会津の今昔-3(廃線編)


日中線の今昔



左は 1974年6月 喜多方駅の日中線ホーム   右は 2003年5月 喜多方駅の日中線ホーム跡

喜多方駅に到着したC1163(624レ)は、わずかな乗客を降ろし機回し線を使い列車の最後尾に回る。

現在の喜多方駅1番ホーム西側には、日中線ホーム跡が残っている。
雑草に覆われていたが、ホームのコンクリートが所々に残っており当時を偲ぶ事が出来る。
左の線路や機回し線は整地され、白い柵で囲まれた有料駐車場になっていた。



1974年4月 会津加納駅
この年は大雪で4月半ばまで雪が残っていた。
加納駅に入線するC11215(624レ)オハフ61×2



2001年4月 会津加納駅跡
ここの風景が今回撮影した中で一番変わっていた。
1984年3月末で日中線は廃線になっていたのだった。
線路は道路になり、駅舎やホームもすべて取り壊されていた。
駅の隣にあった農家で何とか撮影位置を確定出来たが、
当時は気にもとめなかった杉の若木が、27年でこんなに大きく成長していたのには驚くばかりだった。



左は 1974年6月 日中線の終点だった熱塩駅   右は 2003年4月 熱塩駅跡        

当時の熱塩駅は一面に雑草がおい繁った荒れた無人駅で、車掌さんが旗を振ってC1163号機を誘導していた。
現在の日中線の終点、熱塩駅は「日中線記念館」になっており、 構内跡はきれいに整備されており、キ100形
ラッセル車とオハフ61が、記念物として静態保存されていた。


左は 1973年8月 終点熱塩駅の車止め  右は 2003年4月 現在の車止め付近

現在の車止め付近は道路になっており、子供達が自転車で遊んでいた。
左の桜の木もりっぱな木に成長していた。
写真を撮っている男の子も、私と同じ”おじさん”になっているのだろうか?


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