春の磐越路-1

C57180号蒸気機関車は1946年(昭和21年)8月、広島県三原市の三菱重工三原製作所で誕生しました。
試運転を終えた180号は、さっそく新潟機関区に配属されました。
1947年から1962年までは信越線の「急行日本海」「急行佐渡」などの先頭に立ち活躍しました。
1964年からは新津機関区に転属となり、引退するまで羽越線や磐越西線の旅客列車を主に牽引。
1969年9月30日。磐越西線のさよなら旅客列車を最後に引退しました。
現役期間23年と2ヶ月。最終走行距離は169万1096キロでした。
引退後は新津市立第一小学校の校庭で、子供たちの成長を見守るように静かに眠っていましたが、「SLばんえつ物語号」の運行にあたり、保存状態も良く新潟ゆかりの蒸気機関車とゆう事で、白羽の矢が立ったのでした。

1998年3月。30年近く保管されていた校庭を後に、トレーラーで埼玉県大宮市のJR東日本・大宮工場に整備・復元のため運ばれました。
SLの心臓ともいえるボイラは、大阪の「サッパボイラ」で、SLの足ともいえる動輪のタイヤの交換は、住友金属工業の関西製作所で履き替えることになりました。
大宮工場での整備・復元も無事終わり、この日を迎えたのでした。(新・会津のけむり参照)

C57180号は、軽やかな足取りでさっそうと新緑の磐越路に出ていきました。
私は、いつまでも元気で走っていてほしいと願わざるにはいられない。



         
   三川-津川間 白崎トンネルの飛び出しを500ミリで狙う。
              8226レ 1999年4月


 

                



「新緑を走る」 
シャッタースピードを30分の1秒にセットする、切通しの上から200ミリを手持ちでかまえる。
C57180号が白煙をなびかせながらやって来ました。
カメラを左上から右下に振るようにしながらC57の動きに合わせて、そっとシャッターを切った。
五十島-三川間  2003年5月




「新緑の発車」 
雨の咲花駅、C57は発車と同時にドレインを左右に吹き上げる。
若葉の桜並木がくっきりと浮かび上がった。
 8226レ 2004年5月




「山桜」 
五十島トンネルの上には、山桜が咲き誇っていました。
五十島-三川間 8226レ  2002年4月




「花水木」 
日出谷の大カーブの外に1本の花水木があります、4月の20日前後にかれんな白い花を咲かせます。
 8233レ 2002年4月




「水ぬるむ頃」 
田んぼに水が入ると、残雪の棒掛山が田んぼの水鏡に写った。
日出谷付近 8226レ 2003年4月




「鯉幟」 
雲ひとつない青空、鯉幟がいきいきと泳いでいました。
日出谷 8226レ 2004年4月




「山村の田植」 
雨が降っていた、老夫婦が田植えを行っていました。
C57は白煙をなびかせながら、その横をさっそうと走っていった。
荻野付近 8226レ 2004年5月


 

「飯豊連峰」 
雲ひとつない快晴、一ノ戸川の対岸から望むと、飯豊連峰の美しい山並みがくっきりと見渡せた。
 2004年4月


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