radio, Lisbon, 14 April]
CNRT、ビケケ攻撃を否定

 昨晩ビケケの軍ポストが襲撃され、兵士1人が負傷したとインドネシアは発表したが、ディリのCNRTスポークスパーソンのダビッド・シメネスはファリンティルの関与を否定した。
 [シメネス]ファリンティルは攻撃していない。この攻撃は行っていないのだ。ファリンティルは山にとどまっているが、軍が彼らのところにやってきたら彼らは防衛せざるをえない。しかし攻撃はしない。ビケケの事件については、インドネシア兵が負傷したということは、彼らが山にあがっていったのだ。状況を混乱させるためにこういうことをするグループがいる。

4月16日
ソリダモル発表
統合派司令官の呼びかけ

[以下は統合派武装集団の司令官エウリコ・グテレスによる呼びかけ文の要約。ソリダモルに送られてきたのが発表された。]

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B区域司令部
アイタラク(とげ)

呼びかけ

1. シャナナの闘争宣言に鑑み、
2. 現在まで、13県62市郡442村を統合派住民が支配していることに鑑み、
3. 現在まで、東ティモール州を統合派集団が支配していることに鑑み、

 1999年4月17日をもって以下のことを呼びかける。

1. 反統合派の公務員は全員辞任すること。
2. 反統合派の公務員で未だ統合派の便宜を受けているもの、たとえば、官舎、公用車、公用バイクなどを使っているものは、ただちにより権利をもっている統合派の闘士たちに返還すること。
3. 迫害を受け、テロを受け、強制的に金をとられている民衆は、ただちに統合派の闘士たちと協力し、統合を乱す者たちをその根にいたるまで一掃すること。

 最後に、諸君もその中にある民衆に対して、われわれ統合派武装集団の闘士は、反統合派集団のアナーキーな行動から諸君を守る盾となることを言明する。

1999年4月13日

統合派部隊戦争司令官
B区域司令官
(署名)
エウリコ・グテレス

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 統合派部隊司令官といえばジョアォン・タバレスだったはずだが、ここにはその名前が出ていない。エウリコ・グテレスだけの名前だ。エウリコは中でもとくに過激な人物だが、ジョアォン・タバレスに不満をもっている可能性も。

4月15日
Lusa, Jakarta
人権団体、リキサで62人死亡

 東ティモールの人権団体「ヤヤサン・ハック」は15日(木)、リキサでの4月5・6日の虐殺事件で62人が死亡したとの調査結果を発表した。さらに40人が負傷、14人が行方不明になっている。
 このうち5人は5日(日)にダトゥ村でおきた衝突で死亡。6日(月)のリキサ教会襲撃では57人の民間人が死亡。年齢は12才から53才にまで及ぶ。
 攻撃したのは紅白鉄隊であるが、リキサ県の軍小分区司令部(Kodim 1639)の第 143大隊の兵士たち、さらには軍分支部司令部(Koramil)、警察部隊までもがその支援を行っていた。
 犠牲者の遺体は6台の軍のトラックによって深夜に集められ、リキサとマウバラの間にある湖に捨てられた。

4月14日
AP, Dili
統合派武装集団、マリアナを攻撃

 東ティモール警察の副長、ムアフィ・サフジ大佐(警)は、マリアナを統合派の 250人が襲撃し、「少なくとも8軒の家がひどく破壊され、6人の独立派とみなされた活動家が軍司令部に避難している」と電話で語った。
 一方、スアイでは2人の独立派の東ティモール大学の学生が行方不明になっている。 東ティモール大学のテオ・バレラ学長は、インドネシア派の活動家が2人を誘拐したと考えていると語った。2人はJohn Ximenes Soares (sic), Bernadino Simau。 また東ティモールの軍報道官アグス・ヌルカサ大尉は、ビケケを独立派ゲリラが攻撃し、兵士1人を負傷させたと発表している。

4月16日
Sydney Morning Herald, Jakarta
国連の治安管理計画

 昨日、オーストラリアの北部準州政府が、国連の東ティモール作戦に関連して入札したい業者は国連に登録するようにと呼びかけた広告によって、国連の東ティモール作戦の規模などが明らかになった。
 その北部準州工業・ビジネス省が出した広告では、病気になったり負傷した国連スタッフをダーウィンに移送する設備が必要だろうとしている。北部準州政府はダーウィンが作戦の後方基地になることを期待している。
 また広告は、国連が臨時の宿舎、電力施設、軍隊方式の食糧配布、資材運搬用の船などがまずは必要だとアドバイスしてきたことも明らかにしている。
 省のスポークスパーソンは、広告はまだ時期が早いとはいえ、企業に国連の作戦について可能性を知らせるものであると言っている。

4月16日
ロイター、シドニー
アムネスティ、意図的な不安定化策を非難

 16日(金)アムネスティ・インターナショナルは、インドネシア軍と統合派準軍組織が意図的に状況を不安定化させ、東ティモール紛争の政治的解決をめざす外交プロセスを妨害していると非難する声明を発表した。

4月16日
Lusa, Jakarta
インドネシア軍、5人を殺害

 ディリの抵抗勢力筋によると、15日(木)ディリの南西36kmにあるグレノ村で、パトロール中のインドネシア軍兵士が若者の一団に発砲し、5人を殺害、数人を負傷させるという事件がおきた。事件の原因ははっきりわかっていない。
 同筋によると、反独立派武装集団が住民に一掃作戦で敵と見なされたくなかったら紅白旗をかかげるように要求するちらしを配っていたと言う。
 またエウリコ・グテレスは独立を支持する公務員は全員辞職するように脅迫していた。

4月17日
The Age
エウリコ・グテレスの犯罪歴

 ヤヤサン・ハックによると、エウリコ・グテレスは1988年に犯罪ギャングを組織し、ディリではギャンブル騒ぎのリーダーとして知られている。このギャングは、常にではないにせよ、東ティモールのインドネシア軍と密接な関係をもっている。1990年代の初め、エウリコ・グテレスはスハルト元大統領暗殺計画に関わった疑いで当局に拘束されたこともある。
 釈放後、彼は、スハルトの娘婿プラボウォ中将の指揮下にあった特殊部隊(コパスス)の支援をうけ、統合派のアビリオ・ソアレス州知事が設立した反独立派グループのメンバーになった。
 プラボウォは今や外国に暮らしており、インドネシアには過去の人権侵害が追求されるのが怖くて戻ってこない。
 ハビビ大統領の独立容認発言以後、エウリコ・グテレスは彼のグループを「アイタラク(とげ)」という名前にした。

4月16日
AP, Jakarta
5万人を警備として訓練

 東ティモール司令官トノ・スラトマン大佐は、投票の警備ボランティアとして5万人を訓練する計画だと語った。しかし彼らを武装させるという初期の計画は実行しないと語った。スラトマン大佐は昨年12月、440村で民間人による防衛団をつくることを発表していた。

4月16日
AFP, Dili
ディリに脅迫状出回る

 この2日間、統合派武装集団は、独立派活動家に対するいやがらせを目的としたちらしを配っている。
 ちらしは、ディリ市民に対し紅白旗をかかげるように求め、統合を支持しない公務員は解雇し、その受けている便宜を剥奪するよう求めている。また独立運動に同情を示すような者を批判するよう求めている。
 他にもまだ脅迫のちらしが出回っている。
 そのうちのひとつは、「完全掃討作戦」と称して、殴る人物のリスト、5月半ばまでのあいだにとるべき措置などを書いている。 東ティモールの地方当局は中央政府の公式的な立場である中立性をあからさまにかなぐりすてている。
 パレードは州庁舎の前で行われ、招待客にはいすやテントがあてがわれた。 海岸わきのレストランも閉じ、昼になっても物価はあがるばかりなのに商店や市場の物売りも半分しか開いていない。
 3ヶ月前にオープンした抵抗評議会の事務所も、閉鎖して3日になる。

4月17日
Fortilos
統合派武装集団の掃討作戦、前倒し

[以下はフォルティロスが発表した統合派武装集団によるディリ攻撃作戦を早めるとの声明である。]

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東ティモール掃討戦線
右派準軍組織「赤い血」

番号:025/OPS/R/IV/1999
1999年4月
用件:紅白作戦
性格:極秘

東ティモール州の全住民へ

紅白万歳

 東ティモールの全住民に告ぐ。東ティモール民族抵抗評議会総裁シャナナ・グスマォンの闘争宣言以後、すでに決定している「世界掃討作戦」を早めることにした。 そのため、統合を支持するすべての東ティモール住民は4月17日朝6時から5月15日まで紅白旗をかかげるように求める。
 かかげないものは、敵と見なす。
 インドネシア国軍諸兄にあっては、それぞれの持ち場を警備するようお願いする。

赤い血司令部
指導部
ラファエク・サブライ

4月17日
The Australian
オーストラリア大使館のリキサ報告

 4月6日にリキサの教会でおきた虐殺事件を調べたオーストラリア大使館の2人の外交官による極秘報告書は、インドネシア軍が殺害をとめようとしなかったと結論づけた。
 インドネシア軍が教会襲撃に直接関わっていたという証拠は、状況証拠以上のものではないが、軍がもっている銃と同じタイプの銃弾の傷があることも述べている。

4月18日
by Tom Hayland from Dili
ディリのアイルランド外相

[以下はアイルランドのアンドリュー外相のお供として4月17日にディリに到着したアイルランドの東ティモール支援グループ代表、トム・ヘイランドの17日の情勢に関する報告の要旨。]

 われわれは4月17日の午前11時にディリに到着。トノ・スラトマン司令官宅に向かう。われわれは会議には参加していないが、アイルランド政府役人と司令官が会談。司令官は、民兵の存在を認めたが、それが問題だとは思わないと言ったという。
 会談が続いているさなか、少なくとも4台のトラックに銃やロケット弾をもった民兵たちが乗って司令官の家の前を通った。われわれはその家のベランダにいた。軍は何もしなかった。
 しばらくするとマヌエル・カラスカラォンとその娘クリスが司令官の家にやってきて、統合派の集会がおわり、彼らが町中であばれまわって放火したり、空中に発砲したりしていると警告を発した。クリスは170人の避難民がいる彼女の家が攻撃されるのではないかと心配していた。
 会談は終わり、われわれは州知事宅へ向かった。(アイルランド政府の)役人たちはカラスカラオンが軍に民兵の行動に介入するよう求めている姿を目撃した。
 2時間後、ベロ司教と会見しているとき、マヌエル・カラスカラォンがドアをあけて入ってきて、彼の息子が殺されたと言った。クリスもすぐやってきた。彼女は泣いていた。訪問団は衝撃をうけ、怒りをおぼえた。その後、訪問団はマヌエルが家族をなぐさめられるように、また訪問団として何らかの保護を彼らに与えてあげられることを期待して、一緒にベロ司教宅をあとにした。 また訪問団は州知事にも会った。議論は激しかった。現時点でこれについてコメントすることはできない。
 ディリからの帰路、アンドリュー外相はアラタス外相に電話をして暴力を防ぎ、民兵を掌握するようすみやかな措置をとってほしいと要請した。また国際的な著名人(政治家?)にも電話をかけて、しかるべき立場から憂慮を表明するよう求めた。 今のところはこれだけ。次回また報告する。

4月18日
インターネット情報
(現地からの匿名外国人)

 今日はずっと静かだ。軍は死者を13人と言っているが、カラスカラォンは少なくとも30人はいると言う。
 東ティモール大学学生のフェルナンドくんからは、スアイで彼の学友が二人マヒディに水曜日に殺されたと聞いた。準軍組織はスアイの若者を強制的にリクルートしている。それでスアイの若者たちはみな森に逃げてしまった。フェルナンドくんはディリについたときふるえ、泣いていた。
 カラスカラォン宅にいた避難民たちは744大隊B小隊のベコラの駐屯地に連れて行かれた。暴力は受けていない様子で、望んでそこにとどまっているようだ。インドネシア軍が準軍組織の暴力から人を守っている例のひとつといえる。複雑で混乱させる話だ。
 今朝ベコラに行ってみた。発砲を聞いたということだったので。3人が撃たれ、一人が重体。腿に銃弾を受けていた。独立派の若者たちはナイフ、刀、パチンコなどで武装していた。私が準軍組織に何かされるかもしれないといったときにはかくまってくれた。外部に情報をもたらすために彼らはあらゆることをしていた。ジャーナリストは今15人ぐらいがいる。

4月18日
ロイター、ディリ
大統領アドバイザー、暴力を非難

 ハビビ大統領の外交顧問、デウィ・フォルトゥナ・アンワルが「われわれの責任だ。暴力行為を非難する。それが来週の外相会談を阻害しないことを望む」と語り、準軍組織を非難したとアンタラ通信が報道した。

4月18日
ロイター、ディリ
インドネシア軍、責任は独立派にある

 インドネシア軍は18日(日)発した声明で、「事件は反統合派が、数千人の統合支持者たちの行列を妨害し、発砲したりしたことから始まった。その結果、行列はパニックになり、責任者を探し始めた。しかし発砲した人物を見つけることができず、頭に血が上って独立派指導者たちを見つけて、彼らのせいにしたのだ」と述べた。
 国軍は12人の独立支持派の人が刺されて死亡したと述べた。負傷者は双方に出ている。
 しかし、ロイターのカメラマンなど目撃証言によると、事態はインドネシア派の連中が州知事庁舎前で集会を行ったあと、暴れ回り、やみくもに発砲し、独立派の指導者たちをさがしまわったことで始まった。
 目撃者たちは、マヌエル・カラスカラォンの家の襲撃には兵士(インドネシア軍)が関与していたと言った。
 また警察や兵士は、武装集団が示威行動として発砲したりするのを立ってみていた。 
4月18日
Fortilos
準軍組織、ジャカルタへ

[以下はインドネシアの東ティモール支援団体フォルティロスからのメモの要約。]

 4月16日(金)約150人の準軍組織メンバーが船でジャカルタに到着した。島外にいる東ティモール人活動家たちをターゲットにするためだ。とくにジャカルタ、ジャワのいくつかの地点にいる東ティモール人に焦点があたっているという。
 例えば、マリオ・カラスカラォン。Depok, Pisangan-Jatinegara, Rawasariなど東ティモール人学生が集団で住んでいるようなところ。またシャナナのいる家も襲撃する計画だという。
 ひとつの準軍組織はよくスポーツ選手が泊まるラグナンホテルで、このグループはヘラクレスという名のティモール人とエウセビオ・ベロ大尉(戦略情報部の仕事をしている軍人)と深い関係をもっている。
 もうひとつはボゴールのKelapa Dua、つまり機動隊の本部のあるところに泊まっている。
 われわれの情報源によれば、エウセビオ・ベロ大尉は、大量の金をもらって東インドネシア地方から民兵をリクルートし東ティモールで使っている。インドネシア軍が彼らに10億ルピアの金を与えた。小遣いも渡している。

4月18日
インターネット情報
ザキ・アンワルとキキ・シャナクリ

 インターネットで出回っている情報によると、17日(土)のディリでの統合派武装集団による襲撃に関連して、東ティモールにザキ・アンワルとキキ・シャナクリがいたということが明らかになっている。
 ザキ・アンワルは最近までインドネシア軍戦略情報部(BAIS)の長官をつとめていたが、今では軍の司令部にいる上級将校だが格別の役職をもっていない。しかしシャナナが民家に移されて以後、彼をたびたび訪問していることから、軍の現在の東ティモール政策に何らかの関係をもっているものと思われる。
 一方、キキ・シャナクリは1995年リキサのある村での軍による民間人殺害事件(たしか6人)の時、東ティモール司令官をしていた人物で、この事件によって彼は司令官をやめされた。彼は今、スバギオ将軍のもとにある陸軍の作戦補佐(Assistant of Operations)をしている。
 彼らがどのような任務で東ティモールにいたかは明らかではない。

4月20日
安保理、1976年以後初めて東ティモールを議論

 ポルトガルのガマ外相は、19日(月)国連安保理が1976年以来初めて東ティモールを議論したことを明らかにした。ブラジルの代表が事務総長に東ティモールの現状と交渉の状況についてただした。

4月19日
記者保護委員会の手紙

COMMITTEE TO PROTECT JOURNALISTS
330 Seventh Avenue, New York, NY 10001 USA Phone: (212) 465-1004
Fax: (212) 465-9568
Web: www.cpj.org
E-Mail: info@cpj.org

 ニューヨークに本部をおく「記者保護委員会」はハビビ大統領にあて、東ティモールでの一連の記者の安全が脅かされた出来事をあげ、報道の自由を保証するよう求める手紙を出した。
 ちなみにこの手紙に記されている記者の安全が脅かされた事件は以下の通り。
 (1)2月24日、ポルトガル民放テレビ記者Jose Alberto Caralhoとカメラマン Jose Maria Cyrniがディリで政府系暴徒によって襲われた。暴徒はカメラと携帯電話を破壊し、記者たちに銃をつきつけて脅し、彼らをひどく殴打した。
 (2)2月25日、統合派武装集団が各報道機関にファックスを送り、85万人の東ティモール人の命をすくうためならオーストラリア人記者または外交官の1人を犠牲にするほうがいいなどと書いていた。この声明はカンシオ・カルバリョが署名したものだった。
 (3)3月26日、マヒディの20人ぐらいの集団がスアラ・ティモール・ティムール紙の事務所を襲撃し、放火すると脅した。
 (4)4月9日、ガーディアン紙のJohn Aglionbyとサウス・チャイナ・モーニング・ポスト紙のJenny Grantが、リキサの教会での事件を調べようとリキサに向かっていたとき、紅白鉄隊がやってきてドライバーにすぐにディリに引き返さないと車に火をつけると脅した。警察は何もしなかったので引き返すしかなかった。
 (5)4月11日、リキサでのベロ司教のミサのあと、記者たちが乗った車の列が襲撃された。John Aglionbyは12日付のガーディアン紙にその襲撃の様子を描いている。車列についていた警察は何もしなかった。
 (6)4月17日、準軍組織はスアラ・ティモール・ティムール紙の事務所を破壊した。被害総額は23000ドルになる。
 (7)4月17日、マヌエル・カラスカラォン宅が襲撃された際、敷地内にAFPの Bernard Estrade、フリーランスのMarie-Pierre Verotがいた。彼らは押され、殴られ、銃を向けて脅された。準軍組織のメンバーたちは記者たちは殺すべきだと声を合わせていた。
 オランダの新聞フォルクス・クラントのGerrit de Boerとイギリスの雑誌ザ・バンカーのDermott O'Sullivanはその襲撃を敷地の外から目撃した。3人の民兵が彼らに近づき殺すと脅したので、彼らはその場を立ち去らねばならなかった。

Ann K. Cooper
Executive Director

4月20日
UDT Media Reliease
ヘラでの新たな殺害事件

 ディリからの情報によると、ディリの郊外にあるヘラ地区で30人ちかくが殺されるという新たな虐殺事件が発生した。武装集団がディリ方面からやってきて、インドネシアの国旗を掲げていない家族を襲って逃げていったという。

4月20日
ロイター、ロンドン
ブレア首相、リキサ事件で書簡

 20日(火)トニー・ロイド英外務次官は、リキサ事件に関してブレア首相がハビビ大統領に遺憾とする書簡を送ったことを明らかにした。

4月20日
The Independent (UK)
統合派武装集団、血を飲む儀式

 昨日アイレウでは数千人の武装集団が集合し、そのうち20人が血を酒にまぜた飲み物を飲む儀式を行った。彼らのスポークスパーソンであるバジリオ・アラウジョは「東ティモールの伝統では、われわれは深刻な状況にあり、それを迎える用意ができているという意味だ」と説明した。またバジリオは、民兵たちは独立派ゲリラから身を守っているだけだと言った。しかし彼はオーストラリアのテレビで「われわれは望むだけ人を殺すつもりだ」と言っている。
 民兵たちは、カラスカラォンやレアンドロ・イザークなどCNRTの指導者たちが暗殺リストに入っていることを認めている。彼らは今、警察の保護下にある。軍とちがって警察は命を守る努力を若干はしている。
 事情通によれば、次のターゲットはバウカウだという。バウカウのCNRTの代表マリト・レイスは支持者をおいていけないとして避難しないでいる。

4月20日
インターネット情報
ベコラでの殺害事件

 ベコラ地区の住民が話したところによると、19日(月)正午ごろ、いくつかの部隊(744大隊、521大隊など)の合同部隊がトラックに乗って、弓、槍、刀などで武装した独立派の若者たちの集団を追いかけ回し、発砲した。若者たちは準軍組織の攻撃にそなえて近所を警備していたところだった。
 兵士たちがやってくると若者たちは逃げ出した。兵士たちは「止まれ」と叫び、彼らの中にファリンティル・ゲリラがいると言っていた。負傷したのは、Jose Sabino (22), Adao Ximenes (22), Geraldo Monis (19)と他の6人が負傷。Jose Soaresはたまたま近くを歩いていて首に銃弾を受けた。 兵士たちはその後も2時間も発砲を続けたが、みな家の中にいて負傷者はいないもようだ。
 2人の重傷者が軍病院に運ばれ、あとは警察に拘束されている。 行方不明となった若者たちもいる。
 18日(日)には機動隊の東ティモール人の隊員が準軍組織の乗ったトラックに向かって発砲し、彼らを744大隊駐屯地まで追い払った。機動隊によると、彼らの家族もまたリキサで準軍組織に殺されたということだった。彼らはできるかぎり住民を守ると言った。軍、警察の中の東ティモール人は多くが独立支持派だということだ。

4月17日
General Assembly of European Development NGOs Brussels, 15-17 April 1999

 欧州開発NGO会議はブリュッセルでの会合で、以下を骨子とする東ティモール決議を採択した。

・インドネシア政府による民間人武装、暴力の扇動を非難する。
・国連事務総長の努力を評価する。
・インドネシア社会の中に築かれてきたインドネシア人と東ティモール人の連帯を歓迎する。
・CNRT、とくにその総裁たるシャナナ・グスマォンによる和平努力を歓迎する。
・インドネシア占領軍の即時撤退を求める。
・武装解除をモニターする国連がつくる国際的な部隊の派遣を求める。
・シャナナとすべての東ティモール人政治囚の釈放を求める。
・欧州委員会とメンバー国に国際法と関係する国連決議にもとづき断固たる態度を示すことをもとめる。
・欧州委員会とメンバー国に東ティモール人への援助を彼らの願望と戦略にそったかたちで倍加することを求める。
・NGOに東ティモール人の福祉、人権の伸長、持続可能な開発のため、東ティモール側パートナーとの連携を強めるよう求める。

4月20日
ロイター、サンフランシスコ
ホルタ「経済制裁を」

 ジョゼ・ラモス・ホルタはインドネシア政府がした約束については当初から懐疑的だった、悲劇的なことに、それが証明されてしまった、欧米豪諸国はインドネシアに対する経済制裁、軍事教育の停止、武器売却の停止などを考えないかぎり、インドネシア政府が扇動している暴力は終わらないと語った。

4月20日
Sydney Morning Herald
ハビビ、後退か

 昨日インドネシアでは閣議があり、国連にもっていく最終的な自治案が了承された。しかしあるハイレベルな政府筋によると、主要な閣僚とハビビは今や東ティモールの分離が他の地域の分離主義を助長することをますます危惧するようになっているという。
 その筋によると、インドネシアは国連、ポルトガル、オーストラリアに対して東ティモールであまりに良い態度をとりすぎたものの、結局、受けたのは批判ばかりだとの感情が強くあるという。「われわれは何の代価もえることなく東ティモールを守ってきた。だから最後には東ティモール、ポルトガル、そして世界に対して地獄へ行きやがれと言うべきなのだ」とその筋は語った。
 ウィラント総司令官は昨日、この2週間、独立派活動家らを殺害したインドネシアの後ろ盾をえた武装集団の違法な武器をさしおさえると約束した。しかしウィラントはまた、これら彼のインドネシア軍が武装した集団は国を守るために必要だとも述べた。そして彼は、合法的に彼らに手渡された武器ならば携帯してもいいことを明らかにした。
 ウィラント総司令官は彼の15000人の兵士を引き上げ外国の軍隊による平和維持を認めるべきだとの呼びかけには「不可能だ」と反論した。そしてインドネシア軍はこの間の殺害について警戒態勢になかったために防ぎようがなかった、とも語った。

4月20日
Sydney Morning Herald
by Hamish McDonald
ハビビは軍の意向を無視した

 インドネシアのよくわからない東ティモール政策についての説明を、ジャカルタの事情通(well-placed sources in Jakarta)が次のようにしてくれた。
 それはインドネシア軍指導部はハビビの独立容認案について、事前に協議も受けておらず、今もって賛成していない、インドネシア軍はいかなることがあっても東ティモールを手放したりはしないというものだ。ハビビの発言は一時の感情にかられたものだった、とその筋は語った。
 その筋というのはスハルトにも近い筋で、インドネシア軍指導部の大半は今もってスハルトに忠誠をちかっている者たちだという。
 このところの統合派武装集団の問題は、独立派を手なづけたいという目的はあるとしても、ポルトガルを挑発して国連交渉から撤退するようにしむけるという意図があるのではないか。

4月20日
Sydney Morning Herald
州知事、住民はメディアに話すな

 アビリオ・ソアレス東ティモール州知事は、「人々が状況について心配しているというような話はもう聞きたくない」として、人々がメディアに話すのを禁じた。
 ソアレス州知事は、19日(月)、17日(土)の継続としての民兵の就任式を州庁舎前で行った。そこではディリを拠点とする準軍組織アイタラクの指揮官、エウリコ・グテレスが全体の指揮者としての役割を承認された。

4月20日
The Age, Jakarta
新聞社閉鎖

 新聞発行ができなくなって、東ティモールの人たちはますますインドネシア国営テレビ放送などインドネシアよりのニュース報道に頼らざるをえなくなっている。
 「スアラ・ティモール・ティムール」紙は17日の襲撃で、機材などが破壊された。 一方、「ノバス」紙の所有者はソアレス州知事および彼の個人的な秘書であるエクスペディト・シメネスらだが、先週すでに自主的に事務所を閉鎖している。
 シメネスによれば理由はインドネシア人移民がいなくなって広告主も読者も減ったことによる。ノバス紙の14人の記者は、独立派を利するような記事をかかないようさいさい脅しを受けていた。
 またインドネシア国営ラジオ放送で働いている東ティモール人スタッフも、武装集団による脅しで職場にこわくて行けない。
 住民は、先週末の暴力的事件後、インドネシア国営テレビ放送が浜辺の漁師の姿やわらっている子どもたちの顔を映すなど、バイアスがかかっていると不満を述べている。
 さらに土曜日の虐殺のあとでも、ニュースは民兵のパレードについてばかりで、その後おきた暴力的な事件については報道しない。
 スアラ・ティモール・ティムール紙は47000ドルの被害を受けたが、5月初めには発行を再開する予定だ。

4月20日
The Age
殺されたマヌエリト

 マヌエリト・カラスカラォン(17)は家族に、東ティモールのために死ぬよと言って、実際、死んでしまった。ポルトガルの大学に留学するため東ティモールを出ようとしていた2週間前の出来事だった。17日(土)、民兵集団に射殺されたのだ。
 昨日、メルボルンのGPO(郵便局?)に彼の家族が集まって、彼の写真をたかくかかげ、この少年に何が起きたのか世界に知らしめようとした。
 そこには彼のいとこにあたるアナ・カルラ、カロル、フランシスコ神父、そしてマヌエリトの異母(父)兄弟マヌエルと彼の子どもたちの姿があった。
 マヌエリトの叔母、マリア・ガブリエラ・カラスカラォンは、彼女のおい、89才になる彼の祖母ドンナ・カルメリンダ、そしてその他大勢を死に至らしめた殺害について、群衆に語りながら、ふるえていた。
 家族たちは彼のことを思い、泣き、そして抱擁しあった。
 マリア・ガブリエラ・カラスカラォンにとって、甥の死は何にもまして耐え難いものだった。彼が殺される20分前、彼女は彼と電話で話をし、暴徒の様子を聞いていたのだ。マヌエリトは彼女に、エウリコ・グテレスが数分前に家に入ってきて父親(マヌエル・カラスカラォン)を探していたと伝えていた。
 「私のおいは、この暴徒たちが入ってきて、彼を壁におしつけながら、父親の居所を聞いたと言った。彼が父はここにはいないと言ったら、そのリーダーは彼に向かって、おまえらみな死に値する、おまえらは裏切り者だと言ったの」
 マリアは家から逃げるように言った。
 「でも彼は言ったの。『おばさん、それはできないよ。この家からは逃げていけない。ここには子どももいるし、難民がいるんだ。おいてはいけない。ぼくは大丈夫だから、心配しないで、おばさん』」
 この電話のあと、マリアは親戚の人たちにマヌエリトは大丈夫だということを伝えようとあちこちに電話をかけた。しかしその15分後、友人から電話が入った。
 「それはディリからで、友人がマヌエリトが殺されたって言うの。私は反論したけど、彼は『彼があの家で最初に殺されたんだ。撃たれたのは足だったけど、そのあと誰かが刀で彼を斬ったんだ』と言ったの」
 そうマリアは言った。

4月20日
ETRA (East Timor Relief Association)
さらなる民兵就任式

 ディリの州庁舎前広場で民兵の就任式が行われ、ディリ市長のドミングス・ソアレスが、アイタラクのリーダーでありすべてのインドネシア軍が支援する武装集団の副司令官であるエウリコ・グテレスを東ティモールの治安と安定の責任者になるだろうと発表した。
 またアイレウではかなり大きな準軍組織のデモがあり、何人かのジャーナリストがバジリオ・ド・アラウジョとともにそこへ行っている。
 バジリオは質問に答えて「東ティモール人はインドネシア軍が怖くて統合を支持しているのではない。7月の投票の際にはインドネシア軍は一旦引き上げてもらって、自治案が賛成多数となった後でまたもどってきてもらえばいい」と語っている。

4月19日
South China Morning Post
軍指導部は17日のディリ襲撃を知っていた

 昨日、外交筋が伝えるところによると、17日のディリ襲撃をインドネシア軍の最高指導部は先週ジャカルタでのある調整会議で議論していた。 この会議はチランチャップにある軍本部で開かれ、ウィラント司令官始め、第9管区司令官アダム・ダミリ少将、東ティモール司令官トノ・スラトマン大佐が出席していた。
 17日(土)の早朝、マヌエル・カラスカラォンはトノ・スラトマン大佐に保護を求めたが、大佐はこれを「軍は中立を保たねばならない」という理由で断った。

4月19日
Antara, Kupang
東ティモール人難民はわずか355人

 西ティモールをもつ東ヌサ・トゥンガラ州政府スポークスパーソンのナニ・コサピラワンは19日(月)、1月のハビビ大統領の独立容認発言以後数千人が東ティモールから東ヌサ・トゥンガラ州に避難したが、東ティモール人はそのうち355人にすぎないことを明らかにした。
 つまり、州境を越えた人の数は多かったが、ほとんどはジャワなどそれ以外の州へ行った(つまり帰還した)ようで、アタンブアの難民キャンプに残っているのは355人だけだということらしい。

4月19日
AFP, Dili
インドネシア政府:原因は独立派の挑発

 19日(月)アラタス外相は「2つの集団間で武力衝突が発生したことを非常に残念に思う」と語った。
 東ティモール警察署長ティンブル・シラエン大佐(警)は、「われわれはお互い殺し合っている人々を集めようと努力している。これまでわれわれは彼らを引き離してきた問題は彼らはお互い話し合うというより仇をうちたがっているということだ」と語った。
 ジャカルタではウィラント総司令官が、東ティモールの治安回復のために断固として行動するよう軍・警察に命じた。
 しかしAFP記者がディリで19日(月)に見たところでは、ベロ司教宅以外はほとんど警備がなされていない。

4月19日
Media Indonesia
ベロ司教、軍の無能ぶりに憤慨

 ベロ司教は「騒ぎがおきても、今では軍は十分なスタッフも設備ももたないと言われてしまう」と軍の無能力を批判した。
 ベロ司教はウィラフサダ陸軍病院へ行き、12人の死者のために祈り、6人の負傷者を見舞った。そのあと、ベロ司教はザッキー・アンワル中将とキキ・シャナクリ少将、トノ・スラトマン大佐とともに会った。
 「私は彼らにテロと迫害を受けている東ティモール人を保護するよう求めた」と司教は言った。また犠牲者の遺族たちがその遺体を引き取ることを許すようにも求めた。

4月19日
Lusa, Jakarta
300人の暗殺者リスト

 マリオ・カラスカラォンが19日(月)、ルサに語ったところによると、300人の暗殺ターゲットを記したリストをもった150人の暗殺部隊がジャカルタに到着した。ターゲットのトップにはマリオ自身があがっていると言われているが、シャナナもその中に含まれている。暗殺部隊はエウセビオ・ベロが率いており、16日(金)船で東ティモールからジャカルタに到着し、ジャカルタのラグナン、クラパ・ドゥア、ラワサリの3地区に展開する予定だという。

4月18日
ヤヤサン・ハック(ディリの人権団体)
17日の死者数など

(1)マヌエル・カラスカラォン宅の近所のある住民が電話でソリダモルに伝えたところによると、17日(土)の同氏宅襲撃の際、18個の遺体をその人自身の目で数えることができた。また同じ住民によると、襲撃後、カラスカラォン氏宅に通じる道はインドネシア軍が出てきて封鎖した。夜には軍のトラックが何台かやってきて、まだ無事でいた避難民などをのせて連れ去った。
(2)18日(日)午前10時ごろ、ディリのベコラ地区に統合派武装集団がやってきていきなり空中に発砲し、路上にいた住民はパニックになった。その後いかなる経緯かは明らかでないが、住民2人が死亡した。
(3)今日マリアナからきた住民によると、カイラコで70人ちかくが殺害、または行方不明になっている。これは4月13日にファリンティルが統合派指導者マヌエル・ソアレス・ガマを襲撃し死亡させるという事件がおき、ボボナロ県の司令官シアギアン中佐がガマ宅で同日5人を処刑し、その後も軍司令部とハリリンタルがファリンティルの協力者とおぼしき者たちを逮捕して回っていることの結果だ。

4月19日
AFP, Jakarta
ムラディ・シャナナ合意

 19日(月)ムラディ法相とシャナナは、戦争宣言はなかったとすることで合意した。「インドネシアのマスコミによってインドネシア人に対する戦争宣言がなされたと報道された4月5日のシャナナの声明については誤解があったようだ」とムラディ法相は語った。
 シャナナは「私の声明は戦争を先導するものではなく、自己防衛のためだけのものであり、それが誤解されたことを説明した」と語り、平和的な手段を通じた問題の解決へのコミットメントを改めて確認した。
 一方、ムラディ法相は「自己防衛はとめることはできない。それは人権だ。私は統合派の友人たちに平和的解決のための対話の道にもどるよう求めたい」と付け加えた。

4月6日
AFP, UN
国連事務総長、平和維持軍を改めて否定

 6日(火)コフィ・アナン事務総長は、東ティモール人とインドネシアとの双方に改めて自制をもとめつつも、平和維持軍の派遣はないとの考えを明らかにした。

4月21日
インターネット情報
ディリの状況

 午前2時か3時頃、トゥーリスモホテルにいて聞こえるぐらいの距離で発砲音があった。
 8時、ウィラント司令官がベロ司教、バジリオ司教と会見。 店はほとんど閉まっている。
 ベロ司教はウィラント司令官が提案した「和平協定」に最終的には署名しなかったようだ。
 学生たち(学生協議会とレニティル)は国連事務総長に手紙を書き、この協定は事務総長が介在しなければ信用できないので機能しないと訴えるつもりだ。

4月21日
AFP, Tokyo
暴力に日本、懸念表明

 21日(水)高村外相は、ギナンジャル経済調整相に電話をした際、「日本は東ティモールで発生している暴力を憂慮している。インドネシアには和平プロセスを後退させないよう努力してほしい」と語ったと伝えられる。
 また10分間の電話において、高村外相は「インドネシア軍が暴力を鎮圧するのに十分な努力をしなかったとの見方があることは残念だ」とも述べた。
 ギナンジャル調整相は「インドネシア政府は努力している」と述べたという。 高村外相はアラタス外相にあてて暴力に対処するよう書簡も送った。

4月21日
Kompas Online, Dili
マヌエリトの遺体、返還される

 トノ・スラトマン大佐はディリでの事件では12人の遺体が家族に返還された。マヌエリト・カラスカラォンの遺体は父のマヌエル氏に返還され、コモロに埋葬された。 残りの11体はリキサの村長たちに返還された。
 ティンブル・シラエン警察署長によると、死者は14人で負傷者は7人いる。このうちリキサからの避難民が大半だが、ディリの住民も4人いた。

[ソリダモルはベロ司教によるカトリック教会の和平協定に対する態度をインターネットで発表した。以下はその要約。]

(1)
国軍総司令官のディリ訪問についての東ティモールカトリック教会の態度

・われわれディリとバウカウの司教は、和平協定の立会人となる用意があるが、協定の中身をあらかじめ読み、理解する必要がある。
・われわれディリとバウカウの司教は、和平協定調印式に先立ち、国軍総司令官との非公開の会談を求める。
・われわれディリとバウカウの司教は、CNRTがあらかじめ和平協定の中身を検討し、それに合意することが必要と考える。

以上。

1999年4月20日
ディリ教区司教
カルロス・フィリペ・シメネス・ベロ

(2)
ディリ・バウカウ教区司教による態度表明

・両司教は単に立ち会い証人となることだけを了承する。協定に署名することはバチカンの了承が必要なため、その了承がえられたのちに行う。

1999年4月21日
ディリ教区司教
バウカウ教区司教

4月21日
Lusa, Washington
53人の米議員のアピール

 20日(火)53人の米議員がクリントン大統領にあてて、東ティモールの平和的解決のために万全の政治的、経済的支援を行うことを求める書簡を提出した。

[この事件に関してはまだ対立する情報が出回っていて、確認できない。]

4月21日
UDT Media Release
ヘラの殺害

 ディリ郊外の丘陵地にあるヘラでの殺害は死者数30人にまでなっているとの報告を現地から受けた。ヘラでの殺害は昨日、21日の昼間におきている。

4月22日
インターネット情報
ヘラの虐殺はウソ

 ディリにいる外国人からのメールによると、ヘラで虐殺があったというのはうわさにすぎなかったことが明らかになった。ただ準軍組織とファリンティルの衝突があって、負傷者がでたもようだ。

外務省のページから転載します。
(http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/happyo/danwa/danwa_11/dko_0506.html)

高村外務大臣談話
東チモール問題について
平成11年5月6日

1. 5日(水)(日本時間6日)、ニューヨークにおいて、東チモール問題に関するインドネシア、ポルトガルおよび国連の三者の間における合意が予定通り署名されたことを歓迎する。既に、去る4月23日(現地時間)のニューヨークにおける原則合意達成を受け、小渕総理大臣よりハビビ・インドネシア大統領に対し、また、私よりアラタス・インドネシア外務大臣に対し、書簡により、歓迎の意とともに祝意を表したところであるが、この問題の平和的解決に向けた関係当事者の努力に対し、改めて敬意を表したい。

2. 今回署名された合意は、自治提案に対する東チモール人の民意を問うための直接投票の実施をうたっており、署名は、東チモール問題の平和的解決に向けたプロセスを前進させるものである。わが国としては、予定通り8月8日に直接投票が円滑に実施されることを期待している。

3. わが国としても、この問題の平和的解決のため国連、関係各国と緊密に連携しつつできる限りの貢献を行う用意がある旨表明しているところであるが、今回の署名を受け、8月の直接投票実施に向けた国連による準備作業等に対する具体的な支援を早急に実施すべく、検討を進めている。

4. 東チモールの治安・安全の確保については、インドネシア政府が引き続き責任を果たす旨合意されており、小渕総理大臣よりハビビ大統領に対し、また、私よりアラタス外務大臣に対し、各々上記の書簡において要請したとおり、わが国としては、インドネシア政府及び国軍の関係者ができる限りの努力を継続し、和平プロセスが平和裡かつ円滑に進展するよう希望している。

(注)東チモール問題に関しては、去る4月23日にニュー・ヨークにおいて原則合意が得られており、インドネシア政府が右原則合意を了承したことを受け、5月5日(現地時間)の署名となった。
 この合意は、東チモール自治提案についての東チモール人直接投票による民意確認及び右実施のための東チモールにおける適切な国連のミッションの設置を国連事務総長に要請すること、インドネシア政府が東チモールにおける平和と治安の維持にあたること等を内容としており、東チモール自治に関する提案が附属書として添付されている他、別個の文書として、民意確認の方法についての合意及び安全確保の枠組みについての合意が添付されている。

4月20日
ABC
ダウナー外相、70%が独立を希望

 ダウナー豪外相は、東ティモール人の7割が独立を希望しているとの見方を示した。これはつまり有意味な少数派がいるということだと述べた。インドネシアの大臣たちの中には東ティモールから単に自由になりたいだけの者もいるとも語った。

4月20日
Fortilos
20日の状況

 夕方5時頃、ディリ・ホテルの前で武装集団が通る車をとめて身分証明書をチェックしている。この武装集団はかつてトロピカル・ホテル(ポルトガル時代の、ベコラにあるものではなくて)だった、マヌエル・カラスカラォン宅の左側にある建物を拠点にしている。ここはガルダパクシ(武装集団のひとつ)の拠点となっていたもので、(インドネシアの)改革以後、アイタラクの巣窟となっている。ここで彼らは合同諜報本部(SGI)と話し合いをもっている。

4月21日
Lusa, Jakarta
紅白鉄隊5人を殺害

 抵抗勢力筋がルサに語ったところによると、21日(水)紅白鉄隊がディリの南西 30kmにあるバザルテテの町で5人の若者を殺害した。この殺害はディリでいわゆる和平協定が調印された数時間後におきたものだ。

4月22日
Fortilos
マヌエリトの死の状況

 ヤヤサン・ハックの調査によると、殺されたマヌエリト・カラスカラォンらの状況は次のようなものだった。
 マヌエル・カラスカラォン・ジュニア(=マヌエリト)(18)は人道のためのボランティア・チームのメンバーとして、自宅に集まってきた避難民たちの世話をしていた。彼の遺体には、左額のまゆのあたりから頭の後に貫通した銃弾のあとがひとつ、腹部に背中まで貫通した刀による刺し傷が2つ、背後から左肩を斬られた傷があった。おそらくその場で死亡したものと思われる。遺体はウィラフサダ病院にもって行かれたが、ベロ司教と遺族がトノ・スラトマン司令官に要請したことで、4月19日に返され、カトリックの儀式にしたがって埋葬された。

4月22日
ロイター、ディリ
インドネシア側は5人殺害を否定

 21日(水)にバザルテテで紅白鉄隊が5人を殺害したとのルサの報道に関して、ディリ警察は「われわれはこの24時間の間にあらたな暴力ざた、衝突の報告は受け取っていない」と事件を否定した。

4月22日
ABC
カラスカラォン宅目撃者

 17日(土)に襲撃されたマヌエル・カラスカラォン宅で負傷した目撃者がクリニックで証言した。この2人の若い男性の証言者は、その場に制服をきた軍人がいたこと、顔を布で隠し黒い服をきた一団が暴力に関与していることについて語った。彼らは覆面部隊は兵士ではないかと考えている。

4月22日
ソリダモル
インドネシア軍は攻撃を再開

 東ティモール民族解放軍(ファリンティル)の第3地区司令官ファルール・ラテライが22日夜ソリダモルに連絡してきたところによると、インドネシア軍は和平協定を結んで間もないのに、いくつかのファリンティルの拠点を攻撃した。
 攻撃されたのはアイレウ、レメシオ、ソイバダ、バリケ、ラクルバルである。 またインドネシア軍は民家や一般の田畑も襲撃している。
 ファルール司令官によると、この作戦は301大隊の1200人の兵士によって強化されたものだ。この部隊は4月12日にはすでに東ティモール入りしていた。 司令官はインドネシア軍の和平協定違反を強く非難した。

4月22日
Lusa, Jakarta
抵抗勢力は停戦を要求

 抵抗勢力ゲリラのスポークスパーソンになっているマウフヌはディリからの電話で、「インドネシア軍が民間武装集団を武装解除し、インドネシア軍と東ティモール民族解放軍の間で停戦協定が結ばれるべきだ」と語った。

4月22日
インターネット情報

 現地からの情報によると、スアイ近くでこのところかなりな人が殺されたらしい。教会筋によると死者はすでに42人にのぼっているが、おそらく100人以上にまで増える可能性がある。
 スアイの住民によれば200-300人ぐらいが殺されたという感じがするとのことだ。 スアイ、アタバエ、ズムライあたりで「ラティ(Ratih)」という名前のもとに暴力をふるっているらしい。(ラティとはインドネシア政府がリクルートしている正式な民間警備組織のこと。)彼らは飛行機でスアイに到着し、スアイの軍司令部を中心に活動している。
 住民はすでに助けを乞うているが、アクセスが難しい地域なため、ジャーナリストも取材していない。

4月22日
AFP, Jakarta
インドネシア軍の和平破り

 東ティモール民族解放軍(ファリンティル)の第3地区司令官ファルール・ラテライがジャカルタの東ティモール支援組織ソリダモルに伝えてきたところによると、インドネシア軍はみずから結んだ和平協定をすでに破ってしまった。
 司令官は、301大隊の1200人の兵士が4月12日から現地では攻撃を行っていると主張。攻撃箇所はレメシオ、ソイバダ、バリケ、ラクルバル。 ディリの軍当局からの確認はとれていない。

4月23日
Fokupers(東ティモール女性連絡協議会)
17日襲撃の犠牲者たち

1. マヌエル・カラスカラォン宅での負傷者が7人、ウィラフサダ軍病院で確認された。名前は以下の通り。
 Victor dos Santos, 19
Alfredo Sanches
Joao
Agapito Ximenes
Manuel Gama
Alfredo de Jesus
Antonio Miulelo
 みな、麻酔もせず荒っぽく縫われている。彼らが痛みのため泣き叫んだりしていると、軍人がやってきて「東ティモールをまた支配しようとしているポルトガル人のおかげで、おまえたちはお互い殺し合いをしている」などと言った。

2. マヌエル・カラスカラォン宅で殺された人。土曜日の夜にウィラフサダ軍病院の遺体安置室に運ばれ、その深夜2時ごろ、3台のトラックでいずこへとも知らず運び出されたようだ。(その時、トラックが軍病院を出たり入ったりしたが、3回電気がつけては消された。)
 インドネシア軍が証拠としているのは12遺体だ。その中にはマヌエル氏の息子も含まれている。他の遺体についてはサンタクルス墓地に埋葬されず、まだ家族に戻されていない。
 記録によれば、マヌエル氏宅にはまだ102人の避難民がいる。軍は12遺体しか提示していないが、他の遺体はどこへ行ったのか、わからない。
 赤十字国際委員会はマヌエル氏宅に救援に向かったが、インドネシア軍がその場に入るのを許さなかった。それどころかインドネシア軍によって罵声を浴びせられた。午後3時ごろ再び現地に行ったときにはもはや血の海しかなかった。

4月23日
Sydney Morning Herald, Dili
カラスカラォン宅襲撃の生存者の証言

 モタエル教会のクリニックにいる二人の生存者が事件について証言した。 ビクトル(19)は左足に銃弾を受け、右腕に刀による切り傷、右耳のそばにナイフによる切り傷を負っている。
 「突然、伝統的な武器をもった統合派の人々が家に入ってきて、あらゆるものを壊し始めた。そしてマウバラから来ていた人たち(避難民)を殺し始めた。マヌエリトが死んだときぼくはそこにいた。やつらは彼を外に連れだした。彼を殺すのに伝統的な武器を使っているものもいた。まず、彼を撃って、それで彼が逃げられないようにし、それから伝統的な銃を使って彼を殺したのだ」
 統合派のスポークスマンになっているバジリオ・アラウジョが、その家に統合支持者が人質になっていると言っていることについて、彼(ビクトル)は否定した。
 「それは正しくない、ばかげた主張だ」
 彼はマヌエリトが殺されたときインドネシア兵がいて、彼らは「ニンジャ」の服をきて顔を覆っていたと言う。
 「彼らが顔を隠していたということは、インドネシア人兵士だということをぼくたちは知っている」
 またアルフレド(19)は背中を撃たれ、胸に重傷を負っている。彼もまたビクトルの証言を支持した。
 

4月22日
ロイター、ディリ
準軍組織は和平協定を無視

 ディリの住民たちは、昨日署名されたばかりの和平協定を、インドネシア派準軍組織が無視し、住民を脅し、ディリを事実上封鎖状態にしていると言っている。
 ピストルをふりかざす準軍組織メンバーがジャーナリストの一団を脅し、ディリで帰るように命令した。ジャーナリストたちはインドネシア政府の人権委員会チームがリキサでの事件を調査しにいくのに同行していた。 夜になると、インドネシア派準軍組織が市内の道路を武装して管理しているため、住民は怖がって外出できない。
 「ディリ郊外に住んでいてディリ市内で働いている人でも、時間内に帰宅しないと帰れなくなってしまう」
 とある住民は言う。


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