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2002.12.7
田みゆきの『ミドリとハエの憂鬱』を読んだ。この詩集の終わりに位置する「南仏の午後」に「詩は群をなして飛んでいる。虫あるいは魚の群のように。どこを切っても、どこからながめてもひとつの詩、あるいは詩のような何かをかたちづくっている詩の群は、ビルのように一階二階があるのではなく、石を積んでいった構築物になっているのでもなく、どこもが入口でどこもが出口、全て核、全て辺境、そのような全体、そのような断片なのである」と書かれているようにこの詩集は、詩の断片であり、詩の群れであるような、流動的な構造を持っている。冒頭の「ぶれる」と「南仏の午後」はもともと一つの詩だったものが大きく隔てられ、その間に分断された「移行する緑彩における9つの出来事」が、関連づけられた詩編を挿入しながら群れとして「飛んでいる」わけである。二重の断片化と再編成によって成り立っているということ自体驚くべきことであるが、詩の経験によってもその断片化は要請されていることにすぐ気づくことになる。
「私」が風景を見るとき、「私」の視覚とその場の風景にズレがあるかどうかは、本来なら検証不可能であり、あるいは内部観測からはあるはずとも言えるが、いずれにしても理論的な考察ではなく、そのズレを経験する、もしくは出来事とするのは驚くべきことである。その結果、そのようなズレをもたらす「私」は、その場から隔てられ、さらには身体とのアンバランスが露呈し、「私は縁取りに過ぎない」ということになる。おそらく「ハエ」とは単にズレを表象するのではなく、風景から削除された「私」なのである。「ハエは確かな形体をもたず、部分もまた持っていない。分解も組み立てもできないひとつの塊である。とても密度が高く、同時に背景からの欠落としかいえないような点。」この飛び回るドットのような幻覚は、視覚的なロジックから説明できるものではない。「大きな裂け目、私は傷口となって裂かれた日々の間隙に立ち、空を見上げる//私がここを喚起する時、必ずハエがいる。私はある連続を生きていて、ここもまた、発生の瞬間と地続きであるはずなのだが、なぜだろう、ハエの日々は私から欠落し、それだけ異なった時空を描いている。連続する日々のはじまりも終わりも飲みこみ、微細ではあるが、まるで世界そのものが裏返ってしまったような断絶をかたちづくりはじめるのだ。」「私」のひとつの死が記憶されているような「ハエ」あるいはもし可視化できるならば彼岸が見えるかもしれない凝縮された世界と思われる。風景から削除された「私」は、いわば生と死の中間地帯に漂うわけである。
 私達は生きた流れそのものではない。私達はその流れのすでに物質を担ったもの、すなわち流れの実質のうち凝結して流れにのって運ばれている部分なのである。というようなことをベルクソンが書いているが、「ハエ」の輪郭は凝結した死であるが、その内部の密度はおそらく流れそのものであると思われる。それと同じように、「ぼく」と「ミドリ」は川を下る。生の流れそのものの上で、凝結した実質なのであり、流れに運ばれている部分なのである。「ぼく」の身体と感覚が分化したかのような「ミドリ」は、川面をすべるような表面であり、表面を住処にしていて、輪郭と内部という二つの部分からなる「ハエ」の性質を持たない。「ミドリ」という名は、ある感覚が発生すること自体を表象しているようでもあり、アレゴリカルな感覚の系列である。「ぼく」は、明滅する感覚の早い動きに遅れると同時に、その動きの回路を構成する記憶である。さらには川の流れの上で求心性をなくした言葉、あるいは機能を果たさない物語であるべき観察者になっている。感覚=ミドリ、観察者=ぼく、そして「ハエ」を介在とする「私」というある種の構造を見ることができるかもしれないが、互いに摩擦を発生させながら、移動している、あるいは分裂、断片化している。「川の速度/千切れるミドリの体/それから?」この二つの速度によってミドリの体は、はじめから千切れていたのであった。物の速度に対して言葉の速度は、個体的でいくつかの方向への分裂が速度であるわけで、感覚=ミドリが抽出されてくるのは当然かもしれない。だから速度であるかぎり、もうひとつのベクトルを重ねられ、もうひとつの速度へと変化することが不可欠である。すなわち「世界の切れ端」という私的な言葉が「私」へと折り返しているのである。断片化された自分なり身体を統合するのではなく、川の速度に干渉する/されることで、風景から削除された「私」が、詩の到来が書き込まれるだろう場所に、散種され深さを持たない空洞を縁取っているようでもある。


2002.11.17
口晴美の「lives」と川上弘美の「龍宮」を読んだ。「lives」はいくつかの場所に行くことでいくつかの詩を作り上げるという構成を取っている。それはデパートの屋上だったり、カラヴァッジョ展であったり、銀座ペーパーハウスであるわけで、構成要素的には「龍宮」の奇想というか亡霊めいた世界とは、対局にある。身近ともそうとも言えない場所。いずれにしても現実的な場所において、どうしてここにやってきたのかを解けない問題のように考えている「私」にゆきつく。そのようにして他者と出会うわけで、その出会いには予想された物語をたえず裏切ってゆく夾雑物がたしかにあるのである。
 散文詩と行分け詩が混在した、淡々と物語るような言葉が続く。しかしおそらくそのどこにも「龍宮」のような物語はない。言葉は物語に連動するように配置されていない。たとえば「ロイヤルホスト桜上水」という散文詩は、限りなく短編小説のように見えるが、読まれる言葉は語ることへの抵抗になっている。涙は意図したささやかなことさえできないことへの悲しみであるだけではなく、あらかじめ決められることになる物語との距離の表明ということになる。ところで「龍宮」の部分を取り出し、組み換えればおそらく散文詩になってしまうだろう。しかしそれは「龍宮」とは別の作品である。「龍宮」は、意図された物語に沿った構造物であり、その完結した世界に読者を誘うべく書かれている。それは他者であるだけでなく、やはりフィクションであり続ける。私達は、どこか遠いところでそれを経験して、再び現在に戻ってくるようなものである。完結しないこと、あるいはテロスを拒むこと、すなわち、やってきた理由などほんとはないことを考えることが川口晴美の「罠」=詩である。
 物語ることの意味を崩壊させる「回路」があるはずである。指先と唇という接触せざるを得ない身体の部分こそが、その企みならぬ「罠」に誘導する「回路」を形成するようにも思えるのだった。そこから崩れてゆくこと、恐怖をともなったものとの遭遇を意図する罠は、日常的観念を一気に崩して、しかもなにも残さないで死を、フェティッシュな死のベールを張り付けるという意味で黒沢清的であり、唯一の接点でありえた指先と唇は、そうした悪意を流し込むフェティッシュな表象なのである。
 ところで、海辺のカフカでの村上春樹が安易な囲い込みと通俗的な関係性によって守ろうとした物語の枠組みこそが、批判されるべきものでありながら、巧妙に回避され、予定調和的に完結することで、繰り返し肯定されているのであるが、結局なにも言っていないことに等しいのである。あの田村を取り巻く気味の悪い村上的な関係は、単に馴れ馴れしいだけの関係であって、間違ってもギリシャ悲劇とはなんの関係もないのである。まさにそれこそが無意識の悪意なのである。物語=枠組みは全体的であり、モル的であり、体制的な義務である。ここでの「罠」は私語であり、個人の権利であり、モナド的な関係なのである。



2000.7.16
村喜和夫の「風の配分」に行ってきた。荒廃した窓辺からワーム模様が増殖するモノラルのCGビデオインスタレーションを見ながら、差し込んでくる光りの方向が気になった。この映像では、湿度に冒されたような窓辺が右手で、光りは右手から差し込む。長年の湿度で、腐りかかっているかのような無人の室内と窓辺に菌糸のフラクタル的な増殖は、確かに無気味なものであるが、右手からのぼんやりした光りがさらに恐怖を煽るような気がしたのである。
 まったく逆に、例えばフェルメールは必ず左手から差し込む光であのすばらしい壁を描いている。おそらく光りは天上から、すなわち真上からだったわけだが、絵画的に見れば、たとえば受胎告知で、ガブリエルは左で、いわばマリアは左のほうからの光りに貫かれる構図が多い、(フラ・アンジェリコ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ティントレット、カルロ・クリヴェッリ)そして非常に安定しているように見える。逆の構図もあるが、(ティツィアーノ、ルーベンス)不安な感じを与えるように思う。受胎告知にかぎらず、人物は向かって左向きの構図が好まれているように思う。マザッチオの楽園追放のように悪や無秩序に向かうときには右向きであり、光りは右からというのがなぜか相応しいようだ。このようにフェルメールの至福の光りは、左からというのがしっくりくるのである。黒沢清のカリスマの廃虚のような営林署の飯場の窓は左であった。窓といえば、アンドリュー・ワイエスであるが、あのすばらしい白いカーテンが印象的な「海からの風」もリリカルでは済ますことのできない不思議な絵である。右からの光りは、地上的な光りであり、ワイエスもそうだったように、その光りが差し込む窓辺と室内は、朽ちかけた木材と湿気の多いまだらな壁で構成されるのである。左からの光りは、天上的で現前的で、時間が限り無く抵抗をなくした今が現われるに対して、有限のものと時間を到来させるのが、右からの光りである。だから、亡霊のような事物であったり、あるいは過剰な生であったりするのだ。
 さて野村喜和夫は、スクリーンの手前でうずくまって詩を読んだ。それに被さるように、「近傍について」という録音の声が反復する。ここで、もうひとつ気になったことがある。うずくまるという姿勢は、立つことと横たわることとの中間の姿勢であり、主体はどちらかと言えば横たわり、声は下方を巡ることになる。そしてスクリーンへの映像の投影。
 デリダの「基底材を猛り狂わせる」での基底材(subjectile)は、主観性と放射体の間を形成している。まずは、横たわる主体、無機物になり、中性的になった主体であり、表象の支持体である。すなわち投げ出され、横たわったもの。それは、投げ出した私によって、根拠づけられ、また逆に基盤となり私を根拠づけもする。私が投げることができるのは、誕生において投げ出されたためである。すると自己言及的な構造ということなのか? そうではなく、ここまでの基底材についての定義を覆すように、そのようでないものとして基底材はあるのである。主体ではなく、放射体ではなく、支持体ではなく、それらを横切り、裏切り=正しいアドレスを持たない、あるいは結び付ける運動であり、それらすべてを横切り、それらすべてに変わってゆくもの。スクリーンであり、投げ出されたものであり、横たわったものであり、投影されたものであり、そしてそれらを根拠づけ、逆に誕生において根拠づけられているもの。かすかにそして執拗に反復する声、もはや誰の声でもなく、すべてを通過する声に基底材を見るのは、ひとつの裏切りの結果である。ともかく、うずくまるという立つことと横たわることの間を、声は押し広げ、亀裂そのものを反復させ、基底材を下へと産み落とすのである。

7月9日には、ポエケットに行ってきた。飛び入りでSOUCAINAも置かせてもらった。北爪さんがデジカメで撮影した写真とそれに添えられた言葉をスライドショーにしたものを作った。これは、今年の十月に行う「00朗読会・とぶこえ、とぶことば」で使用する小道具になるだろうもののテストを兼ねていた。概ね好評だったようだ。ポエケットは都合で前半のみであったが、居心地のよい催しであった。

「00朗読会・とぶこえ、とぶことば」のHPを作成した。今後見のがすことのできないページになる?と思われる。こちらもよろしくお願いします。



2000.6.5
』の「神なき時代の文学」で、松浦寿輝の折口信夫論がとり上げられていた。北川透は、松浦寿輝の官能的な文体の魅力を認めながらも、「日本語の認識に対する重大な錯誤が隠蔽されている」と書いている。まずは、漢字が日本に到来することでその読み下し文として発生した仮名について、あたかも仮名まずあって漢字を迎えたというような認識間違い。次に「エクリチュールの大嘗祭とは、‥‥仮名という音韻的記号と漢字という書記記号との併用によって成立している日本語の特質から発する、音と意味との婚姻の祭礼である。大嘗祭の「ミタマフリ」において天皇が神を迎える、ちょうどそれと同様に、日本語のエクリチュールにおいては、_仮名が漢字を迎える_(傍点)のだ」という文章から、天皇制と日本語の成立を同一視しているという認識間違い。(というか日本語の起原と構造にどうして天皇制が必然的に組み込まれてしまうのかという憤りであるが)という2点であるが、特に仮名と漢字の関係は、確かにこの一文だけでは誤解を与えやすいが、全体を読めば松浦がそんな初歩的な認識誤りをしていないことは明らかである。ここで大事なのは、日本語の起原的な出来事について言っているのではなく、折口信夫が(場合によっては、私達が)反復している、漢字という外部の到来による言葉(音と意味が結合した)の発生の体験なのである。折口信夫にとっては、その発生が大嘗祭によって象徴的に現われているということであり、確かに日本語の発生と天皇制は同じ構造をもって語ることができるのは、あまり認めたくないが(笑い)、その可能性を隠蔽することでトラウマになっても困ると思う。「日本語の認識に対する重大な錯誤が隠蔽されている」というのは、むしろ逆であり、あまりになまなましく非隠蔽化がなされていることへの私達の反動なのである。
それから、北川透は松浦寿輝が日本語自体を内側の構造からとらえず、比喩に寄り掛かって捕らえようとすると書いているが、言語論的に日本語を解析するならば、(これは日本語の外という立場でしかないが)、「折口信夫論」のようにポリティカルなアプローチは困難と思われる。松浦寿輝がここで行っていることは、まさに日本語自体を「内側の構造」から捕らえることであり、官能的なイメージは比喩によってもたらされているのではなく、まさに官能的な出来事だからである。
イメージ(表象)が私達のコントロール化に置かれないのは危険だとよく聞き、北川透もそう言っているようであるが、イメージ(表象)の不毛な反復のみを取り出してそう私達は思っているだけのような気がする。だからコントロールし過ぎなわけで、イメージの連鎖に遭遇する準備とトレーニングこそが要請されていると思う。
2000.4.24
崎ひろ子の歌集『はなきよむる』を読んだ。
内容に振幅の大きさがあるのは当然かも知れないが、短歌という形式があって、その自由さがあるように思えた。
ロゴスにて成る虚構に生きて吾なほ現し世を思い慕ひし
論理もて編まれて文字の砦なほ最上のものという想ひあり

言語による構築体が情緒や即物的現実に対して優位とすべきかどうか、での迷いが詠まれているにすぎない?が、短歌という形式によって深みが、出ているのである。一旦言語の体系(意味)に向かって投げかけられた言葉が、短歌という形式によって、揺り戻されている。言葉と世界の間での往復するベクトル=運動=歌を発生させてしまうのが興味深い。
あるいは
記号学数多事象を解明し吾が存在の非在を告げたり
結局わたしは記号学の地平にはいないのよという感じのユーモアに、言葉は覆われることになる。
咲かけのうひうひしさよはまなすのくしゆとほころび波音ひびく
ハマナスに見とれて転んだところ耳もとに波音がひびいたということなのだろうか、不思議に気になった。
ともかく、ユーモアや擁護されるべき論理も面白いが、この歌集の骨格は、過剰さを秘めた空と一種の音楽となった雨の対比とその変奏のように考えている。
青天を部屋にこもれる一日なり昨夜の雨音耳に残りて
はなきよむる雨ならむならばなほのことスローモーションのしずくを愛す
知らぬ間に代書されゐし手紙(メイル)のごとふうはりふはり雪の白きは
とするならば、花は
「最近はただひたすらに詩歌です」宣言すれば歯切れよき風
なのである。



2000.4.21
0』の11号を読んだ。森川雅美の『リアルを超える言葉たち、あるいは、主体への問いかけ』で「発語する主体」なるものの位置の確認がなされないと、詩のリアルが達成されないと書かれていた。いくつかの疑問を残す文章であった。まず発語する主体とは何も言っていないことに等しい言葉である。「わたしは発語している」。「わたしは語っている」という文章は、この文章がまさにそれ自身のことを言っているとするならば、つねに真理であり、当たり前のこと(トートロジー)を言っており、その主体がだれであっても構わないわけで、その位置は空虚であるという結論が導かれるだろう。彼の「発語する主体」のリファレンスは、瀬尾育男なのか加藤典洋なのか知らないが、その言葉が必然的に穴を掘ってしまう空虚さを語ることなく、リアルを超えるというのはあまりもおめでたいだろう。そのような認識での世界は、「もはや一人の人間の身体感覚で感受するには、あまりにも肥大しすぎている。」というはやむを得ない事情である。(何人かの人が集まればなんとかなるのだろうか?) さらには、発語することで、自分の主体性が確保されたり、存在主張ができるなどという、武田鉄矢の言いそうな内容なのだろうか?と勘ぐりたくもなった。 
 そもそも自己の位置の確認がまともに問われなければならない、しかも詩においてなされねばならない事柄だとは思えない。逆にその位置の確認は、安全牌であり、問う前にわかっている答えであり、思考の停止以外のなにものでもない。森川は猟奇犯罪やオウム事件の若者に世界に対峙する主体の意識の放棄を見ているが、「発語する主体」の位置の確認を繰り返す自己満足も、かれらとかわることのない状態なのである。


1/3,00
けましておめでとうございます。
新年ヴァージョンのページが多かったので、このページでも愛犬ベルノのコラージュ?を作ってみました。昨年は、何人かのキトクな方のお便りもあって、HPはじまって以来の更新頻度になりました!?
今年は、「今月の詩」を復活させたい、、と思ってます。
ベルクソンの「形而上学」を読んだりして、多であり一つである「持続」もしくは記憶=意識について考えたりしました。持続の流れへの微分積分的アプローチ、多であり一なるものを分有という概念で説明するなど、否定を介在させない差異(強度)の哲学が非常にわかりやすく述べられている。(河津聖恵の詩と時間(2)─北村太郎を中心にが興味深い)
野村喜和夫の「狂気の涼しい種子」を読んだ。非=男根の妄想的運動という意味で、ヘリオガバルス、アルトーのセリーである。男根の不在によって言葉は速度を積算しているのである。痕跡が、現前しえない「過去」であると言われる。物質の表面を傷つけるものの到来があった、そして繰り返し到来するにもかかわらず、まさにそのことのために、現在化されない亀裂が存在している。非=男根の妄想的運動であり、多様性という定義可能なものを、ショートさせる多であり1なるものの運動であり、散種という多様性を滅ぼす出来事なのである。

10/3,99
西幹仁の『副題 太陽の花』を読んだ。これは寡黙なテロリズムである。以前荒木悠之が、寺西さんはどっちかに行かないといけないと思いつつ、動きが取れなくなって困惑していると言っていたが、彼の場合どっちかという選択は通常は選択の余地がないようなときに発生していて、つまりこっちにいかないとかなりやばいよというところで、動きが取れなくなっているのである。それは身がすくんで動けなくなるというのではなく、たとえばあの世の光景とか泣きじゃくっているおじさんという悪からの誘惑におもわず乗ろうとする衝動なのである。山辺医院前の路上に置かれた太陽の花と書かれた段ボール箱も、見てはいけないもののように感じてしまうのである。「だめだ」と唐突な終わりは、一見ネガティブな文脈にあるが、逆に私には寺西さんが向こうにいくことを諦めた(留まった)ように聞こえるのである。「だめだ」と言わなければ、ちょっと差し迫った状況になってしまうように思ったのである。差し迫った状況が言葉になったときに、言葉がその差し迫った状況を緩和する方向に作用している。いわばこの虚構によって詩の場所が確保されているのであるが、事実関係は屈折せざるおえない。個にとっての事実関係を、詩は無効にするだろうが、詩を書くことは、その詩の力と拮抗することであり、事実関係は二重に変換されるしかない。またリアルさは事実関係そのものから分泌される効果ではなく、いわば虚構化された事実関係による効果である。たんすを覗いている恐さというのも事実関係からくる効果ではあるが、「だめだ」という言葉の水準ではないのである。虚構化された事実関係に立ちながら、その立脚点を崩すように、本当の事実関係なるものにこだわってみるのである。うそに対する羞恥と快楽が、おそらく「だめだ」の前後をブロックしているのである。

 ユーモアや抒情もイロニカルな文脈から感じられるのではなく、あるいは外の視点や観察によってもたらされるのではなく、差し迫った状況を緩和する言葉であり、寺西さんの身体に直接する声によってもたらされる。言葉は構築的でも求心的でもなく、石ころのように投げ出されている。それらの言葉が抜き差しならぬ状況に追いやられているのではなく、事実関係でがんじがらめになった「世間」に空いた孔であり、一種の破壊工作がこの詩集で報告されているのである。さらに、事実関係が言葉に対して優先されている一方で、言葉への過剰な「信頼」があって、それは真実を覆い隠すにもかかわらず、あるいは事実関係をわい曲するにもかかわらず、その虚偽性=うそがあるがゆえに、言葉にのめり込んでいる。結局、言葉への不信であって、経済性で測りうるものにすぎないという戦略的な認識なのである。詩に対する特別な感情とはまったく無関係なところで書かれているわけで、このことはまずは読みやすさと裾野の広がりを与えるが、非常に困難な作業であり、さまざまな局面で闘争が強いられる。つまり「世間」への破壊工作ではなく、言葉と詩へのテロリズムなのである。


9/15,99

小池昌代の『永遠に来ないバス』を読んだ。一般に詩は、出来事と気分という有限なるものから、無限と自然の概念に上昇する場合と、無限小の系列に降りてゆく場合がある。前者は、作者とその反対側にもうひとつの収束点を仮定して、その両端からの線分が言葉であり、詩である。小池昌代は典型的に前者であろう。言葉の伸びやかさと弾力さは、線分の振動から来ている。

 小池の詩での「私」は、詩のなかでさまざま線分を延ばしてゆく始点である。たとえば空豆は、私が詩の方に伸してゆく線分の終点に位置している。一見そこで終わっているようであるが、その抒情性から推測できるのは、その先に延長され、すべてが収束する一点が仮定されている。わたしと大きなものとの間で出来事が起り、経過してゆくのである。大きなものの影が周囲を覆っているのである。死という沈黙であり、それを背景に言葉は奥行きを獲得し、自在さを帯びるのである。すなわち生であり自然である。この広がっていく意味において、死は生に回収されてゆく。ことばの自由さと主体の自然さが詩を書かせているのではなく、詩が、それを欲望しているのである。ことばの自由さは、詩によって後から構成されたものであり、自由さ、主体の自然さはあくまでも虚構なのである。死という沈黙は、男や空豆として物質化され、主体としての生と連続する循環によって、主体や自由さを滅ぼす危険は回避されるのである。「ことばの自由と主体の自然は、....なによりもみずからを抑圧するために詩を作動させるという悪夢」(稲川方人)


6/4,99
尾真由美の『燭花』を読んだ。中心と周辺とか、前景と背景、もしくは「わたし」に集約されるといった視覚的な関係で詩が書かれているのではなく、言葉を縁取るように波が通過するような拡がりを感じた。複数の面的な関係であり、視界が奪われ、言葉に密着してその存在を顕在化する盲目的な行為がある。その反復は、折り目といまだ隠された不在を波及させていた。
たとえば、「言葉と言葉の間隙にまよい欠落の中点をめぐりしたたかな羅列にしずむ 記憶の破片をつなぎ 生み出された架空の鎖をつかみあなたに近づき」というところには、間隙や亀裂に不在の生成を見るというより、物の差異、言葉の差異を波のように反復することで不在そのものを埋めてゆくような気がした。もしくは「思い出に似た形まで一種の癒着を果たそうとする」ように、形の溶解というか揺らめきの連鎖が詩になっている。一つの真理のような言葉を語るのではなく、複数性というか多なるものを生成する、もしくは織り重ねるような感じなのだ。


3/26,99
回の続きであるが、昨年の現代詩手帖の10月号での北川透と瀬尾育夫との対談で、二人は「徹底した反歴史性の衝動を持つ」守中高明が戦後という歴史状況へコミットをすることが、これまで積上げてきたテキスト理念の綻びと見ている。これは、歴史をテロスをもった理念と思い込んでいる点と、テキストの脱構築が歴史を消去してしまっているとの誤解から来ている。守中が批判的に取り上げている「日本思想という問題」で酒井直樹が言っていることとの混同もある。酒井は、「深いトラウマを残す強烈さをもった体験は共同体的には生きられ得ない」、戦後詩で死者と同一化することなく、死者を代行することは、共同体に別物として共有されることを拒む意思表示であった。つまり、死を共同体の内面に表象化して忘却するのではなく、その外部性を表象できない沈黙として記憶し続けたのが戦後詩という認識を示す。ここで守中は「歴史へのはたらきかけとしての詩的実践の概念」を取り出すのであるが、この歴史は大文字の歴史ではなく、「戦後詩史」というメタファーの系譜でもなく、そういった歴史から葬りさられようとする記憶、ひとりの人が負債としていやおうなく引き受けなくてはならない歴史であり、その記憶は自らをの脅かすと同時に自らの不在の主体を埋めるものである。こういったラカン的な構造を視程に入れつつ、不在の主体にいわば拘束された死を出来事として分有する可能性が詩的実践になっていると守中は述べていると思う。「徹底した反歴史性」と瀬尾が規定するときの反歴史性は、今までの意味に拘束されず、表象ではない強度としての言葉であり、言葉の質量を問題にする理念をさしているようだが、強度としての言葉は、それ自身プレテキストであり、その系譜なしにはあり得ない、むしろ反=現在であり、メタファーという文体以上に、歴史=記憶の反復なのである。「現在」を標榜する戦後詩が、今の生とそれとの言葉の関係(疎外であり、違和感にせよ)に充足することが、歴史とは遠い。反=現在の詩は反復という行為を未来のものとしている。
 


3/20,99
ょっと前の「ミルノミナ」で野村喜和夫が、北川透と論争を非生産的でありこれでやめにしたいとしながら、北川透からの攻撃(谷川俊太郎の詩について、ラングの無限であるというはおかしくて、固定化された言語という意味であるラングがどのように詩になるのかまったく意味不明であることや、モダニズムを乗り越えようとした鮎川がロマン主義であるというのはまったく誤っている、荒地が詩の行為の零度を目指したことはなく、まったくの反対である等)に対する弁明をしていた。つまり、概念の自由な使い方が許されるのではないか、逆に北川や瀬尾は、それを抑圧的に使い過ぎる。ひいては、それが今日の詩のジャーゴン化した閉塞化を招いている、と反論していた。ラングの無限は、すなわち日本語というラングに充足しているように見えて、ラングごとどこか外部に引き出している凶暴性を谷川に見ることと考えればまあー納得でいるだろう。ロマン主義うんぬんは、主観の優位という意味合いを読み取るべきなのだろう。零度うんぬんはおもうに、零度ではない隠喩になってしまいちょっと苦しい。この論争は二人の資質の違いからきている。野村が異質なものも、自己に敵対するものも、すべて詩という形で取り込もうとし、実際そうしているに対し、北川は、吉本隆明の自立思想からの影響で、硬直化した思想にはことごとく否定的で、それらとの異和として、自己を同定しているので、既存の概念はことごとく否定するしかない。北川透は、10年ぐらい前に、岩成達也の「詩的関係の基礎についての覚書」で、コノテーションとして詩的言語を階層的に捉えるのは納得できないと何回か応酬をしていた。つまり口語的な詩もあるなかで、非現実を把握するもしくは現す方向にあるものだけを詩的関係とすることを納得できないと言っていた。比喩を使わない口語的な詩は、ある意味では日本語の規則に忠実に従っていると言える。それならば、野村のいうラングで詩ができうることを否定することはないであろう。北川は、既存の概念を無批判に使って何かを言うことが、ばかばかしいというだけでなく、個を見えなくさせるという悪い結果しかもたらさない、と思っていて、とにかく批判するのであるが、その言説は必ず硬直したものになる。 状況でどんどん変わっていると言う北川の揚げ足をとるわけではないが、60年代の教条化された思想状況では、そこからのズレとして個のラジカルさがあって、個がそれらの状況を規定できるだけの優位性があった。マルクス主義と共同体を往復しうるものとしての個の生が可能だった(硬直化した思想とは、この二つの壁の一方に吸収されたものをさしているが)。個はある意味で無限であり、意味の根源でありえた。ここに文体としてのメタファーが力を発揮したのが、鮎川らの場所であった。しかし硬直した思想の後退つまりそれが個の生に重ならないこととともに、そのラジカルさと超越論的な思考によってしか、個は世界に直接することできない。というか全体なるものが死滅としてしか現れない。もしくは部分の連鎖という形でしかないことが明らかになった。このいわゆる状態においては、個の生と実感に立脚することは、虚妄にすぎなくなる。ひとりの生が特権化されることはなく、多くの場合に容易に共有化される生である。鮎川信夫のように表出感のある言葉によって、観念と作品の上に集中することはなく、希薄に言葉を共有した状態が蔓延し、それらを断ち切るには、個の内面にかかわっていても効果がなく、他者との遭遇が要望される、他者との直面によって個が形成される。このことは疎外から個が認識されることとは異なっている。パフォーマティブという運動が要請されると思う。(99/3/20)


稲川方人と岩成達也には「存在の記憶」なるものを感じるときがあるのですが、ここでの「存在の記憶」は、私の記憶ではなく、はたまた他者の記憶というわけでもなく、ある種の石や木の痕跡に人間の記憶の反映をみるのでもなく、初期吉増剛造的な打撃がもたらす言語の回帰とも違って、観念的なるものが現実界に遭遇すること、記憶が存在の基底になっていることを意味しています。澤野雅樹「記憶と反復」を読んで、そんなことを考えています。最近アンドロギュヌスに続いて出くわしました。「月蝕」と「リング1」で、、、(99/2/9)
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