発足以来、JVAの会員たちは、いろんな分野で活動を始めた。テレビのビデオ番組では会員たちの活躍が続いていた。新たに加わってくる会員はテレビ番組以外の分野で活躍する人も多かった。
こうした中でJVA日本映像ネットワークでは、全国ネットらしく会員が映像作品で参加するビデオ作りを始める。1人1分間の新春メッセージを集めた『JVAビデオ年賀』、3分間作品の競作になった『JVAビデオ日本列島の春1993』、自信の作品を集めた『人と自然は輝いて[第1集、第2集]』、そして『日本映像作品集』と続いた。JVA5周年を記念して企画された『ハウツービデオ[撮影編]』は、新郷ビデオサークルの制作協力で完成、さらに『ハウツービデオ[編集編]』へと発展していった。これからは課題になっている。『ハウツービデオ[上級編]』の早期完成であろう。
市民ビデオマンソフト発表の場を
また、これより先(JVA正式結成前から)制作が始まっていたのが『NHKVOOK:地域映像作家シリーズ』(NHKエンタープライズ/担当プロデューサー松本豊美さん)だった。「市民ビデオマンに広く作品を発表する場を」と企画されたものである。『魅力の佐渡』(新潟県:松本順一さん)、『曼荼羅の里・信州坂北』(長野県:柳沢忠さん)、『榛名山麓・四季の詩』(群馬県小菅和夫さん)、『ロマンあふれる信州塩尻』(長野県:寺西定雄さん)、『バッハ先生とこどもたち』(千葉県堀切澄江さん)、『秩父路・長瀞紀行』(埼玉県:町田宏さん)、それに『サバンナの動物たち』(岩手県:阿部昭三郎さん)であった。
アマチュアである市民ビデオマンがビデオソフトを作り、販売ルートに乗せる、この試みは必ずしも成功したと言えないが、挑戦するに値するテーマであろう。この経験を次のチャンスにどう生かして、これからの道を切り開くことができるか、課題として残っている。
木村忠郎会長逝く
1993年5月13日、わがJVA日本映像ネットワークは、大きな衝撃を受けた。二人会長制をしいた東京上野の大会で会長[西日本]に就任した木村忠郎さん(京都市)がリンパ腫(ガン)で亡くなった。発足からわずか2年、西日本でのネットワーク強化の期待を背負っていた木村さんだったが、その夢が実現できないままの旅立ちとなった。木村さんは入院中に「闘病記」を書き、それを公表するという気丈な意志の持ち主であり、JVAが生まれる前に盛大な「京都の集い」をリーダーとして開催したように、優れたオルガナイザーであった。葬儀は関西の仲間たちが献身的に担い、そして別れを惜しんだ。
※以下次号に続く