会津線-1

当時の会津線は只見線の西若松駅から終着駅、会津滝ノ原までの57.4キロのローカル線だった。
1971年8月只見-大白川間が開通するまで、会津線には只見というもう一つの終着駅があった。起点の会津若松を出ると西若松の先で左右2線に分かれ、只見方面に向かう会津只見線、滝ノ原方面に向かう会津滝ノ原線と分けて呼んでいた。
当時の只見線は新潟県の小出-大白川間を只見線と呼んでいたからだ。会津只見線が上越線の小出に通じて只見線と改称し、
会津滝ノ原線を会津線と改称した。
1986年7月会津線は第3セクター会津鉄道となり現在に至る。

会津線では1974年10月31日までC11形蒸気機関車が、会津田島までの45.1キロ間を1日2往復貨物列車を牽引していた。
下記に紹介する写真は、会津線を走ったC11形蒸気機関車の勇姿だ。(現在無い駅名もあるが当時の駅名で紹介する)


午前5時、東の空が赤くなった頃。会津田島行き貨物列車1391レを牽くC11192が機関庫を出ていった。
1973.6.17



風が強い朝だった、C11289がけむりを踊らせながら会津若松を発車して行った。
1973.4.30



西若松駅を発車するC11192  1973.8.18

 

西若松付近 C1119  1973.6.16



「桑畑」 西若松-門田間 C11372  1973.9.1



「乱れる煙」 西若松-門田間 C11312  1974.4.2



線路端に、のかんぞうがいっぱい咲いていた。 
門田駅を発車するC11197  1974.8.2



「田植えの頃」 門田付近 C11197  1974.5.23



「狛犬」 門田付近  C11197  1974.7.23


私は西若松から門田付近にかけての、のどかな田園風景が気にいっていた。
カメラを首からたすきにかけ、8段変速の愛車(自転車)であぜ道を走りまわっていたのを思い出す。


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