アマチュア無線復活まで

アマチュア無線局(JA1FPV)の免許を受けたのはこの写真でもおわかりのとおり昭和35年8月1日で私が高校1年の時の夏休みでした。
従事者免許の国家試験はその年の4月期(電話級アマチュア無線技士の制度が生まれてから2回目か3回目の試験)だったと思います。
この世界(ハム)に入るきっかけは、中学時代の友人A君(後のJA1HSM)との付き合いが大きく影響しています。
中学時代はA君とともに所謂0ーVー1でSWLしていて、主に7Mz帯中心に聞いていました。
当時は真空管全盛時代でしたが、ゲルマニュウムダイオードや初期のトランジスタも出始めてはいました。
この0ーVー1は6C6、76と言うST管を使ったものでですが、真空管を始め、電源トランス、CRなど大半がジャンク品を再利用したこと、十分なアンテナも用意出来なかったことなどから、いま思い起こすと良く聞こえなかったのですが、それでも当時は、これにかじりついてハムの交信を聞いていました。
開局当時は、トランシーバ型で、送信部は終段が6AQ5で5Wのつもりでしたが実際は2,3ワット程度でしよう、受信部は何と5球スーパ、変調部は受信部の低周波部分を共用し、ANTは地上高8mTVフィーダを使ったFDでした。当時のことですからジャンク部品を寄集めての手作りです。
その後RXを当時の主流である高1中2に作り変え、モジュレータは6BM8ppにグレードアップしていきました。
さらに50Mz帯に挑戦して、最初に作ったのが3A5と言う双3極管を使ったハンディトランシーバでしたが、これは失敗作で、重いばかりでぜんぜん交信できませんでした。

その後、2E26を使った50Mz用のTXを作ったり、A氏からTR−1000という50Mzのポータブル機を譲ってもらったりして活動の中心をHFからVHFに移しました。やはりQTHが商店街という立地条件ではHF帯で良いアンテナを上げるのは無理でしたので。
こんな形で結婚するまでは細々ながらハムを続けていましたが、結婚後はアパートや公舎を転々としていましたので、満足なハム活動は出来なくなってしまいました。
さらに追い討ちをかけるように、自宅で運用できなければ移動でと購入した144Mz帯のモービル機も半年もしないうちに盗難に遭ってしまい、昭和53年にはついにQRTとなってしまいました。
QRTしたもう一つの理由として、少し前からVHSではFM、HFではSSBが普及しはじめ、私のハム生活のなかで一番興味のあったリグの自作がだんだんむづかしくなり、リグの完成品やキットを買ってきて手軽に電波を出す所謂「コンセント・ハム」が一般的になり雰囲気が変わってしまったことです。
そのころから、「マイコン」に凝りだしNECのTK−80のキットを作ったり、Z80を使ってマイコンを手作りしたりしてPCの世界へ入っていくことになります。



アマチュア無線再開のきっかけは、マウンテンバイクです。
体を動かすことが好きなので、40歳ぐらいからテニスを始めていましたが、職場の若い仲間にマウンテンバイクをやる人がいて、面白そうなのでMTBを買って一緒にあちこちの峠を登っているうち、連絡用にハンディ機を使ったら便利だろうと思い改めて局免許を申請しました。
局免許は平成8年7月に下りましたが、結局交信する機会も無く、ハンディ機は机の引き出しの中にしまいこまれ再びQRT状態になってしまいました。
しばらくして同じく職場のこれも若い仲間に、旧コールサインが復活できるようになったから是非再開局したらどうかと薦められ、お古の430Mz用の八木アンテナまで押し付けられてしまいました。
とどめは、本屋で偶然みつけた「アマチュア無線&パソコン’98」(ソフトバンク)です。
この本には旧コールサイン復活の具体的方法や、現在私の趣味の主流であるパソコンやインターネットとの関連などがわかりやすく紹介されていて、すっかりその気になってしまいました。


そこで、指定事項の変更申請をしてあっさりと旧コールを復活。リグは以前連絡用に購入したくハンディートランシーバ(430MHz帯FM 5W出力)です。
今考えてみると、この時期にこのバンド・モードで再開局したことは、適度に混んでいて交信相手に不自由はしないし、土日には山岳移動局も多く幸運だったようです。この少し前までは、430MHzのFMの混雑は大変なもので空いているチャンネルは見当たらないと言う状況だったと聞いていまし、今(2004年)のガラガラ状態では交信相手を探すのも大変でしょう。
また、これは交信記録を見ていただければわかりますが、関東地方の都県ばかりでなく、長野県、福島県、静岡県とも交信でき当初思っていた以上に飛ぶのに驚きました。感想としては聞こえる局とは交信できたのです。当局の場合はアンテナ(GP)を高くすると、特に14m以上に上げるとそれまでと世界が変わるくらい飛びました。