Oberheim 8-Voices
●(1)YMOの1stから登場している米国Oberheim社の初期型ポリフォニック・シンセ。ちっちゃい1ヴォイスのモデュールがご丁寧にも8個分並んでる。全部合わせたらやたらバカでかい(笑)。いかにもアメリカ的な大味な構造。ライヴでは矢野顕子が弾いてました。これも実はデザインはE-MUとのコト。ううむ、おそるべし、E-MU。(Prophet5&MC4)
  ★イーミュシステム社って、デザインもするんですね。プロフェット5もなのですね。でも、他社にデザインを依頼するのは、技術的なこととか気にならないのでしょうか。素人の私は考えてしまいます。(nakanaka)
●(2)このシンセについて、Tackmixさんから情報をいただきました。私はこの方面に余りに不案内ですので、以下にTackmixさんの文章をそのまま載せますね。
 「これ、ちょっと違います。もともと1ヴォイスを4つ並べたモジュールがあって、それに鍵盤をつけたのが4-Voices で、もう1つモジュールを並べて 8-Voices という製品としていたんです。」
 以上なんですが、ただ、私はこれらを読んでも、いま一つよく分かっておりません(^^; 正直に申し上げますm(_ _)m でも、4-Voicesというのがあったんですか。うーん、シンセの歴史はややこしい(-_-;) (nakanaka)b
●(3)そうです。元々4-Voiceってシンセがあったんです。それにもう4モジュール分付け足したのが8-Voiceです。
ええと、正確に書くとですね、元々Oberheim社ってのはエフェクターの類を作ってたんですよ。それでそのシリーズの一貫として、4-Voiceや8-Voiceに搭載されてる2VCO-1VCF-1VCA-1EGのモノシンセモジュール(商品名:SEM)を発表致しました。
その後、そのモジュールを4個パッケージングして鍵盤を付けて4-Voiceを製作/発表。そしてそれにもう一列(ホントに一列です)余分に4個のモジュールのカタマリを付加して8-Voiceを製作/発表致しました。
YMOの初期のライヴの矢野さんのブースを見て見れば分かりますが(武道館ライヴがお奨めです)、メインのプロフィット5が正面、右手にその8-Voiceが鎮座してます。その8-Voiceは2列モジュールのかたまりが並んでおります。横から見るとノコギリ形の三角が二つ(笑)。まあ、日本人だったらこんな大きなおバカな機械は作らないと思います(笑)。 詳細は
http://www.asahi-net.or.jp/~wz4k-tnk/cat/obcats1.jpg で。(Prophet5&MC4)
  ★武道館のライブ、見てみます〜(^ ^)(nakanaka)

小川典子(Noriko Ogawa)
クラシックのピアニスト。坂本龍一のピアノ曲「ピアノ組曲」及び「ぼく自身のために」を収録したCD「小川典子、 滝廉太郎から坂本龍一までを弾く」をリリース。なお「ピアノ組曲」は世界初録音。
滝廉太郎から坂本龍一に至る日本のピアノ曲を世界的に活躍するピアニストが取り上げたという点で、高く評価される。(ながやま@水戸)

OMIYAGE〜YMO AGEに愛(I)を込めて
81年に発売された写真集。主にワールドツアーの写真が多かったような・・・。「YMO AGEに愛(I)を込めて」 いいタイトルじゃあありませんか。当時のアルバム「BGM」にてチラシが挿入されてました。歌詞カードは間に合いませんでしたけど(笑)。エロ本(無修正)を見てるキョージュの勇姿は未だに忘れられません。 (平川史明)

大村憲司
●(1)1980年、その前年までサポートをやっていた渡辺香津美がやめることとなり、そのかわりに幸宏氏のミュージシャン仲間だった彼が1年間海外ツアーと国内ツアーのほとんどの公演でバックをつとめた。
 その後も幸宏氏のソロアルバムをはじめ数々のミュージシャンとセッションを重ねたが、1998年冬、獅子座流星群が流れる空の下、彼は流星群を追いかけるようにこの世から旅立っていった。
 心からご冥福をお祈りします。(七篠権平)
  ★YMOを語る上で絶対に外せない方ですよね。彼がYMOに与えた影響というのも、見逃せないかもしれません。ギターに詳しくないので、余りはっきりとしたことは書けませんが、日本でも有数のギタリストだったのではないでしょうか。YMOの3人や矢野顕子さんが、彼に寄せていた信頼は甚大なものがあったと思います。
 幸宏さんのライブで、私の目の前でステージの前まで来て演奏しておられたのを思い出します。後で気づいたのですが、私の横には車イスの方がおられました。よくこちらのほうを見られるなあと思って喜んでいたのですが、ひょっとしてその車イスの方を見ておられたのかもしれません。
 ご冥福をお祈り申し上げます。(nakanaka)
●(2)大村憲司。1949年5月5日、神戸出身。
 1969年のヤマハ・ライトミュージックコンテスト・ロック部門優勝。翌年〜1971年までサンフランシスコ大(USA)留学。
 1973〜74、五輪真弓のバックバンド「エントランス」に参加。その後、小原礼、林立夫らと「バンブー」結成。東京都内ライブハウスで活動。数多くのセッション活動に参加。
 1980年3〜4月、同年10〜11月のYMOのライブツアー参加。 (以上、松武秀樹氏の著書「たった一人のフルバンド」(勁文社)より引用。)
 自己のソロアルバムは『ファースト・ステップ』『ケンジ・ショック』『春がいっぱい』。YMOのライブで演奏された「MAPS」は『春がいっぱい』に収録されています。(SL500)
  ★SL500さん、ありがとうございます。とても大切な情報です。m(_ _)m 私の探し方が悪いのかもしれませんが、ネット検索しても意外と大村憲司さんのバイオグラフィが見当たらないのです。他にソロ・アルバムとしては『外人天国』があったかと思います。
 どうか安らかに。。。(nakanaka)

大貫妙子
日本を代表するソロ・シンガー・アーティスト。1973年に山下達郎、村松邦男らと「シュガー・ベイブ」を結成。75年に『SONGS』を発表し、76年解散。76年にソロ・アルバム『Grey Skies』を発表、坂本龍一と出会う(このアルバムでは教授は数曲のアレンジを担当)。以後、85年発表の『COPINE』まで、坂本龍一というアレンジャーを迎えたアルバムを製作し続ける(全曲教授編曲のアルバムは未だ存在せず)。代表曲に、TV主題歌であった「夏に恋する女たち」、映画主題歌「Shall we dance?」など。97年に、12年ぶりに初めて教授をプロデューサーに迎えた『LUCY』を発表。73年頃シュガー・ベイブは、はっぴいえんどの解散コンサートなど、コーラス・ワークの仕事が多かったため当初はコーラス・グループと認知され、山下達郎は「いや、僕たちはバンドです」と反撥していた。ター坊(大貫妙子さんの愛称)といえば、世界でも類を見ない、独特の歌声や器楽的なメロディに特徴があるが、カラオケに挑戦するとすぐ気づくように、頻繁に高音から低音、低音から高音へと激しく変化するメロディ・ラインはもっと注目されてよいと思う。「サンスト」にゲストで登場したとき、当時29才であったター坊宛の投書の中に、「もし僕が10年早く生まれていたら…(結婚を申し込みたい)」というティーン・エイジからのはがきに、ター坊が苦笑していたのが印象に残っています。(しでお)
  ★貴重なお話、ありがとうございます。大貫さんの声は聴いたことがないような不思議な声ですよね。メロディ・ラインについてのご指摘、一度カラオケで挑戦してみたいです。私の話はくだらなくて申し訳ないのですが、『笑っていいとも』だったでしょうか、大貫さんがご出演されたときに坂本さんの話題が出て、「彼は声がくもって(くぐもって?)ますから……」とおっしゃったのを聞いて、思わず笑ってしまったことがあります。(nakanaka)

奥村靫正
YMOの音楽製作史上で欠くことのできなかった人物が松武秀樹ならば、ビジュアル面のさまざまな側面に関わり必要不可欠であったアート・ディレクター、グラフィック・デザイナー。THE STUDIO Tokyo, Japan. 主宰。東京ADC賞受賞複数回。最も馴染みの深い仕事は温泉のロゴ・マークだが、その他にも、YMOおよび三人のソロ・アルバム、シングルのジャケットやポスターのデザイン(より正確に言うならば、はっぴいえんど、ティンパンアレー、サディスティック・ミカ・バンドのアルバム・ジャケット、ポスターもデザイン)、第2回WORLD TOURのポスター、WINTER LIVEのステージ・デザイン、YMOまねき猫のデザイン、YMO百科展のポスター製作、Schoolレーベル、MONADレーベル、Non-Standardレーベル、Y・E・N RECORDS、T・E・N・Tレーベルのロゴ・デザイン、BRIKS MONOのロゴ・デザイン、『OMIYAGE』、『SEALED』、『音楽図鑑』、『観光』、『GLOBULE』のブック・デザインなどに携った。そもそもは、奥村氏10代の頃から細野さんと遊び仲間で、エイプリルフールやはっぴいえんど、あるいは、サディスティック・ミカ・バンド、はちみつぱい、という70年代の日本ロック確立期の三大柱と親交があった。ミュージシャン以外で、当時これら三つの間を相互に交流してきた人物はおそらく稀有であろうと思われ、日本ロックの歴史を裏から支えてきた貴重な存在である。(しでお)
  ★本当にYMOと関わりの深い方ですね。私はこのコメントを読ませていただいて、とても勉強になりました。ありがとうございます。奥村靫正さんについてはほとんど知らなかったと言っても、過言ではありません。(^^; そう言えば、細野さんの『S-F-X』も確か奥村さんですよね。「あれ? 細野さん、美青年みたいになってる」と思った記憶があります。(^ ^)(nakanaka)

O.M.Y.
●(1)ORIENTAL MAGNETIC YELLOWの略。YMOの偽バンド。これまでに4枚のアルバムを発表。内容はYMOマニアであれば大爆笑保証付。細野氏のベースの手クセ、幸宏氏のハイハットやボーカル、教授の音色の好み等、実に正確なパロディー(?)を再現している。某メジャーからCDが出ています。必聴。(ringmoon)
●(2)メンバーは細野江晴臣、佐野本龍一、相原隆幸宏、佐々武秀樹の4人組。誰が誰役かは名前を見れば一目瞭然なユニット。1stに収録の「Shang poo」は必聴。(七篠権平)
  ★実は、、、恥ずかしながら聞いたことがないんです。(^^;(^^; 聞いてみたいーーーと思いながら、欲しいCDが多くて。貧乏人には辛いですねえ(笑) まだ、3人の方(YMOの)の最近出たアルバムも揃っていない状況なのです。(T_T)(T_T) レンタル屋さんに行ってもそうあるものではないですし。大きなレンタル屋さんが近くにあればいいんですけど、近所には売れ筋のものばかりという感じで。クラシックもほとんどありませんしねー。まあ、それはそれとしまして(って、何をそれとするのでしょう?)ここで愚痴っても仕方ありませんでした。m(_ _)m 最近「スケッチショウ」とか坂本さんの未発表の「CM/TV」とか出ております。実に実に(今日は繰り返し言葉が多い^^)素晴らしい! ですね。(nakanaka)

音楽少年漂流記
筑紫哲也編集長退任直後の『朝日ジャーナル』グラビアページ目玉企画として、ちょうど細野さんが音楽全体に行き詰まり感を感じ創作活動を一時休止していた過渡期に行なった対談シリーズのタイトル(1987年10月―12月)。対談相手は、みな女性。おなじみ大貫妙子や矢野顕子、越美晴のほかに、オノ・ヨーコ、中島みゆき、都はるみ、はたまた、伝統楽器の奏者や詩人など、細野さんの守備範囲の広さがここにも遺憾なく発揮されている。また、細野さんおよびゲストが深層心理テストもどきの絵を描いてもらって分析したり、「森のイメージ・テスト」も行なったりしていて、興味深い。のちに、新潮文庫に同名で文庫化され、少し長めの序文は、単なる細野さんの音楽観を越え、80年代後期の世相分析として読むにしても一読の価値あり(残念ながら、文庫本にはオノ・ヨーコの対談は、諸般の事情で未収録)。(しでお)
  ★私が持っているのは文庫本のほうです。オノ・ヨーコさんの未収録は非常に残念ですね。この本を読んでから、少し演歌の見方も変わったような気がします。民謡は好きなほうでしたが、都はるみさんとの対談で、演歌とのつながりを意識させられましたのでしょうか。ただ、好きなタイプの演歌と嫌いなタイプの演歌はあります。(^ ^) 序文は、そうでしたか、読み直したいです。(nakanaka)

ORCHESTRA
当時24トラックの録音機材だったそうだが、特に初期のレコーディングを改めて「オーケストラ」を聞く積もりで聞いてみると新たな発見があったりする。「SIMOON」ではボコーダーのボーカルだけで右、中央、左と、少なくとも3トラック使っているし、「RYDEEN」の主旋律も二色以上の音を重ねて使っている。伊達にオーケストラを名乗っていないので改めて聞き直す のも一興かと。っていうか皆さんすでに判ってる事なのかも・・(汗) 因みに僕は18年聞いてますがそれに気付いたのはつい二年前でした。 (平川史明)
  ★坂本龍一さんと天童荒太さんの対談集、『少年とアフリカ 音楽と物語、いのちと暴力をめぐる対話』(文芸春秋、2001年)という本の後書きにて、天童さんが、YMOのライブを見る機会がありその際「オーケストラなのに、なんで三人なの?」と疑問をもったと書いておられました。なるほど、ですね。(nakanaka)

俺、何やってんだろ
1980年代初頭 歌謡曲職人としてその才能を如何無く発揮していた坂本氏だが「わらべ」の『めだかの兄弟』レコーディング中には、さすがにこう思ったそうな。(ringmoon)

おしゃれ
かつて日本テレビ系で放映されていた15分間の昼下がりトーク番組。月〜金帯だがゲストは日替り。YMOとしてはデビュー直後頃に出演。しかし喋っていたのは主に細野氏のみであった。残りの二人は他惑星からやってきた宇宙人(テクノ星人?)で、何か話したいときには細野氏に『目で語り』かけ、それを『通訳』してもらうというかなりキてる設定だった。(しかも赤い人民服にニューウェイヴ・メイク) 後のスネークマンショウ的感覚はこの頃からすでにあったといえよう。(ringmoon)

大滝詠一
YMO再生時、「ポケットいっぱいの虹」を聴いて、「細野さんのカバーは、虹のなかに8色めの色として黒が入ってますね。」といったようなことをコメントした(FM東京キャノンFMワンダーランド・萩原健太司会にて)。意味不明。(fujii)

音版ビックリハウス
雑誌『ビックリハウス』が、音媒体で表現できないものか、と編み出してきた企画ものカセット。二本まで続いた。二本とも、YMO、ムーンライダーズ(ルーム・ダイナーズ)が音楽的側面をバック・アップしているが、1本目は細野色、2本目はライダーズ色が強い。1本目は、細野晴臣によるジングル(2ヴァージョンあり)、杉田かおるとのデュエットのためにかつて製作されたがボツになり細野がリード・ボーカルをとることでようやく日の目を見た「夢みる約束」、「教授、そんなに力入れて大丈夫?」とスタッフに心配された力作「ビックラゲーション」、細野さん初の主演ドラマ「おじさんは」など収録。2本目は、細野・高橋コンビによる「ビックリパーティーのテーマ」、細野作曲・編曲、伊武雅刀歌による「だって、ホルモンラブ」、幸宏氏の珠玉の名曲「GOOD TIME」(個人的にはサビ以外歌詞のないこっちの方がカッコイイと思います)など収録。(しでお)
  ★じつは、この『音版ビックリハウス』なんですが、私は持っておりません。とてもありがたい情報です。ありがとうございます。そ、そんな、もったいない……というような内容ですね。高橋章子さんが、編集長をなさっていたんでしたか。。。雑誌もほとんど読んだ記憶がないのです。当時、もう少し年齢が高ければ、あるいはマセていれば(?)よかったのかもしれません。それにしても、杉田かおるとのデュエットというのは、いま考えると、想像できないです。(^ ^)(nakanaka)

音を視る・時を聴く―哲学講義
東大名誉教授・大森荘蔵と坂本龍一の対談した本(ややこしいので「教授」というニックネームは使わない)。大学の図書館にあったので読んでみたが、坂本が生徒というような形で哲学講義がなされる。とはいっても、坂本龍一も「耳学問」と謙遜しながらも結構それ系は強そうでただの生徒役にとどまらない発言バシバシ。
哲学のことは暗いのですが、大森教授というのは科学と哲学を結びつけ、独自の思考体系を持つ方らしく、確かに僕の知っているような哲学のテーマとはかなり違った印象を受ける。(ブロイラー)
  ★朝日出版社、1982。大森氏は既に故人になられましたが、日本で独自の哲学を展開し多大な影響を与えたと聞いています。まだ日本で科学の哲学を本格的に輸入もできていなかった頃から、自己の問題意識から科学と哲学に取り組まれました。著作に『大森荘蔵著作集』(岩波書店)等。(nakanaka)

OTT(Over The Top)
「過剰」「やり過ぎ」を指す。とにかく過剰な音量、ビートを目指す、消費し尽くす。FOEの時期の細野さんが使用していた概念。FOEの音楽は過剰な音量、音圧、という意味でもOTT。FOEではビートも32まで過剰に分割(微分)される、という意味でもOTT。システム化された音楽を打ち破る、という意味でもOTT。音楽が当時(否、今でも)速いスピードで大量に消費される、という意味でもOTT(そう、今の音楽の消費のされ方は速い、速い)。加速度的に世界が進む、そう、OTT。休みを取ろうと思っていたらしい86年3月、細野さんは足を骨折し、OTT・FOEも終わる(と言ってしまっていいのでしょうか)。→Friends Of Earth(FOE)(nakanaka、gonsi)