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2000年11月16日〜2001年10月23日までのお便り。


早速、「D51爆走」見させていただきました。
いい煙りですね〜。見てて溜め息が出ました。
「最近、デコイチの爆煙みてないなぁ〜」なんて思いながらも。
黒い煙がまたいいです!迫力が画然と違いますね。
釜石線はまだ行ったことが無いので、1回は行きたいなぁ〜って思ってます。

「ひとりごと」も見ました。
私がはじめて(高1のとき)デコイチを撮りに行って、場所取り(三脚)はファンのルールなんだ〜・・・って学習しました。(笑)
次の年からは、小さいビデオの三脚を片手に行ったものでした。
でも大学に入って秩父に行ったときに、ファンのおじさんに怒られ(注意され)まして、譲り合いの精神を知り、自分は自己チュウだったと過ちに気付きました。そこでまた学習をしました。
それ以来場所取りは止め、通過時間間近に行くようにし、特別やっても、ずーっとそこの場所に待っていることに心掛けています。
最後に、「汽車に魅せられて」15000アクセス、おめでとうございます。
これからも、会津のけむりさんのサイトの更新楽しみにしています。
室井 2001.10.23


初めまして、福岡市の豊島と申します。
素晴らしいHPを拝見致しました。
特に鉄道ファンと言うわけではありませんが、膨大な写真を惜し気もなく公開してあり感激いたしました。
東京以北には行った事がありませんが、会津の春の西若松-門田間74-5-2や加納-熱塩74--5-19等を拝見したときは何故か目頭が熱くなる程懐かしさを覚えました。
まだすべてのページを見終っていません。
ゆっくり拝見させていただきます。
ほんとうにインターネットをやって良かったと思うページに巡り合えた気がしています。
2001.10.17


酒井さま
私もやっとHPアップしましたので見てください。
HPへの写真貼り付けは今回は失敗していますが雰囲気はわかると思います。
再度読み込みして
アップしても見やすくしますけど。今回は我慢してください。
プロが撮ると違いますね。
来年の課題にさせていただきます。
 
柳津のC11244が復活して会津若松機関区に戻れると楽しいのでしょうが、無理でしょうか?
C57180までいかなくても定期的にC11が只見に戻ってきてくれれば楽しいでしょうね。
今回も会津での人とのふれあいで高校時代の
自分に会うことが出来たのは感激ものでしたし、板下の付近も変わっていなくて、昔は良く5km10Kmと歩いていたものと感心したしだいです。
では、今後もよろしく、お願い申し上げます。
 2001.10.13 よしろう

こんにちは
すごいんですね 一日で350のアクセス 
写真をみて (村の鎮守様) どこかで見た一枚と思っていました
そうなんですよね 1974年 (鳥居 )出ていた一枚でしたね
私の 記憶にすご〜く強くあったので さがしましたよ
鉄橋とかの写真はめずらしくはないのですが この一枚は・・・・・
皆 すばらしい写真ありがとうございます
 
私 日帰りで一人往復480キロ少し疲れましたが 行ってよかったです
出来上がりは いつもと同じいまいちですが 自分では満足です
是非 春 秋 走って欲しいですね
今度は 鉄橋で 待ち受けて撮りたいものです
明日の 真岡の重連 本当にご苦労様お帰りなさいと 足を運びたいです
 では          SL姉〜さん
 2001.10.13

こんばんわ、汽車電車の多田です。
さすが現地を知り尽くした酒井様ならではのポイントばかりですね、とくに会津盆地をゆく情景が良いですね〜。
滝谷の鉄橋は私もどうなっているか気になって見に行きました。
伸びた杉の木に27年の時の流れを感じたものです。
 
緑の板の書き込み拝見して、この線にもC56が走っていたことを知りました。飯山線でおなじみだった131号機もいたとのこと、
C11はもちろん、C56にも似合う風景ですね。
今回だけでなく、只見線2002、2003もぜひ実現してほしいと願っております。
 
すばらしい写真のみならず、マキで走ったC12のような会津の機関車たちのエピソートもまたお聞かせください。
 2001.10.13

「はやさん」こと早坂と申します。
酒井様の只見線の写真を、首を長くして待っていました。
酒井様の写真に見せられたからこそ私も行った今年の只見線でした。
その酒井様がどのように「今回の」只見線を撮られたのかとても興味があったのです。

10月2日の夜と3日の夕方に若松の機関庫に行きましたが、酒井様の写真とオーバーラップしてしまい、感無量でした。
機関車は一人だけしかいない光景でしたが、特に2日の夜に整備にいそしんでいる係の人たちの嬉しそうな顔が印象的でした。

酒井様の「只見線」はなんともいえない空気感をかもし出しています。
ワタシのような「絵葉書的記念写真」ではない、確かな「写真」です。
もっと自分の目を鍛えて「いい写真」を撮りたい、と痛烈に感じた次第です。
ありがとうございました。

近々公開される(?)釜石線も、どのような酒井様の「目」を感じ取ることができるか、いまからとても楽しみです。
2001.10.13


只見2001拝見しました〜

さすがに只見線を知り尽くしているアングルですね。
会津盆地での600のカットとか好きです。
夏井川も行けばよかった〜
今は後悔しています、ちょっと録音に走ったこともありますし編集したらぜひ聞いてください。

今回残念だったのは酒井さんにお会いできなかったことでしょうかどこかでニアミスしていたかもしれませんが...

そのうち写真もアップしますが見て笑ってください。
こうなるともう一度走って欲しいですね

次の機会はお会いしましょう。

2001.10.12 えもやん


こんにちわ。
室井です。お元気でしょうか?

「只見線2001」拝見しました。
いや〜、やっぱり会津のSLを撮らせたら、会津のけむりさんの右に出る人はいないな〜って思いました。
自分が構想してた場所(宮下ー早戸間)での写真がそのままなっていたのが悔しいです。
結局、道が狭かったので、運転当日、私は行かなかったのですが。

あと昭和小学校とC11とのスナップ、一番いいですね〜。
心が和みます。たぶん彼らの心には、いい思い出が残っただろうと、思われます。

最後に、会津のけむりさんにお詫びしなければなりません。
以前、会津線の大川第1鉄橋が残ってるとのことでしたが、只見線運転の際に実家に帰ったときに、でんぱつ(電源開発)の人と話す機会があり、聞いてみたら、撤去されたとのことです。
水を貯める際に、第1、第2は撤去したみたいです。
2001.10.12


はじめまして。
私は、北海道端野町に住んでおります、林と申します。
酒井さんのホームページは以前から拝見させて頂いておりました。
今回、メールを遅らせて頂き、失礼を致します。

元々私は、神奈川県川崎市の生まれであり、一昨年夫婦で北海道に移住しました。
私の実家は、新鶴見操車場の近くであり、幼い頃入れ替えや高島線のD51を見て育ちました。
また、母親が信州の柳沢という長野電鉄の河東線の駅近くであり、千曲川の対岸を走る飯山線のC56も見ました。
そんな事で、D51とC56ファンの私でしたが、祖父から毎日新聞社の『栄光の蒸気機関車』という写真集をもらい、そこに只見線の宮下〜早戸を行くC11の写真がありました。
それからというもののC11という機関車が妙に私の気を引き、その後多くの雑誌写真集で、会津地方のC11の素晴らしい作品を拝見するたびに、すっかり魅せられました。
私の中では、会津といえばD51でもC57でもなく、C11こそが会津の蒸気という方程式ができてしまいました。
何としても現役時代の会津のC11をと思っておりましたが、何といってもその頃の私はまだ小学校の4,5年生でしたから、行ける筈もありませんでした。

パソコンを買って、いろいろ会津の蒸気を検索して、やっと酒井さんのページに辿り着き、その姿に目を細める様に拝見させて頂いておりました。

そこへ、只見線にC11の復活の情報を得、一気に私の心は小学生の頃に戻りました。
仕事を無理して休み、資金もあまりなく、細々と中古のF90とレンズを買おうとためていた貯金も使い、車では燃料やフェリー代が掛かるからとバイクで会津に行く事を決意し、試運転の10月3、4日に向け我が家を出ました。
いよいよ会津入りして驚いたのが、その人の多さでした。
どれだけの人が只見線にC11が復活してほしかったか、その期待の大きさが伺われた様でした滝谷、西方など、有名撮影地はものすごい人とカメラの放列で、私はNewFM2片手に小さくなっていました。
それでも、奥会津の山々に響く汽笛を聞いた時、目頭が熱くなったのは決して大げさな表現ではありません。
のんびり屋の私は、じっくり一人で撮れるポイントを探しました。
試運転中、誰に聞いても煙がスカで泣いておられましたので、煙重視よりも会津らしい写真をという事で、会津横田の村はずれの踏切近くで撮りました。それが、あつかましくも添付させて頂いた写真です。
初めてのメールで、しかも私のような若輩者で未熟な腕の者が写真を添付するのは、本当にご無礼かと存じますが、会津の蒸気をずっと追ってこられた酒井さんに、どうか見てもらいたく失礼を承知で送らせて頂きました。

これからも、どうぞ素晴らしい蒸気の写真を紹介して下さい。
それでは、これからの益々のご活躍をお祈りいたします。
2001.10.11


酒井様、ご丁寧にお答えを頂戴いたしまして恐縮です。 
なるほど、やはりレールの上に乗っていますか。
ということは、同型と考えて良さそうですね。 
ただ、同一かというと、まさか「あれ」が本線上を回送されたとは思えないので、別ものでしょう。 
とすると、同型が少なくとも川口と宮下に居たということになるのでしょうか。  
私も今回の只見訪問を控え、またまた拝見した酒井様のお写真から27年間「なんだろう?」と思い続けていたものの正体が垣間見えたようで、ネットの素晴らしさを実感しております。
 このたびは、どうもありがとうございました。 
もし、お許し頂ければ、貴サイトとリンクさせていただき、併せて当方の当該ページに酒井様の川口の写真の紹介をさせていただきたいと思いますがよろしいでしょうか。
 2001.10.11 下山

同じか同形と思われます。
前後のコマを確認しましたところ、レール上を移動するクレーン車のようです。
中央のトキの前におじさんが見えると思います。
私のオリジナルプリントには、トキとおじさんの間にレールが確認できました。
6月に宮下構内にいたクレーン車?が木材の積み出しのため9月には川口駅に移動していたことになります。
どうやって移動したのかな?
あのままではトンネルに入らないだろうし?
タワーをたたむか、下げた形でなら移動は出来るかな?
不思議な車輌ですね!
 2001.10.10 さかい

酒井様、はじめまして、下山と申します。
会津のけむり様のHNを緑の掲示板で拝見しております。
 
本日は、突然メールいたしまして大変失礼とは思いますが、酒井様に教えていただきたいことがこざいます。
実は、私も拙いサイトを開設しておるのですが、1974年6月に会津宮下で撮影した写真がございます。 
 http://member.nifty.ne.jp/tiaki-01/10ban-1.htm
 そこで、この写真にあるクレーン車ですが、一体何のためにあるのか、どのような荷扱いをしていたのか、何故レール上にあるのか、気にはなったものの、調べもせずゲテモノのスナップとして27年間放っておりました。
 
ところが、つい先日、酒井様の只見線のコーナーに掲載されている会津川口での木材積み込みの様子を拝見しまして、「あっ、同じだっ!」とびっくりした次第です。
酒井様のクレーンは後ろ姿ですが、アームの形状、運転室(操縦席?)の位置といい、同型に見えます。 
ただ、足回りが残念ながら良く見えません。はたして、レールの上に乗っているのでしょうか。 
 
ということで、不躾で申し訳ありませんが、私が宮下で見たクレーン車のこと、或いは酒井様が川口で撮られたクレーンのことでお分かりのことがありましたら、お教え願えませんでしょうか。
宜しくお願い申しあげます。
 2001.10.9

たいへんお疲れのところ、さっそくのメールありがとうございます。
私の方こそ、お会いしたあの日が発ショットでしたので、はじめから他の誰でもない「会津のけむり」さんに会えるなんて、とても光栄でした。
 
今朝方現像が上がったものを今ちょうど見ていたところなのですが、はじめにお会いした根岸付近も白煙でももう少しあればいいところだなとつくづく思いました。また、磐梯山バックとしてもあのへんのポイントはいいところではないでしょうか。(4日にもう一度やろうと思っていたのですが、4日は第3鉄橋に絞ったので断念しました) もっと欲張ってみれば高田方面から惰行で逆光に光るススキの花道を降りてくるところを、超望遠で狙う、なんていうのも洒落ているかもしれませんね。
 
私は今回3日と4日とわずか2日の撮影行でしたが、結構楽しめたと思っています。もちろん、消化不良の感は否めませんが、たった2日にしては只見線ってこういうところかということが実感できた気がします。ロケハンだけで実際には撮ってないポイントはたくさんあるのですが、次回以降の楽しみという考え方もできますし、いろいろ調べたこと、実際に行ってみたことは、無駄だったなどとツユほども思っていません。
 
鉄橋等はかなり雑誌等でも紹介されていましたし、四季を通じて撮れるものですから、そんなに夢中にならなくてもと思っていたのですが、それ以外で奥会津の雰囲気が感じ取れる民家とか田畑の感じとか、真岡線で得られないものがたった一区間あたりに凝縮して見られるということも、すばらしいというよりすごいと思いました。煙が欲しくて発車のシーンを追いかけていた友人もいますが、発車のシーンをやることで他の会津らしいものを切り捨ててしまうのは何ともったいないと思いました。
 
その上で、3日の返しの後、第3鉄橋の国道側(以前のロケハンの時はあえて行かなかったので)のスノーシェットの上に上がってみたら思いのほかたくさん(人数が)入れそうだし、前景もうるさくないので、4日の一発目は朝からここにしようと的を絞ってみました。4日のその場所はうちの倅を入れて18人。連日のスカの影響もあり、また、駐車スペースの問題もあり、大半は県道側に行ったのか、ガラガラでした。ご存知かもしれませんが、この日の第3鉄橋は、それまでの無煙を挽回するかのように、あのピーカンの下でもきっちりと見えるだけの煙をはいていきました。国道側からだと逆光になるため、加えて汽笛の蒸気が白く輝き、その場所に上がっていた者全員から歓声があがりました。
 
こうして出来上がってみると、たいしたものはないのですが、あの、「てんこ盛り」のおかずを何から食べようか、といった気持ちに似た贅沢な思いは、只見線に行って良かった、また行きたいという印象を深く胸に刻みました。実は、釜石にも今年初めて行ったのですが、あれはあれでD51+爆煙付のいい場所、いい道路で魅力はありますが、どちらかといったら、只見のほうを選びたいと思ったほど、私にとってはいいところでした。次は是非とも返しも蒸機牽引でやってほしいですね。
 
あまりの興奮のうえにダラダラと長文になってしまいました。
私は、真岡でしばらく、きっちり、こってり、やっていきたいと思っています。
10月は臨時も多いようですし(いつも情報助かります)。
 2001.10.9 国分

初めてホームページを拝見しましたシンガポールの高橋と申します。infoseekで,
「ニコン・レンズ・80−200mm」で検索したところ、酒井さんのページを見つけたものです。
よろしくお願いします。
夜撮った真岡のC11の写真がいいですね。
特にむらさき色の信号灯のあるカーブに近づいてくる機関車の写真がいいと思いました。
私は鉄道・バイク・短波ラジオが趣味で、かつては天体写真なんてのもやっていました。
これらの趣味を支える道具としてつきあっているカメラ自体にも結構のめり込んでいるものです。

私も「サザンクロスのホームページ」という趣味の写真を集めたページを次のアドレスで出しています。
鉄道関係の写真も載せています.。
駅や踏切りで撮った写真が大半、技術も初心者そのものですが、よろしければリンクをお願いできればと思います。
酒井さんのページは近々私のリンクコーナーに掲載させていただきます。
2001.9.23


こんばんは
独り言 見ました。
昨年 秩父鉄道浦山口の鉄橋で 桜とSL撮りたくて出かけ 1週出かけるの早すぎ次の週土曜日又出かけました 
思い切り早く到着したわけでしたが もう三脚が数台置かれ通過15分前になって三人ぐらいきて 
長瀞でいま撮影してきたこと話しながら・・・・・・・・
私 4時間ぐらい前からいるのにと 思いましたが 口には出せませんでした
次の日 日曜またまた 一人車飛ばし同じ場所へ
3時間前ぐらいでしたが 一番良い所取れ 昨日の分までと
いざ 通過煙最高 ところがシャッター一枚しか押せませんでした 電池切れ
二週間で 3日間(主婦失格ですね 笑 )足を運び ・・・・・
でも 今までに一番のお気に入りの写真 昨年浦山口で撮ったものです
なんか だらだらと私の思い出話しになってしまいましたが
 では 又      2001.9.20      SL姉〜さん

夜汽車 真岡鉄道秋景色 拝見しました
今年 夜汽車は残念ながら一度も お目にかかれませんでした
来年こそは と思わせる素敵な写真 ありがとうございました わたしも撮りたいです
秋 そろそろですね いろいろなポイント 足を運びたくなるような写真ばかりです
夏 行けなかった分 秋は がんばりたいと 思います
                    SL 姉〜さん!!

いつも貴殿のHP,情報を楽しく拝見させて頂いております。
横浜の斉藤と申します。

小生、現在40も半ばの、現役SL末期の頃のSLファンでありました。
インターネットという文明の利器を得て、かくも多くの仲間達が活発に情報交換を行っているを見るにつけ、
かつては地方の鉄道管理局に返信用封筒を入れてダイヤを送ってもらい、
宝物のように扱った時代をなつかしく思っております。

さて、あの只見線にC11が復活するとのこと。本当に懐かしく、またうれしく思います。
かつて上野発のばんだい6号(だったっけなあ?)で5:10だかに若松につき、
朝一番で只見川に、あるいは大川沿いにはいっていったころがよみがえります。
会津は本当に日本のすべての良さを凝縮したようなところで、春夏秋冬、いついっても美しいところですね。
何回も何回も通った、懐かしい路線です。

当時、第一只見鉄橋を今は閉鎖されてしまった旧国道から広角で狙ったのも懐かしい。
今はどちらかといえばNTT鉄塔から望遠ですからね。
今はもう面影もないが、滝谷の駅前の雑貨屋でうどんが食えた。
朝、8時前の下り貨物をよく滝谷の鉄橋で撮って、次の下りを待つまでの間、
120円のうどんを食いながら朝のNHKの朝連小説が白黒TVから流れていたのも昨日のことのようです。
2001.9.7


会津といえば小学生の頃、「鉄」の父とともに沼尻鉄道に乗ったことがあります。途中から川桁まで乗ったのですが、何所から乗ったかもあいまいですがしっかり車内の様子は覚えています。そして盤西線がまだD50が走っていたことも記憶しております。酒井様も私と同年でいらっしゃるので、D50などはご記憶にあられるのではないでしょうか。なぜか我が家にもD50の写真は殆どありません。いつの時代でも思いますが、「もっと撮っておけばよかった」ですね。
復活以前の盤西の写真は若松より西のものが少々、あとは日中線、只見、会津も少々といった所です。
下手糞なものしかありませんがHPが出来上がりましたらアップする予定でありますのでご覧下さい。
またこれからも宜しくお願い申し上げます。では失礼致します。
2001.9.5 K.M

酒井様、はじめまして。忠賢八高と申します。どうぞ宜しくお願いします。
すでに何度も拝見させていただいておりますが、本日改めてすみからすみまでじっくり拝見させていただきました。
ご年齢は私と同年でいらっしゃる様ですが、中学生のころからの作品も今日のお仕事の片鱗を感じさせるような素晴らしい写真で驚きました。
HNのとおり、会津に関しては他の方の追従を許さないような詳細に、そしてしっかりとした内容で、読み物としても十分なないようだと思います。
若松区の戦前からの経緯もよくお調べになられておられ、何でC56がいたのだろう、などと興味は尽きません。
どうぞこれからも素晴らしい作品を拝見させてください。
2001.9.2

開館間もないころから最近までの梅小路の汽車たち姿、たのしませていただきました。
スチーム号のC622が多いようですが、狙って行かれているのでしょうか?(私はなぜか8630に当たることが多いです)
シロクニ君や花との競演、会津のけむり様の汽車にたいするお気持ちが画面から伝わってきます。

梅小路蒸気機関車館、、、、汽車がなくなってしまう、というあの時、あそこに行けば石炭の香り、汽笛の音、
生きている機関車の暖かさに会える場所として最後の砦ともいうべきところでした。

サイトにご紹介された開館してからの歩みを見ても、その平坦ではなかった道がわかります。
返す返すも残念なのはC571牽引の「京阪100年号」の悲しい事故、あれがなければ,
その後の汽車の運転はまた違った展開をみせていたかもしれません。

ラストの一枚、梅小路らしいステキなショットですね。
2001.8.27  多田


酒井様のサイト、その後改めてゆっくり拝見させていただきました。
中でも特に「会津のけむり」には大変感動いたしました。現役時代の会津の蒸機たちを、ここまでキッチリと、しかも類稀なセンスとひたむきな情熱で記録されているのは、まさに偉業と言うほかありません。
こんな素晴らしい記録を残してくれた酒井様に、現役蒸機を知らない世代のひとりとして感謝しています。
素晴らしいドキュメンタリー映画を見たような気分です。
「蒸機の墓場」に消えていった蒸機たちも、きっとこのサイトを見たら喜んでくれるのではないでしょうか?
「動かない蒸機はただの鉄の塊だ」と言って、蒸機の全廃に会津の人たちが反撥する箇所がありますね。
こういう、何というか「会津魂」といったらヘンでしょうか、会津人の気概がちょっと顔を覗かせるあたりが好きです。
今や冬季のデゴイチ運行、「ばんえつ物語号」、そして先日の「同時発車」など、蒸機関連のイベントが盛りだくさんの観のある会津ですが、「会津のけむり」を拝見して、「生きている蒸機」に対する会津の人たちの思いが、あの蒸機全廃の悲しい瞬間からずっと通奏低音のように続いているように思えて、「会津」という土地と人々が何だかとても新鮮に見えてきました。
船坂 2001.8.20


 鈴木です。「秋景色」いいですね。
わたしも柿の実る頃、小貝川沿いで待っていたことがありました。
茂木の秋景色も見事ですね。でもあのアングル(撮った場所)はどこなのでしょう?
先日、五行川に酒井さんのアングルを求めて行って来ました。曇り空なので水に映るSL(あの日はC11でした)を狙いましたが
酒井さんほどワイドなアングルになりませんでした。歩道橋から見たのでしょうか?
今度青空のときにもう一度チャレンジしてみます。
とにかく酒井さんのHPを見ているとカミさんから「あなたもこういうキレイな写真ができないの?」と言われて、真岡通いを続けています。
またすばらしい写真を見せてください。ありがとうございました。
2001.8.20


会津のけむり様、はじめましてH&Y・ENDOと申します。
貴HP拝見させていただきました。最初はプロフィールだけ見てプロの方の写真だ、と思っていましたが、会津のC11の写真を見ていくうちにちょっと違う感じを抱いています。
それはこよなく会津のC11を愛された方だったのだと。
この秋、只見線にC11が走ります、それは会津のC11を知らない私にとってもとても楽しみであり、素晴らしいことと思っています。
でもそれ以上にSL時代の忘れ形見であるあの会津若松の扇形庫にたたずむC11を撮ってみたいと思っています。
私はSLも勿論好きですが、扇形庫と転車台のある風景がとても好きです。
磐越西線にC57を撮りに行くときできるだけ会津若松の車庫へ寄るようにしてます。
素晴らしい写真を拝見させていただき有り難うございました。
 2001.8.14

こんにちわ、猛暑続く日が続きますが、お元気でしょうか。
私は、酒井さんのページの「会津のけむり」の「会津の冬」を見ながら気持ち的にも涼しい気分に浸っています。

7月7日磐越西線のD51とC57の同時発車行って来ました。
昨年行ってなかったので、プラス冬のD51の運転もなかったので久し振りに気合の入った撮影行となりました。
酒井さんを若松の駅で探してみましたが、物凄い人の数だったので見つけることが出来ませんでした。残念です。
一回はお会いして挨拶がしてみたいと思っています。

また、只見の方にも行ってきました。大好きなネイチャーフォトの写真家の写真展が行なわれていましたので。
はじめて只見に行ってきましたが、私の住んでいる下郷町から約1時間強のドライブで、
思っていたより近いことを知り、チョットこの夏休みに通ってみようかな?って思ってます。
また、街の中には静態保存機(C58-244)がありました。チョット、「なんで只見線にC58?」ってな感じでした。
只見線にC58が入線した経歴はあるのでしょうか?
もしご存知でありましたら、教えていただけないでしょうか。すみませんお願いします。
保存されていた機関車は、私が今まで見た中で、一番ボロボロだったと思います。
屋根はかかっているものの、なんか可哀想でした。

明日から夏休みです。もちろん実家に帰ります。
皮肉にも就職が決まっていません。
JR東日本の最終面接まで行きましたが、ちょうど教育自習と重なり受けられませんでした。
会津若松の市役所も受けましたが、残念ながら1次試験で悲しい結果に終わりました。
残りもう少し公務員関係を受けてみる予定です。なので、あんまり楽しい夏休みとなることは期待出来ません。

秋に予定される大祭りに向け、それを楽しみにがんばろうと思ってます。
これからも酒井さんが御健勝であることをお祈り申し上げます。
長々と失礼しました。

会津C11 室井 2001.7.17


いつも美しい写真にお世話になっています。
「はやさん」と申します。
さて、秋の只見線が話題になっていますね。
私はまだ行ったことのない線路なのですが、あなたの写真を見ていますと無性に行きたくなってきます。 
どんな風景が広がっているか楽しみです。 
無論、あなたの写真にあったいくつかの風景はもう見ることが出来ませんが、
それでも鉄橋とトンネルの織り成す路線が楽しみです。
ロケハンをかねて8月中に行ってみたいと思っています。
はやさん 2001.7.16


はじめまして、山田と申します。
貴Webページを拝見させていただき、会津若松を中心とした詳細な汽車の記録に感服いたしました。 
地元の利はあるでしょうが、あそこまで写真に留めることはなかなか容易なことではないと思います。

私も、千葉県の総武本線沿いで育ちましたので、汽車と共に過ごした日々でしたが、
そのほとんどの記録は私の「脳裏」だけです(笑)

今秋には会津只見線でC11が走る計画ですね。 
本当に懐かしく、万障繰り合わせて二十余年ぶりに再訪しようかと考えています。
その節には、貴殿のアドバイスなどを宜しくお願いいたします。
T.山田 2001.7.15


酒井様、はじめまして。
私は現在原町市に在住している山田といいます。今は仕事の都合で原町住まいなのですが、生まれ育ちは会津若松市の扇町、小学校(城北)は、機関区の中を通っていました。もっとも、私は昭和43年生まれで、小学校に入る前の年に蒸気は消えてしまったので、自分の意志で写真を撮ったりというのは間に合わなかったのですが、汽車さえ見ていれば大満足という子供だったので、せがんでは親に機関区に連れていってもらっていました。
アルバムを見ると、C11や、ラッセルの前で撮ってもらった写真があります。日中線のさよならSLも乗りました。もっとも、小さいときの記憶なので、写真を見ていても、懐かしい、というよりは、こうだったのか!という発見の方が多いのですが・・。
それでも、入れ替えのC58の写真は懐かしかったです。
目の前で行った来していたC58はよく覚えています。酒井様の機関区の写真を見て、幼い私がもしかしたらいるのではないかとしみじみ見てしまいました。
 いまでも、うちに帰ると、ターンテーブル上のC57を見に機関区に行っています。
またアクセスし、作品を見させていただきます。 
 K.山田 2001.7.14

今晩は 私も磐越撮りに 3回ほど足を運びましたが、
地理がわからず 一ヶ所で撮り帰って来ています。
皆さん 撮り終ると即車に乗り込み 出発していきます。
後を ついていこうと思うのですが 知らない土地、わからないので。
でも 8回は撮りすぎですよ うらやましを 通りこしてしまいます。
SL姉〜さん。 2001.7.14

はじめまして、あいづのSL懐かしく見させていただきました。
私も年代も一緒で中学3年〜高校3年まで急行ばんだいで10回ほど若松に通っていました。
もちろん、目的はC11です。
今度、C11(只見・会津・日中)をまとめて特集します。
当時、なぜ会津通いをしたのかと聞かれたら
・機関区の人達の汽車を大切にしている
・SLファンを親切丁寧に扱っていただいた事
・四季の中で本当にSLが絵になっていた 
楽しい思い出です。
ありがとうございました。
田中 2001.7.8


楽しく拝見しております。
いよいよ夏到来ですね。
毎年真岡の夜汽車撮りに出かけていますが、出来上がってみると なにこれといった出来上がりで・・・・・
第4話「夜汽車」 撮影のやり方拝見しました。
素人の私では・・・、今年も花火上がるんでしょうね。いつなのかな?
今年も 出来上がりは期待できませんが、足を運びたいと思います。
                          SL姉〜さん
 2001.7.5

昨日、会津若松の運輸区に行ってきました。事務所で見学の受付を済ませ、機関庫へ。ちょうどC57180の到着時間で、数人の見学客がいました。
 運輸区には、ときどきC57を見に行くのですが、「会津のけむり」を見た後で機関庫の前に立つと、目の前のC57と、すでに失われた過去とが交錯して、複雑な思いです。それでも、C57のけむりの匂いと、ディーゼルのオイルの匂いの混ざった空気の中にいると、なぜか気持ちが落ち着くから不思議です。
 カメラの腕は、まったくですので、ひたすら車輌を眺め、デジカメで数枚のみ撮影しました。
 その後、見ているだけでは物足りなく、若松から山都まで「ばんえつ物語号」に乗ってきました。
 
 「ばんえつ物語号」に乗りながら「会津のけむり」の風景を探したり、運輸区見学前には、西若松駅に行ってみたりと、「会津のけむり」との出会いでまたひとつ、鉄道の楽しみが広がった気がします。
ありがとうございます。
 
須賀川市 井上 2001.6.17

はじめまして。
「会津のけむり」を拝見しました。
わたしは、現在、須賀川市に住んでいる者ですが、小学生のころに、会津の蒸機が全廃となり、ちょうど、「寂しい秋が」の風景が父に連れられ機関車をみていた記憶と重なります。

蒸気機関車の記憶は、断片的にしかありませんが、母の実家が田島町にあったため、田島駅構内の風景や、田島に行く途中の若松駅構内、桑原周辺など、今回写真を拝見して、とても懐かしくなんともいえない安堵感というようなものを感じました。

また、C11254は、当初、田島小学校に保存されていましたが、小学校に陸送する際に、田島駅でキャブに乗せていただいたことも思い出されました。
「門デフ会津を走る」を拝見して、懐かしさに加え、254号機の九州からの旅を考え、30年を経て、また思いも新たにしました。

大変すばらしい写真と解説だと思います。これからも時々、拝見させていただきたいと思います。
とても懐かしく思いましたので、失礼とは思いましたが感想を書かせていただきました。
乱文、お許しください。

須賀川市 井上。  2001.6.15


 「春もの」「花もの」拝見しました。
 
 磐西の春は、自分としては、まだそれほど打ち込んでないので、どんなにいいものを見せられても「いいなあ」程度の気持ちしか湧かないのですが、こと真岡線は別。冬の勢いで煙が薄くなってもどうしても蒸機を追いかけてしまう生活が5年も続くと、しぜんに花をテーマにした写真が増えてきてしまいます。今回の会津のけむりさんの写真は、そんな私にとって大きな刺激となりました。沿線の花は、コンディションとか咲き具合とか毎年毎年違いますが、はっきり言ってマンネリに陥りがちでした。場所も構図も、やっぱり他の人の写真を見るっていうのは大事ですね。
 
 そのうえで、会津のけむりさんの写真の「切り取り」方は、とても気持ちがいいです。単に参考になるとかいうのではなくて、ホントとても気持ちいいのです。爆煙の列車写真をのぞめない以上、真岡での写真つくりは、いかに「おかず」を取り入れてまとめるかが勝負だと常日頃思っています。
 
 それにしても薄いながらもちゃんと煙が出ているのはにくいですね。
 またいい写真をよろしくお願いします。
 2001.5.31 K,K

いつも 拝見しています 感動です!!
私も 真岡鉄道 ファンです.
コットンウエイの 写真集 持っていますよ2度ぐらい Kさんとも一緒になったことあります一度は お話しもしました
3年ぐらい 年賀状 送り いただいています
43歳の おばさんですが SL撮り始めて 6年目ぐらいになります

家から 2時間以内で 真岡 秩父 2時間半で 水上行けるので恵まれていると 思います 
この写真昨年浦山口で 撮ったものですもちろん 一番の お気に入りです 
また いろいろな 写真紹介してください
楽しみに しています
   SL姉〜さん 2001.5.23

 鈴木です。春景色とミツバチ拝見しました。すばらしいですね。
私の方は5月3日に友人を誘ってSLに(いつも写真撮ってばかりでは真岡鉄道さんの収入にならないから)下館から茂木まで乗って
きました。
この日の目的は戦前真岡線を水戸や常陸大子まで延長する計画があって、茂木から那珂川べりの「河井」までは線路を敷くまでの計画があったという話を聞いて、そのコースを歩こうと思ったのです。
 路盤も鉄橋跡も完璧に残っていました。トンネルもあるそうなのですが、鬱蒼としていて近寄れませんでした。
地元の人の話では「冬に、長靴を履いて来たらトンネルまで行けるよ」ということでした。
冬になったらもう一度訪ねようと思います。
 6月になったら磐西に行って「ばんえつ物語」を山都あたりで撮ろうと思っています。
 では・・・・。 2001.5.23


今日.ミツバチ鉄拝見いたしました。
いやほんとにカラフルな花の色が.こんなに渋いSLにピッタリだとは本当に感動しました。
SLってモノクロかカラーか.いつも戸惑つていたのですが........少し.眼からウロコが取れたつていう感じです。しかし.見ると.撮るとでは大違いでしょうけど........。有難うございました。    
埼玉。大澤 2001.5.18


さっそくですが、「冬景色」拝見しました。
  見慣れた場所ですが、会津のけむりさんのを見るととても新鮮に思えます。
  「天矢場」お立ち台近辺は私も(きっと誰もが)好きなポイントのひとつですが、1年ほど前に残念な出来事があってからは敬遠がちでした。それでも、お立ち台へは行かずともその向かいの小さな山とか道路の切りとおし上とか、国道側の田んぼの中からとかは懲りずにトライしています。
 勾配の少ない線区なのでこの区間はほかで得られないものが補給できます。煙といい、音といい・・・。
 昨年は、10月から12月にかけてよく訪れました。10月には長いことお立ち台の国道側の田んぼにこのあたり特有のわらボッチ(わらを円錐状に束ねて置いてある)がありましたし、11月末の紅葉の時期には、お立ち台向かいの山の山桜や広葉樹の茶色の紅葉が見事で、新たな発見をした思いでした。
 12月には、お立ち台よりもう少し上の地点で、お立ち台付近から直線を登ってくるC12をアウトカーブの外側からかぶりつきで狙い、まっすぐに渦高くあがるすごい爆煙をモノにしました。ふだんは、その後ろに人が立つので撮れませんが、そんなポイントも改めて発見しました。
 また、数年前までは、お立ち台付近を国道の上から見おろすお気に入りのポイントもあったのですが、今年の冬訪れたら篠竹がムチャクチャ伸びていてとても入れませんでした。
ここでも、刻一刻変わりつつある沿線のさまに嘆きました。
  真岡線は、運転区間が短いだけに、そのうえ勾配も少なく煙の出るポイントが絞られているだけに、つまらないとか難しいとかいう方がおりますが、私としては、だからこそ一つ一つのポイントをじっくりとあの手この手で工夫する楽しみがあるのかなと思っています。
そこへいくと磐西などは、守備範囲が広すぎて焦点を絞って行かないととりとめのないものになりそうなので、かえって難しいのかなと思います。
 
 作品について、あえて、ひとこと。北山−益子の雪山バックはすばらしい。くやしい!
 男体山バックも良かったけれどこれもいいですね。
七井の雪のサイドのやつもあの煙はあの日でなければ見られないものですね。
いいもの撮ってると感心しました。
  また、いいもの見せてください。ありがとうございました。
 2001.5.8 k.k

こんにちは、NABEXの渡辺です。
「会津の今昔」拝見しました。私も、昔と今の対比には関心があるので、非常に興味深く見させて頂きました。
やはり、四半世紀の時の流れは大きいものですね。特に道路が建設されたところは風景が一変してしまうように感じられます。
西若松駅の周辺も、ずいぶん家が建て込んだようですね。
昔の方の写真は、自分の訪れた所もあり、とても懐かしく感じられますが、この調子では、それもだんだん思いでの中だけのものになりそうです。
これからも、会津の写真を楽しみにしております。
2001.5.8


会津の今昔拝見しました。
廃線になった日中線懐かしく見ました、面影を残しつつ、線路が無くなっている風景・・・時の流れを感じます。
私も会津には思い入れの場所がありますので、何時の日か当時を思い出しながら現在の風景を撮ってみたいと思ってます。
初の磐西から戻り、好天に恵まれ残雪残る飯豊連峰も見る事が出来、楽しい撮影行でした。
紅葉の時期も行く予定ですので帰りに只見や会津のルートで帰ろうと思ってます。

2001.5.3 長崎


拝見しました。

私も時々同じ場所で撮りますが・・・めっちゃ変わったところ、昔のまま残っている所色々ですね。
新しい道が出来たりってのも・・・時代ですね。
会津は、自然(山や川)だけでなく、当時の地形が残っていますね。
私が以前に大阪城の見える景色の今昔を撮ろうと現地に行ったのですが
面影どころか大阪城も見えず諦めました。
都市部の変化はすごかったです。
大阪城の写真は、以下のURLです。
http://www.slnet.gr.jp/main/yama.html
2001.4.28 川口


会津の今昔、拝見しました。
すっかり変わってしまいましたね。仕方のないことでしょうが、残念です。
しかし、当時の風景や空気感はしっかりと、写真に残っていて、さらに心にもすてき な記憶として刻み込まれていますよね!
なぜか胸が熱くなってしまいました。

私も昔撮影した場所の確認もあり、会津、只見を訪れたいと思っています。
遠い記憶を蘇らせてくれた写真ありがとうございました。
2001.4.28 S.N


こんにちわ。
メールありがとうございました。
早速、拝見させていただきました。
変わり様はすごいですね。
特に只見線にC57が入線してるのは、ある意味すごいことと感じてます。

私もホームページを開設しましたが、自分のものではなく、私の実家の親がやっている喫茶店のホームページでありまして、ま〜その一部を借りて、私の撮った写真を掲載していこうかなと考えています。
掲載した時は、恥ずかしながらもメールを出したいと思います。
明日からゴールデンウィークで私も実家に帰り、色々あるんですが、1日くらいSLを写真撮りに行こうと思ってます。
簡単ですが、失礼します。
会津C11 室井
2001.4.28


始めておじゃまいたします. 
埼玉に住む大澤と申します.
 いや.会津のS.L懐かしいです.もう   30年位前ですね..休日のたびに会津へオンボロのミノルタSR-1を抱えて飛んで行ったのは.田島の給水塔のそばで1時間も見ていたのを.懐かしく思い出します. 
今のS.Lと違って地域に根の生えた生活感がありましたものね.  突然申し訳け御座いませんでした。
 また.H.Pで楽しませていただきます. 失礼いたします

2001.4.20


 お久しぶりです。「子連れビ〜グル」です。 
「夕暮れ時」拝見しました。
やっぱり「あいづのけむり」さんが撮るとひと味もふた味もちがいますね。感動ー。 
 一番初めのコマは、昨年の12月2日のものでしょう。ほとんど同じ角度から私も撮ってますから、期せずしておとなりで作業していたのですね。しかしながら、REフィルターであの色が出せるんですか。といったところがにくいですね。あの日の雲は本当にシルエットをやるにはおあつらえ向きのいい状態だったのでよく覚えています。1シーズンで1度あるかないかのシーンですものね。
 それにしても、二校前のあの陸橋には閉口します。私も二校前はどちらかというと新参者のぶるいなので、バッキのやつはまともに撮っていません。97年、98年は夢中で行きましたが、陸橋がかかった99年はほとんど行きませんでした。しかし、それよりも問題なのは、昨年12月のダイヤ改正−折本停車以降、このいわゆる二校前の築堤付近では「絶気」になってしまうことがよくあることです。今シーズンもスッカラカンを何度か決められました。できるだけ折本方向にいけば力行−煙は保証なのですが、そうすると足回りが抜けないとかいろいろ問題が出てきます。
 真岡線も沿線の状況が刻一刻変わりつつあります。今思うと復活して1〜2年のころはよかったなーと思うところが随所にありますものね。まあ、蒸機の煙と同じで周りの風景も生き物だと思えばいいことなのですが、ここぞというポイントが消えていくのは本当に惜しい気がします。 
 昨年のダイヤ改正で運転時刻が若干ですが上がってしまったのも悔しいですね。日没近いころは3分とか5分とかが貴重ですからね。 
 回送の太陽バックのもすばらしいと思います。私も300ミリで何度かトライしていますが、思うようにいきません。600ミリ、800ミリというのには恐れ入りました。
 いずれにしても「夕暮れ時」は真岡線の大きな魅力のひとつであることには変わりないので、「会津のけむり」さんの作品に学びながらこれからもチャレンジしていきたいと思います。ありがとうございました。
2001.4.19

初めまして。大阪市在住の鈴木と申します。
「汽車・電車1971〜」の多田様のご紹介で拝見しました。

私のホームページで来週設置予定のコーナーに似たコーナー(メール紹介)があるので参考にしてはとの趣旨だったのですが、
あっと言わせるコンテンツがあり、早速拝見しました。
私は1962年の生まれで、日中線からSLが消えた年は小学校6年生でした。
その年は恒例になっていた近所連れの旅行の行き先が会津地方の計画で、
3往復しかないながら、全列車がC11牽引である日中線に強い憧れを持っていました。
時刻表片手に夕方の便に乗る計画を立てましたが、列車の接続が悪いため、
宿がある翁島に帰ってくる時間は大幅に遅くなってしまい、こんなことを言っても却下されるのがおちだろうとは思っていました。
結局、事情があって旅行自体を中止せざるを得なくなり、その年の11月には同線からC11も消えました。
そんなこんなで、とうとう現役のSLを自分が撮影した写真は1コマもありません。
拝見した写真は期待を越えるすばらしい作品でした。
高校2年の頃の作品とのことですが、第1印象でセンスが光っているなと思いました。
プロフィールを拝見するとプロのカメラマンさんなのですね。
競争の厳しい世界だと思いますが、天職にお就きになっていらっしゃると思います。
平原をゆく混合列車を後ろからとらえた写真は小学生時代にイメージしていたのとぴったりのシーンです。
連結作業を身を乗り出して見る人の後ろにはあるいは私が写っていたかも知れないなどと思いながら拝見しました。
会津の空気がこちらに流れてくるようで、叶わなかった夢が叶ったような心境です。
まだ全てを見ていませんが、時間を見つけてゆっくり拝見したいと思います。
たいへんすばらしい写真を公開下さいましてありがとうございました。
2001.3.25


 写真届いたみたいで良かったです。
少しでも今の会津線が酒井さんに伝わっていたら
私も嬉しく思います。
駅について少し語らさせてください。
現在では、国鉄時代の駅舎の面影を残してるのは、(たぶんですが、)
若松から、七日町、西若松、芦の牧温泉(上三寄)、
弥五島、会津下郷(楢原)、田島高校前(田部原)、てなところじゃないでしょうか?
確信ではありません。ただ、古かったり、そんな雰囲気が感じるところだけをあげてみました。
田島の駅は本当に立派になりました。ヘタしたら若松の駅より良いかもしれません。
湯野上の駅は茅葺き屋根でありまして、中には囲炉裏もあります。
いかにも大内宿の玄関口でもあるかのような印象があります。
会津のけむりの第2話「会津の今昔」楽しみにしてます。
また今後も酒井さんのお力になることが出来るようなことがありましたら、
協力したいと思っていますので、どうぞ、お声をかけてください。 
今月中には、真岡の方に行きたいと思っています。
たぶん、10日の日に行くと思いますが・・・。
初めて新品のレンズを買い、それを使いたくてウズウズしてます。
そして、乗車もしてきたいな〜とも考えています。
 それでは、失礼します。 
室井 2001.3.3

あなたのHPの縦長の写真に魅せられました。
汽車って横長だからカメラをタテに構えることはないような気がするんですが、
あなたの縦長の写真を見て感激しました。「青春18キップ」のポスターが、
地方のローカル(地方でローカルはないか?)駅のショットを空と雲を大部分に配しているんです。
厚床だったり大鶴だったり、これを撮っている人と一度で良いから飲みたいと思っていたんですが、
あなたの縦長を見てまた感激しました。
「横長の汽車を縦長で撮る」今度小貝川で試してみます.オンボロの車でウロウロしていたらよろしくね。
 私は、人も嫌がる原子力研究所で中性子と一緒に働いている「スズキ」と申します。
小貝川近くにはへら鮒の釣り場(鬼東沼とか鬼怒川大自然とか)があって、釣行とSL撮影と兼ねて通っています。
よろしくお願いします。
今、もう一つの楽しみとして「EF81」を追っかけています。
我が家から常磐線の線路が見えますので、これも狙いだと追っかけているんです。
ガキの頃から60になろうとしている今までテツを追っかけているオジンですが人畜無害ですから今後もよろしくお願いします。
小貝川でお目にかかる日を楽しみにしています。では・・・・。
2001.2.28 S.M


こんにちわ、室井です。
 今日の朝まで、実家に帰ってました。
会津は今日も雪が降っており、春はまだ先のように感じます。
さて、前に会津鉄道の開業の時期についてメールしましたが、調べてきましたので、報告したいと思います。
開業日は、7月16日でした。
平成9年に10周年を記念して、会津漆塗りの板の記念切符が発売され、
それに、「7月16日」と書いてありましたので間違いないと思います。
 ありがとうございます。
さっそく修正させていただきます。
あと、桑原の大川第1鉄橋についてですが、 祖父に話を聞くことが出来ました。
壊されることもなく、あのまま残っているそうです。
桑原の集落は跡形もなく燃やして山の上に上がりましたが、鉄橋は手付かずで残っているそうですが、
ダムの底深くにあり見れることは滅多にないようです。
現在、大川ダムに大きな橋がかかっています。その橋のちょうど真下に鉄橋が眠ってるそうです。
あと今回色々話を聞いていくうちに、湯野上と舟子(大川ダム公園)のルートが今と違うことが分かりました。
だから、酒井さんの写真を見ても、分からないのが当然でありました。
ちなみに第3鉄橋ですが、今現在かかっている所は同じですが、橋自体は違うらしく、昔より高さが高いところに作り直したようです。
今回は色々、地元、会津線のことが自分のためにも勉強になりました。
そして、「会津のけむり」の素晴らしさを改めて感じています。
近いうちに今回少しばかり写真を撮って来ましたのでお送りします。
参考になればと思い、良かったら見てください。
それでは、失礼します。
  2001.2.26

酒井さん、メールありがとうございました。
小貝川の真岡線は好きなんですが、現像してみると「何だやっぱり」でしかないんです。
でも、めげずに毎週通っています。
 それで良いんですものネ。グランプリを取ろうとして通っている訳じゃないんですし。
去年の12年12月12日に「C121212」をカミさんと撮りに行きました。
帰りにシクラメンを栽培している農家によって結構珍しいシクラメンを3,000円で求めました。
こんな余録も撮り鉄にはあるんですよ。これで良いんじゃないでしょうか?
 今年は6月15日に熱塩加納村に行って「日中線」の廃線を追っかけながらヒメサユリを愛でて山都でそばを食って、
磐越西線を鉄橋下で撮って、米沢まで足を延ばしてギュウを食ってこようかと思っています。
結局SLから離れられない生活なんです。
どこかでお会いしたらよろしくお願いします。友達ができてうれしいです。
今後ともよろしくお願いします。
因みに、私1944年生まれ、56歳、土日は真岡線の小貝川土手に出没しています。
写真が好きか、SLが好きか、いまだに揺れています。
 よろしく。
2001.2.26 M.S


東京都府中市在住の福島と申します。
昭和33年1月生まれなので同学年になりますね。
会津に初めて行ったのは中1の地理部の合宿で桧枝岐から入り、会津滝の原でC11に会いました。
帰りは若松からED77の牽く客車&キハ181系つばさでした。
当時1800円のミニ周遊券を使って上野から急行ばんだい4号で日中線始発列車に乗る計画を立てていたのですが,
未だ中学生でお金もなく机上の計画に終わりました。
日中線のレポートを拝見して行っておけばよかったなと悔やみました。
当時は小出側とは未開通であり只見線(小出ー大白川)でラッセルを撮影したことがあります。
C1163が豪雪の中奮闘していました。
若松側に再来したのは昭和57年でしたがそれでもDD51の牽く旧客が走っており旅情に浸ることが出来ました。
このサイトを見てまた会津地方への郷愁が募ってきましたのでいつか出かけたいと思っています。
高校生の頃にあれだけ品質の良い写真を撮れるとは驚きでした。
このサイトを見つけてよかったと思います。
会津のことでわからないことがあったらアドバイスをよろしくお願いいたします。
2001.2.24


 真岡に見せられて結構通っているんですが、あなたの写真を見て、真岡やめようかと思いました。
あまりにもキレイな写真なので私の力量ではついていけないと感じたのです。
絶賛ですね。特にタテアングルでとらえた写真は「やられた」と思いました。
何回も小貝川の同じポイントの通っているのに後ろに男体山があることすら考えませんでした。
長い蒸気機関車をタテアングルで撮る発想があったんですね。
考えてみればコロンブスの卵なのかもしれませんが、とにかく感動しました。
写真はやめて貴ホームページを楽しみにしています。
そんな事はありません、写真は真似することから始まります。私の場合30年前に、広田氏の「四季を走るSL」。
故中村氏の「蒸気機関車」が大変刺激になり。

彼らの作品を徹底的に真似することから始めました。
その内にもっとすばらしい風景に出会うものです。
鉄道写真は、その時々の風景を撮る事ですから。
私はまだ40数回しか小貝川で撮影していません。
真岡鉄道にはもっとすばらしい風景に出会う可能性がある鉄道です。
そんな風に考えながら毎月の撮影に出かけます。
2001.2.20 M.S


 はじめまして、三重在住の加藤です
 会津若松へは20代前半に行ったきり、懐かしく見せて頂きました。
当時横浜に住み京浜急行電鉄で車掌してた頃1年先輩のおばーちゃんが会津にいるというので出かけた思い出があります、SLも撮ったのですが劣化して見るも無残です。
 もう50歳に近くなった今では覚えていないことが多くなりました、こんな風景が広がっていたのだと思います。
有難う御座いました

2001.2.20

「はやさん」と申します。
ふと貴殿のHP見ていたら、長町機関区から来たDE10!
にっくきDE10なのですが(個人的にはこのディーゼルはすきです(^^) )、
本当に時間の経過を感じてしまいました。 我が家のすぐ近くにあった長町機関区、もう面影すらありません。
旧機関区には建物もレールもありません。 
北からくると、本来、貨物線は南側の鉄橋を通って行くのですが、さび付き、つたがレールを横たわっています。 
名取川付近の、本線につながる線路は、道路で築堤すら分断されています。
ああやって会津の機関庫が残って現役で活躍しているのは幸せなことなのかもしれません。
このあたりだと小牛田まで行かないと転台車はなくなってしまったし・・・
むかしたくさんの蒸気でにぎわった長町機関区も消えてしまいました。
ちょっとさみしいですね・・・
2001.2.16


こんにちわ。
会津C11こと室井です。お久しぶりになってました。

酒井様のホームページ「小貝川」拝見させていただきました。
見てて、真岡鉄道に行きたくなってきました。
大学1年以来、真岡は行っても、実家に帰る途中に下館発車のみを狙うのが多かったため沿線に出ることはありませんでした。
が、今回、酒井様の拝見しまして近々行きたいな〜と思ってきました。
 さて、以前に大川ダムに沈んだ鉄橋のことについてメールを送ると言っておきながら、遅くなったこと大変申し訳ないと思っています。実家の親父に聞いたところ、たぶん残っているのでは?と言うことです。
親父も、あ〜そんなのあったな〜といった感じで、もう記憶が過去のものとなっているようです。
詳しいことが分からず、本当にメール書きながら、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
大川ダム建設の工事に携わった祖父とは、恥ずかしながらも、帰ったときに喧嘩してしまったので聞けませんでした。
次の機会に詳しく聞きたいと思っています。すみません。
 あと、「会津線」を久しぶりにまた拝見させていただいたんですが、少し気になったことが一つ。
1ぺ-ジ目の文中ですが、会津鉄道が開業したのが10月となっているんですが、
私の記憶だと、、、夏だったような気がします。暑い中、旗を振りに「楢原」の駅まで行った記憶があります。
旗に7/16???と書いたような気もするんです。
ま〜曖昧な記憶なんで確実とは言えませんが。ただそんな記憶が私の記憶がありましたんで、
これについても実家にそれなりの本がありますんで、今度の機会に調べてきます。
当方もホームページを作りたいと思っていますが、なにせ学生ですし、今、就職活動中ともあって、
周辺機器をそろえたりする余裕がありません。いつの話しになることのやら…。
また、メールします。
それでは、失礼します。
2001.2.16


「はやさん」と申します。
カレンダーありがとうございました。 

デゴイチのページで見ましたがHDDはどうだったでしょうか?
実は私も前のPC(アプティバH55)が起動しなくなり、結果、現在の自作PCになったのですが、
以前のハードディスクにデータがあったので困ってしまいました。 
そのとき、職場に詳しい人がいて、職場のPCに繋げるアイディアを教えてもらいました
(「スイッチをスレイブにしてIDEケーブルに・・・」てな具合)。
職場のパソコンで無事バックアップが出来ました。
デゴイチの掲示板のページで紹介されていたのと同じでしたね。
はやく完全復旧し、HPが完全完成する日を楽しみにしています。
そういえばこないだ2度目の真岡に行ってきました。
 貴殿の真岡号の写真を見てるうちに行きたくなったので・・・ 復路は乗り鉄。 「ああ、小貝川ってここかぁ」
そうそう、なんか小貝川の写真って昔の会津の写真ととても似ていますね。
こんなに写真を撮りたいですねぇ。 鉄道写真って、始めてからこのかたまともに撮れた事がないもので (-_-;
貴殿のページにくると、1時間ははまります。 あーーーーいいなぁ。
なんかへんなメールですみません。 
今後ともよろしくお願いいたします。
2001.2.15


こんばんは、川口です。

昨夜、小貝川を拝見しメールを出したと思っていました。痴呆になったかな?
拝見しながら別のページに飛んでしまったようです。
四季の風景、時間差(朝・夕)楽しく拝見致しました。
私は、小貝川では1度しか撮影した事がないので「春の小貝川」の川面等いい気分にひたりながら見ました。
おおきに!!
2001.2.15                       


はじめまして。「会津のけむり」さんのHP拝見いたしました。
 とても「感動」です。会津の現役蒸機は、私の今日の原点ともいえるものなので、まるで卒業写真を見ているような気持ちがしました。とはいっても、私は、会津のカマたちにレンズを向けたのは、74年の3月から10月まで3〜4回なので、とても同列に並ぶような力作は持ち合わせていないのですが、それでも、機関区で見かけたカマたちの往年の元気な姿が今こうして手元で見られるなんてとても夢のようです。
 
 私の父の実家が若松市内の滝沢町だったことから、子供の頃から盆正月に帰省するたびに「ああ、まだいる」と構内入換していたカマたちを見てきた記憶があります。当時私の家は、いわきの勿来の方でしたので、74年無煙化のニュースを聞いてからもそうそう行けるものではなく、当時中一だった私が「汽車を写すために」会津を訪れたのは、夏休みのことでした。父が置き忘れてなくしたカメラの代わりに購入したぺトリV6Uとかいうカメラをもって。
 
 それにしても、私より4歳うえの貴兄が、掲載されているような写真を当時撮られていたことには驚かされます。たしかに、沿線の状況も今とは違い、どこを撮っても絵になるようなところが多かったことはあるにしても、けして有名撮影地ではない会津の風景とカマの姿をとてもいい感じで捉えていると感心します。湯の上の民家をからませた一コマなどははじめて見る感動モノです。
 
 さて、現在のものですが、見ました、見ました、1月28日(だろうと思います)の益子の男体山バック。いいですね。私は「芳賀路の汽笛」さんのHPに「子連れビ〜グル」のHNで投稿していますが、益子の山からの俯瞰はこの間ずっと力いれて狙っています。貴兄が撮影された場所もロケハンして存じておりますが、トライしたことはありません。男体山がいい表情をしていればあんなふうに決まるのですね。「やられた〜」と言う気持ちでいっぱいです。この日は、午前中まで勤務で返しの列車をもう少し高いところから狙ったのですが、山に一部雲がかかってしまい、いまひとつでした。また、雪が田んぼにあると「白煙」が溶け込んでしまうので、かえって茶色の田んぼが背景の方がいいことも最近になって感じます。貴兄の写真は、菊池病院こそじゃまですが、背景に溶け込まれることなく上手にカマが生きているという点でも、とてもいいと思います。
 初めてにしては、長々と駄文を連ねてしまいましたが、真岡は私にとってもホームグラウンドなので、きっとどこかでお会いできると思います。目印は水戸ナンバーのグリーンのホンダ・ビーグル(シビックシャトル)です。私の友人で現在いわき在住の「大和田秀樹」氏という方がいるのですが、たしか貴兄と同じ57年生まれのはずなので、もしかしてお知り合いではないかあと思うのですが、いかがですか?
  それではまた、沿線で。いい写真をありがとうございました。
 2001.2.15 K.K

ホームページ拝見しました私も蒸気機関車好きの1人です。
1951年世田谷生まれです。昔は東京でも蒸気機関車がありまして、八王子、小岩機関区等に撮影に行きました。
又御殿場線にはD52が、都内からの最終SL列車も中学生の時上野に撮影に行きました。
そして中学卒業後の春休みは3人で広島でC62、山陰でC58、小海線でC56を撮影旅行してきました。
さらに当時小山機関区で写真を撮っていたところ、機関士が「これから単機回送で佐野まで行くけど乗ってみるかい?」と聞かれ喜んでC58に乗せてもらい、しかも途中から運転させてくれました。
あの時の加減弁の感触は今でも忘れられません。
又情報交換しましょう。 宜しくお願い致します。
2001.2.12 横田

酒井さんこんにちは
リンクありがとうございます、本日リンク作業完了しましたのでお知らせいたします。 
現役当時は会津には行けずに悔しい思いをしています、これからゆっくり行ったつもりで見ていこうと思います。
自己紹介のところの車の上のお姿、どこかの撮影現場でお見かけしたような気もします
今年も真岡、磐越、秩父、大井川とがんばりますので、お見かけしましたら声をかけさせて貰います。
では、今後ともよろしくお願いいたします。
2001.2.7 J.K

こんばんは、川口です。

HP拝見致しました。
会津であれだけの画像は始めてみました。
人々とのかかわりの作品も多く、ほのぼのとした気分で拝見できました。
リンクありがとうございます。拝見しました。
当方も早速セット致します。
2〜3日ご猶予を。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
2001.2.5


こんにちは、リンクありがとうございます。
こちらもリンク貼らせて頂きました。
下記ページにて確認ください。
http://kikuchi.server.ne.jp/link/Link.htm
特に会津地方のSLの写真を何度も見させて頂いております。
現役のSL写真を公開してる方は最近多くなってきましたが、
画的にもこれほど高品質の画像を見せてくださるのは、なかなかありません。
今後ともよろしく
2001.2.5 K.K


こんばんわ、汽車・電車1971〜の多田です。
メールありがとうございました。
第1部完成おめでとうございます。
Upのご案内のつど、拝見させていただいております。酒井様には全くおよびもしませんが、
私も通った撮影地などたいへん懐かしいかぎりです。
汽車だけでなく、それをとりまく人々までていねいに記録された、すばらしいシリーズですね。
第2部の今後も楽しみです。
リンク掲載いただき、ありがとうございます。
トロバスは変化球のつもりで、どうかな、と思ってUPしたのですが、意外な反響に少々驚きました。
小サイトも明日にでも更新予定です。
酒井様と全く同じアングル(日にちは数日違い)のクラ川橋梁と第1只見もUPしますので、お立ち寄りください。
では今後もよろしくお願いいたします。
2001.2.5


こんばんは。先日は真岡鐵道でお世話になりました。名古屋の中澤です。
先日の写真の成果はいかがでしたか。私も真岡で初めての雪中走行を撮りました。
今日は2月の最初のお休み、例年なら会津若松にデゴイチの走る時期ですね。
平成7年から6年間欠かさず会津のデゴイチを撮影していましたが今年は運転がなく残念でした。
来年また走ってくれることを祈ってます。

 さて私は会津に蒸気機関車が消えるころ生まれましたので蒸気機関車の現役時代を知りません。
ただ懐かしの写真集を見るとこんな路線で蒸気機関車を撮ってみたいなぁと思うところがあります。
それが会津のC11、そして木曽路のデゴイチであります。
今となっては実現も厳しいでしょうが、会津のけむりさんのHPを拝見しますと
会津に今でもC11型蒸気機関車が走っているような気持ちになります。
先ほど改めてすべての写真を拝見しました。
桑原の湖底に沈んだ美しい風景、湯野上駅の桜、滝谷の鉄橋などすばらしい風景に感動しています。
私は名古屋育ちでこのような風景にあこがれます。「あいづ」の響きは心のふるさとを思い出します。
それではまた何処かの路線でお会いできることを楽しみにしています。
 2001.2.4


寒中お見舞い申し上げます。
いつも力作を拝見させて頂き有難うございます。
会津線(会津鉄道)には久しく行っていませんが、第一大川鉄橋やねざめが淵はもう見られないのでしょうか。

今年は27年振りに、塘路の三角点に立ちました。
茅沼では30分前に鶴は飛び立ち、がっくりでした。 2001.2.1 R.F


第八集「日中線」みました。非常に感動しました!
1974年当時のC11のドラフト音を思い出しました。あれは加納〜熱塩のパミールだったのですね!
また、日中線の混合列車も話には聞いていましたが、写真では初めてみました。
鉄橋を渡る作品のC11もアングルがとてもよかったです。
いやー、感動しました。
このことを伝えたくって。また、おじゃまします。
 2001.1.22 K.A                           


以前訪れてメールを出しました早坂と申します。
 新年早々、午前中まったりしようと思い(本日なんと休んでしまいました)、貴殿のページを見ていましたら
「あら、2000件。リロードしたら2001になったりして! あら2001!」 というわけでページの下を見たらなんと
らっきー! 大当たりだったんですね。
貴殿のページ、ちょくちょく見させていただいています。SL好きの2歳の息子にも見せています。
教えたのを覚えているらしく、桑原付近の写真を見て、「ここ、だむになっちゃったんだよね〜」と
へらへら言っております(言ってる意味わかってないかも)。
 貴殿のホームページに写真が追加されて行くのが楽しみです。
一枚一枚の画像が重いことに、管理人さまの意気込みを感じます。
私はこういうの好きなんですねぇ。
またちょくちょく訪れさせていただきます。
 本日は東北地方は大雪です。
仙台でも10センチ近く降りました。会津は陸の孤島と化しているとか。
山形新幹線が止まっているせいで、仙台付近でE4+400系の姿を見かけて息子は大喜び!
(クルマで出かける際に偶然に遭遇したのデス。)
ダ話しになってしまいましたが、今後の写真を楽しみにしています。
  2001.1.4


あけましておめでとうございます。
HP 楽しませていただきました。
わたしは、中学のころ、会津によく通っていました。
¥1800-のミニ周遊券で、、、
熱塩にも行きましたものですから、懐かしくなってしまいメールしてしまいました。
第1〜3大川鉄橋なども思いで深いです。
わたしは現在、旭光学にてカメラの設計をしています。
月刊カメラマン誌における真岡撮影会にも同行していたりしています。
これからも、HP よらせていただきます。
楽しみにしています。
2001.1.4  平井


酒井様、はじめまして!

市川の鈴木と言います。貴HPを拝見させていただきました。
会津のSLは大変懐かしく、惜しげもなく通った日々を思い浮かべる事が出来ます。

私も拙いSLのHPを開設しております。
よろしければ相互リンクを酒井様の準備が 整いましたらお願いしたいのですが。
弊HPをご覧の上、宜しくお願いします。
2000.12.21 N.S


懐かしの蒸気機関車館の久保です。

今日yahooのカテゴリーウオッチにでていましたのでメールしました。
以前も見に来ていましたが・・・
鹿瀬の「ひとりごと」とても身につまされて、パソコンに向かって気の毒にと思いつつ、笑ってしまいました。
また時間を見て写真をじっくり見させていただきますのでどうぞよろしく
わたしも蒸気のウェブページ出していますのでお暇なおりにお越し下さい。
 2000.12.21


「デゴイチ」のページのリンクから初めて訪れました。 早坂と申します。
私が子供の頃にあった世界。 でも私の実家は仙山線のすぐ近く。
そう、日本初の交流電化区間のため、私は現役のSLを見た記憶がありません。

貴殿の撮った会津の風景、涙が出てしまうくらい美しい風景です。
こんなきれいな風景が、かつてあったのだと思い知らされました。
こんな素晴らしいものを我々は失ってしまったのでしょうか?

・・・あの「12月の朝」の機関庫の風景には泣きました。

それにしても当時のカラー写真を、よくぞここまでレタッチ(レストア?)してくれました。
根性ですねぇ。 たまりません。
準備中のページ、楽しみにしています。 本当にありがとうございました。
 2000.12.5 M.H


こんばんわ、汽車・電車1971〜の多田です。
1974年4月28・29日、私も会津に行っておりました。
今アルバムを取り出し、酒井様の写真と見比べつつ当時を思い出しております。
28日は621レの発車を若松で撮り、上三寄へ。1391レ進入を写してバスで湯野上に先回り、
このとき国道から見下ろした桜の桑原の風景が忘れられません。
1391レを第4橋梁で、そのまま午後の列車まで待ち、8393レ、1392レを第2橋梁で写しています。
その晩は定宿の郡山ステーションホテル(^0^)
29日の朝の写真がないので、寝坊したようです。
門デフ254の逆向き1453レを西若松で撮り、桑原へ。
満開の桜のしたで8383レを、桑原トンネル入り口で1392レを写しました。
このいかにも日本の里といった雰囲気の桑原が水没する、と聞いてショックを受けたものでした。
私のカラーネガも退色がひどく、加工してどこまで見られるようになるか心元ない次第です。
では、長文失礼しました。
次のUP楽しみにしております。
 2000.12.5


ホームページ開設おめでとうございます。さっそく昔懐かしい写真を見せてもら
いました。特に米沢から会津に移り、会津線で最後の活躍をするC11204の写真は感動ものでした。
米坂線の蒸気機関車ページからリンクを設定いたしましたのでご確認ください。
米坂線の蒸気機関車もリンク集に追加していただければ幸いです。
それでは新しい写真の掲載を楽しみにしています。
これからも宜しくお願いいたします。 
2000.11.30 M.S 


こんばんわ、汽車・電車の多田です。
相互リンクの件、ありがとうございます。小サイトの方は本日工事できましたので、
案内文のご確認かたがた、ついでの折りにでもご確認ください。

前後賞でも有効ですか(^0^)けっこうキリ番って自分で踏むんですよね、なぜか、、、
次は1266の真岡賞でしょうか?
 2000.11.30 


こんばんわ!
初めてメールさせていただきます。会津C11こと室井と申します。
もちろん、会津出身です。
昔の写真拝見しまして、会津線の風景の変わりようにビックリです。
特に西駅の辺なんか全然見当がつきません。
そして、桑原の辺なんか、全然ですよね・・・。
私がモノ心ついたときにはもうあの線路は水の中でしたから・・・。
たまに大川ダムにかかる橋から昔の線路跡が見えるときがあり、チョット寂しくなります。
あとは、落合の鉄橋、小谷の鉄橋の辺は、そんなに変わっていなかったので、チョット意外でした。
あと、私、「寂しい秋」を拝見しているうちに思ったんですが、
会津の各家々には、たいてい蒸気の写真が飾ってあるんですよね。
私の家にも、「C11-312」と「C11-254」の半切版があります。近所の家にも、「C11」の写真があります。
そんなところにも、会津のSLに対する敬意の表れがあるのかな〜と思いました。
そう言えば、「C11-254」は会津田島駅に静態保存されています。
ハッキリ言って保存状態はひどいです。昨夏にお色直しをしましたが、色を塗っただけといった感じです。
屋根もないんで、冬に見ると非常に悲しくなります。
このSLが復活したらどうなんだろう?ってありもないことを考えながらも、いつも田島を後にして東京に向かいます。
しかし、会津高原(旧 会津滝ノ原)にも線路はつながっていませんが、手押しの転車台も残っており、さらに想像力をわきたてます
しかし、今の会津線の状況を考えると、夢のまた夢の話しです。(笑)
ましてや、門鉄デフが走ることは許されないことかも?しれませんからね。
長々と書いてしまいましたが、会津のけむりさんのHP、これからもチョクチョク拝見させていただきます。
次回の更新が楽しみです。やっぱり、ふるさとのことがあるというのは、ホッとするといいますか、うれしいですね。
それでは、失礼します。 2000.11.29 

はじめまして
山形在住の武田と申します
けめたんと言ったほうが判り易いかと思います
なにぶん鉄ファン業界に顔突っ込んで2年のド素人ですので御指導御鞭撻の程どうぞ宜しく御願いします

この度はHP開設おめでとうございます
いろんな撮り口の蒸気機関車拝見しとても参考になります
大きな声では言えませんがやっぱり個人的にはC57にはルーズソックスが似合っていると思いました 
今年の桜の季節には鹿瀬で線路をはさんで対面に私は居ましたが置き三脚による苦い思い出もあったようで・・・
やはり土壇場でやってくるのは止めて欲しいですね 
心にゆとりを欠くと突然立ち上がったりするようだし  
これから益々の御発展を楽しみにしてます
ではまた 2000.11.29


こんにちわ、三面怪人多田です。
HP開設以来すごいペースでカウンターが伸びてますね(^^)
今613でした。あと10人、ですね。
また、拙い文をお便りコーナーに掲載いただき、ありがとうございます。
さて、小サイトリンクページに貴サイトへのリンクを掲載させて頂きたく思いますので、よろしくお願いいたします。
では、今後もよろしくおねがいします。 2000.11.28 


こんばんは、福島の堀切と申します。
ホームページ開所本当におめでとうございます。
私も、会津線や只見線に通った思い出があります。
機関車と子供たちとを絡めた写真が素晴らしいしものです。
会津線の桑原駅から湯野上に向かって最初のトンネルを抜けたカーブや会津落合駅の田島よりのカーブした鉄橋などで、
何回も撮影に行きました。 
 
これからもホームページ更新していって下さい。
宜しくお願い致します。 2000.11.26


 takaと申します。最近はROMばかりで(始めましての時少々の参加)殆ど掲示板に参加できませんが、毎日皆様方の書き込み楽しく拝見させていただいております。

 HP開設遅らせばせながら祝福申し上げます。
我々完全なるアマチュアは皆様方のHPのおかげで、行きたいところ・場所へ行かずとも(本当は何がなんでも行きたい)実際に行って撮影した気分にさせてくれます。
こんな意味合いもありうれしい限りです。特に貴方は年齢も殆ど同じということもあり、親近感があり同級生的な存在でもあるような雰囲気を感じさせていただいております。 2000.11.24 T.K


名古屋の汽車旅少年です。お久しぶりです。
HP開設おめでとうございます。カウンター200で早速拝見致しました。私の印象に残ったのは
C11312号機とC11240号機が会津のクラで並んでいる写真です。
312号機は大井川鐵道でよく撮影し、過去の会津時代にも関心があります。
そして240号機ですが今年の3月SLみらい号撮影の際に赤穂市を訪れ撮影するつもりでしたが
現地まで行って撤去されたと聞きがっかりしたのを覚えています。
今、会津のけむりさんのHPで会えるなんて・・・・。
  2000.11.19 


酒井さま、この度の開設おめでとうございます。
全て拝見しました。
いいですね現役の頃の作品、想像だけでもわくわくします、私は現役の頃はほとんど覚えないものですから、今の機材で
その頃に行けたらと思いますが.....
まだまだ御ありでしょうからどんどんアップして下さい。

やはりカメラマンのお仕事ですか、そういった関係かどうかお写真拝見すればわかります、私は撮るほうでプロでなく
プロラボマンなので.....
もしかしたら間接的に関わってたりするかもしれませんね。
ホームページではお顔判りませんね、どこかでお会いしたいですね
それではまた、作品楽しみにしております。

あっそう、ひとりごとの「たつな」には笑っちゃいけませんが
かなしいですね、自分の失敗は諦めつくけれどひどすぎる〜
2000.11.19 N.E


ホームページ開設おめでとうございます。一通り拝見しまして、蒸気機関車に寄せる想いの深さに感銘しています。
私と同世代と言う事もあり、現役の頃の作品など、とても懐かしく拝見しました。
それにしても、当時の子供達と蒸気機関車をからめたスナップ写真は、まるで心のなかにある走馬灯のような思い出を垣間見せてくれるようです。
「一本の笹竹」思わず目頭が熱くなりました。
今後の展開を楽しみにしています。
それと、もし、ご迷惑でなければリンクをお願いできますでしょうか。
  2000.11.20  K.F


こんばんわ、三面怪人、多田ともうします。
HP開設おめでとうございます。
会津線、只見線は私も通った線区でした。プロフィールを拝見すると、当時はまだ高校生ですか? 74年当時、高2でした。
それでこのアングル、人物をからめた描写など、とても驚きました。
最後の機関車につもる雪、つららも哀しいシーンですね。
復活蒸機も特に夜景が素敵ですね。
資料も充実しており、力作のHPですね。
では、今後のUP、楽しみにしております。
2000.11.21


さっそく拝見させてもらいました。・・・というか、リンク関係が正常動作するかどうかを確かめてみました。
・・・・OK!です。

そこでお願いm(__)mです。

当方のサイトからリンクを貼らせて頂いてよろしいですか?
また、その際、トップページの画像をバナーとして貼り付けてよいでしょうか?
(出来上がりは、小サイトのリンク集をご覧ください!)
以上よろしくお願いします。 
2000.11.16 


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