東ティモール・ニュース

1999年2月後半


2月15日
ABC
フレテリン、あと3ヶ月で和平と予測

 フレテリンの外交スポークスマン、マリ・アルカティリはキャンベラでダウナー外相と面会したあと、3ヶ月のタイム・テーブルを示した。マリは、フレテリンはオーストラリアが国際平和維持軍に参加することを望むと語った。

2月15日
ABC
インドネシアの警察が東ティモール人を狙撃

 7日(日)午後、6人のマヒディン(統合派武装集団)がディリ郊外のバイロピテ地区にあらわれ、数分もしないうちに住民の頭上に向けて発砲を始めた。住民が石を投げたり殴りかかったため、6人は車にのって警察署の方に逃げた。それを怒った住民が追いかけた。
 警察署から10人ほどの警察官が出てきて住民の頭上に向かって発砲した。 そのとき、テレスコープをつかってあるインドネシア人警察官が狙いを定め、2発撃った。それが25才のベンディノ・フォルトゥナド・ペレスにあたった。彼は頭と胸に銃弾を受け数分とたたず死亡した。

2月15日
AFP, Jakarta
東ティモール人青年死亡をめぐるアンタラ通信記事

 アンタラ通信記事が狙撃事件について報道している。 それによると、バイロピテ地区の指導者カルバリョは、青年の一団がやってきて警砲を何度か撃ちならした。それで村人たちがパニックになり、村人たちは弓、矢、ナイフなどで武装した。
 そして若者たちが殺されたと伝えられ、「森」の(ふつうは解放軍ゲリラをさす)武装集団がインドネシア人移民の多いバイロピテ地区を攻撃してくるとの噂がひろまった。
 武装した若者たちが地区の見張りにたっている。

[この記事は言っていることがいまいちよくわからない。]

2月18日号
Far Eastern Economic Review
東ティモールのコーヒー産業の最近の歴史
By Dan Murphy, Aifu, East Timor

 今度あなたがスターバックのジャワ・プレミアムが値段が高いといって文句を言うとき、ちょっと考えて欲しい。あなたの好きなその香りを醸し出しているアロマティックなアラビカコーヒーは、紛争に傷ついた東ティモールのエルメラの高地から、石ころの多いまがりくねった道をはるばる40キロもくだって首都のディリで運ばれたものかも知れないのだ。
 インドネシア群島の中に位置するこの高地では、最適な土壌と気候の組み合わせにより、世界でも最高級のアラビカ種のコーヒーが育っている。 今年、東ティモールのコーヒー生産量は倍増し、13000トンとなりそうだ。コーヒーによる収入は3倍の3千万ドルになるだろう。州のGCPが1億1300万ドルだということを考えれば悪くない数字だ。コーヒー産業関係の役人は10年で生産量は3倍ふやせると言う。
 東ティモールの一人当たりのGCPは1997年で138ドル。インドネシアの335ドルと比べてもなお低い。
 東ティモールのコーヒー産業は4年前に、地元の栽培農家が米国の「全米組合事業協会」(The National Cooperative Business Association of the United States)と提携して、加工販売組合をつくったときから変わり始めた。この組合はニューヨークに拠点を置くサム・フィリアチ社が経営しており、USAID(米援助庁)からの700万ドルの無償資金(grant)により支えられている。 1995年までは、東ティモールのコーヒーはインドネシアの軍系企業でベニームルダニが関係していると言われるデノック社に牛耳られていた。政府はデノックの独占を認めており、農民は低価格でそこに売るしかなかった。 1991年のサンタクルス虐殺ののち、米国の上院議員たちがコーヒーの独占を知り、米政府が軍のコーヒービジネスからの撤退を促した。以後、軍のビジネスへの介入はない。
 それから農民は豆を自由に売ることができるようになり、中には収入を5倍に増やした農家もあった。
 その組合のコーヒーの主要なバイヤーであるスターバックスは、人権活動家との論争に巻き込まれるのがいやでそのことを長い間公にしなかった。 デノックの独占によって農家はやる気をなくし、コーヒーの木は手入れされず、化学肥料も使われなかった。収穫後の処理もまずかった。コーヒーは収穫して12時間の間の処理がまずいと、豆が発酵し、ブレンド用最低品質豆となってしまうのだ。 しかし農民のこうした無頓着ぶりは、予期せぬ結果をもたらしてもいる。農薬や化学肥料を使ったことがなかったため、歴史上最も早く有機栽培の認可証を勝ち取った豆のひとつとなった。
 その豆は酸味が少なく、業者はブレンドのするどい酸味を緩和するのに東ティモールの豆を使う。その結果、ニューヨークのアラビカ種相場の40%も高い価格で取り引きされるようになった。
 350ヘクタールのコーヒー農園をもつ元州知事のマリオ・カラスカラォンは生産量を4倍に増やせると言う。役人も現在55000ヘクタールある農園に加え、4万ヘクタールが農園に転化できるという。

2月15日
Jakarta Post, Jakarta
闘争民主党、東ティモールの独立は認めない

 14日(日)ジャカルタのスナヤン競技場で行われた闘争民主党の大会で、メガワティは「東ティモールが国の重荷であり、2000年の1月1日をもって独立すると聞いて悲しい。東ティモール人を政府の利害の対象とみなし、義務から逃げるだけというのはおかしい。負担は東ティモールとかアチェとかジャカルタとかの問題ではない。負担は人民主権が権力に凌駕されるということだ。官僚たちのいろんな発言は真の問題と責任をかくし、人々を迷わせ、事態を混乱させるだけだ」と語った。
 彼女のアドバイザー、クイック・キアン・ギーは「ハビビ政権は東ティモールの独立を決定する権利はない。それは国民協議会の権限だ。もし彼が国民協議会に東ティモールについて提案を出すという考えであれば、それはまったくばかげている。なぜかって。それは国民協議会の最初の議題はハビビの解任だからさ。解任されたあとは議会に提案はできないだろ。彼はとんでもないまちがいとおかしていると思う。東ティモールは国家の問題であり、単なる予算負担の問題ではない」と語った。
 彼は住民投票には反対なのだが、さらに「問題は一州のミスマネージメントで、それをわれわれは取り組むんだ。誰が東ティモールの独立を言っているのかね。サイレント・マジョリティーなのか、それとも声高の少数者か。今のところ独立を言っているのは東ティモールに住んでもいないラモス・ホルタ、東ティモールから離れて6年も立つシャナナじゃないか。私はそこの12支部から報告を聞いた。みんな独立はしたくないと言っている」と述べている。

2月15日
Lusa, Sydney
ベロ司教、オーストラリアを訪問

 ベロ司教が15日(月)オーストラリアに到着した。3週間滞在し、援助関係者や難民コミュニティーと交流する。

2月15日
Lusa, Lisbon
ホルタ、武装解除のための平和基金を呼びかけ

 14日(日)、ジョゼ・ラモス・ホルタは武装した民間人が武器と「食糧など」とを交換できるようにするための国際基金の設立を呼びかけた。 

2月15日
AAP, Jakarta
by Karen Polglaze
豪首相の「東ティモール負担論」はおかしい

 「インドネシア多様性の中の統一党」のヌルディン・プルノモ議長は、オーストラリアは東ティモールが援助予算の負担になるというような議論をやめるべきだと批判した。
 彼は「東ティモール人が何を求めようと、それはオーストラリアとは関係ない。オーストラリアは隣人として賢明に、また中立的な役割を果たせばよいのだ。何年もの間、東ティモール人は統合によって非常にひどい状態におかれてきた。そして今、何が欲しいかを言うチャンスがおとずれた。それなのに第三者がそれはするな自分たちの重荷になるから、などと言っている。オーストラリアは、何かできることはないかという聞き方をすべきだ」と語った。
 

2月15日
Antara, Canberra
ダウナー外相、ハビビと会談の予定

 ダウナー外相は東ティモール問題についてハビビ大統領と2月25日に会談する。それに先立ち23日にはアラタス外相らとバリで会談を行う予定だ。

2月12日
AAP, Jakarta
マリオ・カラスカラォン、ハワードを批判

 元東ティモール州知事でインドネシア共和国最高顧問会議(大統領顧問)メンバー、マリオ・カラスカラォンは、東ティモールが独立したらオーストラリアの負担になるとの意見について批判した。
 彼は1976年の「バリボ協定」(sic)(本当は1975年11月のバリボ宣言)について、当時はあれが最善の策と考えて行ったことだ、その時の指導者たちはそうした協定(=宣言)を行う権限を人民から委託されてはいなかったと述べた。
 「私は独立のために闘ったことはない。しかし独立を拒否してはいない」と、ジャカルタで行われたインドネシア・オーストラリア・ビジネス・カウンシルで語った。「私はインドネシア政府に対してわれわれは独立国としてやっていけるということを力の限り証明していくつもりだ。われわれは1975年には内戦を起こした。それはポルトガルからの武器があったからだ。これらの武器はもはやなくなった。今ある武器はすべてインドネシアからのものだ。したがってインドネシア次第だ。もしインドネシアが内戦を望めば、内戦になるだろう」と語った。

2月15日
インターネット投稿
バイロピテ地区の射殺事件について

 ハック財団(東ティモールの法・人権・正義協会)の調査によると、2月14日(日)、ディリのバイロピテ地区でおきた射殺事件について以下のような事情であったことがわかった。
 射殺されたのはBenedito de Jesus (25) という野菜販売業者で、その日午後4時 15分、バイロピテ団地(?)の前で機動隊によって射殺された。 その日、カンシオ・デ・カルバリョ率いる統合派武装集団「マヒディン」(インドネシア統合決死隊)がバイロピテ地区で発砲した。彼らは赤いトヨタの「キジャン」(インドネシアで製造販売している軽ジープ)にのってバイロピテ地区にやってきたが、彼の一人が無差別に発砲し始めたため、住民はパニックになった。 怒った住民が彼らを追いかけていくと、車は機動隊の兵舎に入っていった。そして機動隊が出ていて追いかけていった住民の方角に発砲。その銃弾がベネディトの頭にあたった。彼は即死した。
 またベネディトを射殺したのは機動隊ではなくてマヒディンのひとりだとの証言もある。
 15日、ディリ公立病院で、文民・軍共同医学班による解剖が行われた。埋葬は16日、8時。

2月16日
AFP, Jakarta
5万人が葬儀に参加

 16日(火)に行われた、ディリのバイロピテ地区で射殺された25才の青年の葬式に5万人が参加した。棺をかついだ葬列はサンタクルス墓地まで町中を行進した。 インドネシアの治安部隊がそれを見ていたが、事件は起きていない。

2月16日
AFP, Jakarta
東ティモールをアセアンに提案

 ハビビ大統領の外交ブレーン、デウィ・フォルトゥナ・アンワルは、東ティモールが独立したらアセアン(東南アジア諸国連合)に加盟するのがインドネシアにとっても利益だと語った。

2月16日
Reuters, Canberra
インドネシア情報相、バリボ殺害部隊に関係

 1975年10月16日、インドネシア軍の東ティモールへの侵攻を取材していたオーストラリアのテレビチームの5人が国境の町バリボ(東ティモール)で殺害された。インドネシアはこれまでフレテリンとの交戦中に銃弾を受けて死亡したと言っていた。しかし、インドネシア軍の部隊が外国人記者と知って意図的に殺害したとの証言などがあがっていた。
 今回オーストラリア政府によって再び調査が行われ、16日(火)、結果が発表された。調査官はトム・シャーマン。
 焦点は、現在インドネシアのハビビ政権の情報相で退役軍人、ユヌス・ヨスフィアが当時東ティモール作戦で彼らの殺害に関与していたかどうか。
 シャーマンの答えは、ヨスフィアは殺害をしたともっとも疑われる部隊と関係があったというもの。彼が殺害の命令をしたかどうかはわからないとしている。 シャーマン報告は外相が国会に提出した。
 ヨスフィア情報相は疑惑を否定している。インドネシア政府はシャーマンが報告書作成時にインドネシアへの訪問を許可しなかった。
 このシャーマン報告は2度目のもので、2度目の報告書で、インドネシア軍が5人の殺害に関与していたことを認めている。

2月16日
MateBEAN, Liquica
武装集団の指導者、暴力行為を認める

 「紅白部隊」の司令官、マヌエル・ソウザは、彼のグループがリキサ県マウバラ郡で暴力行為をはたらいたことを認めた。彼はリキサ県の県議会副議長、グスタボ・モタを待ち伏せして拘束した。
 「彼(副議長)は住民投票派で、インドネシアの公務員になってルピア(=給料)をもらってるくせにインドネシアに反抗している」などと語っている。
 またファトゥボロ村の村長、パウルス・ソリアン・ロペスの家が壊され、車が奪われた事件についても、紅白部隊のしわざであることをマヌエルは認めた。マヌエルによればパウルスはCNRT(東ティモール民族抵抗評議会:独立派の統合組織でシャナナが総裁)と東ティモール民族解放軍の支持者だということだ。 パウルス村長以外にも、マウバラではいくつかの村の村長宅が破壊された。
 マヌエルの集団は、リキサ・アタンブア間の道路を通るバスを止めたりもした。また、CNRTが村の住民全員に1家族当たり2500ルピアをとりたてていることに腹を立てている。「われわれは戦争する用意がある」などと言う。
 この紅白部隊は、ディリからやってきた機動隊によってそうした行いをやめさせられたが、ディリに避難した住民たちはまだもどってこない。

2月16日
AAP, Jakarta
合併派、オーストラリアに統治を求める

 バジリオ・ディアス・アラウジョという合併派グループのスポークスパーソンは、インドネシアが去るのであればオーストラリアが変わって信託統治すべきだ、そしてそこで東ティモールの独立の準備をするべきだと語った。
 このグループは2週間ジャカルタで政府などをロビーしていた。この金曜日、バリボ(東ティモールの中でバリボ宣言[合併請願]を発したとされるところ)で最初の集会を行う計画だ。

2月17日
Lusa, Jakarta
シャナナは大統領にならない

 シャナナは独立後の東ティモールで大統領にはならないことを改めて強調した。「私は職業的には政治家ではない。戦争をすることと国を率いることはちがう」と語っている。

2月17日
Lusa, Macau
ホルタ、国際専門家集団を準備

 ジョゼ・ラモス・ホルタは東ティモールのための経済・財政の専門家委員会を準備していると語った。3月にはフィリピン、タイ、香港を訪問する予定だ。また中国と日本も訪問したいと言っている。

2月17日
Lusa, Jakarta
インドネシア退役軍人、併合を主張

 東ティモールで戦死した兵士の未亡人と傷痍軍人たち260人が、17日(水)、ジャカルタの国会を訪れ、議員に東ティモール併合を維持するよう請願した。

2月17日
Lusa, Sydney
ハワード首相、長い自治期間を望む

 オーストラリアを訪問中のベロ司教と会談したハワード首相は、東ティモールがインドネシアから分離するのであれば、長い自治期間をおいたほうがいいと語った。「私は東ティモール人の独立を阻むつもりはないが、長い自治期間をおいた方がいいと思う。それが誰のためにもいい」と語った。

2月18日
Indonesian Observer, Jakarta
国際赤十字、民間人の武装解除を要求

 赤十字国際委員会のコルネリオ・ソマルガ会長は、17日(水)ジャカルタでアラタス外相と会談し、インドネシア政府に対し東ティモールの準軍組織(ratih)の武装解除をするよう議論したと語った。しかし外相は、その組織は武装されておらず、インドネシア軍を助けるために政府の許可をえて組織されているものだと主張した。
 ソマルガ会長は、飛行機の遅延のため、東ティモールへは行けなかったもようだ。

2月18日
Lusa, Lisbon
インドネシア利益代表部の立場説明

 リスボンのタイ大使館の中におかれたインドネシアの利益代表部は、18日(木)、インドネシア政府の立場を説明するリリースを発表した。
 それによると、インドネシア政府の独立容認政策は、国際的な共感をえるためでもなければ経済的問題でもない、東ティモール問題を最終解決するためのものである、また自治案に対する東ティモール人の意思の確認方法としてはインドネシア・ポルトガル外相会談ののち国連が透明性をもってそれを見て、東ティモール人の意思を決定することになる、ということだ。
 また、そういう文脈で見た場合、インドネシアは東ティモールに独立を与える権利はなく、議会が承認した場合、東ティモールは国連監督下の非自治地域というかつての地位にもどるということになる、そしてその結果、東ティモールの未来は国連の責任となる、と述べている。

2月18日
Lusa, Canberra
ダウナー外相、シャナナに面会の予定

 ダウナー外相はオーストラリア議会において、2月25日にシャナナと面会する予定であることを明らかにした。

2月18日
ロイター、ジャカルタ
アラタス外相、東ティモール問題解決後辞任か

 英字紙ジャカルタポストが18日(木)報じたところによると、アラタス外相は東ティモール問題が解決したら辞任するかも知れない。 アラタス外相は65才、1988年から外相をつとめ、インドネシアではもっとも長く外相の座にあった人物。ゴルカル議員として東ティモール選出の議席をしめてきた。(かつてのモフタル外相も東ティモール選出に「されていた」。)
 アラタス外相の言い方としては、(辞任について)そろそろ考えるべきころだと言っているだけだ、ということ。

2月18日
ロイター、ジャカルタ
東ティモールでまた一人殺害

 18日(木)にアンタラ通信が報じたところによると、東ティモール司令部の副司令官ムジオノ大佐は、ジュアニコ・ゴメス(18)が独立派活動家によって殺されたと発表した。ディリの西にあるマウバラで誘拐された友人、パウリノ・ダ・シルバを救出しようとしていたときだと言う。青年は独立派の若者たちに襲われ、刺された傷がもとで死亡した。
 パウリノは負傷したがディリの病院に入院している。

2月18日
Sydney Morning Herald, Canberra
ハワード首相、オーストラリアは東ティモールに借りがある

 ハワード首相は独立には反対しないけれども、ベロ司教と同様、長い自治期間が必要だと思うと述べた。また第二次大戦中東ティモールに進駐した退役軍人を何人か知っていると言い、オーストラリアは東ティモールの人々に借りがあると思う、と語った。

2月17日
Sydney Morning Herald
ベロ司教、オーストラリアでの動き

 ベロ司教はメルボルンでカリタスの資金集めイベントに出席した。この企画は昨年 460万ドルを集めた。
 さらにベロ司教は東ティモール人とその支援団体にも会う予定だ。

2月16日
AFP, Jakarta
シャナナ:東ティモールは軍隊をもたない

 シャナナは15日(月)、彼を訪問した6人のポルトガル人記者に、独立した東ティモールは軍隊をもたないだろうと述べた。また東ティモールは議会制民主主義と市場志向の経済制度を採用するだろうとも述べた。そして憲法は世界人権宣言にもとづくものになるだろうと。

2月19日
Lusa, Hong Kong
ホルタ、平和維持の財源を語る

 香港の外人記者クラブで会見したジョゼ・ラモス・ホルタは、ポルトガルが基本的に国連による作戦を支援する、またイギリス、北欧諸国、ブラジルも支援の用意があると語った。ポルトガルは3億ドルの暫定自治資金を用意するという。

2月19日
The Australian
ダウナー外相、東ティモールに豪領事館を提案

 来週シャナナと面会するダウナー外相は、東ティモールに領事館を再開することを提案することになった。

2月18日
AFP, United Nations
東ティモールは西パプアのモデルになる

 国連(ニューヨーク)を訪問中の西パプア独立運動(OPM)のスポークスパーソン、ジョン・オンダワメ(オーストラリア在住)は、インドネシアが東ティモールにしたことは西パプアのモデルになると語った。
 東ティモールとちがって西パプア(イリアン・ジャヤ州)は国連がインドネシアの主権を認めたという経緯があるが、オンダワメは西パプアの政治的地位が幅広く議論されることを望むと語った。

2月19日
The Age, Jakarta
アラタス外相、辞任報道を否定

 ジャカルタ・ポスト紙がアラタス辞任の意向を報道したが、それをアラタス外相は否定した。「それはまったく推測だ。一部の人たちの願望なのだ」と述べた。

2月19日
ロイター、ジャカルタ
インドネシア軍、東ティモール人に武器投降を呼びかけ

 19日(金)、ウィラント総司令官はインドネシア派の東ティモール人グループと面会した後、すべての東ティモール人に武器の投降を呼びかけた。ウィラント総司令官はインドネシア派東ティモール人が武器を求めたと述べたが、インドネシア派東ティモール人指導者のひとりドミンゴス・ソアレスは、それはわれわれの名誉を傷つける宣伝であり、武器をくれなどと言ったことはない、と言う。

2月16日
Antara, Jakarta
アビリオ・アラウジョ、独立容認政策を「理解」

 16日(火)、「和解と開発のためのティモール財団」を率いる元フレテリンの海外代表部長、アビリオ・アラウジョは、ハビビ大統領と面会してのち、インドネシアの東ティモール独立容認政策を理解することができたと語った。彼は、東ティモール問題の解決に貢献したい、すべての東ティモール人指導者は民族の未来のために考えるべきときだと語った。

2月20日
Sydney Morning Herald
オーストラリアの記者、脅迫される

 ジャカルタのオーストラリア大使館は、東ティモールに行くオーストラリア人記者に対して標的にされるかも知れないとの計画を発している。
 今週東ティモールで、インドネシア派の武装民間グループにより、オーストラリア人記者が攻撃された。オーストラリア政府の東ティモールに関する政策変更をうらんでのことだ。

2月20日
Jakarta Post, Jakarta
ゴルカル、自治支持のための特別班を設置

 ゴルカル幹部会は19日(金)、東ティモールの広範な自治が選択されることを支援する特別チームの設置を決定した。しかし自治が拒否された場合は、国民協議会にその決定をゆだねるというもの。
 特別チームは作業委員会をもつが、そのメンバーはアブドゥル・ガフル総裁、マルズキ・ダルスマン、ドス・レイス・アマラルがなる。

2月20日
AFP, Jakarta
インドネシア警察、民間防衛隊250人新規募集

 アンタラ通信社は東ティモール警察のスポークスパーソンの発言をひいて、3月1日から東ティモールで新たに250人の「人民治安」(kamra)部隊の募集を行うことになったと報道した。警察はすでに250人の「人民治安」部隊を採用しているが、彼らは火器はもたされず、手錠、警棒、笛、盾をもっているだけだという。彼らの月給は 20万ルピア(約2500円)。さらに将来、また250人を募集する予定だ。

[以下は東ティモールからの報告をもとに個人投稿のかたちでインターネットに流れている記事の要約です。]

2月21日
インターネット投稿
民間武装集団「ハリリンタル」について

 マヒディン(アイナロ県)、パナ(リキサ県)とともにボボナロ県を拠点とする民間武装集団「ハリリンタル」がある。
 昨年12月にリークしたインドネシア軍文書にはマヒディンとパナとしては記載がないが、「アイナロ・チーム」という言葉遣いで92人の民間武装グループがいることが書かれている。(すなわちこれがマヒディンではないかと思われる。)リキサ県の人民防衛隊(wanra)は9人としか記載がない。パナは「紅白」部隊として知られている。(紅白はインドネシア国旗の色。)
 2月17日のニュースによれば、ボボナロ県のすべての郡長と村長は、ジョアォン・タベラスというハリリンタルのリーダーと県レベルの地方指導者協議会(Muspida:軍司令官、警察、行政の長で構成する政治・治安関連を中心テーマとした管理の協議会)にある会合への出席の命令を受けた。
 その会合で、タベラスは、2月19日に計画されているバリボでの集会「インドネシア政府提案の広範な自治を広める」に住民を動員しなければ、彼らをすべて解職すると述べた。また県議会の議員ジョルジュ・タベラスは、もし住民が自治を受け入れなければ戦争が起きるだろうとも述べた。
 ボボナロ県のインドネシア軍司令官は、CNRTの軍組織がファリンティルなら、FPDK(民主主義と正義のための統一フォーラム:合併派でドミングス・マリア・ダス・ドレス・ソアレス、バジリオ・ディアス・アラウジョらが指導者)の軍組織がハリリンタル、マヒディン、ナガ・メラ、ブシ・メラ・プティだと語った。
 脅しはきいたようで、19日のバリボの集会には5000人が参加した。この集会は自治支持のキャンペーンのスタートとして企画されたもので、これから各地で同様の集会が続くものと思われる。
 別なニュースであるが、アイナロの高校生、レオナルド・カルバリョがマヒディンによって2月14日殴打されるという事件があった。その日の夜マヒディンは彼の家を襲撃し、ついてくるよう命令したが、彼が16日は試験があると断った。その結果殴られた。殴ったマヒディンのメンバーはカンシオ、マリト、アルフォンソ。

2月20日
Suara Pembaruan
インドネシアの新聞、ゲリラを初めて訪問

 ソリダモルとCNRTの助けをかりて、インドネシアの新聞、スアラ・プンバルアン紙の記者が初めて東ティモールのゲリラを取材した。
 記者が東ティモール東部の山の中で会ったゲリラの部隊の司令官はティト・ダ・コスタ(49)、ゲリラ名をレレ・アナン・ティモールといった。12人の部下がいた。
 M-16, M-15などの武器、テープレコーダー、ラジオ、衛星電話までももっていた。インドネシア軍は彼らのことを「秩序破壊分子」(GPK)などと呼ぶが、想像したほど怖い人たちではない。長い髪の毛、のびたひげをしているが、顔相は怖くない。彼らを人間でないかのように描くのはフェアーではない。
 「われわれも普通の人間で、怖いという感情だってある。友達になりたいと思っている」と言う。
 彼らはわれわれを「同志(コムラド)」と呼び、インドネシア人は敵ではない、欲しいのは自由と独立だとレレは言った。

2月22日
Lusa, Bonn
EU、コミュニケを出す

 21日(日)、EUの議長国となっているドイツ政府の外務省は、東ティモール人が公正で自由な協議を受けられるべきだとのコミュニケを発した。またシャナナの釈放とインドネシア軍の削減を求め、民間人への武器の提供に懸念も表明した。

2月22日
Lusa, Jakarta
国連東ティモール担当官、シャナナに会う

 国連の特使であるサムエル・タムラトは先週、シャナナと面会し、東ティモール人との協議プロセスの技術的側面について議論した。そこでは国連使節団の東ティモールへの派遣の可能性についても議論された。

2月22日
Lusa, Jakarta
シャナナ「内戦はこけ脅し」

 オーストラリアのナショナル・ラジオのインタビューで、シャナナは内戦の話をするのはこけ脅しに過ぎないと語った。彼は、もしインドネシア派の民間武装集団が武装解除すれば、ファリンティル側もそうする用意があると言った。

2月22日
Lusa, Dili
ソアレス州知事、爆弾予告で着陸せず

 ムルパティ航空スポークスパーソンによれば、20日(土)、インドネシア占領体制下の東ティモール州知事アビリオ・ソアレスが乗った飛行機が、独立派と自称する何者かによる爆弾予告のためディリに着陸せず、西ティモールのクパンに無事着陸した。

2月22日
The Age
ダウナー外相、東ティモール援助パッケージのとりまとめ

 ダウナー豪外相は、インドネシア、ポルトガル、米、カナダ、欧州連合、日本、ニュージーランドに対し、東ティモールのための国際的な救援援助パッケージのとりまとめを行っている。すでにこうした国々との高官レベルでの打診を行っているという。おそらく日本を除くすべての国が、原則として援助プランへの支持を伝えているようだ。

[またまた日本だけ出遅れ?]

2月22日
ロイター、ジャカルタ
ベロ司教、シャナナを東ティモールに戻すよう呼びかけ

 22日(月)のインドネシアのテレビ(SCTV)の報道によれば、ベロ司教は、シャナナは東ティモールに戻って緊張を静めることが許されるべきだと語った。

2月22日
ロイター、ジャカルタ
アラタス外相、シャナナは自治案協議後に釈放

 22日(月)、アラタス外相は、東ティモールが自治になるか独立するか選択がなされたのちにシャナナは釈放されると語った。

2月18日
Kompas, Jakarta
国内人権委員会、東ティモールへ調査

 インドネシアの国内人権委員会は、民間人武装グループによる事件を調べるために東ティモールに赴く。以下は新聞の記事の一部の翻訳です。アンテロ・ダ・シルバくんはノルウェーの若者版ノーベル平和賞とされる「学生平和賞」を受賞するため、3月初めにノルウェーに行きます。(文珠訳)

Sydney Morning Herald 20/02/99
Timor's lost generation

シドニー・モーニング・ヘラルド紙、1999年2月20日(一部抜粋訳)「ティモールの失われた世代」

 少年の頃、アンテロ・ベンディト・ダ・シルヴァは死の山といわれた、マテビアン山のジャングルで暮らしていました。彼はいつも麓の村へ帰りたいというホームシックにかかり、そして空腹と恐怖に駆られていました。いつも、小川から水を運ぶために、一日中歩くので疲れ果ててもいました。
 ある日、彼と友人が(水を汲もうと)小川に身をのりだすような姿勢をとったとき、最初の銃撃がありました。(弾のあたった)人の体が倒れ、水が真っ赤になったため、彼らは恐怖に駆られました。すぐにその死体をすくい上げ、血が流れ去るのを待ちました。そして、貴重な水を汲やいなや森の中へ逃げ込みました。
 アンテロは、インドネシア軍の攻撃から逃れた家族や何百人もの人々とともに、まるで逃亡者のように、子供時代の3年間を(島を真ん中を貫く)死の山で過ごしました。彼のお母さんは妹を産むと亡くなりました。彼の妹は生き残ったものの、渓谷を歩かされるはめになりました。彼の父親は、行方不明になりました。彼の年老いた祖母が4人の孫の面倒を見ることになったのです。アンテロと友人は、木を削っておもちゃの銃を作り、けっして戦うことなど無いのだけれども、少年兵の戦闘訓練をしたりしていました。
 飢えに苦しんでいた家族が、インドネシア軍に降伏したとき、他の子供たちは投降してきた子供たちを“イナゴ喰いの連中”“フレテリンのガキ”と嘲笑しました。そして、彼が学校で勉強を始めたとき、新しい現実を学びました。それは、彼の被った悲劇の意味をねじ曲げた、インドネシアによる東ティモール侵略(の正当化)の公式見解でした。彼は小学5年生まで何事もなく過ごしました。そのとき彼は13歳でしたが、そのころの小学生は、戦争による混乱のためほとんどがティーンエイジャーでした。
 「私はジャングルの中で、フレテリンの学校に行きました。そこで、いかに闘争を続けるかを学びました。また、私は少年兵の部隊に属していました。といっても誰かと戦うといったことは有りませんでした。でもそこは、私たちの生活の苦痛を紛らわせてくれる所でした」と彼は言います。「私が一番良く覚えていることは、かつての(平和な時代の)生活への断ち切れない郷愁をいつも感じていたことです」
 「しかし、ジャングルの状況は本当に厳しいものでした。私たちはいつも腹ぺこな上に、爆撃にさらされていました。私は、巨大な石が(爆撃で)爆発し、木が倒れ、木の下に居た人々が押し潰されるのを見たことがあります。ある家族は、全員が生埋めになってしまいました。彼らは助けを求めて泣き叫んでいました。しかし、私たちには彼らをどうすることもできませんでした」
 ついに、ジャングルに住んでいた家族は、村に(進駐して)いるインドネシア軍に降伏させられました。「私たちは大変怯えていました。だから、村に下りてきたとき、インドネシア兵を見る勇気さえ有りませんでした」とアンテロは言いました。「私たちは、試験に受かることや、ボーイスカウトに入会することを言われました。少しずつ、私は何事も秘密にすることが重要であることを理解してゆきました」
 アンテロは、現在東ティモールの学生運動のリーダーです。彼は流暢に英語、インドネシア語、ポルトガル語そしてティトゥン語を話します。彼は、東ティモールの将来に関する国際的な協議の場に招待される、数少ない若者代表の一人になっています。来月(3月)彼は、青年のためのノーベル平和賞とも言える学生賞を受るためにノルウェーに旅立ちます。
 彼は満面の笑みを浮かべながら話しました。彼は31歳ですが、まだ大学生です。彼は12歳で小学校に入学しました。「東ティモールでは、何歳までが若者と言えるのか再定義する必要があるかも」と笑いました。 
 8ヶ月前、アンテロは初めて地方議会に向けてのデモを指揮しました。現在、学生たちは自分たちの事務所を持っています。事務所にはプラスティックの椅子2脚と1台の電話があります。丘の上には、20年の地下活動の後、CNRT-フレテリンが多数派を占めている-も事務所を構えました。
 「それまで、私たちは、信頼できるのは誰かわからなかった」とアンテロは言いました。「私は英語を習い始めました。そして英語研究クラブに入会しました。かなり後になるまで、私は皆が地下活動に携わっていることを知りませんでした。ちょうど10年前、ある議論をしたことを覚えています。それは、いつかジャカルタは崩壊するだろう。その崩壊はどういう風にかということでした。その時のために、私たちは準備をしなければならない。高等教育を受けるために東ティモールの外の大学に学生を送る必要がある、というものでした」
 その部屋は、悲劇的な過去を持つ者でいっぱいでした。シコもまたジャングルで暮らした一人でした。彼は、生まれたばかりで、お母さんに抱かれてジャングルに入りました。彼が3歳という幼少の時の記憶は、着古した白いTシャツを棒の先に掲げて、インドネシア軍に投降したというものでした。彼の叔父さんとお兄さんは電気ショックの拷問で、今も気が狂ったままです。彼の手には、銃で撃たれた傷が残っています。13歳の時、彼は食肉処理場で1時から明け方まで働きました、だから彼は学校に通えることができたのです。
 彼は流ちょうな英語で言いました。「そのとき私の友達たちは、わずかばかりとはいえ金稼ぎを始めていました。彼らは『なぜ、おまえは学校をやめないのだ。服やバイクを買わないのだ』と言いました。しかし、私たちは過去にすべての物を失った、そして、教育は誰も奪うことのできないものだと考えていたのです。」

2月21日
Lusa, Jakarta
ギナンジャル「石油は東ティモールのものになる」

 18日(木)のアンタラ通信によれば、ギナンジャル経済調整相は、東ティモールがインドネシアから分離する場合、ティモール・ギャップの石油は東ティモールに帰属することになると答えた。
 この石油の扱いは23-25日にバリで行われるインドネシアとオーストラリアの外相会談の議題になるが、条約の技術的な点をつめていくことになる。

2月23日
Lusa, Dili
インドネシア派、自らを武装

 ジョアォン・タベラス率いるインドネシア派武装民間集団「マヒディン」(統合決死隊)は、準軍組織を自らつくると発表したと伝えられる。設立のちらしがディリを訪問中のポルトガル人記者に手渡された。グループに近い筋によれば1万人がメンバーになるという。

2月20日
BBC Summary
インドネシア派1万人集会

 インドネシアの新聞コンパスによると、東ティモールのボボナロ県バリボで、2月 19日、1万人が集まってインドネシアとの統合を維持するよう求める集会が行われた。ジョアォン・タベラスが「紅白旗万歳!」統合万歳!」「改革万歳!」と叫ぶと群衆が気勢を上げた。タベラス家はポルトガル時代は王家であり尊敬されている。 タベラスは「1975年、4政党の指導者たちはフレテリンに敗北しこのバリボの地でインドネシアとの統合を求める声明を11月23日に発表した。そして今、23年もインドネシアの指導の元でえらくなったにもかかわらず、東ティモールの独立という政府の第2の選択肢が欲しいと叫んでいる。彼らはそれが受け入れられれば、またそこで高い地位がえられると思っているのだ。結局、ふつうの人たちが犠牲になるのだ」と言うと、拍手がわき起こった。
 またエウリコ・グテレスは「自治が拒否されたら1200人の部隊を用意している」と述べた。

2月23日
Lusa, Jakarta
シャナナ、インドネシア軍要人と面会

 2月22日(火)、シャナナは3人のインドネシア軍要人と2時間以上にわたって面会した。内容はまだ明らかにされていない。3人はトロ・スラトマン(東ティモール司令官)、アダム・ダミリ(第9管区司令官)、ザッキー・アンワル(軍情報部)。

2月23日
Lusa, Dili
4人死亡、5人負傷

 CNRT(東ティモール民族抵抗評議会)のメンバーであるマヌエル・カラスカラォンは、マウバラとバリボの異なる事件で、4人が死亡、5人が負傷したと語った。
 マウバラでは現地住民と武装集団の衝突で3人が死亡。またバリボでは23日(火)メンデスという名前の村長が別な民間武装集団に殺された。この村長は武装集団が計画した集会に出席することを拒否していたと言われる。

2月24日
The Age, Nusa Dua (Bali)
オーストラリアは軍の専門家を派遣

 オーストラリア政府は東ティモールでの平和維持に地上軍ではなく、機械、通信、医療関係の専門家を派遣することを考えている。地上軍部隊を送れば戦略的に(状況に)さらされることになるため、カンボジアの国連派遣団で果たしたような役割を考える方がいいとの判断だ。いずれにせよ平和維持軍をリードするつもりはない。1000人ぐらいの派遣にはなる模様。

2月24日
ロイター
自治案についての意思確認方法

 イギリス外務省のデレック・ファチェット(minister of state)が明らかにしたところによると、シャナナは自治案に対する住民の意思の確認方法として、東ティモール人の将来の議会に相当する何らかの代表機関を選挙を通じてつくり、そこが判断をするという考えをもっているとのことだ。それによってインドネシアが反対している住民投票を行わなくてよいことになる。これはインドネシア・ポルトガル交渉で議題にのぼることになるだろう。

2月24日
Lusa, Dili
ソアレス州知事、領土分割を提案

 23日(火)、ソアレス州知事は、インドネシア派と独立派で東ティモールの領土を分割することを提案した。それが内戦の防止になるとの理由だ。彼自身は東ティモールが独立した場合、西ティモールへ移住するつもりだ。

2月25日
Straits Times
ハビビ:東ティモールにあるのは岩だけ

 北スラウェシからの代表団の表敬を受けていたハビビ大統領は、東ティモールを統合したのは「慈善」(charity)だったと述べた。 「東ティモールが何をくれたというのか。天然資源?ノー。人的資源?ノー。テクノロジー?ノー。豊かな金?ノー」
 「岩?イェス!」

2月25日(木)
AFP, Jakarta
ディリで新たな殺害事件

 ディリの法正義人権協会(ヤヤサン・ハック)からの連絡によると、ディリで衝突があり民間人2人、兵士1人が死亡した。
 事件は水曜日夕方4時ごろ、ディリのベコラ地区でおきた。6人の兵士が発砲し、銃弾を受けた高校生のフランシスコ・ダ・コンセイサォン・オルナイ(21)は即死、東ティモール大学学生のジョアキン・デ・ジェスス(21)は病院で数時間後に死亡した。
 目撃証言によると、二人は傍観していただけで、流れ弾に当たった可能性が高い。撃った兵士は特定されていない。
 事件の発端となったのは、独立派の若者たちがインドネシア軍の諜報部員をCNRTの事務所に連れていこうとしたことだ。諜報部員は何とか逃げて軍司令部に逃げ込んだ。若者たちは彼を虐待などはしていないが、彼は虐待されたと叫んでいた。 その後、今度は兵士たちが若者たちを村まで逆に追っていった。

2月23日
Dow Jones Newswires
オーストラリア、領事館を再開

 インドネシアはオーストラリアの領事館再開を許可することにした。オーストラリアの東ティモール領事館は1971年まで存在した。

2月24日
ロイター、ジャカルタ
シャナナ、会議に参加するため民間を出るか

 インドネシアの東ティモール担当移動大使ロペス・ダ・クルスは、シャナナは独立派と合併派の東ティモール人の協議の場に出席することが許されるだろうと語った。会議はできるだけ早い時期に開かれるとのことだが日取りはまだ決まっていない。

2月24日
ロイター、シドニー
ベロ司教、真実和解委員会を提唱

 シドニーでの講演会で、ベロ司教は南アフリカスタイルの真実和解委員会から多くを学ぶべきだと語った。「われわれが和解をなしとげることができるのは、真実を確立しそれに合意することを通じてだ」と述べた。

2月25日
Deutsche Presse-Agentur
フィリピン外相、東ティモール人が自治を選ぶことを希望

 フィリピンのドミンゴ・シアソン外相は、25日(木)、東ティモール人が自治を選択することを希望すると述べた。「私の結論は、彼らは経済的に生き残れないということだ」。
 また外相は内戦が勃発する可能性もあると警告を発した。 彼は、独立を主張してきたポルトガルやオーストラリアでも今や独立する前に自治期間を設けることに賛成しているとも述べた。フィリピンの東ティモール支援者には、交渉のじゃまにならないように自制するよう求めた。

2月25日
AP, Dili
ディリで犠牲者追悼の行進

 25日(木)、ディリでは殺された2人の青年を弔う行進が行われ、数千人が参加した。何人かは山刀や他の武器をもって行進した。 この行進に対してシャナナは自制を求めるメッセージを送っていた。

2月23日
Antara, Dili
国連担当職員、意思確認方法を語る

 東ティモール州政府報道官によると、ソアレス州知事と面会した国連の東ティモール担当職員、サムエル・タムラトは、東ティモール人の意思を確認するのに、代表者を選んでやるか個人と協議するか、いずれかの方法がありうると語ったという。(個人と協議という意味は住民投票ということ。)

2月24日
Lusa, Sydney
オーストラリアが「コンタクト・グループ」を提唱

2月24日(水)ダウナー外相は、東ティモールについての「コンタクト・グループ」(訳していえば、連絡会議)を結成するつもりであることを発表した。コンタクト・グループは日本、米国、欧州各国が入るだろう。

2月24日
Lusa, Jakarta
ポルトガル人記者殴られる

2月24日(水)、ディリでの暴力的な出来事を撮影しようとしていたポルトガルのテレビ局スタッフ2人が殴られ、電話、フィルムなどを略奪されるという事件がおきた。インドネシア人にむしろ助けられたという。 

2月26日
ロイター、シドニー
抵抗勢力指導者の勝利宣言

 オーストラリアの新聞、West Australianが金曜日に報じたところによると、東ティモールの山の中のキャンプで密かに会見したゲリラの司令官ル・オロは、次のように勝利宣言を述べた。
 「われわれはすでに勝ったと思う。しかしわれわれはまだ(勝利の過程の)最初の段階にある。われわれは東ティモールの解放を決意しており、その決意は固い。世界に向けてわれわれはこのメッセージを伝えたい。われわれは東ティモールが法と自由と平和な国になることを求めている。われわれは自分たちの闘いを通じて自由と正義の国際的原則を守り続けてきた。われわれはみな東ティモール人だ。われわれはすべての東ティモール人を抱擁する。みなわが同胞だ。われわれは社会のみなに支えられて戦争を行った。23年間、人々のために、人々の自由を確保するために、インドネシア軍に対して戦ってきた。インドネシア軍は人々を苦しめ、レイプを行い、恐怖で抑圧してきた。人々はインドネシア軍のせいでどこにいても自由にものごとを行うことはできなかった。」

2月26日
ロイター、ジャカルタ

 オルブライト米国務長官は3月5日にシャナナに面会する予定だ。ジョンソン・パンジャイタン弁護士が明らかにした。オルブライトは4日にジャカルタ到着の予定。

2月25日
Lusa, Jakarta
アナ・ゴメス、レネティル会合で演説

 24日(水)、ジャカルタで開催された第3回東ティモール学生抵抗会議(Renetil)で演説したアナ・ゴメスは、100人の出席者を前に、東ティモールの若者たちは今こそ「平和の前衛」であるべきだと述べた。

2月25日
Lusa, Brussels
グテレス首相、国連の介入を呼びかけ

 ブリュッセルを訪問中のグテレスポルトガル首相は、水曜日の出来事は国連のプレゼンスが必要であることを改めて示したとして、国連の東ティモールでのプレゼンスを求めた。

2月26日
Deutsche Presse-Agentur, Jakarta
豪援助職員、殺人の脅迫を受けて帰国の準備

 インドネシア派の民間人武装集団によるオーストラリア人に対する殺人の脅迫を受けて、26日(金)、オーストラリアの援助職員は東ティモールを去る準備を進めている。
 在ジャカルタ豪大使館によると、脅迫は西ティモールとの境界に近い地域から来ており、若干の援助職員が東ティモールを去る準備をしているとのこと。
 25日(木)、2つのインドネシア派民間人武装集団から通信社にインドネシア人記者と外交官の命を狙うとの脅迫状がファックスされてきた。それには「85万の東ティモール人の命を救うためであれば、一人のオーストラリア人外交官ないしは記者の命を犠牲にする方がましだ」と書かれていた。
 脅迫状はエウリコ・グテレスとカンシオ・カルバリョの名前で出されており、それぞれ「アイタラク」「マヒディン」という民間人武装集団のリーダーだとしている。

2月26日
Deutsche Presse-Agentur
シャナナ、国連平和維持軍を呼びかけ

 シャナナの弁護士の一人が26日(金)明らかにしたところによると、シャナナは国連平和維持軍の東ティモールへの派遣を呼びかけた。彼を訪問したオーストラリアのダウナー外相との会談でそう述べた。
 一方、東ティモールを訪問していた国連の東ティモール担当職員タムラト・サムエルは「民間人が武器を所有する限り、発砲や残虐な殺害は防ぐことができない」とのべた。
 またティンブル・シラエン東ティモール警察署長は、コンパス紙に対して、東ティモールの警察は国連の特別部隊が民間人の武装解除を行う際にそれを手助けするだろうと語った。

2月26日
Antara, Jakarta
ティモール・ギャップの石油は魅力的ではない

 インドネシアのクントロ鉱業エネルギー相は、ティモール・ギャップの石油はそれほど埋蔵量もなく、投資企業もさらなくインセンティブが欲しいと言っていると語った。
 ティモール・ギャップの石油はかくて推定されたほどのものはなく、試掘も多くが失敗している。B区域で6カ所の試掘が行われたが、いずれも石油は発見されなかった。A区域では発見されたが商業的生産には不十分と判断された。石油はカカトゥア、エラン区画からしか生産されていない。

2月25日
BBC Summary of World Broadcasts
インドネシア・ポルトガルの国交回復の期待

 インドネシアのタブロイド版新聞「レアリタス」でのインタビュー記事で、アラタス外相とウィスヌムルティ政治担当局長は、インドネシアがポルトガルとの国交回復を期待していると語ったと報道した。ただし、国交断絶をしたのはポルトガルなので、ポルトガル側から回復の提案がなければ、インドネシア側からは動かないそうだ。 アナ・ゴメス代表はこれに答えて、ポルトガルは国交回復に向けての環境整備に全力をあげていると述べた。
 インドネシアの元欧州連合大使は、ポルトガルによってEUとインドネシアの関係は阻害されてきた、EUとの関係を改善するにはポルトガルとの国交回復しかないと述べた。
 またポルトガルはインドネシアとアセアンを同一視したため、アセアン各国もEUとの関係が悪くなった。さらにブラジルなどポルトガル語諸国もインドネシアに対する態度を変化させた。

2月25日
Kompas, Dili
両派による平和宣言

 24日(水)、ディリで統合派・独立派の指導者が揃って国連東ティモール担当職員タムエル・サムラトも同席し、平和委員会のための平和宣言に署名した。 参加したのはダビド・シメネスCNRT副議長、レアンドロ・イザアクCNRT政治治安担当、マウフヌ、マウフドゥ(ともにフレテリン)、アビリオ・ソアレス州知事、アレクサンドロ・ボロメウ(バリボ宣言署名者)、エリアス・カルセレス(国家家族計画院東ティモール事務所長)。
 平和委員会の創設者としては、シャナナ、マウフヌ、マウフドゥ、ダビド・シメネス、サルバドル・ソアレス(スアラ・ティモール・ティムール紙編集長)、ジル・ダ・コスタ・アルベス、アビリオ・ソアレス、マリアノ・ロペス・ダ・クルス、マリオ・カラスカラォン、ベロ司教、バジリオ・ド・ナシメント司教、ティト・スラトマンインドネシア軍東ティモール司令官、シラエン警察署長が名を連ねている。 宣言の署名者は25人いる。

2月25日
Lusa, Lsibon
ポルトガルは暫定期間の準備に入る

 ポルトガルの官房長官は25日(木)、外務省を中心とした省庁間特別作業班が、2ヶ月をかけて東ティモールの暫定期間に対してポルトガルがいかなる準備をすべきかという報告書を作成する任務を与えられたと発表した。

2月26日
Lusa, New York
国連事務総長、暴力のエスカレートを憂慮

 25日(木)、国連事務総長は東ティモールで暴力がエスカレートしていることに「非常に困惑している」とし、解決に向けての過程を阻害しかねないとの憂慮表明を行った。

2月26日
AJI Statement (origainal)
独立ジャーナリスト協会、オーストラリア人への脅迫を非難

 インドネシアの独立ジャーナリスト協会は、東ティモールのインドネシア派民間人武装集団によるオーストラリア人記者への殺人脅迫に対し、抗議する声明を発表した。
 声明は、(1)脅迫に抗議、(2)脅迫の撤回を要求、(3)脅迫した者を訴追するよう当局に要求、(4)東ティモールでの自由な取材活動をすべての方面に要求、という内容。

2月27日
South China Morning Post
東ティモールの準軍組織の王子、戦争の用意

 カンシオ・カルバリョは東ティモールの王子で、純分組織のボスでもある。アイナロの王、マテウス・ロペス・カルバリョの息子として、30才になる彼は、東ティモールはインドネシアの一部であるべきだと信じて成長してきた。そして今、その信念の正しさを証明すべく、武器を手にした。
 「戦争する用意がある」と、この1300人を擁するマヒディ(統合決死隊)の司令官は言う。
 彼の武器は、3丁のM-16銃、16丁の第二次大戦時代のビンテージG-3ライフルだ。アイナロ地方には王家への忠誠から15000人の支援者がいると豪語する。 ジーンズに金色のPlayboyのロゴが入ったTシャツ。たくましい胸。ジャカルタの豪華なホテルにこの一月あまり泊まっている。 武器を求めてジャカルタまでやってきたと批判されるが、本人は「東ティモールの実際の状況を説明に来た。それで大統領や軍に決定してもらうつもりだ」と語る。 東ティモールの恐れられた準軍組織は、フレテリン・ゲリラにシンパシーをもつと疑われたものを誘拐し、殺害してきた。今では準軍組織は町(=都会)までやってきて、インドネシア人たちは彼らの対応に一所懸命だ。 カンシオはハビビを始め、国軍指導者、議員たちに会った。メディアの使い方も学んだ。東ティモールの高地にある彼らの拠点への招待状を外国のメディアにもファックスした。しかし、オーストラリア人記者と外交官は殺すと脅している。 マヒディ、アイタラク、ハリリンタル、マキキットなどの武装集団は、インドネシアとの統合を支持する裕福な東ティモール人ビジネスマンから資金援助を受けている。
 統合派の「民主主義と正義のための統一フォーラム」のバジリオ・ディアス・アラウジョは「彼らは準軍組織で、われわれはNGOだ。しかし同じく統合支持で、彼らはわれわれを守ってくれる」と言っている。 この2週間で、準軍組織と独立派の住民の衝突で10人が殺されている。

2月26日
インターネット投稿(米国、東ティモール人)ヒラリオ神父(スアイ)誘拐される

 米国のCNRT代表、コンスタンシオ・ピントのリリースによると、26日(金)、アタンブアに向かっていたスアイのヒラリオ神父が、カンシオ・カルバリョ率いる準軍組織のメンバーによって誘拐され、今もって行方がわかならいということだ。

2月26日
Amnesty International ASA21/11/99
11人の逮捕、拷問・虐待のおそれ

 2月22日にリキサ県マウバラ郡バトゥボウ村で逮捕された18人のうち、11人がいまだ警察に拘留されているが、弁護士の接見を拒否されている。彼らは最初のことは食事も与えらなかった。その後、7人は弁護士の介入によって病院での治療のために釈放された。7人は殴られたり虐待されたりしていた。 彼らを逮捕したのはインドネシア軍と「ブシ・メラ・プティ」(紅白鉄隊)が一緒のチームをつくって行った。

2月26日
ソリダモル
バリサン・ナショナル、自決権を支持

 バリサン・ナショナルと言えば、退役軍人などを中心とした民族主義的傾向の強い在野の改革派集団で、中心的人物はクマル・イドリスである。 ソリダモルは26日(金)、バリサン・ナショナルとの対話をもった。バリサン・ナショナル側からはクマル・イドリスの他、ラフマット・ウィトゥラル、アリ・サディキン、ハスナン・ハビブ(元駐米大使)、ハリウィボウォが参加。 ハスナン・ハビブは、東ティモール人の運命はインドネシアやポルトガルが決めることはできず、東ティモール人自身が決めなければならない。インドネシアは東ティモールにその意思を押しつける権利はない、と語った。 さらに彼は言った。東ティモールはインドネシアから名誉を重んじつつ切り離すべきである。インドネシアは東ティモール人多数の要請に基づいて赴いたが、現実は双方にとって損失をもたらした。バリサン・ナショナルは国連軍が入って双方の武装解除をすることに賛成だ。
 住民の意思の確認方法については明言することをさけつつも、インドネシアがつくった州議会が代弁できないのは明らかだ、シャナナを含む指導者が交渉の席に座るのが望ましいと語った。
 またインドネシア軍の中に独立に反対する声があることについては、彼らは前線にいたので心理的な問題が大きい、戦死した者、障害を負った者、しかし軍人というものは最悪の事態だって受け入れる覚悟がなければならないのだと述べた。そして国軍は、歴史の流れを理解しない者に説明する義務があると思うと語った。

2月26日
Lusa, Jakarta
オーストラリア人、東ティモールを撤退

 25日(木)、11人の援助職員を含む20人ぐらいのオーストラリア人が東ティモールを出発した。ジャカルタのオーストラリア大使館の命令によるものだ。オーストラリア人旅行者へも自粛を呼びかけている。

2月27日
Kompas
3月に国連警察を投入か?

 東ティモールのシラエン警察署長がタムエル・サムラト国連東ティモール担当官が行った発言を引用し、3月にも国連が民間人武装集団の武装解除を目的として特別な国連軍を派遣する可能性が高いと述べた。
 その場合、インドネシアの警察は国連軍を支援するという。また警察と人民治安維持隊を除くすべてのインドネシア国軍が東ティモールから撤退するだろうとも語った。


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