FAIRLIGHT C.M.I.
世界初のサンプリング・マシン。オーストラリアFAIRLIGHT社製。
C.M.I.はCOMPUTER MUSICAL INSTRUMENTの略。VERSION IからVERSION IIIまである。お値段はI,IIが1,200万円、IIIが1,600万円(!) 昔のテクノキッズが憧れた高嶺の花。ART OF NOISEで有名になった。日本では“うる星やつら・オンリーユー”や久石穣氏の初期の“宮崎駿モノ”のB.G.M.等で使用されている(ナウシカなど)。日本での個人所有者は富田勲氏とみんなの龍一クン(だった)が有名。教授のアルバムでは“音楽図鑑”にI,“未来派野郎”にII,“NEO GEO”でIIIが使用されている。当時の教授の主なセッティングはYAMAHA DX-7とPROPHET 5とEMULATOR IIとコレ。オプションでKURTZWEIL K-250というカンジ。これでSTEPPIN' INTO ASIAでの夜ヒット出演とか万博とかやってた。(TV-WARで見れるセッティングです) 若干の機材のマイナーチェンジとか追加とかあるけど、基本的にこのセッティングで“オネアミスの翼”までやってます。
なんでえ、YMOあまり関係ねえじゃんかよ〜、と思う向きもあるとは思いますが、実はこのマシンはYMOがTECHNODELICで使用したかった機械、なんです。ところがごらんの通りお値段が…。そこで代打としてORANGEが開発された、と言う訳なんです。(Prophet5&MC4)
  ★高かったんですよね〜。いえ、YMOと関係ありますし、坂本さんとは特に関わりの深い楽器ですよね。たしか、坂本さんの「G.T」でのコーラスはこれですね。あの独特の歪み方(?)がいい、とおっしゃって喜んでいたのをうろ覚えてます(←こんな日本語の使い方ないですけど。「うろ覚えている」) それにしても、機材については、私はもう他の方におまかせ、です。m(_ _)m(nakanaka)

フェイカホリック
●(1)91年に出た、79年ワールドツアーのライブ版。『PublicPressure』で隠されている渡辺香津美のギターを聴くことが出来る。(ごるん)
●(2)たしかアルバム『BGM』が出た頃に、雑誌に出たパロディー広告の中のYMOのアルバム名。「世の中はすべてフェイクである」(細野晴臣)とかいう感じのコピーとともに掲載されていた。『Solid State Survivour』の次の3作目のアルバムの予定だったが、前作のあまりの大ヒットにより、路線の違う3作目は急遽お蔵入りになった。とかいう設定だった。この広告を今一度見てみたい。探してください(笑)(ごるん)
●(3)「在広東少年」の歌詞の一部「耳がこわれたわたしに」の「耳が」が消されており、ファンからひんしゅくを買っていると思われる。このアルバムが作られた時代(90年代前半)を考えるとやむを得ないのかもしれないが納得いかない。(松本弘毅)
  ★こうした問題は難しいですね。小坂忠さんの「機関車」という曲がありますが、歌詞のなかに「目がつぶれ 耳が聞こえなくなって・・・」というようなところがあり、これも当時ラジオでO・Aされなかったと聞いてます。(幸宏さんがそれに対してちょっと怒っておられたと記憶してます。) 忌野清志郎さんが「君が代」を歌ったときもO・Aが自粛されたとか。ラジオ局は何を考えているのでしょうか? この「在広東少年」の場合はアルバムですので、レコード会社の問題ですが、理由があってそうするなら明記すべきですし、それに対する意見に真面目に耳を傾けるべきでしょう。(nakanaka)
●(4)フェイカホリックの項目の中の松本弘毅さんのコメントで、「耳がこわれた(私に)」という部分が消されているというのがありましたが、実際にはあの部分の歌詞は「つんぼの(私に)」という、放送コードに引っかかる表現でした。(この記事すら、YMO豆事典に載せにくい表現(^^;;)
当時、ライブで矢野顕子は上記歌詞で歌っていました。私なんぞは、「発売ないだろうなぁ」と思っていたら、「耳がこわれた(私に)」と、回りくどい歌詞に修正(改善?)されて発売されていました。実際には当初の歌詞の方が、リズム的にうまく入ります。たぶん、その当時のライブの録音がうちにある(^^; (ごるん)
  ★そうなのですかー。いわゆる「差別語」といわれるものは、どのように考えればいいのか分かりません。ただ、よく言われるように、ただその言葉を消してしまえばよいという発想は短絡的だと思います。しかし同時に、ある言葉がある人(々)を傷つけるのもやはり事実なのですよね。(-_-;) 考え不足です。m(_ _)m(nakanaka)
  ★(3)の項目にて、「「在広東少年」の歌詞の一部「耳がこわれたわたしに」の「耳が」が消されており」についてですが、「矢野顕子アルバムバージョンに戻ってるだけではないでしょうか?」というコメントをいただきました(Tackmixさんより。m(_ _)mありがとうございます)。ちょっと、私には手許で調べる方法がありませんので、よく分からないのですが、どうなのでしょう。(・_・")? まずは、矢野さんのアルバムバージョンをきいてみたいところです。(nakanaka)
●(5)「在広東少年」については“つんぼの私に〜”がオリジナルだと思います。と言うのも恐らくこれは“ライヴ用の曲”であって矢野顕子さんのアルバム『ごはんができたよ』(オリジナル:徳間ジャパン)に収録されたのは、時期的に見てYMOの第2回ワールドツアーより後の事だと思われます。(例の“東風”を聴いてみれば分かると思います)
因みに同曲はKYRIN(日本コロンビア)でも演奏されてます。(KYRINのライヴ盤CD2枚組に収録されてます) こっちの方が音源としては『ごはんができたよ』よりも先だと思います。歌詞は・・・どっちだったかなあ。手元に音源がないんで忘れました。(Prophet5&MC4)
  ★ありがとうございます。色々ないきさつがあるのですね。もともとの詞は「つんぼの〜」として歌われていたというのが事実に近そうですね。
管理人より、一言書かせていただきます。ここで一般に「差別的表現」と言われている言葉を使っておりますが、掲載されている文章は、コメントをいただいた皆さまが真面目に、どのような表現で音楽作品が発表されていたか、その経緯等を書いていただいているものと認識をして掲載しており、差別を助長するようなコメントでははないと管理人が判断しました。コメントをいただいた方々にそのような意図はないと思います。「差別語」というものが「使われなければよい」という単純な性質のものとは言い切れないこと、また、ここのコメントによって芸術表現と差別的表現の関係を考えるきっかけにもなるとも考えています。そのような考えをもって掲載いたしました。(nakanaka)

FOTO MUSIK
●(1)有名な『サンスト』のテーマ曲の正式タイトル。後に「両眼微笑」に変わりましたが。作曲講座にてこの曲の出来るまでを放送してたそうな。(当時まだ僕はリスナーではなかった・・・)
しかしレコード化はされていて、よりにもよって同じNHKの「みんなのうた」のサカモト作曲「コンピューターおばあちゃん」のB面であった。(余りにマイナーなのか手に入れてません)
サンストの放送当時リクエストが沢山あったらしく、時々不完全ながらもかかってましたね。勿論というべきか僕が探せてないだけかCD化もされてない(と、思う)(平川史明)
  ★ありがとうございます。m(_ _)m 「両眼微笑」はCDで聞いた記憶があります。実家の方に置いてあるので、確認できないのですが・・・。たしかに、タイトルは「フォト・ムジーク」でしたよね。(・_・")? (nakanaka)
  ★「コンピューターおばあちゃん」については、坂本さん作曲でない旨、ご指摘いただきました。
「NHKの「あなたのメロディー」かなんかの優秀曲で、審査するときの演奏は、コスミック・インベンション(!)でした。レコード化する際に、坂本が編曲・演奏していてドラムはユキヒロです。」(Tackmixさんより。m(_ _)mありがとうございます)
 確かにこれは坂本さんの作曲ではありませんでした。実は私も、長い間坂本さんの作曲とばかり思ってたのですが、最近違うことに気付きました。そうですね、編曲と演奏は坂本さんがしておられるみたいですね。なかなか音源を手に入れることができなくて、何とか「みんなのうた」のシリーズのCDで聞くことができました(今はまた、そのダビングテープの所在が分からなくなっています。(T_T))それを聞くまで、うろ覚えで「コンピューターおばあちゃん、イェイイェイ・・・」などと口ずさんでいたのですが、そのメロディも歌詞も、覚えていたものと本物では違うという有り様でした。(^^; それにしても! コスミック・インベンションは懐しいですね。小学生の頃にその名前を聞いた、そんなくらいでそれ以上の情報は持っていない、そんな程度です。どこかに音源があるならきいてみたい。。。(nakanaka)
●(2)両眼微笑」は1991年にリリースされた『BIHIND THE MASK +3』というアルバムに収録されています。サンストを聞いていなかった私は、当アルバムの中で他と全然曲調が違うこの曲が何ものなのか知りたいと思っていました。解決してうれしいです。(Ritsu)
  ★『BIHIND THE MASK +3』ですね! 最近やっと実家からCDを持ってきて(でも、整理ができておりません・泣)、だんだんと懐かしい音を聞けるようになってきました(整理できてないので、こんな書き方です・笑)。Ritsuさんは、このサイトをご覧いただいて解決したのでしょうか。もし!そうでしたら、お役に立てて嬉しいです(^ ^)(nakanaka)

Friends Of Earth
細野さんの野中英紀、西村麻聡等と組んだユニット。「FOE」と略される。Friends Of Earthは「地球の友」と訳しうるが、FOEだと「敵」という意味の単語になる。「Friend Or Foe」「Decline Of O.T.T.」「Sex,Energy&Star」等の発表された1984-5年頃が活動期。(「S-F-X」を含めてもよいかもしれない。)「OTT」(Over The Top)という標語を掲げており、これは「過剰」といった意味。この後暫く細野さんの音楽活動は落ち着く。「Friend Or Foe」の中に「World Famous Techno Pop」という曲があり、「未来派野郎」発表当時坂本龍一がテクノの終わりを語っていたように思うが、ロックが死んで生きているように、テクノも死んで生きているのだろうか。いやいや、ロックもテクノも同じだ。どちらも音楽だ。でもこれだけテクノ、テクノといわれる時代がやって来ようとは。→OTT(Over The Top)(nakanaka)

FROM TOKIO TO TOKYO
1980年10月〜12月、YMOブームの真っ只中に行われた、YMOの第2次ワールドツアー。また同時に初期YMOの区切りともなったツアーである。この頃のYMOのライブが一番好き、という人もたくさんいるのでは。このツアーの模様は「LIVE AT BUDOKAN 1980」「YMO WORLD TOUR 1980」で聴くことができる。(MSY)
  ★そうですね。この頃のYMOのライブが好きだという方、よく聞くような印象がありますね。うーん、それにしても、ブームがあったんですよね(-_-;)(nakanaka)

藤井丈司
●(1)1980年、大村憲司の静養中に代役を務めたギタリストの一人。元々はこの年のツアー中の楽器のテックのスタッフだった。
彼が参加した日、無事にコンサートが終わった後、自分の事務所の社長に「ギャラください。」と言って社長を激怒させ、「明日から来なくていいよ」を言われた という逸話が残っている。
これと関係があるのかはわからないが、資料を見る限り、彼がギタリストとして参加したのは1980年4月の秋田県民会館1公演だけである。
<参考資料:CD『ONE MORE YMO』ライブ解説より>(七篠権平)
  ★藤井丈司さんって、テック・スタッフだったんですか。し、しりませんでした。きちんと『ONE MORE YMO』の解説を読まないといけませんね。。。(^^;アセアセ(nakanaka)
●(2)そしてこのヒトが松武秀樹氏にトドメを刺したヒトです(笑)。
テクノデリックまでは松武氏がプログラマーだったんですが、言わば外部スタッフ。その“事務所”の方針で「もっと経費を掛からなくする為内部の人間をプログラマーに起用しよう」となり、白羽の矢がたったのが藤井氏でした。
藤井氏は『浮気なぼくら』からプログラマーとして参加。そしてYMOのラストまで付き合うコトとなります。
その後、Fairlight C.M.I.のオペレーターとしても教授の『音楽図鑑』『未来派野郎』『Neo Geo』『オネアミスの翼』辺りまで参加してます。
彼がプログラマーとして教授のアルバムに名を出さなくなったのは、教授のシーケンサーがマッキントッシュ(主にパフォーマーと言うソフト。後に一部スタジオ・ヴィジョンが使われる)になってからでした。(Prophet5&MC4)
  ★なるほど〜。(-_-;)(nakanaka)

フジテレビのイメージキャラクタ
198x年、坂本龍一がフジテレビの局のCMにイメージキャラクタ(とでも言うのだろうか)として、起用された。(gonsi)
確か、おにゃんこクラブと一緒で、「しなやか頭してます」とか何とかいうコピーだったような気がする。(nakanaka)