中身の濃かったJVA全国交流会宮崎大会
98年10月10日〜11日
〜市民映像の時代へ私たちは前進する〜
松下会長が言いました。「気温差20度ですよ、厚いねー。でも、九州・宮崎で大会が開けてよかった。内容のある全国交流会ですね。また大きな思い出ができました!」
10月10日(土)、北海道をはじめ全国各地から仲間たちが宮崎空港に降りたってくる。開会まで時間がある。ならばと貪欲に市内撮影に出るグループもある。午前中の「ビデオ市民講座」に顔を出す人もある。会場は太平洋(日向灘)を見下ろす「国民年金保養センターあおしま太陽閣」、徐々に熱気を帯びてくる。
受付が始める。1年ぶりの再会を喜びあう人たちの輪があちこちに出来る。初めて参加した人にさりげなく声をかける人もある。 午後2時、日高義朗現地実行委員会事務局長の司会で「1998JVA全国交流会」は始まる。
松下弘雄JVA会長が、 「この会はビデオの好きな人たちが気軽に交流する場。その主旨を大切に、全国に仲間がいるネットワークを生かして楽しみましょう」と挨拶。続いて、百市睦男実行委員長(JVA副会長)が、 「これまで毎回欠かさず全国交流会には出席し楽しませてもらいました。今度はお返しをする番。宮崎の良さをじゅうぶん味わって下さい」と歓迎の言葉を述べる。
「各地の活動報告」
丸田福治さん(長野県)が、ベトナム旅行の自作ビデオを紹介し、制作体験を語る。 本田覚さん(埼玉県)が「HOW TO VIDEO/撮影編」の制作を経て、今「編集編」の撮影制作に入っていることを報告する。(※このハウツービデオについてはJVAビデオとして希望者に頒布する予定です)
作品上映会「私はここで暮らしたい」
今年の全国交流会メインイベントのひとつは、映像作家大町信平さん(宮崎県西都市/JVA会員)の作品上映とお話。作品は「私はここで暮らしたい」。過疎に悩む九州山地の小さなムラ寒川で生きる高齢者を追ったビデオ。
会場は、うわべの言葉でなく映像で丁寧に見せていくディティールのしっかりした画面構成に集中する。
地元の鈴木素直さん(ネイチャー、映像などで活躍)にも加わっていただいた上映後のお話では、大町さんの作品作りの基本的な姿勢を聞くことができた。特に取材対象(被写体)のプライバシーにも関わる場合の取材のあり方では、相手の立場を尊重しつつホンネを撮る(録る)お話に熱心に耳を傾ける参加者が目についた。市民ビデオ(大町さんは歯科医)の到達点の高さを知り、意欲をわかせる会となった。
民俗芸能「船引神楽」上演
交流会、もうひとつの目玉は民俗芸能の披露。天尊降臨神話の里らしい神楽の上演に移る。舞うは船引神楽の一座(宮崎県清武村町)。まずは子孫繁栄を願う神楽から・・・
ストレートながらユーモラスな舞にカメラから目が離せない。(目が離せなかったのは別に理由が・・・?) 下種(ゲス)な考えを捨てて、ここは南九州の人たちの大らかさを学ぶ場としたい。続いて「天の岩戸」にちなむ舞。今度は勇壮な動きにカメラが回る。
交流懇親会の夜
午後6時30分、自由に触れ合う懇親会に入る。
自己紹介、近況報告が進むにつれて、“誰もが仲間”の雰囲気に会場の熱気はあがる。新しい仲間を見つけた興奮もあれば、知らない技術を教えられた収穫もある。
「来年も会おう」という空気が盛り上がったところで、「1999年全国交流会」会場が発表になる。1年後は「ヒロシマで会おう」。
百市睦男さんから広島県の平田豊和さんに全国交流会の旗が渡される。広島県出身の松本豊美さん(JVA顧問)も平田さんに広島大会への全面的な協力を約束。これから具体的な日時と会場の選定に入る予定。
交流撮影会は日南海岸へ
翌日は、青島の早朝撮影に出かける元気いっぱいの人もあれば、深夜に及ぶ仲間たちとの話し疲れで、おそくまで「寝床の会」を楽しむ人もあった。
2台のバスに分乗した参加者たちは、まずは堀切峠へ。かつて宮崎が新婚旅行客で賑わっていた頃、ここは欠かせない記念写真のポイントであった。
次のサボテンハーブ園は、傾斜に広がるサボテンの群落を映像にどう取り込むか。ポジションを求めて仲間たちは歩き回った。一行はさらに南下して鵜戸神宮へ。海に突き出た岩盤の中に本殿を持つユニークな神社は。趣のある被写体になった。ここではテープ量はかなり回った。“宮崎の小京都”飫肥は、小さいながらも素朴な城跡が絵になった。
この後、引き返して亜熱帯植物のしげる青島へ。カメラが集中したのは「鬼の洗濯岩」という波状の並んだ巨岩帯であった。
(この後、帰路につく人、プラス旅行を楽しむ人、再会を誓ってそれぞれに)