第10話 〜ピルニッツ宣言

←人生

←教授 (何処を赤字にするか…)

←助手

教授
「今回の主役はルイ16世だ。

人生
「貴方ですか。

教授
「とにかく、順番に見ていこう。

人生
「王様はこの…えー、免税特権廃止とか封建制"一部"廃止とか人権宣言とか、
 国民が頑張ってる時に何やってたの?

教授
「いつも通り、ベルサイユに居た。前にも話したが、パリとベルサイユは離れてるからな。
 封建制一部廃止にせよ人権宣言にせよ歴史的には結構大事(おおごと)ではあるが、
 元々政治に興味を持っていなかった性格からか、もしくは王として残された威厳を保とうとしたか。
 口出しもしなければ、それらの法律を認める事も無かった。国民はどう思う?

人生
「イライラする。

教授
「その通り。

助手
「それと、前章で亡命貴族(エミグレ)についてお話しましたが、
 彼らは亡命の際、色々な物を(私物に限らず)外国に持っていってしまいました。
 凶作だパンの価格の高騰だ、散々フランスの苦しい現状についてはお話しましたが、これで更に打撃を受けます。

教授
「これら一連で苛立つ国民を王にぶつけようとしたのがマラー、ダントン、ロベスピエールらのチーム。
 バスティーユ監獄襲撃の際にアジ演説をしたデムーランも、この一派だな。

人生
「いやちょっと待て待て待て、何でぶつけようとしたの。ってか、何でそいつらくっついてんの。

教授
「あー、そうだな。時間軸が前後しない様に話してるからなんだが、
 こいつらに関しては次の第11話で取り上げるから、とりあえず名前だけでも覚えておいてくれ。

人生
「とりあえず、今は「こういう事があったんだ」で済ませとけと。

教授
「そういう事で一つ頼む。…で、ここでタガが外れる事件だ。
 フランドルという地方から軍隊を王が呼び寄せて、王の近衛兵が歓迎会を開いたんだ。ベルサイユでな。
 狩りから帰ってきた王様もコレに参加した。

人生
「ホント狩り好きだな。

教授
「で、あろう事か、近衛兵達は酒と王への忠誠に酔って、市民軍の帽章(赤・白・青の奴)踏みにじってしまった。
 代わりに王の白い帽章、王妃の黒い帽章被ってドンチャン騒ぎしてしまったそうだ。

人生
「あーあ

助手
「酒は飲んでも飲まれるな、とは正にこのような事。
 …ちなみにフランドルは英語表記で言う「フランダース」です。あの犬で有名ですね。
 このパーティーは二日後にも再び行われました。

教授
「まあ、当時の写真もあったんだが、結構豪華に執り行われたようでな。
 勿論酒もあるだろうが、「うっひゃーーーやっちまえーーー!!!」みたいな感じで度が過ぎたようだな。
 その後の展開は言わずもがな。これを聞いたパリは激高。10月5日だった事から、十月事件と呼ばれるベルサイユへの行進がスタートした。

人生
「パリからベルサイユって遠いの?

教授
「大体18kmだ。行進するには結構遠いな。しかも20000人規模の大行進だ。
 あ、ちなみにパリじゃなくて別の所からも6000人規模で行進が起きてる。

人生
「2回あったの?

教授
「初めは主にサン・タントワーヌ街の主婦達が、パンを求めて。
 その頃パリでも、市民と国民衛兵が武器を持って行進を始めました。
 国民衛兵ってのはバスティーユ襲撃の時に形成された組織でしたね。ラファイエットが司令官のアレです。

人生
「恐ろしい団結力だな。

教授
「バスティーユ監獄襲う位だからな。
 ただ、ラファイエットは恐れた。こいつらがベルサイユ行ったら何しでかすか分からない、とな。
 彼は踏みとどまるように訴えたが、一人の兵士がこう叫んだ。
 「ラファイエット君がコミューン(地方自治体)を号令しようなどもっての他だ。コミューンこそが彼を号令すべきだ」

人生
「群集心理か。調子乗っちゃって。

教授
「ラファイエットは真っ青だ。この頃から段々、彼は彼らをコントロール出来なくなっていた。

人生
「第11話で、この軋轢は説明します。

教授
「ともあれ、これで2組の団体がベルサイユへ行進を始めた事になる。
 先に着いたのはサン・タントワーヌの女性陣だ。
 約6000人の前ではまあ無理も無いが、狩りから帰ってきた王は小麦とパンを提供する事を約束した。

人生
「また狩り行ってたのかよw

教授
「趣味だしな。
 それに加えて、この時6000人の代表団の一人だったムーニエ(前にも出たな)が、
 一連の改革(封建制一部廃止なり人権宣言なり)を認めさせた。

人生
「十月事件、一件落着か。

教授
「いや、そこで終わればここまで有名な事件にはならない。
 その明け方に到着したのがパリの国民衛兵達。
 血気盛んな彼らは宮殿を取り囲み、一部は進入、近衛兵と小競り合いまで起こし、死者まで出た。
 王妃の間まで来るものだから、王妃マリー=アントワネットは国王の居室に逃げ込んだ。

人生
「あぁ、また血生臭くなってきた。

教授
「万事休す。外に数万人も控えてるのにココまで来れば「そのままお引取り下さい」なんて言えない。
 王様やその御仲間はラファイエットと一緒にバルコニーへ出て、パリへ強制連行された。

人生
「ちょ、

教授
「王宮の倉庫から出された小麦粉が乗っけられた車を運ぶ女性陣。後は国王と王妃らの馬車。
 結局彼らはテュイルリー宮殿という所に収容されて、ここでフランスの首都もベルサイユからパリに移った。
 ちなみに、何故パリに連行したかは分かるか?

人生
「ベルサイユじゃ自分達が居る所と遠いから?

教授
「そういう事。自分達が居るパリに連れてく事で、自分達の監視下に置けた事になるだろう。
 まあこの事件で、王宮派の議員(憲法制定国民議会な)は怒って辞めるんだけどな。
 彼らも外国に亡命してフランスの革命を潰しにかかるだろう。

助手
「ちなみに、先程十月事件で活躍したムーニエも、ココで地方に脱出。反革命側へ回ったとされています。

人生
「おいおい十月事件に加担しといて何反革命側になってんだよ。

助手
「↑を読み返してみて下さい。ムーニエは王様連行まで望んでいませんよ。

人生
「あ、そうか。一連の改革認めさせただけだったっけ。
 …これで十月事件終了?

教授
「そうだな、こんな所だ。
 ここから約半年、国内は比較的落ち着く。水面下の動きは除くけどな。
 まあココで次の章に移ってしまうのがベストなんだが、第十章が異常に短くなるので先進めるぞ。

人生
「稚拙な編集?

教授
「うるさい。
 …さて、国中が一気に緊張する切っ掛けとなった出来事が「ミラボーの死去」だ。

人生
「個人の死去が原因ってのも珍しいな。

教授
「フランス革命初期の指導者の一人として活躍した男で──これは後々分かった事なんだが、
 実はルイ16世と密かに手紙等で内通していてな。しかも反革命の立場に居たんだ。

人生
「はぁ。

教授
「それがバレて今では名誉もヘッタクレも無いらしいが、当時は国民を大いに落胆、失望させた。
 で、誰よりも失望したのは誰だ?

人生
「ルイ16世か。

教授
「そうだ。革命指導者の一人が反革命の立場で居てくれてたんだ。その上、内通までしてくれた。
 十月事件のように、最近自分に対して市民が容赦無くなってきてる事を彼は恐れてたし、
 そういう意味では上手く取り纏めてくれる事を期待していた人が亡くなったんだ。失望もするだろう。

人生
「頼れる人が死んだんだから、王様にとっちゃ怖いシチュエーションだなー。

教授
「そこで、だ。ルイ16世(と、その一味)は、以前から計画していた事を遂に実行に移してしまった。
 有名なヴァレンヌ逃亡事件だ。

人生
「逃亡ってまた大胆な。

教授
「逃亡先はオーストリア。オーストリアと言えばハプスブルク家の縄張りなんだが、何か違和感を感じないか?

人生
「…え、何が?

教授
「…いや、第4話で言った事を答えさせる程、期待してなかったから安心しろ。
 ルイ16世ことブルボン家と、ハプスブルク家は古くから犬猿の仲だったと言ったな?

人生
「あぁ、敵を頼りにしてるって事か。

教授
「まあ「妻のマリー=アントワネットの実家がオーストリアにあったから」っていう簡単な理由なんだけどな。
 亡命貴族と同じ。オーストリアに逃亡して、フランスを潰してフランス革命を頓挫させる狙いだ。

人生
「逃亡する言っても、そんな簡単に出来るもんなの?

教授
「いや、入念な準備はあったぞ。さすがに「ミラボーが死んだから逃げよう」とまではいかないさ。

助手
「マリー=アントワネットの愛人フェルセンは、国王一家の逃亡費用に、今の価値に換算すると約120億円を自腹で払ったとされています。
 フェルセンはスウェーデン国王のグスタフ3世にスパイとして送り込まれた人で、
 グスタフ3世もやはり同じく、フランス革命を潰しに掛かっていた人でした。

人生
「愛人て…ルイ16世可哀想に。
 でもまぁ120億自腹で払う人が居たら、愛人持たれても仕方が無いわな。

助手
「包茎だったそうですしね。

人生
「余計な事言わないで下さい。

教授
「この頃、亡命貴族は挙って、変装して国外へ脱出していた。国王もそれに倣う事にした。
 更に当時テュイルリー宮殿の監視官だったラファイエットの粋な計らいによって、
 テュイルリー宮殿の監視はそこまで厳重ではなかったそうだ。逃亡する準備は整った。

人生
「人の良心を踏み躙っちゃったのか。

教授
「逃亡が決行されたのは1791年6月20日。ミラボーが死去したのは4月だ。
 マリー=アントワネットがフェルセンに文句を言って、馬車のサイズや内装を変えてもらって1ヶ月遅れたなんて逸話も残されてるが…。
 ワイン等の過積載でヴァレンヌ到着まで数時間遅れた事から、別に驚く事でも無さそうだな。

人生
「暢気だなー

教授
「とにかく危機感に欠けてた。腐敗しきった宮廷生活でドン臭くなっていたのかどうか。
 逃亡の際も国王は知り合いの所に立ち寄ったり、車輪が途中で破損したり。
 入念な計画を立てたにも関わらず、このような失態を起こすのはそれ(危機感の欠落)以外の何物でもないな。

助手
「面白いのが、どうしてヴァレンヌ"脱出"事件じゃなくて"逃亡"事件なのか。
 「危機に直面して華麗に脱出、機会を狙って外国から権力を奪還だ!」と言った
 "脱出"に必要不可欠な俊敏性・決断力に欠けるから"逃亡"なんだそうです。

人生
「まあ、成功したらどうでもいいわな。

教授
「いや、それがだな。
 ヴァレンヌはフランスの国境近くの地方の名前なんだが、ココで、後一歩の所で農民にバレてしまった。
 いや、まあこんな状態ではバレるのは必定だったのかもしれないが…。

人生
「バレちゃったのか。

助手
「これもまた面白いんですが、
 本来、辺境のヴァレンヌの農民が国王の顔なんて知る由もありません。
 それにも関わらずどうして変装までしている国王が分かったのかと言うと、この逃亡の少し前、
 赤字解消の為に大量の紙幣が造幣されてたんですが、その肖像に国王の顔が載ってたからだそうです。

人生
「すげえ皮肉。

教授
「田舎町は大騒ぎ。革命派のドルーエという人物先導の下、馬車や石で道を塞がれた国王一味は降参。
 まさかの事態にヴァレンヌの村長も困惑するばかりで、とりあえず自分の家に案内して泊めてあげた。

人生
「可愛いなw

教授
「次の日にはパリから国民衛兵達が到着。敢え無くテュイルリー宮殿に連れ戻された。
 さて、この事件はどんな影響を及ぼしたか。

人生
「分かりません。

教授
「じゃあ、国民は国王をどう思う?

人生
「そりゃ…まあ裏切り者?

教授
「当然だな。国王はココで終わったと言っても過言ではない程、国民の信頼、信用を失った。
 十月事件でテュイルリー宮殿に連れて行かれてからミラボーが死ぬまでに年を挟んだが、
 この頃はまだ、国王に対して新年の挨拶の為に出向く国民も居た。その位の敬愛はあったんだ。

人生
「なるほど。

教授
「が、このヴァレンヌ逃亡事件の風刺画は大抵、ルイ16世一味を「豚」で描かれている。
 「豚小屋に帰す」という意味で描かれてるんだな。国民がいかにこの時失望・嫌悪したかは推して計れるだろう。

助手
「パリに着いた時、王を護衛する為の竜騎兵すら国民に武装解除され、「国王万歳」と言う代わりに「国民万歳」と叫んだそうです。
 また、王が脱出した翌朝、パリ市民は「王は居なくなったけど、結構よく眠れましたよ」と互いに挨拶し合ったそうです。
 そう、つまり「王様居なくてもいいんじゃない?」と言った風潮が広まる事になりました。
 立憲君主制派としては立場が弱まった事になります。

人生
「\(^o^)/

教授
「で、だな。
 問題。このヴァレンヌ逃亡事件、外国から見ればどういう印象を与えたか。

人生
「革命に余計恐れを抱いた

教授
「まあ、遠からずも近からず。
 「王権と革命はお互い妥協出来ないんじゃないか」という印象を与えた、といった所だ。
 一度そういった革命だ何だの動きが起きれば、双方歩み寄って平和的に解決する事は出来ないんじゃないか、
 ルイ16世の逃亡を見て諸外国は戦々恐々だ。

助手
「そして同じく、貴族も相当数の亡命を果たしました。
 この頃、ルイ16世の2人の弟、アルトワ伯とプロヴァンス伯もイギリスへ亡命成功。
 この二人、後のルイ18世とシャルル10世です。
 結構重要な人なんですが、フランス革命だけに絞ると出番は有りません…。

教授
「なんでイギリスなの?

助手
「んー、当時はイギリスが超が付く程の先進国でしたからね。国が安定しているのも理由の一つでしょう。
 実際、革命中に──ココでは触れていませんが、多くの人がこぞってイギリスへ亡命しています。
 フランス革命の後、ナポレオン体制の後──ウィーン体制と言うんですが、
 ここで身が危ぶまれた人も、殆どがイギリスへ亡命しています。

人生
「要するに便利な訳だ。

教授
「さてそんな中、遂に外国が動き出した。オーストリアとプロイセンという国だ。

人生
「お、外国沙汰にまでなるのはココが初めてじゃない?

教授
「過熱化する革命の“反動”だな。外国もそろそろ黙って見てられない局面まで来たという事だ。
 ヴァレンヌ逃亡事件から約2ヵ月後の8月27日、オーストリア皇帝のレオポルト2世と、
 プロイセン王フリードリヒ=ヴィルヘルム2世によるピルニッツ宣言が発表された。

人生
「暗記泣かせの名前だな。

助手
「ちなみにピルニッツとは、今で言うドイツの地名の名前ですね。
 当時の「プロイセン」と呼ばれる地域は≒ドイツです。“≒”ですが。

教授
「このピルニッツ宣言、要するに
 「フランスの秩序回復がヨーロッパにとって大事だと思ったから、お前らの国でこれ以上何かあったらこっちは何でもやってやるぞ」って所だ。
 要するに脅しだな。
 “これ以上の何か”って具体的にはどういう事だ?

人生
「え…要するにフランス革命を進めたらって事でしょ?

教授
「そういう事だ。
 フランスの国王であるルイ16世があの扱いだ、次は俺らの番じゃないか、と各国のいわゆるトップは恐れる。
 だから革命を辞めろ、といった具合にな。

人生
「まあ、自然の流れだな。

教授
「じゃ、ココで一旦次に移ってもらおう。
 そろそろ、各々の一派の名前を使わないと説明しにくくなってきた。

人生
「何、なんか分かれてんの?

教授
「まあ、あれだけ人口が居れば分かれるさ。
 第一・第二・第三身分って、ただでさえ今まで階級社会に生きてきた人達だしな。
 その辺の分裂っぷりから次は見ていこう。


次へ

戻る