裁判のレトリックと真相
判決概要
原告は、平成2年4月に研究助手(現在の呼称では助教)として就職し、講師昇任まで18年を要する著しい遅延が有った。その後、この遅延と准教授昇任拒絶、及び大学による人権調査の不当を訴える裁判を経て、平成29年4月に准教授に昇任した。当該学部では、助手(助教)から講師までに1年程度、講師から准教授までに、早くて1年、通常2〜3年程度で昇任させていた。所属大学文系では、准教授というのは競争的ポストではなく、一定の研究業績基準を満たせば、全員若い内に昇任するのが通例なのである。事実、愛媛大学法文学部では、九〇名近い教員の内、教授が過半数を占め、准教授以下が約半数で、講師は数名に留まる。原告は、裁判当時、基準をはるかに上回る業績点を有していた。
裁判は、平成21年当時の准教授昇任申立てに対する拒絶を中心とした昇任遅延と、そのころなされた大学によるハラスメント調査が不適切であることが訴えの中心である。
判決は、昇任の可否は大学側の非常に広範な裁量に係る問題であり、また、ハラスメント調査についても、大学側の広範な裁量に係る問題であるから、法の救済は受けられないとした。判決は、決して、ハラスメントの存在自体を否定したものではない。
また、原告の調査申立書や大学側の用意した書面類から、大学がハラスメントを否定した判断を、大学の裁量に委ねられる問題であるから、不適切であるとするためには、特に不公平であるとする特段の事情を原告が立証しなければならないとした。
その後の経過
准教授昇任拒絶が平成21年冬のことであり、長い裁判期間を経て、平成29年には准教授に昇任したわけである。平成23年に松山地裁に提訴後、高裁判決が平成26年8月28日であり、その後、上告がなされたのでその翌年初めまで、少なくとも法形式論としては係争状態が続いた。この間は昇任手続が停止されても裁判所も認めてくれる。
29年の昇任も、再度の提訴のための準備に気づいた所属学部が屈する形で実現された。学長、学部長等への書簡の送付や事務部への問い合わせの内容により、提訴準備であることが容易に知り得た。年齢や職歴、研究業績、その他の実績から、人間関係がどのように悪化していたとしても、これ以上の拒絶は法的に不可能であると判断した結果である。
この原告の怒りは極限に達しており、再度の提訴により、実質的に前訴を覆すことを優先していた。前訴は、昇任裁判の形を借りた長年月のハラスメントを訴える裁判であった。昇任により、これが果たせなくなったので、唇を噛みしめるほど悔しい思いをした。
以下に、もう少し詳細に、判決の内容を分かりやすく説明する。
昇任差別というと、男女間の差別や、国籍ないし民族、出自、それに信条等に基づく差別が知られているであろう。これは憲法問題にもなり得る。原告の場合、そのような事情は存在しない。
1,昇任差別
大学の発出した所属学部教員の職歴年齢別統計などの証拠上も、著しい遅れは明白であった。
所属学部の内規に基づく研究業績の昇任基準をはるかに上回り、他の教員の准教授昇任時の水準も大きく上回っていた。他の者の准教授昇任時点での比較で、平成21年時点でも、2倍から3倍程度、控訴審口頭弁論終結時点では4倍超であり、この時点では平成2年同期採用者の教授昇任時の研究業績点をかなり上回っていた(70点台と90点台)。いずれも大学の発出した資料から明らかであった。既存の教授層でも原告の業績点を下回る者が多く居た。その原告の、教授ではなく、准教授昇任を拒絶したのである。
その他の、教育・学内行政・社会貢献といった業績については、元来優劣がつきにくい。原告自身の研究以外の業績に対する、大学による評価が決して見劣りするものではない(これも所属学部より正式に発出された総合評価により確認できる)。
結局、総合評価の比較上は、研究業績の差が決定的となる。
地裁判決(高裁判決)によれば、それでも原告の准教授昇任拒絶及び遅延が違法と言えない。
その理由が次の通りである。
昇任を決定する大学の裁量は広範なものである。
まず、学校教育法上、大学の設置目的が次の様に規定されている。
「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とするものであ[る]」。
この目的に照らして、専攻分野の教育研究の職務を行うのが大学教員であるから、昇任判断というのは「大学の広範な裁量に委ねられるというべきである」。
従って、昇任拒否の判断が違法とされるのは、「その判断が客観的根拠を欠き著しく不合理であるなど」、「大学に与えらた裁量権を逸脱、濫用したと評価されるような例外的場合に限られるというべきである」。
また、愛媛大学所属学部の教員選考基準によると、昇任判断は、該当者の人格を含めた全人格的評価により行われるものであるから、研究業績が昇任条件を充たすとしても、これから直ちに昇任させるべきであったとは言えない。
平成2年就職後、平成20年まで講師昇任させなかったことについて、
原告が、「被告大学教員に就任後間もなく、被告大学にほとんど出勤しなくなり、会議への出席や委員等の職務を行わない状況が、少なくとも平成17年頃まで続いていた」という勤務状況を考慮したこと、次いで、講師昇任後は、このことを「講師から准教授への昇任の判断において考慮したこと」が、大学の裁量権を逸脱・濫用する違法なものであるとは言えない、とする。
以上が、判決のレトリックである。その裏側にある「真相」に着目しなければならない。上記のような勤務状況の意味や理由に関する裁判所の認識が真相である。その真相の把握が異なると、判決の結論ないし態様が大きく異なっていたというのが、このサイトの結論である。
昇任・昇進裁判の一般論
そもそも昇任・昇進差別を訴える訴訟というのは、極めて難しい類型の訴訟である。
通常の企業であっても、会社が誰を昇進させるべきかの広範な裁量権を有する。まず、職歴、年齢から統計的に遅延を立証しなければならない。このような統計を得られるかが第一のハードルとなる。同時期採用者の昇進パターンが参照されたりする。
次に、そのような遅延の理由が、不当な差別によるものであるか。そうではなく、その者の業績が劣ることが理由であるかもしれない。業績を考慮したとすると、そのような人事評価が問題となる。数値化された業績の比較があって、これが他に優れているというのであれば別段、自分が他人の業績に優っていることの立証が困難である。人事評価はそもそも会社が行うものである。
このような昇進差別が原告勝訴に結び付き得るのは、組合活動を理由とする昇進差別であることが、業績評価の差が無い者との比較において明らかとされるような限られた場合である。
使用者側に広範な裁量があるので、仮に、昇進差別を訴えるとすると、他の何らの問題も無く、すなわち円満に職務を遂行していることを大前提としなければならない。例えば、該当者が上位者に暴言を吐いたなどという事由があると、その者を昇進させないことが裁量権の範囲内であるということになる。
他面で、使用者側としては、とにかく何かあらを探せば良い。
しかし、被用者側が昇進に期待権を有すべき場合には、事情が異なる。例えば、採用担当者が採用時に二年後の昇進を約束していたというような場合である。これを明示しているような書簡があれば証明があるとされる可能性がある。
もっとも、原告側に十分の理由があるような場合、大きな企業なり組織であれば、外聞が悪いので、原告の勝訴的和解で手を打ち、判決として公表されることを避けるかもしれない。
ちなみに、一般に、大学の、教授等への下位の職位からの昇任について、裁判はあるものの、原告が勝訴したという判例が見あたらない。これは大学についての、大学の自治、学問の自由にも関係しよう。更に一層、裁量範囲が広範であるとも考え得ようか。
原告の業績
これを原告の裁判についてみると、職歴、年齢において、統計上、著しい昇任遅延があることが明白であった。同期採用者の昇任パターンからも明らかである。確かに遅延はある。ここから出発する。業績はどうか。
研究業績は文句ない。このことは大学自身が認めている。
所属学部の基準として、掲載雑誌の性格と本数に基づく客観的な点数基準以外に、比較の基準がない。そもそも、所属学部には、原告の専門分野を十分理解する研究者が他に存在しないので、内容的な水準の吟味など不可能なのである。
原告は、法学系教員の中でも学会報告数においてトップクラスであり、査読付き学会誌掲載論文数が最も多い。これは内規による基準に基づき、所属大学の紀要論文より評価点の高いものである。査読は学会に所属する実績のある研究者が行うのであり、その評価を経て掲載が決定される。
博士号についても、原告は相当年数の研究歴を経た段階で取得した。近時は課程博士と言って、大学院生が在学中の大学院に、博士論文として1〜2本を提出し取得可能とする大学が多い。大学の国際化の流れの中で、広く各大学において、文系についても若手段階から博士号が必要であるという認識が生まれた結果である。しかし、原告が大学院を出た頃は、法学分野においては、博士号は名誉称号の意味合いしかないとして、取得しないのが一般的であった。有名な逸話が、東大教授だった我妻栄(民法)が高名となった後に、単なる名誉称号の取得を潔しとせず、長年、勧められても拒んでいたところ、あるとき自著である岩波書店刊行の『民法総則』という教科書を提出して博士号を取得したというものである。原告も後の段階での博士号取得のために、母校に論文集を一冊提出して申請した。このために専門領域の研究者らによって構成される審査委員会が立ち上がり、審査を経て授与されたのである。主査が大阪大学の長田真理教授(国際民事訴訟法)である。
更に、この著作に対して、国際関係法分野で最も権威の高い国際法外交雑誌という学会誌と、国際法協会日本支部の機関誌である英文年鑑に、それぞれ異なる評者による書評が掲載された。前者が中央大学の楢崎みどり教授であり、後者が当時の岡山大学佐野寛教授で、いずれも国際私法及び国際取引法分野で実績のある研究者である。書評掲載対象となるということ自体が、その年度の注目すべき研究であることを意味する。
以上より、非専門家である所属学部研究者が原告の研究業績を内容的に他に劣るとする評価を行い得る余地がない。少なくとも業績点数分の差があると言える。
学部発出の資料によって、教育業績等の基準も満たしていることは明白である。
すると、原告の「人格」、及び前述のような「勤務状況」が理由となる。
裁判では大学側が一丸となって原告の人格攻撃とも思しき主張や証拠を提出している。極めて古い時代のものと、近時の女性教員とのトラブルとである。
人格
古い資料がいわば「時効」になってしまうといけない。賞味期限切れで、裁判所がこの資料を有意なものとしない恐れがあるとすると、近時の何かを出す必要がある。勤務状況が改善をみたとされるのが平成17年であれば、そこから既に4年ないし5年を経過するからである。この間、全く問題が無かったとすれば、裁判所の心証が原告に傾くかもしれない、と学部執行部が考えた可能性がある。実際、勤務状況に問題が無く、大学が発出する教員評価も優秀ないし良好に推移していた。そこで案出されたのが、女性教員とのトラブルなるものであった。 ?大学の頁参照
平成4年ごろ、被害を訴える原告に対して、大学側は、原告の方を「異常」として、その訴えを封じ込めた。そして、平成23年の提訴時に、この頃の古い書類を持ち出し、機先を制するように、再度、原告を「異常」と呼び、その訴えを封じようとした。原告がこれに怯まず、ここまで収集していた事実関係の全てをぶちまけたのであった(この頁後掲、陳述書)。その闘争はもはや誰も押しとどめることができないものとなった。
人格というは、周囲との人間関係を指すのであろうか。原告のように、集団的組織的ハラスメントの渦の中にいる者にとって、他との人間関係を自ら改善することなど望み得ない。大学側に配慮を願い出ているのに、無視され続けていた。人間関係が破綻していたとも言える。一方的に、原告の人格を攻撃することが許されて良いのであろうか。
勤務状況
10年程度出勤していなかったとして、これに大学が気づかなかったというのだろうか。
大学は知っていた。
大学側主張によると、学部長という所属部局の長が面談により注意していたという。原告のメモに基づく記憶によれば、平成17年に出勤管理方法が改められて、出勤簿の押印を要求されるようになるまで(数年間でこの中途半端な押印の実務も無くなり、元の方法に戻された)、原告の「出勤」に明示的に言及し、何らかの具体的な指示をした学部長は無く、雑談に終始した。
原告及び被告双方の主張によると、会計上の書類(原告は被扶養者「なし」であるが、扶養控除等)について、大阪の住所を記入していた。また、被告大学も認めているように、大阪で購入したマンションの住宅ローンに関する所得税控除を大学を通じて受けていた。このローン控除は法律上、常時居住する住居を購入した場合に得られるものであり、この住所を記入した書類は毎年年末控除の際に、大学に提出し、実際に控除額が還付されていた。
以上が、所属部局の長が知り、本部事務部が知っていたという証拠である。
勤務に関わる評価において、この間出勤の評価がなされている。
同時に、原告の受領した給与面では無断欠勤の評価が一度も無く、皆勤として、月給及び賞与を得ている。所属長による勤務状況の注意が「処分」相当のものであれば、これが昇給等に反映されるべき規程となっているところ、これも全く無い。他と同等に定期昇給を受けてきた。これもまた、大学自身が認めている。
この意味では紛れもなく出勤の評価があった。
従って、大学は、原告が登学しないことを知りつつ、「出勤」の評価を行っていたことになる。それも極めて平穏裏にである。
このことが何を示すのか。
愛媛大学の所属学部では、裁判所の宅調に似た在宅研修の職場慣行があるとか、既に、そのような条件での黙示的契約が成立していたといった主張を、原告は法律論として可能であろう。
しかし、原告の登学状況を知りつつ、大阪のマンションに居住していたことを知りつつ、放任していたことが、大きな謎である。不可解である。
どうにも理解できないではないか。
以上の事が、被用者の側のイニシャティブで可能であろうか。
大学の方は、即刻、登学を求めて、これに従わない場合には直ちに無断欠勤の措置を執れるのである。実際、平成17年に至って始めて、当時の学部長によりこれが言い渡された。
大学という機関は、大学本部と学部が組織的に異なり、各学部は独立であり、かつそれぞれの決定事項について他に干渉しない。全体としてたこ足型の組織形態を取っている。所属教員の人事等については、所属学部・組織の専権事項であり、その決定が絶対である。とすると、原告の人事等については、良い評価であれ悪い評価であれ、その所属が決定することであり、本部であっても原則的に不可侵である。結局、原告の状況の放置について、責任があるのは所属学部及びその教授会であって、そこがそれで良いなら、他は口出しをしない。
もっとも、原告に対する採用時以来の人権侵害について、全学的に知られていたので、所属のみならず、全学的に「腫れ物に触る」というような雰囲気が継続していた。
結局のところ、所属部局あるいは同僚教員らが、原告の不利益において、その状態を温存しようとしたからこそ可能となったのである。問題の技術職員らの違法行為が止まないとすれば、新たな刑事犯罪が起きる可能性もあり、古傷に触られてもいけない。このことに関係のある教員らが関ることを恐れ、自己の保身を考えても不思議は無い。原告を遠くに置いておくことを選んだのである。「寝た子を起こすな」、「触らぬ神に祟り無し」、「臭いものには蓋」である。
裁判所の頁で述べるように、大学が原告に代償を採らせたものと、裁判所が理解した可能性がある。余程できない裁判官でない限り、上の謎からして、これが裁判所の直感的に会得した「真相」の一つであるはずだ。
「代償」とは何の代償であるのか。原告は、この裁判で、採用時から数年間の、大学内の、衆人環視における集団リンチのようなハラスメント行為を指摘していたのである。その状況を知りつつ放置し、原告の訴えを無視し続けたことで、原告の勤務状況については、むしろ大学側に強い帰責性が認められる。大学がこの勤務の在り方を放任したことが、このことを強く示唆する。むしろ、業務の遂行を阻まれた原告の強烈な精神的苦痛を思うべきである。
大学教員の業務
学部長面談における交渉の焦点は、原告からは、正常な教育研究の環境を保障してもらうことであり、その意味において、最低限、教育の仕事を行う立場を獲得することであった。助手時代、原告にとって、実質的な業務としては、研究活動以外に無かった。
教員の仕事は、第一に教育及び研究である。実際に、この二つの仕事が、費やす時間及び労力において圧倒的にウェートが高い。
規程上、講義を行うことができるのが、講師以上に限定されていた。従って、助手には、授業、試験の採点、学生指導など教務関係の仕事が皆無であった。
学内行政という仕事もありはする。管理職以外は、主に各種委員会委員に就任することである。大学側は教授会出席もこの業務の内であると主張している。しかし、助手については、1カ月に一回程度開催される教授会への出席が義務であるかは微妙であるし、出席しても、ただ定足数を充たす一人となるというしかない。その他、学科教員会議や講座会議などは開催連絡がなされていなかった。各種委員会も、重要なのは、学部学科内の意思決定機関の一であるということであり、これは所属学部からの任命を必須とするところ、それが無かった。当たらない限り職務自体が存在しない。実際、所属学科において、助手については委員会委員を委嘱しないのが慣例であった。人間関係が破綻している関係上、教員会議や委員会に関しては、むしろ所属学科教員らによって不要とされたのであろう。
その他は、入試監督業務である。原告採用当時には、一年に二回程度全員が当たり、二〜三年に一回は全く当たらないと、新採用時に説明があった程度のものであった。当初三年ぐらいは原告も他と同じ基準で遂行していたが、これも大学側が認めているように、その内、所属学部が当てなくなったのである。
以上については、宮崎氏の陳述書など、大学側が任命していないことを認めているが、そのことを全て原告の責任に帰せしめている。
従って、この頃、原告にとっては、大学における業務というのが、研究活動以外に存在しない状態であった。
出勤? そもそも大学教員に対して、出勤というのはほとんどナンセンスである。事実、原告の学部ゼミ時代の恩師が、大学教員に対して出勤に煩いという事に、首を傾げていた。慣行としては、給与が研究教育などの業務の対価であり、感覚的に年俸制に近いのである。法令上、時間給の計算がなされるに過ぎない。
国立大学の服務規程ないし就業規則は全国一律である。例えば午前8:30ー午後5:30を就業時間として規定していたとしても、実際にこれに拘束されるのは、事務職員等のみである。大学がいくら強弁しても、もともと教員には在宅研修が労使慣行として認められている。愛媛大学法文学部では、出勤管理はするが、出勤簿押印や点呼など、出校のチェックを行わないと、大学自身が述べている。多少の相違があっても、国公立大学に共通である。例えば、知人によれば、山口大学教養学部ではかつて、一ヶ月に一度、出勤簿の押印を行えば良いことになっており、押印は教員らが自由に行い、押印に際して事務部はチェックを行っていなかった。また、奈良産業大学という私立大学の法学部では、出校日制が採られていた。週に3〜4日ほど、教員毎に出校日が定められており、該当日にのみ出勤印を押印する必要があったそうだ。時間給のアルバイトではない。恐らく私立大学の方が出勤管理が厳密であり、出校日制が大学教員にとって最も厳密な方法である。
大学文系では、多くの場合に各教員に個別の研究室が与えられる。出校しても、自室に入ってしまうと、一度も他の教員と顔を合わさないということも可能である。そもそも研究業務については、就業曜日や就業時間の拘束を受けないので、勤務時間と時間外の区別や超過勤務の概念になじまない。実際に、論文作成のための調査、研究、及び執筆について、日曜日も祝日もないし、食事をとる時間も惜しんで執筆するということもある。超過勤務手当も貰わない。そこで、出校して自室に籠もって研究をするか、自宅で好きな時間にこれを行うかは、家庭環境等の都合に応じて、各教員に委ねられて来たのである。登学が無くとも、「出勤」は有る。
在宅研修については、裁判でも主張していた。裁判官も裁判所に毎日出勤することを要しない。国家公務員としては事務官と同様に服務規程が適用されてもおかしくないはずである。判決文などを書くことを起案というが、裁判官は自宅で裁判資料を調査したり、起案したりすることが認められている。出廷日や裁判官会議を除き、特に裁判所への出勤を要しないのである。これを宅調という。しかも、裁判官は大学の法学部出身者が圧倒的に多い。出身大学の教員が、夏休みなどの長期休暇中は大学に居なかったとか、多くの教員が常時研究室に居ないので、用件のあるときは講義時間の前後を狙って研究室を訪問すべきであるとか、常識的に知っていたはずである。これを経験則という。
それでも、判決において、在宅研修の主張も一顧だにされていない。結局、この事件で、これを原告の方が持ち出すことは許されないという価値判断が背景にあると考えられる。真相の理解が鍵となる。裁判所の頁
2,ハラスメント調査の不当
ハラスメント調査に関しても、大学側の広い裁量を認めた。被害者への聴取を経ず、加害側への一方的な聴取により、また、被害者側にこれに対する反論の余地を認めず、調査申立書と大学側の用意した書類等に基づき、ハラスメントの存在を否定したことを(大学が以上を認めている)、裁量の逸脱・濫用に当たらないとしている。
この点の詳細は、大学の頁で明らかにする。
一点のみ、指摘すると、判決文中の事実認定の項において、以下のような叙述がある。
判決の当事者主張の整理において、大学側(被告側)主張として、次のような部分がある。原告が、学部長に対して「宗教団体に攻撃されている」と発言し、これを登学できない理由の一つとしたというのである。これを記録したという事務方の作成したメモが証拠とされている。裁判所は、このメモ類について「信用性が高い」としており、原告発言内容について、「メモに記載のとおりのもの」と認定している。
その上で、ハラスメント調査に関わる対策委員会が、このメモ類を根拠にして、原告主張のようなハラスメントの事実が存在しないと結論づけたのも「相応の理由がある」とする。
そして、原告を被害妄想的思考様式の人間と断じて、そういう「評価を補強する材料」が、上記の「宗教団体に攻撃されている」という発言であるという。
以上がレトリックである。この部分の真相についても、裁判所の頁で触れている。
原告陳述書(第1審)(抜粋)
控訴審陳述書(抜粋)
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