1999年5月『軍縮問題資料』掲載

「東ティモール独立問題の最終局面---不安定化及び窮乏化との闘い」

古沢希代子

 3月12日から13日にかけて、スハルト体制下で泥沼化した東ティモール紛争に「出口」を感じさせるふたつのニュースが、いっせいに各紙の紙面をかざった。

■民意の確認ー住民の「直接投票」で

 ひとつは、ニューヨークから、3月10日、11日の両日、国連本部で東ティモールの地位に関して交渉を行なったポルトガルとインドネシアの両外相が、最大の懸案だった「自治案」の受け入れに関する住民の意思の確認方法について、住民による「直接投票(direct ballot)」を実施するという方針で合意に達したというニュースだ。インドネシアのハビビ大統領は、1月27日、交渉中の自治案が東ティモール人に拒否されるなら、総選挙後の国民協議会(注1:大統領を選出し「国策大綱」を決定する機関。国会議員と軍や各種団体代表によって構成される)に「東ティモール分離」を提案すると発表している。
 東ティモールは、1975年12月、ポルトガルからの独立の過程で隣国インドネシアの全面侵攻を受け、翌年一方的に併合を宣言された。国連はこれを承認していない。抵抗勢力側は、80年代から一貫して、東ティモールの帰属に関する住民投票の実施を主張してきたが、インドネシアはこれを拒絶し続けた。ノーベル平和賞受賞者のベロ司教が再三指摘してきたように「この間、国の運命について東ティモール住民の意思が聴取されたことは一度もなかった」のである。今回の合意は、「住民投票( referendum)」という表現こそ避けたとはいえ、かつて8回の国連総会決議と2回の安保理決議で支持された東ティモール人の「自決権」行使にむけた重要な一歩である(注1)。

■統合派民兵組織司令官との直接対話 

 もうひとつは、ジャカルタからのニュースだ。チピナン刑務所から移送され民家で軟禁中のシャナナ・グスマォンCNRT(東ティモール民族抵抗評議会:反インドネシア派の統合政治組織)総裁と統合派民兵組織の指導者であるジョアン・ダ・シルバ・タバレスが、3月11日、ジャカルタの法務省内で会談し、敵対行為の停止と信頼醸成措置の実施に関して会談を行なった。会談後、記者団の前で、タバレスが「我々は、銃を置き、テロ行為の停止やウソの声明を出さないことに合意した」と述べるのに対し、グスマォンは「タバレスの用意した提案書をまず検討する」としながらこうした対話を継続して和平の機運をつくることには賛意を表した。
 シャナナ・グスマォンはインドネシアの侵攻以来、東ティモールの山間部を拠点にインドネシア駐留軍に対する武装抵抗活動を行なってきたFalintil(東ティモール民族解放軍)の司令官でもある。他方、タバレスは、リウライと呼ばれる東ティモールの伝統的首長の子で、「ハリリンタル(Halilintar:稲妻隊)」という統合派民間武装組織の指揮官だ(注2)。ハリリンタルは、スハルト退陣後に頭角をあらわした統合派武装集団のひとつで、ボボナロ県を拠点にし、ボボナロのインドネシア軍司令官の後ろ盾を得ている。ハリリンタルによる独立派へのテロ行為は昨秋から伝えられてきた。最近では、2月9日、マウバラで6人の生徒が殴られ、住民投票派(=独立派)の家12軒が放火された。実行犯はハリリンタルとされる(ABC Radio, Feb.11)。また、2月19日、西ティモール(旧オランダ領で現在はインドネシア領)国境に近いバリボではタベラスが脅迫によって住民を動員したといわれる統合支持集会が開催され、その後、23日、メンデスという名の村長が殺害された。この村長は集会に参加することを拒否していたという。実行犯はまだ判明していない(Lusa,Feb.23)。
 シャナナ・グスマォンはこれまで、インドネシア側にフレームアップされた「内戦イメージ」を払拭するため、停戦交渉の相手はあくまでインドネシア軍だと主張してきた。しかし、グアテマラ等の和平プロセスを見ても、正規軍に培養された準軍組織の解体は、社会の非軍事化と和平の維持にとって不可欠の要素である。グスマォンは、3月6日、統合派の「統一・民主主義・正義フォーラム」のドミングス・ソアレス、ドミングス・ポリカルポ及び統合派民兵組織のメンバーたちと最初の会談を行なっていた。

■インドネシアの思惑・関係諸国の及び腰
 しかし、今回まかれた解決への「種」が成長するための「土壌」はいまだ未整備であり、東ティモールで自由で公正な投票が本当に実現するのか、見通しはきわめて不透明だ。
 事態の好転が期待されたのもつかの間、ダウナー外相の「これで国連のPKOは必要なくなった」という発言がオーストラリアから飛び込んできた。紛争解決プロセスはいわば壊れやすい積み木細工だ。ダウナー外相の動きは、何とか積み上げられた、まだぐらついているブロックの下に、支えを入れないで放置するようなものだ。オルブライトは国連のプレゼンスの必要性には言及するが、PKOの展開など具体的な話には明言をさけている。国連事務総長も同様である。今回の対話はタバレス側の申し出によって行われたが、穿った見方をすれば、これがPKO展開の阻止を狙った「対話の演出」にすぎない可能性もある。ベロ司教は、13日、「国連による部隊の派遣がなければ平和的移行は不可能だ」と悲鳴をあげた。さらに、悪い報せは続く。同日、アラタス外相は「シャナナ・グスマォンの解放はあくまで問題の最終的解決後」と述べ、グスマォンの帰還を和解と安定の要と考えていた国連を動揺させた。
 スハルト退陣後、東ティモールでは草の根の活動家たちが住民投票の意義を広めるため全国行脚を開始し、一方インドネシア国内では言論統制の緩和を背景に「住民投票」支持の世論が徐々に高まってきた(注3)。ふたつの動きに挟まれ「じり貧」を自覚したインドネシアの守旧派が、今後も断末魔の抵抗を続ける可能性は否めない。ここからは、昨年8月のポルトガル・インドネシア「自治案策定合意」から今年1月のハビビ大統領による「分離容認発言」を経て3月の「直接投票」合意にいたる過程を振り返りながら、自由で公正な投票の実施を「阻害する要因」を、あらい出してみたい。

■翻弄される「自治案」

 そもそも、昨年8月の国連交渉における合意点は、帰属に関する両国の主張(インドネシア:併合は既成事実、ポルトガル:住民投票の実施を要求)を担保したまま、「特別な地位に基づく広範な自治」の内容を年内決着をめどにつめていくというものだった。同時に、国連による東ティモール人諸派の意見聴取も合意され、開始された。この過程で当然浮上してきたのは、この(帰属決着棚上げ)「自治案」の受け入れの最低条件として、「自治案」が住民に戻され、住民の意思が確認されることだった。自治案を画定する国連交渉の場に東ティモール人代表(例えば、インドネシア軍の交戦しているFalintilやFalintilを含め反統合諸派を統括するCNRT)の参加が認められてないという変則的事態を鑑みれば、この要求は当然のものだろう。
 ここで、インドネシアに迷いが生じた。ポルトガルとのボス交渉で決着を押し切るにしても、決定を住民に戻すにしても、治安、司法、議会運営、資源管理に関する東ティモール側の権限はかなり広範なものに設定しなければ受け入れられないことは明白だ。しかし、そうすると数年の内には、区内の治安管理がインドネシアの軍・警察から東ティモール人による警察組織に移管され、東ティモール議会が自ら「独立」を決定する可能性も出てくる。結局、「自治案」の合意は年を越し、1月末の国連交渉を待つことになった。交渉直前の1月27日、ハビビ大統領は唐突に「分離容認」を発表し、自ら「資金を投入して自治を行なった結果、独立を選択されたのではメリットがない」と発言した。
 この時点で「帰属に関す両国の立場を担保する」という前提での「自治」の推進という枠組みは崩壊した。残された選択肢は「自治の受け入れ」か「独立(インドネシア側見ると分離)」のみとなった。ここで争点は一挙に「民意の確認方法」に移行する。ハビビ大統領は「自治案が東ティモール人に拒否されれば」というが、どのような手続きをもって「拒否」を確認するというのか。しかし1月の国連交渉でその回答はなかった。アラタス外相は「住民投票」も「間接投票(住民が代議員を選び、代議員が協議の上決定)」ダメだと述べた。こうして「自治案」の内容も「民意確認の方法」も3月交渉に持ちこされたのだ。3月5日、米国のオルブライト国務長官と会見したシャナナ・グスマォンは、住民投票の代替案として国連が用意した間接投票案を支持した。
 3月交渉でアラタス外相は迷走した。交渉中間の記者会見からは「住民投票は内戦を継起するからダメ」「間接投票は住民の意思を十分に反映しないと非難される。なぜ直接投票じゃだめなのか」という発言が報じられた。結局、最終的にアラタス外相から発表されたことは、自治案に関する「住民の直接投票」の実施に同意すること、自治案の内容は「合意をみおくり」「インドネシアへ持ち帰り修正を加える」ことだった。関係諸国の外交筋からは、「広範な自治パッケージを提示することで、イリヤン・ジャヤやアチェなどの他の国内紛争地に対して有利な前例をつくってしまうことを恐れたのだろう。いずれにしても4月に提示されるインドネシア案は、かなりレベルダウンするだろう」というささやきが聞こえた。4月交渉で提示されるインドネシア修正案が、治安、議運営、司法、資源管理における東ティモール側の権限をかなり制約したものとなれば、ポルトガルが合意することは不可能となる。国連は、国民協議会開催前に直接投票を実施する準備に入るが、その場合、投票に付されるのは「インドネシア政府案」となるのかもしれない。
 
■内戦シナリオの発動

 アラタス外相はこの間、一貫して「住民投票=内戦」というシナリオを説き続けた。ならば犠牲者20万人といわれるこの23年間の流血はなんだったというのか、民衆の頭ごしの決着なら「内戦」は避けられるのか、住民投票を回避するための「内戦レトリック」は論理的に破綻している。しかし、外から認識される対立の軸を「インドネシア対東ティモール」から「東ティモール人独立派対統合維持派」にずらす戦略は、昨年来、深く静かに進行し、特に日本のメディア操作においては成功をおさめているようだ。(3月10日のテレビ朝日ニュースステーションで放送された現地ルポは実に興味深い事例である。「独立派に襲撃された」村人の中には英語が異様に達者な「統合派のバジリオ・アラウジョさん」が配置されていた。)
 昨年からクローズアップされてきた親インドネシアの民兵組織には、かつてインドネシア軍に所属していたり、訓練を受けた経験のある者が多い。これらに大規模な資金と軍備がインドネシア軍を経由して流れている可能性については各方面から指摘されている。マヒディンというグループのある司令官は、インドネシア軍から貸与された武器で住民を惨殺したこと隠そうともしなかった。彼らの特徴は、積極的にマスコミの前に出てその存在を誇示することである。 独立派にも急進的な者はいるだろうが、少なくともシャナナ・グスマォンは彼らの行動を抑制し続けている。Falintilは、ベロ司教いわく、「軍組織に関係のない住民に対するテロは行なわない」。一方、統合派民兵組織の暴力はこれまでのところまったく「野放し」状態だ。インドネシア軍の武器で住民を殺したと公言する者が実際に逮捕・拘束されないのである。インドネシアは「東ティモール人どうしの対立」をもってインドネシア軍駐留の正当化を行なおうとしているようだが、こういった人物を放置するインドネシア軍と警察に公平性は期待できない(注4)。タバレスが提案しシャナナが即答をさけた項目には「インドネシア軍監督下での両派武装解除」がある。国連がもし、インドネシア軍の駐留を許したまま、PKOの展開を断念するような事態となれば、国連に対する住民の信頼は踏みにじられるだろう。

■窮乏化戦略

 もうひとつの深刻な事態は、東ティモールにおける深刻な人員及び物資不足である。 東ティモールのカトリック系クリニックで医療活動に従事している米国生まれの医者、ダン・マーフィーによれば、医者不足のため治る病気で毎日50〜100名が死んでいる。出産のために母親が死んだり、下痢や栄養失調、結核などで亡くなっているという。またマーフィーは、オーストラリアなどでは援助団体が支援の用意があると言っ
ているにもかからずインドネシアが外からの東ティモールへの医薬品の補給を意図的にさえぎっている疑いもあると言う。ヨーロッパから3トンの医薬品がジャカルタまでは到着したがジャカルタで税関を通っていない。インドネシア当局は援助団体に倉庫費用を支払うよう命ずるだけで、通関や輸送の便宜を図ろうとはしない。
 また、3月12日のサウス・チャイナ・モーニングポスト紙によれば、ディリの総合病院の集中医療室では発作におそわれ呼吸困難になった患者が放置されている。この病院には医者はおらず、勤務中の看護婦にできることも、しめった布で患者の額をぬぐってやることだけだ。ジャワなどから来た15人の医療アシスタントはすでに逃げてしまい、5人が残っているが、そのうち2人は来月東ティモールを去るという。外科医はいない。
 病院職員によれば、特に、抗生物質、注射器、点滴器具などが必要だという。薬も4月で在庫がきれる。例えば、ある建設労働者は、一月前墜落して脊髄を切ってしまったが、売薬の鎮痛剤を飲みながら、治療まちの状態だ。赤十字国際委員会は5人の外科チームを東ティモールに送ることを申請したが、ジャカルタの厚生当局によって認可が遅らされている。3月11日の記者会見で、アラタス外相は「医師や教員が出ていくのは住民に暴力をふるわれるからで彼らを止めることはできない」と問題をすり替えた。
 
■国際社会の責任

 物流を握っているインドネシア当局は東ティモール住民を兵糧攻めにすることが可能だ。インドネシア軍は、現地に駐留する限り、統合派を援護することが可能だ。国際社会がこうした事態を放置するなら、住民は国際社会に絶望し、独立への夢も挫かれるかもしれない。安保理での討議、人道援助の展開及び援助機関の受け入れ要請、非武装化支援、投票監視、そしてシャナナの帰還問題など、住民には手が出せない分野で、関係諸国は大きな責任を負っている。スハルトの東ティモール政策を、その軍事援助、武器売却、経済援助で支えてきた日、米、豪、欧諸国は、紛争の正義ある解決を支援する最後の機会に臨んでいる。
 3月15日から、東ティモールでは「平和建設のための東ティモール人協会」(理事:ベロ司教、ソアレス知事、シャナナ、人権団体幹部、軍・警察幹部)による「全指導者フォーラム」が開始される。東ティモールでは統合派も独立派もいっしょに教会にかよう。ある統合派民兵組織の指導者がインドネシア軍に殺された独立派の孤児を引き取って育てた。今でもともに暮らすその子は独立支持を表明している。頼りにならない外国や国連より東ティモール人自身の団結と自立が何より重要であることを彼らが気づく可能性はまだ残されている。(ふるさわきよこ・恵泉女学園大学)
 
〈注1〉国連決議の内容、関係諸国の対応、占領体制の実態、国連交渉の変則性などに関しては、本誌掲載の拙稿「国連と東ティモール問題(96年4月号)」、「ノーベル平和賞後の東ティモール(97年4月号)」、「インドネシアの通貨・経済危機と東ティモール和平(98年3月号)」「スハルト後の東ティモール問題(98年10月号)」、また日本評論社刊『ナクロマー東ティモール民族独立小史』をご参照いただきたい。)
〈注2〉会見では「統一、民主主義、正義のためのフォーラム」を名乗った。「フォーラム」の実態は不明。
〈注3〉インドネシアでは昨年来、SOLIDAMOR(「東ティモール問題平和的解決のための連帯」、アドボカシー活動が中心)、FORTILOS(「東ティモール住民連帯フォーラム」、東ティモール人弁護士の人権団体「Yayasan Hak」の支援をはじめ、法律扶助活動が中心)、 IMCTL(「東ティモールのためのインドネシアムスリムコミュニティー」、NU:ナフダトゥール・ウラマ系。イスラム組織内でのアドボカシー活動)といった団体が、東ティモール人組織や大学との共同で、さまざまなセミナーやシンポジウムを開催している。昨年末のシャナナ・グスマォンーアミン・ライス(国民信託党総裁)会談、今年2月のシャナナーアブドゥールラフワン・ワヒッド(NU総裁、国民覚醒党党首)会談をセットしたのはSOLIDAMORである。闘争民主党のメガワティ(東ティモールに関してはコロコロと発言がかわる)とともに次期体制で重要な役割を果たすと見られている彼らは「住民投票」による決着を支持している。また、東ティモール紛争は小説にも登場し、セノ・グミラ・アジダルマの短編集『目撃者』(講談社『群像』97年11月号に押川典昭訳の「耳」「ニンギ市のミステリー」「証人」が掲載)は世界的な評価を得ている。
〈注4〉マウバラでの住民襲撃について現地のカルメル修道会が地方政府・軍に対し公開書簡を送った。以下はその概要。(3月11日、Fortilos, Jakarta)「紅白鉄隊(ブシ・メラ・プティ、統合派民兵組織)の襲撃によって住民が避難を余儀なくされ、マウバラのカルメル修道会に逃げてきた。彼らはできる限りの荷物をもって逃げてきていたが、翌日村に帰ってみると、家は荒らされ、ひどい場合には焼き討ちされていた。修道会はその使命から住民を受け入れ世話を続けているが、避難民には寝場所もない。地方政府、軍司令部に善処を求める。」 


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