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■月刊ビデオコムの記事(91年4月号)
        NHKアマチュアビデオ研修会京都の集い

掲載タイトル
「京都に100名を超すアマチュアビデオカメラマンが参集」

 ビデオサークルの動きが急速に活性化してきた。小規模な集団同士で
連絡を取り合い、県や地区単位で集まる機会が増えてきているのである。
その集いのひとつが京都で催されるという情報が編集部に入った。取材
班は詳細をレポートすべく、さっそく雨の京都に飛んだ。


 10時30分、京都駅のホームに降り立った。そこで見慣れた顔に出
会った。池上通信機の志賀さんである。

 「展示会の立ち会いなんですよ。」と志賀さん。
 ビデオ研修会は京都駅前のルネサンスホールで行なわれるが、ロビー
ではメーカー展示が同時開催されている。池上通信機を初め、ソニー、
ケンコー、日本電池が出展、販売店ではビデオ近畿がビクターX1、東
芝BCC−100を会場に持ち込んで人気を集めていた。

セミナー開始
 午後1時10分、地元京都の高谷さんの司会で研修会が開始された。
初めに木村忠郎「京都の集い」会長より開会の挨拶、そしてNHK(経済
情報番組プロダクション)小林チーフディレクターの挨拶のあと、松本プ
ロデューサー(NHKエンタープライズVOOK担当)から『アマチュア
ビデオの在り方と今後』という題で講演が始まった。
 「ビデオは撮るときに楽しんで、見るときにも楽しもう。技術の追求だ
けでは、完成度は高くても面白くない作品になってしまう。初めて撮影し
たときの感激を常に忘れず、新鮮な気持ちで他の人の鑑賞にたえる作品を
作りましょう。」という内容だ。
 次に木村会長から、最近発生しているビデオ撮影時のトラブルについて
問題提起があった。たとえば、火事や事故現場で他人の不幸をビデオ撮影
する。またマラソンなどの撮影で夢中になって報道車にぶつかりそうにな
ったなど、この種のトラブルが激増しているそうだ。昨年の1回目の集ま
りでもこうした話題が出ている。関心が高いだけではなく、ずいぶん深刻
な問題なのである。裏返せば、それだけムービーが普及してきた証拠とい
えるのかもしれない。

参加者が体験談を発表
 3人が代表して、撮影体験談を発表した。最初はビデオ撮影が生きがい
という北海道旭川の松下弘雄さん。『雄大な北海道での活動』と題して、
そのライフワークについて語った。
 「ビデオを始めてから、何を見てもそれを映像でどのように表現するか
を考えてしまうんです。」観察眼もするどくなったそうだ。2番手は、富
山県の宇奈月温泉で旅館を経営しているという西江多喜男さん。露天風呂
もあるという話に、参加者からは羨ましそうな溜め息がもれた。題は『黒
部渓谷を撮り続けて』。
 「今回、富山県からは6名参加しています。ビデオサークルとしては2
年目の若いクラブです。私は今年で71才になりますが、100才まで続
けるつもりなのでまだ30年近くやれます。」という発言に、会場からは
拍手とともに「負けた!」の声も。
 3人目は、滋賀県の中川実恵さん。『母なる湖・ビワ湖と私』というタ
イトルで話が進んでいくうちにお寺のお坊さんであることが判明した。法
事をすっぽかしてビデオ撮影に行ってしまった失敗談に、会場は大爆笑。
しかし「カメラの眼はこわい。横や後から撮られると、飾りのない人間の
本質が写ってしまう。いつも背中を見つめられている坊主だからこそ、そ
れがわかるんです。」という話に、大きくうなずく参加者の姿が見られた。

感動の力作を大画面で上映
 場内が暗くなった。作品の上映である。最初に、千葉県の堀切澄江さん
の作品が100インチの大画面に映しだされた。題して”ビデオ年賀状”。
堀切さんは、昨年、ビクターのコンテストで初入賞をはたしている。
 次は木村会長の『消えゆく萱葺き屋根』。やがてダムの底に沈む運命に
ある村を取材したドキュメントだ。ビデオ歴が2年とはとても思えない出
来映えである。そして最後は先程体験記を発表した旭川の松下弘雄さんの
”厳冬に舞う阿波踊り”。零下10°という寒さの中で、氷の彫刻に挑む
彫刻家を描いた力作だ。すぐシバれるバッテリーに悩まされながら撮影し
たという。
 上映が終わるたびに松本プロデューサーが、あるときはやさしく、また
あるときは厳しく講評をした。
 セミナーの締め括りとして、京都太秦映画村の平成2年度選定特選作品
『ゆりかもめ物語(16ミリ映画作品)』が特別上映された。冬になると
渡ってくるゆりかもめの群れを、永年観察し、餌付に成功した男のドキュ
メントである。全編叙情的に描かれているが、最後近くにこんなシーンが
ある。生態観察用の足輪をはめるために環境庁の委託を受け、男は鳥をと
らえる。そのあとまた餌付をしようと餌を播くと、これまで競うように集
まってきた鳥の群れが、今度は近寄ろうともしない。男の顔がアップにな
る。悲しそうなつぶやきが洩れる。
 「こんなことをしたんだものね。無理ないよね…」

交流会でも、作品が多数上映された
 セミナーは午後4時過ぎに終了した。場所を移して今度は交流会だ。
  乾杯のあと、すぐ自己紹介が始まった。人が立つたびに、何十台ものム
ービーがその姿を追う。ほとんどの人がムービー持参なのである。群馬県
から参加している久保田さんは「うちのクラブからは僕一人しか来れなか
ったから、皆に見せてやろうと思って」
 番組で作品が何度も放送されている茨城県の太田さんや、長野県の柳沢
さんが立つと、熱い眼差しが注がれる。「ああ、あの人なのか」という声
も聞こえる。大分県で先生をしているという羽田野さんは、
 「第1回目の集まりのときに北海道の松下さんと知り合いになれました。
それで九州と北海道でネットワークができました。どんどんこのような広
がりが増えていけばいいなと思っています。」と挨拶した。
 座が騒がしくなってきた。見回すと、名刺があちこちで飛びかっている。
またたくさんのネットワークが生まれそうだ。
 テレビの傍では各人が持ち寄った作品を再生して、撮影の苦労話に花が
咲いている。『四万十川の四季』を撮った高知県の西岡さんは、
 「四万十川は日本一きれいな川です。きれいなのは、汚さないように人
が一生懸命努力しているからです。でもこんな状態はあと数年かもしれな
い。だから僕はこの四万十川を撮り続けているのです。僕はこれをライフ
ワークにしたい。」
 山口県から参加の岡崎さんは、NHK学園でビデオを学んだそうだ。そ
の卒業制作『自分史』は、構成の巧みさとナレーションのうまさが相まっ
て完成度は高い。
 交流会は9時30分には終了したが、部屋に戻ってからも真夜中まで撮
影談義に花が咲いたようだ。

映画村で撮影会
 翌朝、東映太秦映画村で撮影会が始まった。映画村は東映京都撮影所の
大オープンセット(36,000u)を利用してつくられた施設で、江戸
や明治の情緒にひたれるだけではなく、映画制作の現場を見学することも
できる。映像を勉強する人にはたいへん興味深い場所だ。ここに来ればい
つでもプロの現場に触れることができるのである。京都の人がうらやまし
い。
 ところが地元の参加者は、
 「いや、わたしらはあんまり行きませんな。近くにあると却って億劫に
なるんですかねえ。」ということである。
 係員の説明では、ロケ中の俳優は困るが施設の撮影は自由にしてよいそ
うである。時代劇を作れるかもしれない。
 さて各人はカメラを抱えて思い思いの場所に展開した。どんなイメージ
が頭のなかにあるのだろうか。機会があれば出来上がった作品を是非見て
みたい。そう思いながら僕は映画村を離れた。