薪(まき)で走ったC12
1945年(昭和20年)4月、会津若松に駐屯する155連隊(会津連隊)に変った命令書が届いた。
「連隊は松の木を掘り起こし根っこを集めて、5月までに指定された貨物列車に積み込むこと」という内容だったらしい。

当時、会津連隊で機関銃手をしていた酒井上等兵(私の父)の回想。
20年4月の始めいつものように山(磐梯山)のふもとの演習場(摺上原、現在の磐梯牧場付近)に行ったんだが、そん時は機関銃や鉄砲の変りに斧を肩に担ぎ、銃剣の変りにナタでよ、まるで工兵隊の行進だったよ。

演習場に着いてから大隊長が「今回の演習では松ノ木を伐採する、根っこから採る油が貴重な航空燃料になる」と訓示があった。
戦争末期航空燃料不足に苦しんだ軍が、国内で生産出来る揮発油・松根油(しょうこんゆ)を代用燃料に使う事を考えたのだった。

それからがすごかったべ、まるで木こりの大群よ、分隊ごとに分かれた兵隊が松ノ木を根こそぎ掘り起こしていったんだから。
雪解けでよ、土がしめっていたからおもしれえように次々に引っこ抜いたよ。

根っこだけを翁島駅に待っている貨物列車にリヤカーで運ぶという作業が4月一杯続いた。
根っこで一杯になった貨車は9600に牽かれ、郡山方面に運ばれたという。
5月までに演習場から猪苗代湖の浜まで、それから浜沿いに松ノ木は根こそぎ消えていった。
4月一杯で演習?が終わった部隊は、切り倒された松ノ木を45センチぐらいの薪にする作業が待っていた。
翁島駅で貨車に積み込まれた薪は、9600に牽かれ会津若松へ下っていった。

根っこがねえ松がごろごろころがっていてよ、今度はそれを一尺5寸の薪にする作業が待っていたんだ。
ひとかかえずつ、縄で束ねてよ、またリヤカーで翁島駅さ運んでよ、全部薪にして貨物列車に運びこむまで半月かかったかな?
演習?が終わって会津に戻ったらよ、機関区に薪がいっぱい積んであったんでわかったよ、根っこは飛行機、薪は汽車の石炭の替わりだったんだな。
根っこで飛行機が飛んだかはしらねえが、薪で汽車は走ったようだな。

1945年当時、会津若松機関区には2120形2両、C12形11両、9600形11両、C58形8両の32両が在籍していた。
松ノ木の薪は、入れ換え用の2120形や会津線(只見線)で走っていたC12形蒸気機関車の燃料となったという。

当時、会津若松区で機関助手をしていた、佐藤機関士の回想。
終戦の年の5月だったかな、貨車いっぺえ薪を積んだ貨物が毎日のように機関区にきてよ。
そこらじゅうに積み上げるもんで、機関区じゅうがまつやにくさかったよ。
それをよC12に一杯積んでよ、発車すんだ、松の薪だから良く燃えるんだが一向に蒸気が上がんなくて苦労したよ。
坂下まではいいんだが、坂下から塔寺までの25が難所でよ、いくら薪を放り込んでも圧が出なくてよ、機関士も苦労したべ。
俺はずっと薪をくべっぱなしでそれどころじゃなかったがな。
梅雨時はひどかったな、濡れた線路が登れなくてよ、塔寺まであと2キロぐれえで空転が始まって止まっちまったよ、結局圧が下がって坂下までずるずるよ。
駅に戻ったら駅長が「ダメか?」と聞くんだよ、俺は「石炭じゃねえがらな」と言うと駅長が笑ってたな。
圧を一杯に上げてから、勢いをつけ発車してなんとか登ったがな。
夏は圧が上がるんでなんとかなったが、冬は無理だなと思っていたら区長が粉ばっかしの石炭をどっからか探してきてくれてよ、
石炭のありがたさがわかったよ。

松ノ木の薪は1945年5月〜10月まで、C12形蒸気機関車の燃料として燃やし尽くしたという。
戦争が生んだ珍事だが、このような話は当時としては珍しくなかったようだ。

滝谷

滝谷駅を発車した列車は、すぐ滝谷川鉄橋を渡る。
深い谷に架かるアンダートラス橋は、いつも絵になる只見線の有名撮影地だった。
C11254  1974.6.23



滝谷川橋をサイドから見る。
お立ち台に行くために、目もくらむようなこの鉄橋を何度も渡った。
C11312  1974.8.21



滝谷川橋を渡ったC11は、長い桧原トンネルに向かい爆煙で飛び込む。
トンネルを抜けた所が桧原駅、寂しい無人駅だった。
桧原駅と西方駅の間にあるのが巨大なアーチ橋が第1只見橋だ。

第1只見川橋はどっから見ても絵になる美しいアーチ橋で、当時から人気の撮影地だった。
桧原側から撮影。 臨貨460レ C11254  1974.9.16



下から見上げた第1只見橋、直前になって小雨が降ってきたため水鏡はダメになってしまった。
C11254  1974.6.23



第1只見橋を西方側より望む。
桧原駅からこのお立ち台に行くには、
先の見えないトンネルを抜けて高くて長いアーチ橋を渡りと大変な思いをした。
C11204  1974.8.4


第1只見川橋を渡ったC11は、すぐトンネルに入り西方駅に到着する。
西方駅を出た列車は、すぐ左にカーブし第2只見川橋を渡ると宮下駅だ。

朝霧がただよう静かな朝だった。
第2只見川橋を渡るC11254を上流から撮影。
臨貨8461レ  1974.9.16


宮下-早戸間にある第3只見川橋は、昔から只見線を代表する有名撮影地だった。

国道側のお立ち台から望む第3只見川橋。
C11254  1974.8.20


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