東ティモールニュース

1999年4月前半


4月1日
Lusa, Jakarta
インドネシア、医者を派遣

 1日(木)国営アンタラ通信社は、今週初め、インドネシアが東ティモールに40人以上の医者を派遣したと報じた。

4月2日
Sydney Morning Herald, Jakarta
本当に投票は可能か?

 ジャカルタの外交官たちは、すぐに国連が平和維持軍を派遣しない限り、東ティモールが混乱しさらなる暴力が発生すると懸念している。
 マリオ・カラスカラォンは、インドネシア政府は国際的な平和維持軍が投票を監視することを許すつもりはないと言う。
 「私はインドネシアが国際的な平和維持軍を許すつもりはないと思う。それが私のえている情報だ。その代わり、インドネシア軍が投票の時村々に入ることを提案している」
 シャナナはウィラント総司令官は東ティモールでのインドネシア軍による殺害、暴力に責任があると強い言葉で非難した。
 インドネシア外務省のディノ・パティ・ジャラルは、インドネシア政府の新しい東ティモール政策はウィラント司令官のものではなく、インドネシア政府のものであり、政府は誠実にそれに対応していると弁護した。彼はさらに、もしシャナナが平和を誠実に望むのであれば、昨年3人の兵士を殺して奪った武器を返還するようゲリラに命令すべきだと言った。

4月1日
Lusa, Lsibon
ポルトガル、緊急援助を承認

 ポルトガル政府は、東ティモールへの緊急食糧・医療援助、希望者のポルトガル移住、海外亡命者のセンサス費用として280万ユーロ(3億6千万円程度)を承認した。またこの予算は、国連が東ティモールで投票を準備するのにも使われる。

4月2日
BBC Summary of World Broadcasts
Kompas (Jakarta), 1 Apr
東ティモール人学生の帰還を批判

 インドネシア支配下の東ティモール州議会民主党会派副議長、ジョアォン・ボスコは昨日(3月31日)、東ティモール人学生たちが投票に向けて住民を教育するため次々と帰還している事態について、「学生は自分個人の利益だけのために勉強すべきだ。これは平和を乱す。現実政治の教育は国連プログラムの一部になっている」などと批判した。
 東ティモールに到着したある学生は、シャナナの手紙を受けた学長が帰還指示を出したため帰ってきたと答えた。学生たちは4月から3ヶ月の休暇をとって帰還している。

4月3日
BBC Worldwide Monitoring
Antara, Jakarta
ウダヤナ司令官:外国の軍隊はいらない

 4月3日(土)、ディリを訪問した第9管区ウダヤナ司令部司令官アダム・ダミリ少将は、インドネシア軍はまだ現地の治安を守る能力があり、国連であろうとオーストラリアであろうと外国の部隊は必要ないと語った。
 「私はデンパサール(バリ)でオーストラリア人ミリタリー・アタッシェ(大使館付き武官)と会ったが、彼もオーストラリアが東ティモールに軍を送ることは不可能だと言っていた」と言った。
 民間人武装問題について、ダミリ少将は「インドネシア軍は非常に限られた民兵( militia)にしか武器を与えていない」と語った。しかし「もし統合派のグループが他グループによる暴力、テロ、迫害などから身を守るために団体を設立するようインドネシア政府に要請したとしたら、それは当然のことだ」とも語った。
 さらに「ジョアォン・タバレスを統合派司令官に任命したことは適切なことだし、インドネシア軍はそれは問題だとは思わない」と言った。

4月5日
AFP, Dili
紅白鉄隊、リキサを襲撃

 東ティモールの独立派人権活動家によると、ディリから33キロ西にあるリキサの町を、統合派武装集団「紅白鉄隊」が襲撃したと語った。
 リキサの軍司令部も警察とは、事件の詳細については確認できなかったが、CNRTのアントニオ・ダ・クルスは、マウボケ村への襲撃で3人が死亡し8人が負傷したと語った。(これはリキサの西15キロ)
 死亡した3人は軍がリキサに連れていった。負傷したうちの4人はディリのビダウ病院、別な4人はモタエル教会クリニックに連れて行かれた。
 事件後、リキサとディリを結ぶ道路が軍によって封鎖されているとダ・クルスは言う。
 負傷者が言ったこととして、ダ・クルスは、攻撃は機動隊と軍小分隊(koramil)に支援されていたと語った。

4月8日号
Far Eastern Economic Review
イギリスでの東ティモールセミナー

 ロンドンで3月29-30日、英国王立国際問題研究所とポルトガルの同様の研究所が主催したセミナーに、ジョゼ・ラモス・ホルタ、デウィ・フォルトゥナ・アンワル(ハビビの外交顧問)、グライト・ウソド(空軍少将)、キキ・シャナクリ(元東ティモール司令官)が参加し、「インドネシアの政治的移行」について議論した。
 ある参加者によると、デウィとホルタはほとんどすべての点において一致していたが、軍人は心地よくなさそうだった。ホルタは、ハビビが選挙に勝てば、インドネシアにとっても東ティモールにとってもいいことだ、主要な候補者の中で彼が一番東ティモールについては常識を示した、と語った。

4月5日
Lusa, Jakarta
医薬品が阻止されている

 東ティモールにいる米人医師、ダニエル・マーフィー氏が電話による連絡で、東ティモールの税関が、オーストラリアが寄付した40トンの医薬品を1週間も留め置いている、このままでは紛失が心配されると語った。医薬品は3月29日にダーウィンから船で到着した。
 「最大の問題は、ほとんどの薬が保証期限がせまっていることだ。つまりこうした妨害が続けば、すべての薬を使うことができなくなる」とマーフィー氏はルサに語った。
 彼はまた「税関はこれらの薬を上陸させるのに、大勢の人々があれこれと書類にサインすることを要求しているということだ」と語った。
 医薬品はオーストラリアのマリー・マキロップ協会とセント・ビンセント・デ・ポール協会が寄付したもの。

4月5日
Indonesian Observer
東ティモールへ1864万ドル予算

 東ティモール地方開発庁のスダルト所長は、1999/2000年予算において、インドネシア政府は東ティモールの開発資金として1864万ドル(1659億ルピア)を支出すると発表した。このうち1591億ルピアは県レベルの開発に使われる。県レベルの開発資金は昨年は1067億ルピアだった。

4月5日
AFP, Washington
国務省、シャナナの声明に憂慮

 5日(月)、米国務省のルービン報道官は、シャナナの闘争再開宣言について「現在まだ報道されている声明を確認していないが、われわれは彼にその真意をたずね、もし報道されている通りであれば、再考するように求める。それは危険で問題の多い展開だ」と語った。

4月5日
ロイター、リスボン
ポルトガル、リキサ事件に憤慨

 ポルトガル外務省は、「本日起きた事件に大きな憤りを表明する」声明を発表した。一方、シャナナの声明についてはまだ対応を検討中としてコメントしなかった。国連交渉は継続する。

4月5日
新華社
ハビビ、関係閣僚を突然召集

 5日(月)ハビビ大統領は7人の閣僚を突然召集して、東ティモール問題を討議した。呼ばれたのは、フェイサル・タンジュン政治治安調整相、ギナンジャル経済調整相、ハルタツト開発監察調整相、ハルヨノ・スヨノ福祉調整相、ウィラント国防相兼総司令官、シャルワン・ハミド内相、アラタス外相の7人。
 アラタス外相によれば、会議では自治案の完成と東ティモールの分離という選択肢について討議がなされたと言う。

4月5日
Fokupers[東ティモール女性連絡協議会]
リキサ事件の証言

 リキサでは4月4日(日)、教会から信徒たちが帰宅したのち、紅白鉄隊が夕方リキサの町を襲い、独立を支持する住民を全員殺害する計画だとの噂がひろまり、住民はパニックにおちいった。
 当女性連絡協議会のメンバーが偶然、武装した紅白鉄隊がマウバラの要塞跡から出てくるところを見かけていたが、二人のそのメンバーは彼らがリキサを襲撃するところだったとは思いもしなかった。
 彼女たちはファトゥブエレテ(Fatubuelete)について、そこでは住民たちが弓矢、山刀などをもちだしているのを見た。たずねる勇気もなかったが、リキサに着いてみると、紅白鉄隊がリキサを襲撃しようとしているという噂を聞いた。そこで私たちも知り合いに早くリキサを出るようにと促した。
 その日の夕方、リキサの町はパニックになっていて、住民は道路をすべて封鎖した。警察と軍はただだまっていた。結局、その日は何も起きず、教会のラファエル・ドス・サントス神父は紅白鉄隊と独立派の双方を静めようとしたが、無駄だった。
 5日(月)の朝7時、エカリというマウバラ郡とリキサ県の境界付近で流血事件が発生した。それは伝統的な武器をもった紅白鉄隊が境界からリキサ方面にかけて攻撃をしかけたからだ。その背後には近代的な武器をもったインドネシア軍がいた、とある犠牲者は語っている。(準軍組織の指揮者はマヌエル・ソウザだと言う。)
 紅白鉄隊は投石、弓矢、槍、山刀などで住民を攻撃。しかし独立派の若者たちが彼らのリキサ侵入を阻止したため、紅白鉄隊はひっこみ、かわってインドネシア軍が前面に登場し、住民にむかって無差別に発砲し始めた。これによって罪のない人々に多くの犠牲をうむことになった。
 犠牲者で確認がとれたのは7人重傷。彼らは病院に運ばれた。 犠牲者の話によると、紅白鉄隊はゴリスという西ティモールのアタンブア出身の人物に武器を自前でつくるよう訓練されており、現在ファトゥボロ(マウバラ)に住んでいるという。
 死亡した人もいると聞いたが、確認はとれていない。

3月30日
ロイター、シドニー
国連は早く準備に入る

 30日(火)、オーストラリアを訪問中の国連の東ティモール担当職員フンラセスク・ベンドレルは、「それは国連が実施する直接投票となるが、必要な準備を行うためにはただちに国連の選挙機構、あるいは政治機構の現地でのプレゼンスが必要となる」と語った。

3月24日
Press Statement
シャナナの声明

 先週から東ティモールの状況は非常に悪くなっており、インドネシア軍の秘密諜報部(SGI)が民間人を武装して住民への迫害を行っており、暴力がエスカレートしている。それは東ティモール人同士の和解に向けた努力を混乱させている。
 これまで私が主張してきた国連の警察軍では住民を守ることはできなくなっており、国連平和維持軍を求めたい。

3月24日
CNRT Timor Leste
治安状況が悪化[概要のみ]

 東ティモール内部からの情報によると、バウカウの軍分小区司令部(Kodim)の兵士たちが本日、バウカウの市場にいた群衆に発砲し、2人を死亡させた。負傷者は多数。
 また同じ筋の情報によると、バウカウのカイ・サヘ刑務所の囚人に対しても軍兵士が発砲した。
 またバウカウの軍分小区司令官が会議を招集し、そこで軍兵士自らが自治案を宣伝してまわる必要を説き、とくに CNRTと支持者らに対抗すべきことが議論された。 さらにロイス地方では民間人武装集団の活動が活発化し、住民がアタンブアへと国境をこえて避難している。ビケケ地方では63人が軍分小区司令部によって逮捕されたとされるが、確認されていない。
 3月22日、夕方4時から5時にかけて、二人の東ティモール人がマリアナのインドネシア軍兵士によってひどく殴られるという出来事があった。二人は3月6日の2人のインドネシア軍兵士誘拐殺害事件に関与した人物とうたがわれていたらしい。二人はJose Andrade (47), Carlos Maia (54)だと考えられる。また殴った兵士というのは、Gouveia Leite, Joseph Legui, Rui Beremano, Bere-Lakaの4人。
 インドネシア軍は教師、医師といった専門家をインドネシア軍の軍人と入れ替えようと考えているようだ。インドネシア人および東ティモール人の医療スタッフはインドネシア軍によって働くことができないよう嫌がらせを受けている。

3月24日
UDT Media Release
UDTはシャナナの国連維持軍派遣要請を支持

 UDTの党首ジョアォン・カラスカラォンはメディア・リリースを出し、シャナナの国連維持軍派遣要請を支持した。その声明の中で、カラスカラォンはKliburとFPDK(統一・民主主義・正義フォーラム)はインドネシアの利益を守るものだ、10人のインドネシア軍将軍(東ティモールの軍分小区司令官のことか?)のうち3人が、もし住民が独立を選べば東ティモールに対して戦争を行うとKliburに話している、インドネシアは大量の資金を自治案宣伝のために用意した、などと語った。

4月6日
AFP, Jakarta
シャナナ、国連平和維持軍を希望

 6日(火)シャナナが国連平和維持軍の派遣を求めたことを、顧問弁護士のジョンソン・パンジャイタンは明らかにした。5日(月)にはシャナナは闘争宣言を出しており、国連平和維持軍が到着すれば戦争に終止符をうつ命令を出すと言う。

4月6日
ロイター、ジャカルタ
インドネシア政府、闘争宣言を批判

 デウィ・フォルトゥナ・アンワルは「これはとても不幸だ。政府は平和的解決に一所懸命になっている。それは状況は再燃させ、プロセスを脅かす」と語った。
 アンワルは、インドネシア軍がインドネシア派の武装集団の背後にいるという批判を否定した。軍は政府が東ティモール人に投票させるという政策を支持していると言う。
 「殺害はお互いやっている、前進するためには仲介が必要だ」と語った。

4月6日
Lusa, Jakarta
新たなインドネシア軍が大量に到着

 CNRTディリ代表ダビド・シメネスによれば、6日(火)、新たなインドネシア軍兵士が大量にディリ港に到着した。兵士たちはアメリカ製の銃をもっているという。

4月6日
Indonesian Observer
東ティモールでの有権者登録遅延

 東ティモールの選挙委員会メンバーは昨日、東ティモールでの総選挙に向けた有権者登録は遅延せざるをえないと語った。東ティモール州選挙委員会の事務局長をしているアブドゥル・ハキム(信託党のメンバーでもある)は、県・郡レベルの委員会の就任が遅れているのが理由で、今週中にもそれはできる予定だと言う。

4月6日
ロイター、ジャカルタ
ベロ司教、国連にチーム派遣を要請

 6日(火)ベロ司教は、国連に対し東ティモールの5つの県での人権侵害を調べ、監督するための非軍事的なチームを派遣するよう求めた。

4月6日
ロイター、ジャカルタ
独立派ゲリラが闘争準備

 CNRTのスポークスパーソンであるベンセスラウ・ジェルマノは、シャナナの指令は山の中のゲリラたちにもすでに伝えられたとロイターに語った。 「われわれはインドネシア軍が武装した民兵たちと戦う用意がある。インドネシア軍はすでに23年間われわれを苦しめてきた。われわれは常に彼らと戦ってきたし、指示にしたがうつもりだ」と彼は語った。

4月6日
ロイター、キャンベラ
ダウナー外相、シャナナの闘争宣言にしたがわないよう要請

 ダウナー外相は6日(火)、東ティモール人にシャナナの闘争宣言にしたがわないよう求めた。「東ティモールには多くの武器がある。非常に危険な状態だ。みんなそれは知っていると思う。まうますコントロールのきかない状況になりつつある」と外相は語った。

4月6日
Xanana Press Release
自己防衛を正当化しただけだ

 6日(火)に出した新たな声明で、シャナナは5日の声明は純粋に自己防衛のためであるとの弁明を行った。

4月6日
Lusa, Jakarta
ベロ司教、死者数を確認

 6日(火)ベロ司教は、リキサの死者数について次のように語った。
 「私が紅白鉄隊の司令官に電話したところ、彼はリキサの司祭館で5人が殺されたと言った。そして私はリキサの電話局から電話を受けたが、その人物は40人が教会の中で死亡したと言った。私はすぐにトノ・スラトマン(東ティモール司令官)に連絡をとったら、彼もその死者数を言った」
 またベロ司教によると、リキサの教会の中には2000人以上が避難していたところ、身元のわからない鉄砲をもった男が入ってきて無差別に発砲し、手榴弾を何発かほうりだしたと言う。
 7日(水)にはベロ司教とトノ・スラトマンは一緒にリキサへ向かう予定だ。

4月5日
Yayasan HAK[東ティモールの人権団体]
リキサ事件の概要

 1999年4月5日、午前7時ごろ(東ティモール時間)、7人の銃撃による重傷者がディリのモタエル教会クリニックに運び込まれた。彼らはAR-16, AK, SKSといった銃で撃たれたとのことだった。
 7人の名前は以下の通り。
(1)Jose Serilio do Santos (17)。左太股を銃弾が貫通。(2)Manuel Caldeiro (27)。左手に銃弾。(3)Manuel Floris (23)。腹部を銃弾が貫通。かなり深刻。(4)Paulia de Jesus (23)。右肩と左眉に刀傷。(5)Fransisco Xavier (31)。刀で切られる。(6)Thomas de Jesus (27)。
(7)Jaime do Santos (20)。
 このうち(1)〜(4)はモタエル教会のクリニックで、(5)〜(7)はビダウ一般病院で治療を受けた。

事件

 4月4日夕方4時ごろ(東ティモール時間)、18人程度の紅白鉄隊がダトゥ村(リキサの西3キロ)にやってきて、ファトゥケシ村の村長フェリスベルト・ド・サントスの家を破壊した。それを聞いたダトゥ村の住民は紅白鉄隊に反撃をしかけ、紅白鉄隊はリキサの町の軍分支部(Koramil)司令部に逃げ込んで隠れた。 1時間後、リキサ教区の司祭であるラファエル神父が軍分支部司令部をたずね、司令官と会って、4月5日正午、ダトゥ村と紅白鉄隊の和平会合がもたれるとの合意が成立した。
 5日夕方7時ごろ、突然、紅白鉄隊が二つの方角からリキサの町に対する襲撃を開始した。この攻撃はダトゥ村に対するものではなく、リキサ県全域に対するものだった。
 恐怖のあまりディリに避難してきたリキサの住民の話によると、襲撃では前列に紅白鉄隊がいて、後列にはインドネシア軍がいた。また上記の負傷者たちの話では、攻撃に際して紅白鉄隊は矢、石、刀、木などを使い、つかまえたものにかたっぱしから暴力を加えていた。リキサの住民が応戦すると、紅白鉄隊はうしろに引っ込み(うしろから指令を受けていた)、その時、後列にいたインドネシア軍が無差別に発砲した。

4月6日
AP, Jakarta
リキサ教会、襲撃される

 ベロ司教によると、6日(火)、リキサで手榴弾を教会に投げ込み発砲などして、 40人を殺害したと伝えられる。1500人の住民が教会には避難していた。またベロ司教によると、リキサの司祭館で5人が射殺された。

4月6日
Suara Timor Timur(ティモールの声:新聞)リキサ、2人死亡、10人負傷

 3月13日にリキサ県マウバラ郡でラファエル・ドス・サントス神父がFelisberto dos Santosを紅白鉄隊から守ろうとしてけがをした事件があったが、またしても同じような対立がこの地方でおきた。昨日4月5日午前9時(インドネシア中部時間)、紅白鉄隊が独立派と衝突したのだ。
 リキサ教区の司祭、ラファエル・ドス・サントス神父によると、この衝突の結果、2人が死亡、10人が負傷し、8軒の家が焼かれた。死亡したのは、Francisco( Vatuvou村)、Felix(Dato村)の二人。また負傷した10人のうち8人は独立派の青年たちだ。2人の紅白鉄隊もマウバラの地域保健センター(Puskesmas)で治療を受けている。
 リキサの軍分小区司令部参謀のプルワント大尉によると、事件は4月3日、分軍支部の文民役人であるAntonio Lopes da Cruzの家が独立派によって攻撃されたことに始まる。またリキサ県の地方長官第2補佐(Assisten II Sekwilda)であるJorge Xavierの家も破壊された。3日の夜、独立派の若者たちはカムラ(人民治安隊:軍の補助)のメンバーの家を訪れ、独立派と一緒に行動するよう強制した。 この土曜日の事件は日曜の昼間まで続いた。独立派の青年であるJaimitoが紅白鉄隊のViktorの家を訪れ、口論となった。その結果、夕方4時ごろ、約25人のプケ・ララ集落の紅白鉄隊がリキサの分軍支部司令部に逃げこんだ。その後、5日になって独立派がVatuvou村への攻撃を行い、そこで紅白鉄隊がリキサへの襲撃を報復として行ったのだ。
 紅白鉄隊は刀、ナイフ、槍、鉄からつくった6ミリ、8ミリの弾をつかう自前の銃などで武装していた。午後1時ごろ、紅白鉄隊はリキサの町に入った。リキサの町では現地の治安部隊(インドネシアの)の警告の発砲音も聞かれた。しかしそれはターゲットに当たったとも考えられている。
 一方、事件を目撃したJanuarioによると、事件のそもそもの発端は、Mauonas(SGIとGadapaksiの合同部隊)というプケ・ララ集落に拠点をもつグループが、リキサの畜産事務所の役人であるFelisberto dos Santosの家を攻撃したことにあると言う。 このMauonasがフランシスコ(誰?)を殴打し、その家のバイクを破壊した。その後、フェリスベルト一家は話し合いを求めたが、すでに夕方だったので、話し合いは翌日までもちこされた。話し合いはダトゥ村の役場で行われる予定だった。
 しかし5日の朝7時ごろ、人々が村役場へ行こうとしていた時、突然紅白鉄隊が攻撃を始めた。それを知った村人は急いで警報の太鼓をたたいた。このリキサに対する攻撃は人々をパニックに陥れた。
 現在のところ1000人ぐらいがリキサの教会に避難している。また分軍支部司令部、県長のLeoneto Martinsの家に避難している者もいる。また数百人が森に逃げたとも考えられている。
 紅白鉄隊の大隊司令官であるManuel de Sousaが本紙に語ったところによると、彼らは独立派による攻撃に対する報復としてこの攻撃を行っているとのことだ。
 「われわれの仲間がファリンティルとその支持者によって誘拐され、殺害された。紅白鉄隊がリキサを攻撃したのは、軍分小区司令官やリキサ県長の指示などではない。われわれ自身のイニシャティブだ。攻撃するより他に方法がない。われわれの忍耐ももうこれまでだ」と語った。
 彼はまた、紅白鉄隊はリキサの市場周辺に警備ポストをつくり、警察とリキサ軍分小区司令部と一緒に夜間パトロールを行うつもりだと語った。
 「今教会に避難しているわれわれが探している連中が警察に投降しない限り、われわれはリキサに居続けて彼らを捜し続ける」とマヌエルは言う。 一方、ラファエル神父は本紙に対して、紅白鉄隊の行動はきわめて遺憾だと述べた。また神父は、リキサの軍分小区司令部が一緒になって発砲したことに対しても遺憾だと語った。
 「私はなぜ紅白鉄隊が治安部隊につきそってもらってマウバラからリキサに攻撃をしかけたのか知らない。こうした状況を見て、私はかなり混乱している。この間、中立だと言ってきた軍隊が人々を殴ったり、それどころか発砲して、負傷させたりするなんて」と神父は語った。
 ダトゥ村の村長、Jacinto da Costa Canicio Pereiraは本紙に対して、彼の家は軍分小区司令部(Kodim 1638/Liquica)の兵士によって襲撃され、家族と一緒に教会に避難したと語った。また8軒の家が焼かれたほか、道路沿いの販売所なども襲撃され、略奪されたと言う。

住民は混乱

 午後5時45分ごろ、リキサの軍分小区司令部の兵士たちは自分たちの家族を司令部事務所や県長のレオネト・マルティンスの家などに避難させる風景が見られた。
 県長は本紙に対し、この出来事にはおどろいた、突然大勢の人が自分の家におしよせてきた、地方の長として、身の安全を確保したい人を保護する義務があるなどと語った。
 「彼らは私の命令で来たわけではない。また紅白鉄隊も私の命令で動いているのではない。私はただリキサの人々に落ち着くようにとしか言えない」と語った。
 今回の暴力的な行動について、CNRTのダビッド・シメネスは、この間インドネシア軍はCNRTを非難するばかりだったが、東ティモールを不安定にしているのはインドネシア軍の方だと語った。
 「したがって、インドネシア軍はこの地から帰還させるのがいい。そうでなければ東ティモール人はみな死んでしまう。そう書いてくれ」と語った。
 彼はCNRTは対立的な措置はとらないと言う。
 「CNRTは和平を望んでいる。平和を望まないものは東ティモールにはいるべきではない。なぜなら東ティモール人は平和を望んでいるからだ」と語った。
 今回の事件については、CNRTはリキサの県長の責任を問いたいと言う。
 「レオネト県長は住民に対して責任をもたねばならない。彼は紅白鉄隊を解散すると約束したにもかかわらず、彼自身が住民を攻撃するとは」と語った。

4月6日
Fortilos
リキサ最新情報

 4月6日の朝より、リキサの町は紅白鉄隊によって占拠されている。5日の攻撃以後、リキサの中の主要な地点がインドネシア軍が支援する民兵によって占拠されている。
 リキサから郊外に避難した人々が3000人になっているとの情報がある。
 また、紅白鉄隊がリキサを支配したのち、インドネシア軍がつくったさまざまな準軍組織がディリを攻撃するとの噂が広まっている。

4月7日
Financial Times (London)
ジャカルタの強硬派
[関連部分のみ]

 ジャカルタの外交筋は、少なくともインドネシア軍の一部と内閣の中の強硬派( hard-liners)が、不安定状況を誘発し、投票を阻止するかまえだと見ている。
 また外交筋は、東ティモールでの暴力をやめさせよというインドネシア政府への国際的圧力は強かったが、東ティモール問題を権力闘にあったと争につかう派閥争いがあって、インドネシア政府自体が東ティモール問題について割れているという状況にあると見ている。
 ある外交官は、「それは現地の問題ではなく、ここジャカルタの問題なのだ」と語った。

4月7日
Lusa, Jakarta
ビケケで100人以上が逮捕

 抵抗勢力筋によると、ビケケで118人の独立派がインドネシア軍によって逮捕され、36人の若者が山に逃げ込んだと言う。逮捕はほとんど全戸家宅捜索のように行われた。

4月7日
ロイター、ジャカルタ
ベロ司教、リキサ教会の死者は25人

 リキサ教会を訪れたベロ司教は、4月6日の教会襲撃事件による死者を25人と見積もったとロイターに電話で回答した。

4月7日
AFP, Dili
ベロ司教、リキサ記者会見

 リキサの教会を訪れたベロ司教は、統治のラファエル神父と一緒に、記者会見を行った。ベロ司教は死者の数を25人以上と語った。
 ラファエル神父は、攻撃の際、準軍組織の背後にインドネシアの機動隊が立っていて、空中に向かって発砲したと語った。人々は司祭館や教会の中に避難したが、そこに催涙ガスを軍隊がうちこんだ。
 「教会から人々が出てきたとき、彼らの目は涙がとまらず出ており、紅白鉄隊によってなぎ倒され、山刀で斬り殺された」と神父は語った。
 ベロ司教は「私は司令官(東ティモール司令部トノ・スラトマン大佐)から司祭館の中に25体の遺体があるとの書類を受け取っているが、教会の外にも遺体があるとの情報もあるので、正確にどれくらいかはわからない」と語った。
 ベロ司教はハビビ大統領が事件を捜査する特別な軍評議会をつくるよう求めた。

4月8日
Sydney Morning Herald, Liquica
ベロ司教、シャナナを支持

 ベロ司教はシャナナの闘争宣言を支持するような発言を行った。「私のコメントは、(シャナナが)正しいということが、リキサの虐殺によって証明されたということだ」と語った。

4月8日
Sydney Morning Herald
豪外相、準軍組織の武装解除を要請

 7日(水)ダウナー豪外相は、インドネシア軍に対して東ティモールの準軍組織を武装解除するよう要請した。
 「私はあらためてすべての当事者に自制をもとめるが、とりわけインドネシア軍に対しては準軍組織を武装解除し、より静かで平和的な環境づくりに貢献するよう求める」と語った。

4月8日(木)
インターネット情報

 ある筋によると、今週末、準軍組織がディリを攻撃するとの情報がある。

4月7日
Yayasan HAK(人権団体)
リキサ教会虐殺は50人以上

 リキサに調査に行こうとしたヤヤサン・ハック、コントラス(人権団体)、司教区、ディリ教区正義と平和委員会は、治安状況が悪すぎて現地入りすることができなかった。
 リキサに行ったのはベロ司教とそのスタッフ2人、そして東ティモール司令官トノ・スラトマン大佐だ。
 当方が入手した情報では、教会の中で死亡したのが40人にもなる。また夜中の1時ごろ、すべての遺体をインドネシア軍のトラック(日野自動車)が積んで、リキサの西方へと向かった。

4月8日
AFP, Dili
統合派の示威行為予告

 8日(木)統合派は3つの町でデモを行うことを発表した。「東ティモール統合派本部」の名前で出されたプレス・リリースによれば、8日にマリアナでまず最初のデモを行うと言う。つぎに9日にビケケ、最後はズマライとされている。「真実とバランスのとれた話を書こうとする記者には安全が与えられる」とも書いている。リリースは、シャナナの闘争宣言に対抗するものだとしている。

4月8日
コンパス社説
国連を招待せよ

 インドネシアの有力紙コンパスの社説が、東ティモールに国連のプレゼンスを求めるよう政府に呼びかけた。
 社説は、インドネシア政府は東ティモールにその正当性をもたず、東ティモール人の信頼をなくしている、とくにインドネシア軍が統合派を武装していると非難されているからなおさらだ、したがって何らかの国連のプレゼンスが必要だ、国連平和維持軍であれば両方の武装解除もでき、投票の環境を整備することに役に立つ、国連平和維持軍の存在が唯一の方法だ、と書いている。

4月8日
ディリ、ロイター
マリアナで統合派デモ

 8日(木)マリアナでは統合派がデモを行い、シャナナの声明を戦争の提案だなどと非難した。統合派武装集団のリーダー、バジリオ・アラウジョは15000人が参加し、そのうち2000人が武装した兵士だと語った。
 マリアナの町は統合派武装集団の本部となっているところだ。
 別なリーダーのエウリコ・グテレスは「インドネシア軍がわれわれを残して行ってもかまわない。それでもわれわれは世界に、東ティモールで紅白旗[インドネシア国旗]を防衛する力があることを示す」と語ったそうだ。
 これより先に出された声明では、これはシャナナが提示した戦争に応じるため団結し力を蓄えるための一連の動きの一つだということだ。

4月8日
Lusa, Jakarta
インドネシア、交渉延期を要請

 外交筋によると、5日(月)インドネシア政府は国連に大使級会談の延期を求めたと言う。もともと13-14日に予定されていた大使級会談(高官協議)を、外相会談を行う22日の直前、20-21日にずらすという提案だ。

4月8日
ロイター、ジャカルタ
交渉延期

 8日(木)、インドネシア政府役人がロイターに語ったところによると、交渉は延期となった。延期の理由は技術的なもので、決してインドネシア側が準備ができていないということではない、と言う。

4月8日
ソリダモル
(東ティモール問題の平和的解決のためのインドネシア連帯)
リキサ事件についてのラファエル神父の証言[以下はリキサのラファエル神父がディリのベロ司教宅で行った記者会見で彼が証言したことの要旨である。]

 われわれ二人(ラファエル神父とジョゼ・ダスラン神父)は月曜(4月5日)から火曜まで(6日)その現場にいました。
 リキサ郡の独立派の人たちはマウバラ郡の統合派の人たちに邪魔されたくないと思っていました。マウバラ地方というのは紅白鉄隊の地域で、リキサへは来て欲しくないと思っていたのです。
 しかし月曜日に紅白鉄隊がリキサの町にやってくるというので、リキサ郡の人たちはそれを阻止しようと、5日の早朝、郡境で弓矢、刀、槍など伝統的な武器をもって待ちかまえていました。
 その時、マウバラとリキサの郡境あたりでは、紅白鉄隊がすでに道路上を歩いていましたが、道路の左右にはアセップ・クスワント司令官(軍分小区司令官 Dandim 1638 Liquica)が率いるリキサ郡の分軍支部司令部の兵士たちが見えたのです。
 そこで6人が撃たれました。リキサの青年たちが弓矢や槍で応戦しようとしましたが、左右から発砲され、7人の青年が銃撃を受けました。彼らは今、教会のクリニックやディリ市内で治療を受けています。
 その時、青年たちはみなリキサの町に向かって逃げ出しました。
 しかし午後1時から、リキサ市内全体で発砲音が聞かれるようになりました。発砲したのはリキサ県の軍分小区司令部(Kodim)の兵士、そしてリキサの警官たちでした。その軍人と警官の発砲は1時間続きました。その結果、住民たちは怖くなって教会に逃げて来たのです。
 その発砲がおわったあと、紅白鉄隊が気勢を上げながら町に入ってきました。それどころか紅白鉄隊はみな軍分小区司令部に入って行ったのです。
 これはいったいどういうことでしょうか。背後にいる人物は誰なのでしょうか。他のところは知りませんが、リキサではまさにリキサの軍分小区司令部がその背後にいるのです。
 昨日(6日)、私を家で助けてくれたのはピストルをもった者でした。私たちは紅白鉄隊の司令官であるマヌエル・ソウサ、リキサの県長であるレオニト・マルティンス、そしてエウリコ・グテレスに仲介者になってもらおうと連絡を取ろうとしましたが、うまくいきませんでした。
 県長のレオニトとマヌエル・ソウサはまだ興奮しており、教会にいる数千の住民の帰宅について打開策を論じる対話には応じないとのことです。
 その時、機動隊がやってきて教会の塀を取り囲みました。わたしたち神父と住民を守るためだということでした。
 しかし午後1時ごろ、教会の敷地の中にある司祭館にいる住民を紅白鉄隊が攻撃してきました。初め、機動隊は教会の中に催涙ガスを撃ちました。そして散発的な発砲を空中に向かって行いました。機動隊は上に向かって撃ちましたが、紅白鉄隊は住民に向かって発砲ししました。
 機動隊の空中への発砲は、紅白鉄隊が教会内にはいるきっかけを与えたのです。そして紅白鉄隊は住民を弓矢や槍で殺し始めたのです。催涙ガスを浴びた住民が司祭館から目を閉じたまま飛び出してところを、紅白鉄隊は斬りつけたのです。
 これは殺人です。彼らの目的は教会の敷地の中にいた住民を全員殺すことだったのです。
 また、私が連れ出されたとき、司祭館の脇の軒下に隠れていた人たちは教会の中に入った機動隊と軍人によって銃撃を受けました。屋根の上にいた人たち、浴室に隠れていた人たちも殺されてしまいました。彼らの名前は、Kades Dato, Jacinto da Costa Conceicao Pereira, Agustinho, Victor, Leogildo, Lucioです。これに先立ち、マウバラの分軍支部司令部の幣紙によってLaurindo Kadis, Herminoの二人が自宅で殺されました。この殺害には、ジャワの(=インドネシア人の)兵士ではなく、東ティモール人の兵士が使われました。もちろん東ティモール人兵士全員ではなく、一部の、紅白鉄隊と一緒になって住民を殺している武器を与えらえた者たちだけです。
 私とジョゼ神父も撃たれそうになりました。しかしその時、紅白鉄隊の伝統的な武器は弾が出なかったのです。
 インドネシア軍は彼らの家の中に2つ火器があったと主張しました。私は二人の警官に向かって、ジャシントとその息子は教会に来たとき、刀しかもっていなかったと言いました。インドネシア軍兵士は、ふたつ火器があったというだけで、彼ら(インドネシア軍と紅白鉄隊)が教会内にいる住民をみな殺害する理由となると言いました。紅白鉄隊の目的はリキサにいる独立派指導者をみな殺すことだと言うのです。
 リキサの教会に避難している住民の数は2000人以上でした。私は自分の目で、司祭館に7つの死体がころがっているのを見ました。しかし、私たち二人が軍分小区司令部(Kodim)に連れていかれたのち、さらなる残虐な殺害が行われたのです。軍分区司令部(Korem)のトノ司令官は殺されたのは5人だと言いますが、それでは司祭館の外で殺された若者、年寄りたちはどうなのでしょうか。これらの遺体がどこにあるのかわからないのです。
 夜になって、教会に日野のトラックがやってくるのが聞こえました。これらの遺体がどこにあるのか、私たちは知る必要があります。
 私は夜の7時ごろ軍分小区司令部から戻りました。そのとき遺体はもうありませんでした。ただ部屋には血が残っていました。私の寝室ですら血がいっぱいでした。
 さらに、ジョゼ神父が保管していたリキサカトリック中学の800万ルピアのお金がなくなっていました。貯金箱に入っていた寄付金も奪われていました。ジョゼ神父のバイク、個人の車も何台か紅白鉄隊に奪われ、マウバラにもって行かれました。戸棚に入っていた教会の文書もめちゃめちゃにされました。要するに、司祭館全体が破壊されたのです。このリキサの教会、住民宅における虐殺、略奪は、インドネシア軍とインドネシアの政府が責任をもつべきものです。

4月8日
ソリダモル
マリアナで統合派集会

 シャナナの闘争宣言を受けるかたちで、統合派はマリアナで8日、集会をもった。参加したのはJoao Tavares, Basilio Araujo, Eurico, Cancio Carvalho, Natalinoといった面々。紅白鉄隊、ハリリンタル、マヒディなども参加した。
 3時間におよぶ集会で指導者たちはアピールを行った。彼らはもし自治案が拒否されたならば、自治ではなく(完全な)統合を闘って勝ち取ると宣言。さらにシャナナ、カラスカラォン兄弟らを罵倒した。
 住民は強制的に集会に参加させられ、参加しないと夜に誘拐、ないしは殺すと脅された。

4月9日
Sydney Morning Herald, Dili
インドネシアの治安部隊が虐殺に加担

 9日(水)ラファエル神父はインドネシア軍兵士とインドネシアが支援している準軍組織が彼の自宅(司祭館)を襲撃し、避難していた人々を撃ったと語った。「それは殺戮だ」と語った。
 ラファエル神父は、公正なヒアリングが行われるところなら証言してもいいと語っている。襲撃者たちは彼を殺そうと試みたと言う。
 一方、東ティモールの事件団体は死者を52人としている。またベロ司教は東ティモール司令官から受け取った手紙で死者は25人となっていると語った。

4月8日
AFP, United Nations
インドネシア、リキサ事件の調査を約束

 国連事務総長の報道官は、インドネシア政府がリキサ教会での「殺害をめぐる事実確定のための公正な調査」を行うことに同意したと語った。

4月9日
Catholic News Service, Dili
カリタス職員、国連平和維持軍を求める

 東ティモールのカリタス所長、フランシスコ・バレト神父は、「東ティモールの唯一の解決策は外国の援助によるものだ。われわれは国連が平和維持軍を派遣することを望んでいる」と語った。
 バレト神父によれば、東ティモールの人口の15-20%が飢餓、栄養失調の危険にさらされている。
 3月22日、15人の避難民がディリのカリタス事務所の外に集まって、援助を求めた。その前夜、ディリから90マイル離れた彼らの村から、民兵が襲ってくるとの予告があったため、逃げてきたのだ。
 カリタスのボランティアとして働いているアメリカはアイオワ州アルトンから来たダニエル・マーフィー医師は、スアイには教会に1000人以上の難民が避難しており、マラリアや赤痢が蔓延するような状態に達していると語った。
 またカリタスのワーカー、オルランド・サルミエントによると、3月21日には1600人がマリアナから逃げ、教会に保護を求めた。
 彼は「地域全体が準軍組織にブロックされており、食べ物をえるのもむずかしく、結局、人々は逃げ出した」と語った。彼によれば、カリタスは準軍組織がマリアナへもマウバラへも行くことを許してくれないと言っている。

4月1日
Catholic News Service
ナシメント司教、殺害を非難

 3月の終わり頃、ナシメント司教はインタビューに答えて語った。
 「ここには法律もなく人々は安全ではない。こうしたことが続くと、軍隊は権力を乱用しているため、誰に助けを求めて行ったらいいかわからない状態だ」
 3月26日、6人の民間人が彼のバウカウ教区で殺害された。これは3月初めごろ2人のインドネシア人兵士が殺されたことの報復ではないかと見られている。司教はこの殺害を「ねらいうち」によるものだと語った。
 殺された6人のうち2人の遺体は家族に返還されたが、4人の遺体は行方不明だ。司教はインドネシア軍に遺体の返還を求めたが、軍はどこに遺体があるか知らないと言っているという。
 1人はベニラレのサレジオ会のシスターたちがやっている孤児院の300ヤードちかくで殺された。シスターによると3月26日、銃撃が聞こえたため修道女も子どもたちも床に体を伏せたという。
 ナシメント司教は、インドネシア軍が東ティモールから撤退しない限り、インドネシア軍による暴力と超法規的殺害はふえるだろうと心配している。
 「軍は、兵士を殺した者をさがしているといって彼らの行動を正当化しているが、いったい何人を殺せば気が済むのだろうか」 司教はそう語る。
 また投票については、人々は自治を拒否するだろうと語った。

4月9日
インターネット情報
スアイで4人負傷

 インドネシア派のグループ「ラクサウル」(LAKSAUR)がスアイで行動をおこし、スアイで社会活動に従事していた学生らがつかまって拷問された。負傷した4人の学生は、以下の通り。

1. Cosme Freitas
2. Emanuel
3. Alex
4. Abrao

4月9日
AFP, United Nations
国連特使、警告

 ジャムシード・マーカー特使は9日(金)、ラモス・ホルタと面会したのち、東ティモールで暴力が続くと投票ができないとの警告を発した。
 「それ(平和的環境)は前提条件だ。それは各方面には伝えてきたはず。とくにインドネシア政府には。彼らはそれを知っているはずだ」と語った。 そして同日、ポルトガル・インドネシア両外相とも会談したマーカー特使は、和平プロセスが後戻りしないことを言明した。

4月10日
AFP, Jakarta
国内人権委員会、リキサを調査へ

 国連のマーカー特使が警告を発したのち、インドネシアの国内人権委員会は、リキサの調査を行うことを発表した。

4月10日
ロイター、ビケケ
統合派の示威行為

 ビケケでは10日(土)、シャナナの闘争宣言をうけるかたちで、統合派グループが示威行為(show of force)を行った。統合派は槍、刀、手製の銃などで武装し、 2500人がビケケに集まった。
 式典は伝統的な方法によって行われ、まず犬を1匹犠牲にし、準軍組織を代表する4人がその血を飲んだ。

4月10日
ロイター、ジャカルタ
エルメラで死者

 アンタラ通信社によると、9日(土)、エルメラで治安部隊と独立を求める住民との衝突があり、1人が死亡した。ムアフィ・サフジ警官が発表したところによると、住民がエルメラを通常のパトロール中、群衆のひとりが手榴弾を投げようとしたため、アントニ・リマンという男が銃撃で死亡したという。

4月11日
ETRA, Urgent Alert
元アイナロ県長、殺害の危機

 4月5日(火)元アイナロ県長のフランシスコ・マグノ(Francisco Magno)が準軍組織マヒディにひどくなぐられ、600人のハトゥド・アイナロ地区の人々を動員してズマライまで行き、インドネシア軍の準軍組織に加わるように命じられた。
 フランシスコはその命令を拒否したため、10人のマヒディ・メンバーになぐられ骨折した。
 彼は元アイナロ県長でカンシオ・カルバリョに近い人物とみられていたが、離れていった。そのため彼は今生命の危険にさらされている。

4月12日
東ティモール国際議員団
(PET: Parliamentarians for East Timor)国連平和維持軍派遣の条件

 国連平和維持軍派遣は複雑なプロセスがあるが、少なくとも以下のことが重要だ。 
 (1)国連平和維持軍を派遣できるのは安保理のみ。
 (2)国連平和維持軍は平和維持のための和平協定の存在が前提。
 (3)受け入れ国の許可・協力がなければ派遣されない。この場合、安保理はインドネシアをそれとみなすだろう。

 したがって平和維持軍の派遣は実現しそうにない。

4月12日
東ティモール人権センター(メルボルン)
リキサ事件の死者を13人確認

 東ティモール人権センターはその4月12日のUrgent Actionで、リキサの教会襲撃事件の死者13人の名前を発表した。インドネシア軍は死者は5人、ベロ司教は25人以上としていた。
 その13人の名前は以下の通り。

Felisberto dos Santos
Jacinto da Costa
Agostinho dos Santos
Ilidio dos Santos
Laurindo da Costa Goncalves
Gil
Tiago Herminio (no surname), aged 34
Victor (no surname)
Francisco, aged 25, (no surname)
Augusto
Mouzinho Julio, (no surname) aged 25
Manuel Lisboa
Joanico de Sa Freitas

4月12日
ETAN(アメリカの支援団体)
12日のディリの状況

 本日、東ティモールから入った連絡によると、以下のことがおきた。 昨日、赤十字国際委員会が襲撃された。
 昨日、外国人記者たちの車が襲撃された。 情報を総合すると、準軍組織はディリを制圧するつもりのようだ。インドネシア軍は何もしないだろう。

4月12日
Irish Times
by Jenny Grant, in Liquica
ベロ司教の車列、攻撃される

[同じ記者の記事がSydney Morning Heraldにも採用されている。]

 昨日、リキサの教会でミサを行って帰路についたベロ司教の車を含む車列を、準軍組織が襲撃した。
 ミサは外で行われたが、その間レオネト・マルティンス率いる準軍組織は紅白のはちまきをしめ、教会の外をバイクに乗って走り回り、外国人ジャーナリストにディリに帰るように要求し続けた。
 その後、リキサの東5キロの海岸道路上でまちぶせしていた紅白鉄隊の30人の一団が、車列が道路の穴のあいた部分にさしかかってスピードをおとしたときに襲いかかった。
 ベロ司教自身の車は攻撃されず、司教も無事だった。6人の武装した警官をのせたトラックが車列を先導していたが、襲撃を停止しなかった。
 その後も6人の紅白のはちまきをした一団が刀を背にバイクに乗ってベロ司教の車をディリの郊外まで追いかけた。準軍組織はたいはんが10代の若者で、彼らは司教はじめ修道女、司祭、外国人ジャーナリストなどが乗ったトヨタの白い4輪車を追いかけ石を投げつけたりした。
 車列の中にいたある車の運転手は頭に深い傷をおい、のちにウィラフサダ病院に運ばれた。車のフロント・ガラスを割ってサッカーボールほどの大きさの石が車に飛び込んできたのだ。
 イギリス人記者一人とオーストラリア人記者二人は、車の横の窓ガラスを割って槍のように飛び込んできた鉄パイプにあやうく刺されそうになったが、かろうじて逃げ延びた。
 これより先、ベロ司教が警官に表敬訪問するために、車列がリキサ警察署にたちよった際、手製の銃と刀をもった準軍組織が道路の真ん中に駐車していた。顔を赤いウールのずきんで覆った準軍組織は、車の中にいたジャーナリストや援助ワーカーたち手で首を切るまねをしてみせた。「きさまら死ね」と、警察官が立って見ている横で、彼らは叫んだ。赤十字国際委員会のスタッフは、もしもどってきたら「墓場行き」だぞとおどされた。赤十字は先週3回、リキサに入ろうとしていた。

4月12日
AFP, Jakarta
エルメラで死者

 ヤヤサン・ハック(人権団体)のアニセト・ネベスは、「14人が土曜日(10日)エルメラでインドネシア軍に殺されたとの噂が広まっているが、われわれは2人だけ死亡を確認した」と語った。彼によると、その2人はAntonio Lima, Julioだということだ。
 アンタラ通信によると、アントニオ・リマは地方議会の議員だが、パトロール中のインドネシア軍に手榴弾を投げようとしたので射殺されたという。しかし背中を撃たれたとアンタラは報じている。(注:つまり逃げようとしたところを撃たれた。)
 コンパス紙が東ティモールの諜報部門のバンバン・ウィスヌムルティ少佐の言として伝えるところでは、ファリンティルがその日エルメラ県内で兵士をのせたトラックを襲撃しようとしたとのことだ。
 ウィスヌムルティ少佐は、ハトリアというところで、兵士をのせたトラックが、前方を走る2台のミニバスが乗客を降ろそうと道路脇に停止したため、スピードをゆるめたとき、ミニバスの乗客がいきなりトラックに向かって発砲し、銃撃戦になったと語った。
 襲撃した側の2人が死亡し、遺体は彼らの仲間たちが運んでいってしまった。
 ネベスによると、エルメラでは兵士がバスに向かって発砲し13人の民間人が死亡したという話があり、確認はされていないが、ウィスヌムルティの話に関係しているかも知れない。ただ今のところ、これは噂以上のものではない。 

4月9日
AFP, Jakarta
国際赤十字、妨害される

 9日(金)赤十字国際委員会は、インドネシア国防省によってリキサの状況を調査するように依頼されたが、彼らの身の安全が脅かされるとして現地の被害者救済活動に向かわなかったことを明らかにした。
 「赤十字国際委員会は調査団体ではないが、スタッフの身の安全が保証されれば人道的援助の必要性について調査するつもりだ」と語った。
 また赤十字は、5日(月)の段階で、リキサの状況の一触即発の危機にあるとディリの行政当局に警告していたことも明らかにした。その日、赤十字のチームは「国内避難民」(internally displaced persons)を援助していたが、激しい銃撃が始まったため彼ら自身も避難せざるをえなくなった。
 6日(火)に赤十字はリキサに行こうとしたが、「緊張した情勢と敵対的な環境」のため、行けなかった。
 7日(水)に再度赤十字はリキサに行き、地方の軍司令官と会ったが、「安全上の脅威」のため何もできなかった。
 赤十字の救急車は誰もひろうことができないまま、ディリにもどってこなければならなかった。20人は自分の力でディリまでたどりついたと言う。

4月8日
AFP, Washington
米国、憂慮表明

 8日(木)米国国務長のルービン報道官は、「最近報道された衝突など、東ティモールにおける暴力を深く憂慮している」との表明を行った。
 また報道官は、「我々は東ティモールの状況を解決するのに暴力を使うことを拒否し、平和的解決をめざすようすべての当事者に呼びかける。インドネシア軍の関与の報道の真偽を確認することはできないが、インドネシア軍は秩序をたもち、住民を保護する義務をもっている。彼らが東ティモールの民間人を保護できないでいることに深く困惑しており、民間人武装グループをただちに武装解除し、今週起きた殺害事件を調査し、こうした犯罪の責任者を処罰し、さらなる衝突を防ぐ効果的な措置をとるよう呼びかける」と語った。

4月9日
ロイター、キャンベラ
豪、赤十字、リキサ事件を調査

 オーストラリアのジョン・マッカーシー駐インドネシア大使は9日(金)、ウィラント国軍総司令官が独立した調査が行われることに同意した、オーストラリアと赤十字国際委員会はリキサ事件について調査を行う、と発表した。
 「私はウィラント司令官から何の条件もつけられずに許可をもらった」と大使は ABCラジオに語った。ウィラント総司令官自身も、異なる報告があることを認めており、彼自身、真実追求をうながしたものだと言う。

4月9日
Fortilos
インターネット情報

 ジャカルタにある東ティモール支援団体フォルティロスによると、ディリでは名前や階級章をはずしたインドネシア軍兵士が「長髪」の若者たちをさがしまわっており、身分証明証のチェックを何カ所かで行っている。このチェックのために、食糧や医薬品を運ぼうとしていたティム・レラワン(ボランティア・チーム)は作業をキャンセルした。

4月9日
South China Morning Post
教会に残る血の跡
by Jenny Grant, Liquica

 司祭の浴室のタイルの上に分厚い血のかたまりが乾いていた。しかし、少なくとも5人が殺され、略奪された部屋のまわりにはハエがぶんぶんと飛び回っていた。
 ベロ司教が家を掃除するように指示したあと修道女たちが昨日なんどもこすったにもかかわらず、空色のタオルには血のあとがついていた。
 司祭館のセメント壁と合板の天井には少なくとも200個の銃弾の跡があった。今はディリにいるラファエル神父の住居となっていたところだ。
 神父用の穴だらけになった白い儀礼用の衣装を、ひとりの修道女がもちあげた。
 「この衣装まで撃つなんて、信じられます?」
 シスター・レネスは言った。
 教会の裏の壁には、大きな血が散った跡があった。そこから犠牲者が逃げ延びようとしたことを血の跡が示していた。
 兵士たちは一日がかりで壁や床を洗った。修道女によれば、兵士たちはまた壊れた窓や鏡、ドアを修理し、銃弾の穴をふさぐためにまたやってくる。
 すべての証拠は調査が行われる前にとりのぞかれるだろう。生存者たちは、民兵の攻撃は午後2時ごろはじまり3時間続いたと言っている。東ティモールの指導者たちは25人が死亡しと言うが、インドネシア軍は死者は5人だけだと言う。
 紅白鉄隊の500人は教会の塀のまわりに、銃、山刀、槍などをもって集結し、教会の中にいた彼らの敵のリストにのっていたひとりに向かって叫んだ。民兵は教会から逃げ出す2000人にむかって罵倒した。
 「私たちは教会の中にいて、彼らがここまで来るなんて考えてもみませんでした。彼らが来たとき、私たちは逃げだし、人々がバタバタと倒れたのです。年寄りも若者も、殴られ、銃で撃たれました」
 19才のイマは興奮した様子で話した。
 武装した兵士たちがこの海辺の農業の町をパトロールしている。修道女ですら(他人に)話をしないように見張っているのだ。
 その沈黙の中で、イマは彼女の負傷した友人、リカルドに付き添って道を歩いていった。彼は鼻とほほに山刀で切られた15センチの傷があった。
 死者たちの行方は未だもってミステリーである。遺体は夜にもっていかれ、マウバラの背後の山に埋められたと言う人もいれば、海に捨てられたと言う人もいる。

4月9日
Kompas Online, Dili
ベロ司教、リキサ死者数について語る

 4月8日にベロ司教がその住居(ディリ)で出したプレス・リリースによると、司教は軍分区司令官(東ティモール)トノ・スラトマン大佐が、彼がリキサに出発する前に犠牲者の数について司教に送ってきた手紙にある数字は、5人が死亡、25人が負傷というものであったことを明らかにした。この数字は第9管区(ウダヤナ)司令官からの数字と一致したと言う。
 しかし司教はリキサから帰ったあと犠牲者の数を25人とした。
 司教は「われわれの数字は異なっている。目撃者たちの報告では、死者の数は少なくとも25人になる。また200人という人もいる」と語った。
 プレス・リリースには6項目があげられているが、その2項目目は第9管区(ウダヤナ)司令官に5つの遺体を返還するよう求めている。 犠牲者の家族は遺体がどこにあるか知らない。それらは人間の犠牲者であり、人間的に扱われなければならない、と彼らは言っている。

武器など押収物

 国軍総司令官は事件後ラファエル神父の住居にフレテリンのG3が2丁発見されたと語ったと、ベロ司教は言った。
 そして「事件当時、ラファエル神父の住居にはいかなるブランドの武器も、誰の武器もなかった。武器の件は、仕組まれたものだという可能性もある。誰が見つけたのか、どこで、いつ見つかったのか、神父がそこに立ち会っていたのか、なぜ神父が武器のことを知らなかったのか。さらに説明を要する疑問は、ラファエル神父の住居での出来事だ。あれは衝突だったのか、特定のグループによる襲撃と略奪だったのか」と語った。
 アシスタントのヨセフ・ダスラン神父は、カトリック中学校のものである800万ルピアと彼自身の金が盗まれたことを認めた。

裏操作はない

 ウィラント総司令官は昨日、軍が現地の秩序を回復したと語った。
 そして「われわれは問題に正面から、バランスをもって取り組まなければならない。いろいろな情報が飛び交っている。したがって、現地の軍当局の情報を信頼してほしい。それらは実際の数字に基づいているからだ」と語った。

4月12日
Kompas Online, Jakarta
PRDの東ティモール総選挙参加反対

 内務省のリャアス・ラシド地方自治局長は10日、PRD(民主人民党)の東ティモールでは総選挙をすべきでないとの呼びかけに対し、「背後で動きがあるのであれば、断固たる措置をとることになる」と警告を発した。
 民主人民党は東ティモールの総選挙参加を拒否するとの立場を明らかにしており、シャルワン・ハミド内相はこれに抗議した。民主人民党はまた1999年の政治関連法も拒否している。
 リャアス局長は、政党法(1999年2号法)の第3条は、政党は国家の統一に脅威を与えてはならないとなっており、第17条の2項は、同法3条に違反した場合、最高裁判所が政党を凍結ないしは解散させる権限をもつと規定していると解説した。

4月12日
Kompas Online, Ermera
ベロ司教、リキサの教会でミサ

 11日(日)ベロ司教はリキサのサント・アントニウス教会でミサをとりおこなった。殺された子どもの死を親たちが嘆き悲しむ中、司教の沈鬱なミサの声が響いた。しかし儀式は恐怖の雰囲気の中で行われた。紅白のはちまきをした統合派集団が、ベロ司教と外国人記者たちを追いかけて教会まで来ていたのだ。
 司教と宗教者、記者の一団はディリを朝5時に出発し、5時40分にはリキサの教会に到着した。司教はその教会で3回のミサを行い、その後対話を行う予定にしていたが、治安状況がそれを許さず、プログラムはキャンセルされた。
 7時、現地の住民たちはまだ教会に現れていなかった。教会が何度も鐘を鳴らしたにもかかわらずだ。
 「司祭になり司教になって以後の人生の中で、からっぽの教会に来たのはこれが初めてです。いつも大勢の人が待ち受けていました。今回はそれがちがうのです」と司教は記者たちに語った。
 7時半になると200人が教会にやってきた。ミサには通常600-800人が押し寄せる。 説教中、司教は言った。それでも復活祭のムードが感じられる、イエス・キリストはみなのためにやってこられた、その人が聖人であろうと、罪人であろうと、正しい人であろうと敵であろうと、よそ者であろうと、黒い皮膚をしていようと、白い皮膚をしていようと、髪がちじれていようと。

軍人が止められる

 10日(土)の午前10時、エルメラの県庁敷地内で、エルメラ県議会議員のアントニオ・リマが殺されたが、同じ日、兵士がのった1台のトラックがファリンティルに止められた。
 銃撃戦で二人のファリンティルメンバーが殺された。
 兵士たちはハトリア(エルメラ県)からエルメラの中心都市グレノの治安部隊強化のために送られていた。東ティモール司令部諜報部長バンバン・ウィスヌムルティ少佐が日曜日に語ったところでは、軍人が止められたのはアントニオ・リマの殺害と関係しているということだった。

4月12日
新華社、ジャカルタ
アセアンの立場

 ロドルフォ・セベリノアセアン事務局長は12日(月)、東ティモール問題は「インドネシアと国際社会が解決すべき問題で、アセアンはそれとは何の関係もない。しかしわれわれは平和的解決を望んでいる。重要なことは住民の安全を確保することだ」と語った。
 またオーストラリア政府のチーム派遣については、「それはオーストラリアとインドネシアの間の問題で、アセアンはチームを送ることはないだろう」と語った。

4月13日
BBC Summary of World Broadcasts
[Antara, 10 April]
バチカン大使、東ティモールへ

 レンゾ・フラティニ駐インドネシアバチカン大使は、10日(土)から4日の予定で東ティモールを訪問し、ベロ司教、ナシメント司教と会談した。大使はベロ司教らからリキサ教会事件について聴取したあと、この問題をジャカルタの高官たちと議論すると約束した。また、ベロ司教らが行っている和解プロセスについては、治安の悪化で停止していたが、再開し推進するよう求めた。

4月12日
AAP, Jakarta
アナ・ゴメス、平和維持軍についてコメント

 ハワード豪首相が、兵士を送るのは危険すぎると言ったことについて、アナ・ゴメスポルトガル利益代表部代表はショックを受けたとコメントした。
 アナ・ゴメスは「維持すべき平和が東ティモールにはない」というダウナー外相の見方に賛成しつつも、「おそらく平和執行(peace enforcement)を考えるべきだ」と述べた。
 また、「私は先週、オーストラリア人の命を危険にさらすことに気乗りがしないというコメントを聞いてショックを受けた。第二次大戦中、何千人もの東ティモール人がオーストラリア人兵士を助けて命をなくしたのに。もし状況がそんなに危険なら、なぜオーストラリアは先週のリキサの虐殺を調査するのに2人の外交官を派遣したりできたのか。外交官は兵士よりも犠牲にしてもかわないということか」とも語った。

4月12日
AAP, Sydney
豪宣教師、扇動者がいると語る

 アンボン、ティモール、イリアン・ジャヤからオーストラリアに帰国したばかりの Uniting Churchのワーカーが、オーストラリア政府にこの問題をインドネシア政府との間で取り上げ、インドネシアに対する援助を増やすよう要請した。
 ジョン・バー師は、東ティモールではインドネシア軍が積極的に独立派をやっつけることに加担しているとして、国連の平和維持軍派遣を求めた。
 「ウィラント将軍は郡は住民を守るためにいると言うが、郡が和平プロセスをサボタージュし、独立に向けたいかなる動きをもサボタージュしていることは明白だ」
 「インドネシア軍はある種の国家テロを東ティモールにおいて支援しているとまで言っていいと思う。彼らがつくった集団は実際には殺人部隊と同じだ」 師はそう語った。
 

4月12日
BBC Summary of World Broadcasts
[Radio Australia, 9 April]
マリオ・カラスカラォン、国際調査を支持

 元東ティモール州知事のマリオ・カラスカラォンは、リキサ教会事件について国際的な調査が行われるべきだとの意見を支持した。以下、インタビューの彼の答。
 「何をすべきかと問われたら、国際的な調査委員会をつくるべきだ。私は彼らがこれまでどう対応してきたがよく知っている。サンタクルスでも、死体を隠し、国際社会をなだめ、みんなを黙らせることに成功した。そしてまた同じことをしようとしている。殺害のあと、すべてを掃除して、死体をもっていき、話のできるものは家から出れないようにするのだ。これが彼らのやり方だ。これが初めてではない。もし国際社会が軍が死者は5人だと言ったことを信じるなら、それは東ティモール民族の抹殺に同意しているも同じことだ」
 「誰の責任かだって?国軍の責任だよ。確信をもって言う。しかも、準軍組織にリクルートされた人の中には東ティモール人ではなく、国境の向こう側から連れてこられた者たちが大勢いるということだって、私は知っている。彼らの態度、身のこなし、それでわかるんだ」
 「これはみな、住民が投票において自由に意見を表明できないようにするためなんだ。何かが彼らの身に起きるぞという脅しなんだ。そのために彼らはこれをしているのだ」
 「インドネシア軍が組織としてこうしたことをやっているとは思えない。しかし、明らかに、軍内の多くの者がこの動きを支持している」 「こうした集団には何十億ルピアもの金がそそぎ込まれている。しかもこの2、3ヶ月のことだ。どこから金が来ているのかは、私は知らない。ただ国庫から出ているとは思えない」

4月9日
The Australian
オーストラリアのシスター「今すぐ行動を」

 St Joseph会の修道女でテトゥン語プロジェクトをすすめてきたマリー・マキロップ研究所のスーザン・コネリー(53)は、これまで東ティモールの状況を身近に見つめてきたが、ダウナー外相のうだうだした態度に業を煮やしている。
 「男でしょ。立ち上がってこれをどうにかしなさい。そうしないと、さらなる流血が起きるわ。(政府は)アンザック(豪ニュージーランド連合)が闘ってきたものを裏切っている。フェアー、仲間の連帯、勇気といった理念を裏切っている」
 そう言って、国際的な平和維持軍にオーストラリアもただちに参加するよう呼びかけた。
 「(統合派)武装集団が村に行くとき、インドネシア軍兵士自体がそれを指揮しているという話をよく聞くわ」と言った。
 ダウナー外相は、シャナナが武装集団に対して武器をとるよう呼びかけたことを「暴力は暴力を生む」と発言した。
 「たぶん彼はすてきなマイ・ホーム・パパかも知れない。でもオーストラリアの外務大臣として、わざわざ東ティモール人に暴力について講義するなんて、非人間的だわ」
 シスターは言った。

4月12日
Lusa, Brussels
EU、国連のプレゼンスを呼びかける

 12日(月)EUの議長国としてドイツが発した声明は、リキサで起きた事件についてきわめて遺憾とし、国連のプレゼンスが必要だと述べた。

4月12日
Lusa, Madrid
アナン事務総長、電話でハビビに要請

 スペインを訪問中のアナン国連事務総長は、11日(日)にハビビ大統領に電話をして、さらなる暴力事件の発生をふせぐよう要請したことを明らかにした。

4月13日
AFP, Jakarta
26000人のインドネシア人が避難

 ピート・タロ東ヌサ・トゥンガラ州知事がアンタラ通信に語ったところによると、1月のハビビ発言以後東ティモールから逃げたインドネシア人は26000人に及ぶと言う。そのうち6000人は西ティモールのアロル郡、その他の難民はアタンブア、ベロ地方にいるとのことだ。

4月13日
Lusa, Jakarta
ウィラント、準軍組織支援を否定

 ウィラント総司令官は12日(月)ハビビ大統領と面会したのち、あらためて、インドネシア軍が準軍組織を支援しているとの指摘を否定した。

4月13日
ロイター、ジャカルタ
インドネシア、停戦を呼びかけ

 13日(火)アラタス外相は、ハビビ大統領と面会したあと、東ティモールでは対立している当事者たちの停戦が必要だと語った。そのために委員会をつくり、東ティモール人、中央政府、対立する当事者たちの代表などが参加するという。シャナナにも参加を要請するつもりだ。

4月13日
Kompas, Denpasar
バリの学生がハンスト

 バリにある国立ウダヤナ大学の学生7人が「東ティモール民間人の殺戮に反対する連帯」と称して、12日(月)から大学内の講堂でハンガーストライキを始めた。すでに2日目に入っている。
 ハンストをしている学生たちの前では、他の学生たちが伝統的な踊りを踊ったり、インドネシア軍の撤退を求めるシュプレヒコールを叫ぶなどしている。学生たちは、事件の調査と、ウダヤン司令官への面会を求めている。
 クトゥット・スカルディカ学長は、「彼らの父として、私は彼らの面倒を見なければならない。医療スタッフと機材を用意して、彼らの状態を見守るつもりだ」と語っている。
 学生たちの名前は、Wayab Gendo Suardana, Thomas SR Freitas, Michy Michael, Herdian Giri Tivrion, Yudhi Irawanto, Adolf Tapilau, Oktav NS。

4月13日
AFP, Wellington
ニュージーランド、平和維持貢献に前向き

 13日(火)ニュージーランドのマッキンノン外相は、国連の東ティモールでのプレゼンスに貢献する用意があり、国連の計画策定をまっているところであることを明らかにした。

4月13日
Lusa, Jakarta
バウカウ刑務所で爆発

 12日(月)夜、バウカウの刑務所で爆弾が爆発し、3人のインドネシア兵が負傷した。インドネシア側はファリンティル・ゲリラのしわざだとしているが、ルサがジャカルタから連絡をとった現地バウカウの抵抗勢力筋は、それを否定し、刑務所警備兵の間の宝くじについての口論の最中に手製の爆弾が爆発したと語った。
 インドネシア警察は、ファリンティル・ゲリラが「ヒット・アンド・ラン攻撃」を刑務所にしかけ、銃撃・手榴弾・爆弾で3人を負傷させたと主張している。

4月14日
Sydney Morning Herald
オーストラリア大使館、避難勧告

 13日(火)ジャカルタのオーストラリア大使館は、オーストラリア人に対し東ティモールから避難するよう強い勧告を発した。
 Gino Favaro (42)と彼の弟Ernesto (39)は、11日(日)、殺人予告を受けたため、東ティモールに450万ドル相当の財産をおいたまま、彼らのホテルを捨てて逃げた。 オーストラリアの援助関係者も先週殺人予告を受け、民家からホテルに身を移した。彼らもまたまもなく出発する予定だ。

4月13日
AFP, Toronto
ハビビ、国際調査を拒否

 ハビビ大統領は13日(火)カナダ紙「トロント・スター」に対し、リキサ事件についての国際的な調査を拒否するとの考えを明らかにした。
 カナダの外務次官、Raymond Chanは華人系カナダ人だが、昨年の5月の暴動の際、華人系がとくにターゲットになったかどうかを調べている。
 それに対しハビビ大統領は、「あなたは中国の次官ですか、それともカナダの次官ですか」と、同紙のインタビューの中でチャンのことにふれた。
 同紙によれば、デウィ・フォルトゥナ・アンワルは「昨年彼(チャン)が華人系インドネシア人について質問したとき、大統領は事実上、彼をオフィスから追い出したようなもの」と言ったという。
 ハビビ大統領は「彼らは中国人ではない。インドネシア人だ。私はインドネシア人なら誰でも面倒見る」と言い、これらのインドネシア人に対する訴え(レイプの)は「ばかげている」と付け加えた。
 ただ、カナダ政府が自治案をめぐる投票にオブザーバーを送ることには、大統領は同意した。

4月12日
AFP, Dili
統合派武装集団、ディリで示威行動

 12日(月)約350人の統合派武装集団がディリの州知事庁舎前で示威行動を展開した。庁舎からは役人たちが眺めていた。
 エウリコ・グテレスは「われわれは問題を起こしたくはないが、独立派がディリを攻撃したら、倉庫へ行って自分の銃をとるように」と私服姿の民兵たちに演説した。
 また「戦争をしたいと言うなら、その準備はできている。銃が欲しければ、それもある。撃ちたければ、撃つこともできる。ただし自分の同胞を撃つのはばかげている」と黒装束のエウリコは語った。

4月13日
Lusa, Jakarta
いくつかの事件で死者数10人以上

 ディリの南50kmのところにあるアイレウでの12日(月)の衝突で、少なくとも3人のファリンティルゲリラが殺された。この事件ではインドネシア側にも多数の犠牲が出ていると抵抗勢力筋は言っている。
 またスアイでも12日(月)マヒディによって3人が殺された。うち2人は学生。 一方、インドネシア軍はファリンティルがディリの南西150kmにあるカイラコでの 12日(月)の襲撃事件で、兵士1名、文民公務員1名を殺害したと発表した。これについてはディリのヤヤサン・ハックが確認した。 また確認されていない情報として、マリアナで12日(月)3人が死亡したというものもある。

4月14日
Lusa, Dili
インドネシア軍副司令官、アナ・ゴメスを批判

 東ティモール司令部副司令官、ムジオノ大佐がアナ・ゴメスを東ティモールの治安悪化に貢献しているとして批判したと、アンタラ通信が13日(火)に報じた。
 ムジオノ大佐によると、アナ・ゴメスは3月15-16日の東ティモール訪問後、ポルトガル政府に東ティモールでは内戦がおきていると報告したという。
 これに答えてアナ・ゴメスは「東ティモールの副司令官が、私がポルトガル政府に外交チャネルを通じて送った報告にアクセスできていることを公に発言するとは驚きだ。私の意見は、東ティモールでは内戦はないということだ」と反論した。

4月14日
Lusa, Dili
統合派武装集団5万人と主張

 統合派武装諸集団の副司令官を辞任するエウリコ・グテレスからの情報として、統合派武装集団が5万人を擁しているとアンタラ通信は報じた。
 グテレスは「平和的解決」を求めていると語り、独立派が殺害、誘拐など犯罪を犯していると非難した。

4月14日
Lusa, Jakarta
独立派が軍ポストを襲撃

 インドネシア軍のアグス・ヌルカサ大尉が14日(水)明らかにしたところによると、13日(火)武装した独立派12人がビケケ県マヌフォリウにある軍ポスト(406)を襲撃し、兵士1人を負傷させた。

4月14日
Jakarta Post
東ティモールには4議席

 総選挙委員会は13日(火)、来るインドネシアの総選挙において東ティモールに4議席を配分すると決定した。選挙法では東ティモールには13議席割り振るとされているが、公正さとバランスを考えた上で、従来通り4議席としたと、アドナン・ブユン・ナスティオン副議長は発表した。

4月14日
AFP, Jakarta
統合派武装集団、土曜にディリで示威行動

 統合派武装集団は14日(水)、土曜日からディリなどいくつかの町で示威行動を展開すると発表した。声明によれば、目的はいずれが多数派であるかを証明するためだと言う。そして統合派住民がしかるべき安全と保護とをえられるように力を結集するのだと言う。

4月13日
AAP, Melbourne
オーストラリアで来月水牛コンサート

 5月1日、メルボルンのビクトリア州トレード・ホールで、東ティモールのためのコンサートが行われる。
 「Buffalo Music」と銘打たれたコンサートはケリー、「ペインターズ」(ロックバンド)、「ドッカーズ」、「ナチュラル・ミスティック」(東ティモール人のバンド)が出演し、利益は東ティモールの貧しい人々が水牛を買うのに寄付される。

4月15日
The Age
by Gerry van Klinken
ハビビの決定的欠陥、軍の特権を奪えない

[ジェリー・ファン・クリンケンはオーストラリアの雑誌『インサイド・インドネシア』の編集長で、インドネシア政治の専門家。彼の書いたこの記事の中でムルダニが東ティモールについて再登場している点について、簡単にまとめた]

 先月Far Eastern Economic Reviewは、ウィラントがますますベニー・ムルダニ(東ティモール作戦の立案者)に依存してきていると指摘した。最近の軍の昇進人事の中にムルダニ派が増えているということらしい。 またムルダニは1月に、ハビビの東ティモールへの自治提案はあまりにも妥協しすぎと見なしていると言っている。そして「4、5ヶ月あれば、抵抗派のリーダーたちを徹底的にやっつけることができる」と言っている。


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