寂しい秋が-2


東北で最後まで頑張っていた会津のSLが姿を消そうとしていた。当時のSLファンの声を新聞から抜き出してみた。
「SLは機械というより生き物だナ、坂道になればシュッ、シュッ、ポッポと苦しそうに息をはく、人間味あるという感じなんだナ、それが魅力」
(東京の会社員・大内さん24歳)
「SLがとにかく好きなんだ。だから全国を歩き回って撮影している」
(埼玉の学生・森田さん19歳)
「走っているSLが見られなくなると思うとさびしく思う、子供にも1回は乗せておこうと思って・・・」
(5歳の息子を連れて郡山からやって来た、会社員の佐藤さん28歳)
「最後のSLを味あわせたくて・・・」
(奥さんと子供2人を連れて、横浜からやってきた自営業・佐藤さん30歳)
「シュッポ、シュッポ、この音が何ともいえないのよ、音を聞くのが楽しみなの」
(東京からOL仲間6人でやって来た、野村さん22歳)
「赤字だって、残したっていいじゃないか。合理化って味気ない。一つぐらい夢を残したSLがあってもいいじゃないか」
(東京の会社員・大田さん32歳)
「公園に鎮座しているSLもある、でもあれは死んだSLだ。SLは走っていなくちゃね」
(仙台からやってきた国鉄職員・斉藤さん50歳)
「みんな別れが惜しいんでしょうね・・・」 (会津若松の駅員・佐藤さん45歳)
「SLはりっぱな文化財ですよ、残したいものですね」 (喜多方の駅員・皆川さん54歳)



会津線 湯野上-弥五島間 C11312  1974年10月13日



「会津の秋」 会津線 上三寄−桑原間 C11312  1974年10月20日



「秋の桑原」 会津線 桑原 C11240  1974年10月20日



「秋」 会津線 桑原付近 C11312  1974年10月20日



「秋の加藤谷川橋」 会津線 長野-落合間 C1163  1974年10月27日



「磐梯山」 磐越西線 会津若松-堂島間 C1180  1974年10月29日

取材後記
当時福島県には福島民友、福島民報という地方紙が2紙あり、
会津のSL存続運動はこの2紙のスクープ合戦で事細かく知ることが出来ました。
人間の記憶は四半世紀もたつと曖昧になりがちですが、新聞の活字は当時のSL存続運動を生々しく記録しております。
「寂しい秋が」を制作するにあたり上記2紙の記事を参考にして、まとめること事が出来ました。
後年、私はあんなに存続運動がさかんだった会津若松に、1両のSLも静態保存されなかったのが不思議でなりませんでした。
今回の取材で、会津復古会の「動かぬSLは死せる鉄のかたまり」の話を聞いて謎が解けたように思いました。
私もそうですが「会津っぽの意地っぱり」です。


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