日中線-2
4月もなかばなのに加納駅にはまだ雪が残っていた。
C11215 1974.4.15
「タブレット」 加納駅 C11215 1974.4.15
貨物を増結するため、係りにタブレットを渡す機関士。
当時村松駅と加納駅で、貨物の取り扱いをしていた。
(1983年10月31日貨物取り扱い廃止)
「苗代」 加納付近 C11215 1974.5.11
加納を発車したC11は、のどかな風景の中を終点熱塩へ向かってゆっくりと走っていった。
加納-熱塩間 C1119 1974.5.19
25パーミルの坂を登りきった所が終点の熱塩だ。
加納-熱塩間 C1163 1974.11.6
山のふもとが熱塩温泉、熱塩駅はのどかな終着駅だった。
C1163 1974.6.9
終点の線路止めの横に月見草が咲いていた。
熱塩駅 C11204 1974.8.7
車掌さんが汽車を誘導する。 1974.9.8
左の線路を通って客車の後ろに回った汽車は、車掌さんの誘導で「ガッチャン」と一発で連結した。
朝の上り列車はバック運転になる。
熱塩駅 C11204 1974.8.7
太陽が西にかたむく頃、最後のC11が熱塩駅を発車していった。
熱塩駅 C1163 1974.11.10
1974年(昭和49年)10月30日
C11形蒸気機関車はDE10形DL機関車に置き換えられた。
1974年11月10日
さよならSLの臨時列車が、大勢の人々に見送られ「ヴォッーー」と叫ぶような汽笛を山間に響かせながら熱塩駅を発車していった。
もう2度とあの汽笛は、この駅には響かなかった。(第14話さよなら列車参照)
あの日から10年間、同じ鉄路をDE10形DL機関車が毎日変わらず走っていたが、
1984年3月31日、国鉄再建法に基ずき日中線じたいが廃線になり46年の短い鉄道の歴史を閉じた。
また日中線では廃線になるまで一度もDC列車が入線することは無かった。
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