第15話 〜ジロンド派追放
←人生 (そういやなんで教授と助手ってこんな似てんだろ…)
←教授 (…………。)
←助手 (…………。)
教授
「14話では苦しい台所事情と、空回りした徴兵令について触れたな?
人生
「OK
教授
「まあ小競り合い位は各地で起きていたとは思うが、
様々な資料等で残されている大きな反乱が二つ、起こるべくして起きてしまった。
国内ではヴァンデの反乱、国外ではデムーリエの裏切りだ。特に後者は激甚な衝撃。
人生
「ヴァンデさんが中で反乱起こして、デムーリエさんが外で裏切ったのか。
教授
「ヴァンデさんは地名な。デムーリエは軍人(指揮官)だ。
ジロンド派と言うにはちょっと違うかな・・・? ジロンド派から期待されていた、とっても強い軍人さんといった所か。
一個ずつ見ていこう。まずはヴァンデの反乱からだ。
人生
「ヴァンデが地名なら、なんでヴァンデだけで起きたんだ。
教授
「くどいようだが、小競り合い程度なら起きてたかもしれないんだぞ?
ヴァンデだけだと思ってはいけない。それに、これとて“ヴァンデを中心とした”反乱だ。
人生
「じゃあなんでヴァンデを中心として反乱が?
教授
「それなんだが、元々ヴァンデはキリスト経の信仰が厚い地方でな。
話は一気に遡って1790年(それでもたった3年前の事なんだが)、国民議会の頃だ。
議会が「聖職者基本法」という法律を制定した。
人生
「なるほど、コレが反感抱かせる奴だった訳ね。
教授
「簡単に言ってしまえばそうだ。要項は、まぁ聖職者を選挙で選ぶって事かな。
選挙で選ぶって事は? キリスト教のボスとも言えるローマ法王に確認を取る必要が無くなる。
聖職者は当然怒る。「我らがボスを蔑ろにするのか」といった所だ。
人生
「物凄い世俗的な書き方ですが大丈夫なんですか。
助手
「気にしない方針で。
教授
「しかも、その一年後にローマ法王自ら「聖職者基本法」を非難する声明を示した。
ボスがそう仰っているんだ、国民議会(=革命(∵革命の成果))に対して反動的になる。
助手
「この頃は人権宣言が発布された頃でもありますが、法王はこちらに対しても合わせて非難しています。
ボスがどうして反革命なのか? 勿論「ヨーロッパ諸外国の君主だから」というのもあるかもしれませんが、
筆者が大変疎い「宗教関係の理由・問題」が絡んでるんじゃないかと戦々恐々としています。
ですから言及するのは辞めて、ココで事実だけ抑えておきますね。
教授
「ボスが反革命なら?
人生
「聖職者もそっちに傾く、と。
教授
「そういう事だ。だから、特に信仰が厚かったヴァンデが反革命のムードだったんだ、前々からな。
で、切欠は14話でやった徴兵令だ。
「徴兵だと?! ざっけんないい加減にしやがれ」 → 蜂起 だな。93年3月10日の事だ。
人生
「兵士少ないのに蜂起止められるのか?
教授
「国民公会は「武器を持ってる反乱者全員処刑、財産没収」という厳しい態度に出たんだが、
お前の言う通り、少ない上に戦争に駆り出されてる(具体的には国境付近へ、だな)からさあ大変。
結局蜂起を鎮圧出来たのは12月の事だ。ジロンド派は大きく批判された。
助手
「突発的、ゲリラ的に95年まで続くんですけどね。
人生
「大変だなぁ。
教授
「さて、続いてはデムーリエの裏切り。こちらは特に国内全土に強い衝撃を与えた事件だ。
単純な話、ジロンド派が敵国に裏切ったんだから集中砲火を受けるのも無理は無い話。
しかもヴァルミーの戦いで活躍した人物だったから尚更だな。
人生
「ショックも大きい訳だ。
教授
「14話で国民公会が「大胆不敵にもベルギーを攻め始めた」事はやったな?
人生
「攻めに転じた奴だったな。
教授
「ベルギーは占領に成功したんだ。
人生
「おー、頑張ったな。
教授
「で、次にデムーリエ軍はオランダへ攻める事になった。
この時オーストリア軍に背後から攻められて負けてしまったんだ。
で、デムーリエは何と、政府に黙ってベルギーを勝手に渡してしまったんだ。取引をしてな。
ちなみに部下がついてこない事を感じて、そのままオーストリアに亡命だ。
人生
「政府に黙って国を渡すってw
蜘蛛の巣レベルの情報ネットワークが巣食う今じゃ考えられない話だな。
教授
「彼はオーストリア軍と一緒にフランスを攻める事にしたんだ。
軍隊率いてパリに向かう時に、かつての部下から撃たれそうになった。
そしたらオーストリア軍の中に逃げこんだんだ。
人生
「部下焦っただろうな。
教授
「だろうな。これをデムーリエの裏切りと言う。4月10日の事だ。
助手
「彼はオーストリアで残る余生を過ごし、約20年後に死亡する事になります。
もっとも、死亡した場所はイギリスのロンドンですが。
人生
「そんな大活躍してた軍人が裏切ったのは痛いな、ジロンド派にとって。
教授
「全くだ。
同じく14話で話したが、とにかく今は勝ち続けなきゃいけなかったって所で軍人が裏切ったんだ。
ジロンド派は責任問題として激しく叩かれたし、ジロンド派にフランスを守る力はもう無いとも見られてきた。
ココで活躍したのが、ベルギーから急遽戻ってきたダントン(ジャコバン派)だ。
人生
「占領されたベルギーに居たのか。
教授
「で、いつもの通り演説だな。この革命家、どの肖像画を見ても力強い顔をしているんだ。
やる事も一々“力強い”とか“フランス国民を鼓舞させるような”とかいった修飾語が付く。
今回も彼の演説、訴えは大成功だった。ココで再び「祖国の危機」が宣言された。
助手
「勢いに乗ったダントンはこの後、公安委員会なるものを設置します。勿論ジロンド派は一人も居ません。
初めはそれを意図した訳ではなく、大した権力も握ってはいないんですが、
ダントンも想像付かない程、後々絶大な権力を持つ機関となっていきます。覚えておいて下さい。
人生
「ダントンやるね。
教授
「民衆のジロンド派(もしくはデムーリエ等)に対する怒りは、デムーリエの味方にあたる新聞記者に向けられた。
という訳でジロンド派の主要印刷所であるゴルザスとフィエヴェが襲われ、ぶっ壊された。
この蜂起、一応は収まったんだが、これを受けて国民公会は革命裁判所という機関を設置した。
名前から想像出来るだろうが、反革命派を裁く機関だな。
人生
「え、反革命派を裁くんだから、それって革命派がやる事だよな。
国民公会ってジロンド派でしょ? ジロンド派って反革命派じゃん。
教授
「そうだ。要するに、国民公会内において、ジロンド派の勢力が弱まってきている事が分かるな。
この革命裁判所も同じく、ジロンド派は一人も選ばれなかった。
助手
「ちなみにこの革命裁判所、
1回判決が下されたら、その判決が覆る事は無いという強い権力を持っています。
人生
「怖っ。
教授
「ヴァンデの反乱を起こしていた人は、ココで片っ端から処刑された。
その数500人強。まぁ、なかなか残酷なものがあったそうだ。
人生
「くわばらくわばら
教授
「それと1789年(つまりバスティーユ襲撃前の話)から設置されていた保安委員会という機関も、
ココに来て強い権力を持ちだしてきた。コレは名前通り、保安を目的とした機関だな。
今で言う警察みたいなもんだ。とは言え、足並みは公安委員会と揃っているんだが。
助手
「ダントンが「公安委員会が保安委員会の委員を指名する」という法案を可決させた為です。
以上で今後主要になってくる機関「公安委員会」「保安委員会」「革命裁判所」を紹介しましたが、
この他にも、時期によってまちまちですが、20前後の委員会が設けられています。
人生
「なんかもうジロンド派も立つ瀬が無いな。
教授
「ジロンド派も苦し紛れに反撃はした。
「暴動を煽動した」としてマラーを、「デムーリエとグルだった」と因縁つけてダントンを告発した。
しかし考えてみろ、当時裁判の権限を持っていたのは革命裁判所だ。
マラーやダントンの味方であるジャコバン派で構成された革命裁判所だ。
判決は一瞬の内に終了。当然二人とも無罪、笑顔で裁判所を後にしたそうだ。
人生
「空しいなw
教授
「それに加えて、深刻化する飢餓に対してパリのコミューンがこんな提案を議会にした。
「金持ちから戦費として1200万ルーブル徴収してくれ」と。
人生
「ジロンド派にとっては相当うざいな提案だな。
教授
「そう、“金持ち”集団のジロンド派はますますいきり立った。
で、国民公会の議長であるジロンド派のイスナールさんがこんな事を大胆不敵にも言ってしまったんだ。
「もしこんな騒ぎがいつまでも止まずに、国民の代表に向かって暴力を加えるなら、
セーヌ河のどちらの岸にパリがあったか分からないようにする時が来ないとも限らない事を、
全フランスの名において宣言する」 と。要するに何だ?
人生
「「俺らに歯向かったらパリ滅ぼす」
教授
「そういう事。遂に国民大爆発。翌日、ロベスピエールが国民に蜂起を呼び掛けた。
タガが外れた以上、後の展開は迅速。蜂起を呼び掛けた僅か1週間後の6月2日、
コミューンによって臨時総司令官に任命されたアンリオ率いる8万の大群が、国民公会に押し寄せた。
150以上の大砲まで引っ張られてきた。
人生
「殺る気満々じゃん
教授
「当時「蜂起委員会」なる、一々蜂起するにも委員会が設けられていたんだが、
その代表が国王死刑に反対の投票を入れた者達を逮捕するように要求した。
コレに対して国民公会の議員は議会から退出しようとしたんだ。
人生
「自分達のリーダーを逮捕する法律を、他ならぬ自分達で可決する事になるからって事か。
教授
「もしくは“自分自身を逮捕する法律”だな(というかこちらの方が多いんだが)。
コレに対してアンリオは彼らに大砲を向けるよう指示をした。ジロンド派は遂に観念した。
彼らは上記の逮捕を決議し、議会を追放された。
ジロンド派の時代が終わったんだな。1793年6月2日の事だった。
人生
「長かったなー。何話からジロンド派の時代だったんだっけ?
教授
「ジロンド派内閣が形成された時期がスタートと考えれば、11話だな。
1792年3月〜1793年6月って事か。
人生
「え、それでも1年ちょっとの出来事なのか。なんか色んな事があったような気がするんだけど。
教授
「だからこそ面白いんだけどな。
さて、次のセクションからジャコバン派の独裁政治に入る。
今までの行動を見ると、さぞかし民衆に優しい政治をしてくれんじゃないのかと期待したい所だが、
これはこれでかなりクセのある、難しい話になってくる・・・。
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