4.穴埋めエッセイコーナー

  このコーナーは、余ったページを埋めるコーナー
です。やっぱ、ページが白いまま余ってたりすると
さみしいからね。別のゲームの個人ペーパーでは、
穴埋めに「コントラクト・ブリッジ講座」とか書い
てた事もありました(だって、いつもお手紙とかで、
ネットゲーム以外の趣味は、コントラクトブリッジ
ですって書いても、それが何かを知ってた人なんて
いなかったんだもん)。でも、How To物は書き手の能
力を必要とする上に、毎回どれだけのスペースが取
れるかわからない穴埋めには向かなかったのでした。
そこで、今回は、適当に書く事ができる思い出話系
のものにしてしまいました。それにしても、紙面の
実に4分の1が穴といっうのも問題なのだが。

  と、言うわけで、今回は題して、
「私と、ネットゲームとの出会いに関する思い出」

  私の目に、初めてネットゲームという物に触れた
のは、大学生の時。創刊当時から買っていた「ドラ
ゴンマガジン」に載っていた、「蓬莱学園の冒険!」
の広告であった。しかし、雑誌の広告だけではネッ
トゲームという物を理解出来なかった私は、結局こ
のゲームには参加しなかったのである。なぜか、こ
のゲームは女子生徒しか演じられないのではないか、
という誤解をしていたのと、卒論や就職で忙しかっ
たのとで、資料の請求もしないうちに、いつしか広
告に「満員御礼」という文字が踊るようになり、そ
の内私もこのゲームの事は忘れ去ってしまったので
した。

  そんな私が再びネットゲームと出会ったのは、就
職した年の夏でした。配属された部署によって違う
のですが、私が配属された部署は、入社1年目の夏
の1ヶ月間、販売実習をすることになっていました。
この販売実習は、系列のでんきやさんで行います。
私は岡山に行く事になりました。6月末に岡山に入
り、7月頭から実習です。ところがこの実習、販売
実習とは名ばかりで、店頭で物を売るなんてことは
ありませんでした。何をやるかというと、来る日も
来る日もエアコンの取付の手伝いだったのです。そ
の年夏は暑く、エアコンも飛ぶように売れていまし
た。そんな状況ですから、毎日朝から晩までエアコ
ンを取り付けてまわることになりました。店の方1
名の運転するトラックに乗って、お手伝いです。そ
して初日。たまたまその日に組んだ方が「蓬莱学園
の冒険!」に参加していたのです。なぜそれがわか
ったかというと、やはり、ドラゴンマガジンが縁で
した。彼がちょっとさぼって本屋に寄ろう、と言い、
そこで、2人が同時に手を伸ばしたのがドラゴンマ
ガジンだったのです。それがきっかけで、その方と
組む時には、移動の間テーブルトークRPGの話を
するようになり、その内彼は参加しているネットゲ
ームの話もするようになりました。そんなわけで、
私も、次のネットゲームには参加するぞっと思うよ
うになっていったのです。実習に行ったお店があの
店でなかったら、初日に組んだのがこの方でなかっ
たら、岡山でもドラゴンマガジンが月末に発売され
てたら...今私はネットゲームなどやっていなか
ったことでしょう。皆様ともお会いする事はなかっ
たに違いありません。

  そして私はネットゲームを始めたのです。初めて
参加したネットゲームは、「那由他の果てに」でし
た。このゲームでは、私はほとんど交流をしません
でした。もともと、忙しい社会人でもほんのちょっ
との時間が作れれば遊べるだろうと思って始めたか
から、と言うのが一番の理由なんですが、その他に
もう1つの理由がありました。それは、私のキャラ
がいた所のリアがいつも大きく遅れたからです。当
時の私には、同じ場所にいる人と情報交換や共同作
戦をする、という考えがなぜか無く、自分のリアが
ないのに、他人のリアを読ませて貰うだけというの
もなんか申し訳なく、交流ができませんでした。ち
なみに、その時以来、私は同じゲームに2キャラ登
録するようになってしまいました。どちらかはちゃ
んと期日通りにリアが来るかもしれないから。

  それでもこのゲームが楽しかったので、私はネッ
トゲームをその後も続けることになります。その後、
「夜桜忍法帳」と「クレギオン2」に参加したもの
の、長期出張が入って途中リタイア。その次に参加
した「S−NET」で私はその後のネットゲーム人
生を大きく変える出会いをしたのでした。なにしろ、
ゲームを始めた当初から、プレイヤーの中では高齢
な方だったので、そろそろネットゲームもやめるか、
と思っていた時でした...。
                            (つづく...かも)

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